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神々の庭のクロニクル  作者: 御神楽てるよふ
剣の想い、赤毛の来訪者
8/13

第七話 赤毛のまれびと


「……ちっ!」

 飛来した銃弾が、外套に穴を空ける。 追手との距離はおよそ三百メートル、走りながらという不安定な体制でマスケットを撃つならばそう命中しない距離だ。

 ここは街からそう遠くない場所。 こんな場所で撃つとは、連中とうとう痺れを切らしたか、と追われる彼は歯噛みする。

 迎え撃とうという考えもなくもない。 実際、彼ひとりならば、有象無象の傭兵が何人いたところで、敗北はありえない。 しかし彼は、その選択を採らなかった。

「お兄ちゃん……」

 腕の中の存在が、不安げにこちらを見上げてくる。 自分と同じ燃えるような紅毛、そして血のように紅い瞳。 彼女を護るということが、今の彼の至上命題なのだ。

 彼女を抱えながら、背負った大剣を振り回して立ち回る――不可能ではないが易くもない。

「大丈夫だ」

 徐々に相手との距離は開きつつある。 このまま走り続ければ、いずれは振り切ることができるという確信はあった。

 とはいっても、もう、あの街には戻れないのかと思うと多少の寂しさを覚えるのも確かだった。 古臭いくせに新しく、はみ出し者の自分たちも自然と存在できたあの街に。

 水が流れる音が聞こえ、川か、と彼は思案する。 山道に差し掛かっているこの場所では、それほど大きな川ではないだろう。 橋が架かっていないならば飛び越えればそれでよし、架かっていても、ここであえて道を違えることで、夕闇に紛れて相手を幻惑することができる、かもしれない。

 そう考えたところで、彼の表情が強張った。 流水の音に混じって、人の足音が、それも二人分聞こえてきたのだ。

「ちっ!」

 舌打ちし、彼は橋が見えてきたところで立ち止まる。 距離は前方の二人の方が近い。

 抱きかかえていた少女を片手で抱えなおし、彼は背の大剣を利き手で掴む。 二人を排除し、ここを突破するために。

 しかし、その二人がいるはずの前方から聞こえてきた声は、彼の予想から外れたものだった。

「――そこのお兄さん。 助けは必要?」



 *****



 時は、少々遡り――


 三方を山地に囲まれた言わば盆地の、南には宇治川。 そんな自然の要害と言える立地に、都は存在している。

 それぞれの山地は、西を愛宕、北を貴船、東は比叡と代表する山の名をとって呼ばれていた。

 

 その比叡山の中腹、さる宗派の総本山からは少し離れた林で、二人の少女が戯れている。

「次、直射砲撃七! それそれっ」

 銀髪の少女――紫苑が楽しそうに笑いながら、白く輝く光条を次々と下方に向かって撃ち降ろす。

「く、あ、おおおッ!!」

 そして幾分か小さな黒髪の少女――輝夜は、およそ少女らしくない声と表情で、必死に飛び回る。 地を蹴ったそこに一本が突き刺さり、避けた先に飛来したもう一つをかわし、斜めに飛んだ先にあった木の幹をさらに蹴って、三角飛びのように虚空に躍り出る。

「悪手、そこで回避行動が取れるの!?」

 叱責と共に光芒が放たれる。 立て続けに三本、それを黒髪の少女は袱紗を解いて抜き放った刀身で散らす。

「お、やるぅ」

 勢いのまま、先にあった木を蹴って下方へと方向転換、その軌跡を光の矢が貫いていく。 空中で身を一回転させて天地を逆転させ、枯葉の積もった地面へと脚からの着地に成功。 そのまま彼女は走り出し、目の前に迫る光を横っ飛びで回避。

「OK、それじゃあ次、曲射炸裂弾、八!」

 ――戯れと言うには、過激な戦闘演習。 それが、二人の新しい習慣だった。


 先日、不覚をとった際の戦闘は、後々振り返ってみると随分と不出来なものだった、と輝夜は思っていた。

 何しろ冷静さを失い過ぎ、そして直線的過ぎた。 速度の乗った突きは有効打だったようだが、それ一辺倒となったことは十二分に反省しなければならない。

 ……といった訳で、紫苑と共に郊外に出ての訓練を思い立ち、退屈していた紫苑も二つ返事で輝夜の提案を受け容れたのだったが。

「まさか、こうも早く成果を確かめる機会が来るとは……」

「最後の方、かなり動き良くなってたわよ。 良かったじゃない、早速試せて」

 両手を外套のポケットに突っ込んで仁王立ちする紫苑の姿は、隣に立つ紅毛の男と同等に堂に入っている。 その赤毛はといえば、輝夜よりさらに小さな、フードを目深にかぶった少女を傍らに立たせ、訝しげな顔つきを隠そうともしていなかった。

