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勇者の証

 彩り鮮やかなステンドグラスから射し込む柔らかな光のカーテンを浴びながら、アリシア・D・ステビアは目を閉じたまま佇んでいる。


「アリシア様……」


 佇むアリシアの背後には、方膝をついて頭を垂れる女性の姿があった。

 アリシアもこの女性も共に煌めきのある金色の髪であるが、アリシアが腰まで届く程のストレートヘアであるのに対して、この女性は後頭部の高い位置で結っている。


 この二人が並び立てば、さぞ美しい姉妹のように見えるだろう。

 しかし、それを望むには余りに大きな壁があった。


 アリシアの服装は修道女の纏う黒い修道衣であるのに対して、ポニーテールの女性は軽装の甲冑を身に纏い、腰には剣を帯びている。


「騎士シルヴィア」


 ゆっくりと目を開いたアリシアが口を開く。そして、腰まで届く金色のストレートヘアを揺らめかせながら振り返り、告げる。


「話は聞いています。事が事だけにあまりに大きな人数は割けません。そこで、貴女を含めた少数での捜索を命じます。また、人員の選抜も貴女に一任します。」


「その任務、確かに賜りました。必ずや見つけ出します」


「お願いします」


 穏やかな笑みを浮かべ、アリシアが頭を下げる。


「アリシア様……そのような!」


 それを見たシルヴィアが慌てながら、それを制す。


「これは私個人の分です。どうか妹をお願いします」


「はい……必ず」


 アリシアの蒼い瞳を真っ直ぐに見つめながら、シルヴィアは応えた。

 立場や階級といった身分の差を鑑みず、アリシアは全てに平等であろうとしていた。


 ただ命じるだけでいい。

 そんな立場にありながら、アリシアはそうする事を滅多にしない。

 命じられ旅立つ者の身を案じ、もし何かあれば仲間と共に涙を流す。


(この任務だけは、絶対に)


 シルヴィアは誓う。

 剣でも教会でも神でもなく……アリシア・D・ステビア個人へと。


「行って参ります」


 一礼し、シルヴィアはその場を去っていく。


「どうか気をつけて」


 その背中にアリシアの祈りを受けながら。


 †  †  †


「では、事情を話してもらおうか?」


 襲われた場所から少し歩いたところで、クリスティナは野営できそうな場所を見つけることができた。

 持っていた水を二人に分け与えて人心地ついてから、クリスティナはレミィに事情を問いただした。


「なにから話せばいいのか……」


「出来るならば最初から、分かるように」


 レミィは真実を話すべきか大いに迷った。

 自分の役割は本来、勇者を召喚する際のいわば道案内だ。異世界から流れてくる勇者に限界まで近づいて、こちら側へと正しく導くのが彼女に課せられた使命

であり、予定通りならば勇者と共に儀式を行った祭壇へと一緒に戻れるはずだった。


 だが、時期を待たずして召喚の儀式を行った所為か、儀式を行った場所から遠く離れた場所へと転移してしまっていた。

 勇者である直樹とはぐれてしまわなかったのは不幸中の幸いだが、この状況はあまりに想定外と言えた。


 召喚の儀式が強行されたことや直樹が勇者であるということも含めて、口外を許可してくれる者はこの場に居ない。連絡を取ろうにも、それ以前にここがどこだか分からないのでは、それも難しかった。


 だからレミィは迷った。

 クリスティナが悪人ではないだろうというのは分かる。だが、全てを話してもいいのかどうか判断するには、まだ出会ってからの時間が短すぎた。


「話す前に一つお聞きしても?」


 ふと、レミィは気になることを思い出してクリスティナへと問いかけた。


「なにかな?」


「いきなり失礼だと思いますが、もしかしてクリスティナさんは教会の孤児院で育ったのではありませんか?」


「どうしてそれを?」


「お名前がバルクノースでしたので、もしかしたらと」


「なるほどな。確かに私は幼少の頃に教会の孤児院で育ったよ。この名前は私が孤児院を出るときに頂いたものだが、それが?」


「いえ、すみません」


 教会が名を与えるとき、一般的には知られていないルールがあった。

 ほとんどの場合、社会に少しでも溶け込めるようにと、当たり障りのない名前が与えられる。だが例外的に特別な名前が与えられることもある。その理由は様々ではあるが、多くの場合はいい意味で期待される者へと贈られる。