 助けに入ってやったのに、と輝夜は内心で憤慨しているが、追われる身に突然の助力ともなれば、不審に思わない方が無理というものだ。 そういった相手の事情まで慮ることは、今の彼女にはできなかった。

「まあ、安心するといいわ。 あなたは妹さんについててあげて」

 不敵に笑う彼女は、こちらに向けて殺到しつつある敵など、まるで塵芥のように思えているに違いあるまい。 そんな様子を輝夜は横目で観察しつつ、新たな相棒の柄を両手で握り締める。

 輝夜が見るに、敵はこちらを相手と見ていないらしかった。 追いついてきた敵の顔には嫌らしい笑みが浮かんでいる。 余裕たっぷりにこちらをねめつけ、銃を構えずに舌なめずりをする余裕まであるようだ。

 ならば教えてやろう、自分たちがいかな存在を相手にしたのか――そう輝夜は自らを奮い立たせた。

「征きます」

 決意を込めてそう告げると、紫苑は力強く頷く。

「よし、征きなさい!」

 号令と共に、輝夜は一陣の風になった。


 前回は狭い路地裏だったがゆえに、採りうる行動の選択肢はそう多くはなかった。 が、今回はある程度開けた街道筋だ。 自分もよく動けるが、相手からも自分がよく見えるということ。

 故に、輝夜の選択肢に、ただの直進ははじめから無い。

 敵は七人、しかし烏合の衆だ。 彼女はしばらく直進し、敵がこちらに銃口を向けたのを確認すると、軽やかに横に跳ぶ。

「速えぇぞ!」

「加速」

 着地した先で式を起動。 無理矢理跳躍の勢いを殺し、さらに反対側へ。 そして着地した場でまた制動をかけ、反対側へ跳ぶ――無論、少しずつ跳躍距離を変えることも忘れない。

 銃の狙いを乱しながら距離を詰めてくる輝夜に対して、敵は慌てて銃士ふたりを下がらせ、矛槍や刀を構えた男たちが前に出てきた。 輝夜はさらに速度を上げる。

 高速での左右機動による幻惑、そして――

「夢幻!」

 声と共に、脚光にいくつも彫り込まれた式のうちひとつに意思が通い、効果を発現させる。

「ふ、増えたぁ?!」

 その効果は残像の現出。 自身が移動した場に、自身と同じ姿をした像を数瞬の間、残す。 紫苑が構築したそれは、輝夜の動きが一瞬停止する場所に像が残るように構成されていた。

 残像は攻撃目標を誤認させ、そして輝夜自身の攻撃タイミング、攻撃地点をも予測し辛くさせる。 完璧な幻惑は不可能だが、相手に一瞬でも逡巡させることができれば十分だ。

 それが十分な隙となるのだから。

「ッ!」

 一人目の目の前で停止。 あっという間に距離を詰められたことに刀を持った男は驚いている。 その表情のまま、あるいは驚愕の度合いをさらに強め、男は崩れ落ちた。 その背後には、刀を横薙ぎに振り抜いた輝夜が立っている。

「遅い」

 呟き、残像を残して再び彼女は跳んだ。 残像めがけて数人の男たちが群がるのを、背後から輝夜は視る。 そのうちの一人の背中めがけ、彼女は気刃を叩きつけた。

 身体を「く」の字に折り曲げ――通常には曲がらない方向に――男が吹き飛ぶ。 その中に躍り込んだ輝夜はさらに一人、銃を持った男の喉笛を斬り裂き、血の雨が降り出す前に離脱。

「こ、こいつ……!」

 浮き足立つ残り四人。 その様子を離れて見ていた紫苑は、好機とばかりに術を紡ぐ。

「さぁ、デカいの行くわよッ!」

 景気のいい声と共に、輝くエネルギー球が放物線を描いて打ち出された。 声を合図として輝夜は全速力で敵中を離脱、距離を離してから振り向いてみれば、着弾・炸裂しようとする光球と、雪崩をうって逃げ出す男たちの姿があった。


 ――結局、紫苑が最後に放った術は、ただの目くらまし用のかんしゃく玉のようなものだった。 大きな音と光を出して、それでおしまいという代物だ。 平時ならば、彼女もこういった「穏便な対処」をするのである。

「さて……と。 理由を聞かせて貰おうかしら?」

 西大陸の共通語であるラティノ語で問う紫苑。 それに対して紅毛の青年は首を振り、「応神語でいい」と告げた。

「で、なんであんな連中に追われてたワケ? 一応助けたわけだし、後ろ暗いことがあっても見逃してあげるけど」

 と、そこで紫苑は、フードの少女の方に目をやる。 びくり、と震える少女を、紫苑はしばらく興味深げな目線で眺めてから、

「……この子をさらって来たっていうなら、それも無しね?」

 冗談めかした口調とは対照的な剣呑な目つきで、赤毛の青年の方を見据えた。

「怖いなオイ。 この国の女らしくもねえ」

「お生憎様、私は異端なのよ。 色々とね」

「まあ、そんなやましいことは無いんだが。 俺たちは――」

 そして、青年は自分たちの身の上を話し始めた。



 *****



 人を斬る感じには、あまり慣れたくはない――そう輝夜は思う。 思っているが、慣れつつあるのも事実だった。

 仕える主が保守派の中でも最右翼、国粋派とでも呼べる者たちに狙われており、一切ならず輝夜が居合わせる場においても襲撃があったのだ。 その度に彼女は紫苑の剣として立ち回り、何人かの敵手を屠ってきた。 今日のような傭兵は、戦意を喪失すれば逃げ出す分マシと言えるかもしれない。

 刃が敵の喉笛を切り裂いた時の感触が、まだ手に残っているような気がして、輝夜は眉をしかめる。 そんな時、紫苑は彼女の頭や肩に何も言わず手を置いて、気持ちが落ち着くまでそうしていてくれるのだ。


 巨大な朱塗りの柱が、重厚な桧皮の屋根を支える朱雀門。 大内裏と市中を隔てる要所も、日曜の夕方とあって人はまばらだった。 この奥にあるのは官庁街であり、今日という日は全国的に休日なのだ。 維新後の改革でエル・ネルフェリアや西大陸に倣って導入された新習慣だが、大っぴらにだらだらと休めるとあって、保守派からも表立って不満は出ていない。

「……なるほど、そのような経緯が。 承知致しました、その場は我々が預かり申す。 処理はお任せくだされ」

 『禁軍』青龍支隊長、本多忠俊が紫苑に頭を下げている。 隣に肩に紫苑の手が乗った輝夜が立ち、さらに後ろに先ごろ助けた紅毛の兄妹。 そしてここは朱雀門にある近衛府の詰め所前だった。 さすがに街道筋に死体を三つも野晒しにしておく訳にはいかない、と一行は都に帰着するとまずここに立ち寄り、処理を任せられる人物を呼んだのだった。

 輝夜が後ろを振り向けば、二人連れの兄の方は少し居心地が悪そうな顔をしていた。 それもそうだろうと思う。 恐らく彼らは、京の市中かそのごく近くおいて敵に捕捉され、それから逃れるために京から離れる方向へと走っていたのだろうから。

「これでよし、と。 それじゃ家に案内するわ」

 忠俊が光宮に戻って行くのを見届けた紫苑が、三人の方を振り向いて言う。 視線の先には、狐につままれたような表情の兄妹。

 青年と少女の身の上を一通り聞いた紫苑は、彼女の奇矯な言動に慣れた輝夜をして驚かせる提案をしてのけた。 この二人を、自身の邸宅で匿おうというのだ。 同時に彼女は二人に向かって自身の身分、つまり皇室の内親王であることも明かしていた。 急転直下の展開に二人が困惑するのも、輝夜にはさもありなんと思えるのだった。

 とはいえこれは紫苑の提案であり、紫苑がすると決めたことだ。 ならば何を言っても覆ることはあるまい、と輝夜は何も言わなかった。


 赤毛の兄の方はアレスと名乗り、妹の方はアレシエルと兄が紹介した。 後になって思い出したことだが、以前に朱雀大路で見かけた妙に目立つ紅毛の二人連れは彼らだった。 兄の方は竜人であり、妹の方は猫人のようだ。 人間と亜人種の血筋が入り混じって久しい今となっては、このようにきょうだいの間で現れる形質が異なることは、珍しいが絶無でもない。

 輝夜からは、傭兵だという兄のほうは実力者に思える。 街道筋で垣間見た様子からして、あの大剣を片手で自在に操る膂力と技量は、自分をゆうに越えるものだという確信もあった。

 彼らが何故追われているのかというと、アレスがとある戦場で手傷を負わせた相手がどこぞの貴族だったらしく、ああしてたまに傭兵を差し向けられるのだという。 自業自得じゃないか、と輝夜は思ったが、戦場に出て傷ついたからといってその相手を恨むその貴族にも、覚悟が足りない、とも思う。

 ともかく、自分より強い者と戦うことは、自分の足りない部分を発見する良い機会だ。 紫苑の提案が容れられれば、彼は二条院にしばらく逗留することになる。 その時に折をみて手合わせ願おう、と輝夜は考えていた。

 妹の方は人見知りの気があるようだった。 未だに輝夜は彼女の声を聞いていないのだ。 フードを目深にかぶり、兄の砂色の外套を小さな手でぎゅっと掴む姿は、輝夜と同年かひとつ下程度であろう彼女の姿を、ずっと幼く、小さなものに見せていた。