 彼女のバルクノースという名前(正確には姓のほうであるが)は、人々を災厄から守る神の使いと同じものだ。


 そんな名を貰うというのは、それだけ期待されているということでもあるし、なによりクリスティナ自身の人となりを表しているように思えた。


 他の人からすれば、大した理由ではないと自分でも思う。だがそれでも幼い頃から教会にあった山のような書物を、絵本のように読んで育ったレミィにはとても重要なことのように感じられた。


 女神バルクノーシス。

 それは人々を災厄から守りし、強く、優しき女神。


 この人になら話しても大丈夫ではないか、そんな風に思えた。


「これからお話することは、直ぐには信じられないかもしれませんが全て真実です」


 そう前置きして、レミィは召喚の儀式が強行されたこと、そしてそれによって召喚されたのが直樹であることをクリスティナに話した。

「確かにそれは簡単に信じられる話ではないな」


 全てを話し終えたレミィに対してクリスティナが最初に言った言葉はそれだった。


「無理もありません」


 やはり、かとレミィは目を伏せ肩の力を抜いた。

 もしかしたらという期待はあった。幼い頃を同じように教会で過ごし人々の守り神たるその名を頂いたこの女性ならあるいは、と考えた。


「すまない。何か、その……いまのままではそれが真実かどうかの確証がない。彼が勇者であるという証でもあれば信じられるかもしれないが……そういったものはないのだろうか?」


「証ですか?」


「そうだ。私も教会で育ったのだからあの伝承は知っている」


 ――かつて深い深い闇の奥底に世界を滅ぼす災厄が生まれ、それはゆっくりと静かに成長し、いつしか強大な力を持つまでになった。

 それに気づいた神は、絶望する人々に抗う術として、その魂に災厄を打ち払う聖なる剣を宿した者をこの世へと使わせた。


「もし君が話したように、この伝承が事実であるならば彼の魂には聖なる剣が秘められているはずではないのか?」


「はい。確かに直樹さんの中に聖剣は存在しています。でも、私にはそれを顕現させる術がありません」


「どういうことだ?」


「聖剣を顕現させるにはいくつかの条件があるみたいで、召喚の儀式と同じように特殊な術式を用いて顕現させることになっています」


 レミィの答えにクリスティナは満足はしなかったが、納得することは出来た。

 もしも聖剣を簡単に呼び出すことができるなら、見知らぬ場所に転移してしまった時点でそれを行っているはずだ。

 そうすれば自分が助けに入ったような状況になる前に対処だって出来ただろう。


「なるほど。ならば方向性を変えよう」


 告げて、クリスティナは直樹へとその瞳を向けた。

 自分を見つめるクリスティナの眼差しに、怪訝そうな面持ちで直樹は応じる。


「君自身なにか感じたことはないか?」


 尋ねられ、直樹は自身の身体感覚を改めて意識する。だがこれといって変わった様子はなく、今までと何ら変化は見られなかった。


「いえ、特になにも」


 答えながら、残念な気分になっている自分に気づかされた。


(変化を期待してた?)


 現実ではない世界に、何か超常的な力を無意識の内に望んでしまっていたのかもしれない。それこそアメリカンヒーローのような単純で分かり易い力でも備わっていれば、きっと気楽で居られただろう。

 現実離れした状況であるにも関わらず、思考の片隅では否応なく意識してしまう。


(まさか本当に……?)


 異世界へと迷い込んだとでもいうのだろうか?

 ――そんなわけあるか。


 馬鹿馬鹿しいと、そんなのは全てフィクションの世界であり、空想の産物なのだと頭<かぶり>を振って打ち消した。


「どうした?」


「いえ、なんでも」


 俯いて唇をかみ締める。

 脳へと伝わる痛みという電気信号に、夢なら覚めろとメッセージを籠めて送りつける。

 しかし、帰ってくるのは鉄の味だ。


「君たちを疑うとか、そういうつもりではないが。明確な根拠がなければ、にわかには信じられるような話でもない」


「分かっています。今、こうして信じようとしてくれていることだけでもすごいことだって思っています」


 本来なら一笑に伏されて然るべき話なのだ。

 そんな御伽噺があるはずが無いと、子供の妄想だといい含められて、大人をからかうなと、危ない冒険はこれっきりにして早く家に帰れと怒られるのが普通なのだ。


 だがクリスティナはその話を信じようと、考えてくれた。

 笑うこともなく、馬鹿にすることもなく真剣に話を聞いてくれた。

 それだけでも話したことは間違いではなかったと、レミィには思えた。


「それで君たちはこれからどうするつもりなんだ?」


「最終的には王都グラオベンを目指したいと思っていますが、そのためにもまずはどこかの教会を目指そうかと」


「なるほど、妥当な案だとは思うが、この辺りに教会があったという記憶はないし、最も近い町までだって結構な距離がある。昨晩は野営したが、夜になればそれなりに冷え込むし、外獣の脅威だってある。君たちの装備ではとてもではないが、たどり着くことは出来ないだろう」


 きゅっとレミィはスカートの裾を握り締める。

 顔には明らかな動揺が見られたが、それでもレミィは唾と共に湧き上がった弱音を喉の奥へと流し込んだ。


「クリスティナさん、地図を見せていただけませんか?」


 震えていると悟られまいと、レミィは懸命に努めた。


「地図か、ちょっと待ってくれ」


 答えて、クリスティナは自分の荷物の中から、くたびれた一枚の地図を取り出した。


「私はもう一枚持っているから、これは返さなくていい」


 そう前置きしてクリスティナはレミィへと手渡した。


「ありがとうございます」


 地図を広げ、レミィは周囲を見回した。


「ここがどの辺りだかわかっているのか?」


「あれが霊山ジェニウスで……」


 森を抜けてからずっと圧倒的な存在感を示していた山を指差してレミィはそういった。


「なら、あっちに見えるのがソゥレイク連峰の稜線だから……」


 地図と格闘するレミィにクリスティナは助言しなかった。

 現在いる大体の場所を地図上で示すのは簡単だ。指を差すだけで事足りる。

 だが旅をする以上、自身の位置を導き出せるかどうかは、自ずと生死に直結することになる。


 だからクリスティナはあえてレミィにヒントを与えるようなことはしなかったのだ。


 レミィもそれを分かっているのか、クリスティナを頼ろうとせず、自分が持つ知識を総動員して今何所に居るのかを導き出そうとしていた。


「多分、この辺りだと思うのですが、どうでしょうか?」


 自分なりの答えを見つけたレミィが、不安そうにクリスティナへと尋ねた。


「大したものだ」


 まるで子どもを褒めるようにクリスティナはレミィの頭を撫でながら微笑んで見せる。

 その顔にレミィは今は遠いやさしい姉を重ねて、ほんの少し瞳を潤ませた。


 クリスティナは何も言わず、そっと目じりの滴を拭うと立ち上がった。


 そして、自分の荷物を一つ直樹へと放り投げる。


「持っていくといい、大したものではないが無いよりはマシだろう」


 戸惑うような表情でクリスティナを見つめるレミィに彼女は剣の柄へと手をかけることで答えた。

 その意味を察したレミィは息を呑み、静かに直樹の側へと歩み寄った。


「どうしたんだ?」


 雰囲気の変化を察してか、直樹は立ち上がって周囲を見回すが目立った異常は見つからない。


「直樹さん、“外獣”が来ます」


 告げられて真っ先に思い浮かんだのは先ほども襲われた化け物の事だ。


「さっきみたいなのがまた来るってのか!」


「落ち着いてください。直樹さんは私が絶対に守りますから」


「守るって……」


 自分よりも小さな少女の言葉に直樹は違和感を覚えた。

 守られる側の自分。それは何も出来ないという確認だ。


「化け物共は私が全て引き受ける。だから君たちは、一刻も早く遠くへ逃げろ」


「大丈夫なんですか?」


 心配そうにレミィはクリスティナへと尋ねる。


「私はもともとこの辺りの外獣を退治するためにここに居る。だから準備もしてきた。心配するな、送り狼は一匹たりとて通しはしない」


 自身に満ちた瞳。

 まっすぐで迷いのない彼女の言葉を受けて、レミィはそれを信じて頷く。


「この道を下れば、集落こそ遠いが、その途中に一軒の屋敷がある。どこの貴族様が住んでいるのかはわからないが、力になってくれるかもしれない」


「わかりました」


 コクリと頷いて、レミィは直樹の手を掴み歩き出す。


「どうか、イリュシュエル様のご加護を」


「君たちも気をつけて、危険はこればかりではない」


「はい。いろいろありがとうございました」


 背中越しの会話を終えて、レミィは足を速める。


「直樹さん、走りますよ」


 言うが早いかレミィは駆け出した。

 めまぐるしく変わり行く状況に流されるように、直樹は身を任せ、手を引かれるがままに走り出す。


 何も分からないままでも足は動く。

 手を引く少女はただ前を向いて走り続けている。

 そんな彼女に手を引かれている自分はなんと無力なことだろう。


 この夢からいつ覚めるのか、だが願わくば一刻も早くと願う反面で、もう少し続きを見たいという好奇心がこのままでもいいと囁く。


 走りながら後ろを見れば、めまぐるしく動き回るクリスティナが随分小さく見えた。


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