 朱雀門から二条院へと歩く道中も、彼女はずっとそうしている。 そのこげ茶色のフードが、自分を包み込む殻であるかのように、そして傍らに立つ兄が、自分を護る親鳥であるかのように、ぴったりと彼に付き従っている。

 横目でその様子を見ていると、紫苑の僅かに後ろを歩いている輝夜自身の姿が少し重なって見えたが、輝夜はそれは違うと心中で否定する。

 アレシエルは兄に護られている。 しかし私は、この高貴な主を「護る」つもりでいるのだ。 その差は、たぶん大きい。

 そんなことを考えながら歩いていると、二条院の正門にたどり着いた。 優美な白い門と、その奥に見える広壮な庭園と邸宅が一行を出迎える。

「……ここ、本当に、ほんっとーにお前の家か?」

「何、今まで疑ってたの?」

「当たり前だろ。 ああ、でもたった今確信できた。 いい生まれの連中ってのは頭がお目出度いと相場が決まってる」

「ふうん?」

「いきなり初対面の相手に『私は姫です』なんて少っしもらしくない外見で言って、信用されると思うくらいにな。 ああ、確かにここはお前の家だろうさ」

 そんな会話をする二人を見て、番兵が目を丸くして、それから輝夜の方を見てきた。 輝夜はその驚きと不審が入り混じった視線を受けて、諦めたようにかぶりを振る。 要するにこれもまたいつもの気まぐれの一つであり、こうなってしまった以上、私には如何ともし難いのです、というような意味を込めて。

 たぶん、紫苑はこのアレスという赤毛の青年を気に入っているのだろう。 応神皇国の人間は、紫苑がその様な扱いを望まないとわかっていても、皇室の一員を相手にするとあって、少し腰が引けてしまうものなのだ。 恐らく一番長らく側にいるであろう輝夜やこの家の従者たちでさえそうだ。 一方でアレスはこの国の人間でないからか、紫苑が皇族であるということに少しも頓着していないように輝夜には見えた。

 何せ言葉に遠慮が無い。 あんな皮肉を紫苑に言えるのは、彼以外には恐らく実兄の蘇芳だけだろう。 そんな存在の到来を、紫苑はどう思うのだろうか。

「ちょっとココで待ってて、話つけてくるから。 輝夜はついてきて頂戴」

 前方で紫苑がそう促すので、輝夜は小走りに後を追った。 恐らく蘇芳は渋るだろうが、最終的にはうんと頷くだろう。 なんだかんだで、彼は妹に甘いところがあるのだ。



 *****



 蘇芳の私室の襖を開けるなり、紫苑は言い放った。

「二人増えるから。 よろしく」

「は?」

 エル・ネルフェリアで書かれた政治学の本を読んでいた蘇芳は、いきなりの言葉にあんぐりと口を開けた。

「だから、居候二人追加。 ちょっとワケありなんだけど、ここなら安全でしょう?」

「話が見えんのだが……」

「どーせ空き部屋ばかりなんだし、有効活用しようってことよ。 あ、家賃取って賃貸ってのもアリかしら」

「少尉……すまないが、説明を頼む」

 階級で呼ぶということは、上位者からの命令である、と言うことだ。 輝夜は「はっ」と一礼し、こうなった経緯をかいつまんで説明した。 特に紫苑は口を挟んでこず、にやにやと笑っている。

 最初は頷いていた蘇芳はやがてこめかみを押さえ、やがて頭を抱え、話が終わると長い長い溜息をついて、顔を上げた。

「……なるほど。 ふむ、前々から言おうと思っていたのだが、今日こそは言ってやろう。 なあ紫苑、妹よ」

「なあに、お兄様?」

 こめかみが引き攣った笑顔に対するのは、大輪の華のように咲き誇る満面の笑みだ。

「この大戯けめ」

「ありがと。 じゃ、私は二人をどっか空き部屋に案内しないといけないから、これで失礼いたしますわ。チャオ♪」

 それだけ言って、紫苑はひらひらと右手を振りながら後ろ手で襖を開き、ひらりと踵を返して去ってゆく。 妙に上機嫌なのは、兄の困り顔を見ることができたから、だろうか。 残された輝夜は、ぼうっとそんな事を思う。

「この微妙な時期に……」

「蘇芳様らしくもない。 いかがなされたのですか?」

 再び頭を抱える蘇芳に輝夜が問うてみれば、他言無用だぞ、と前置きしてから、彼は現在の光宮内の事情を語りはじめた。

「聖上の容態がさらに悪化されてな。 最早、過日の明晰な御判断は期待できぬ。 その際に、内府(内大臣)殿が、陛下が最後に出されたという詔勅を発表なさったのだが――太政官の非常権限をもって摂政を任じよ、とあった」

「……それは」

「候補のひとりは私。 もうひとりは、先日お隠れになられた泰華宮様の跡継ぎだ。 その有栖川道幸殿の、奥方の父親は九条頼常。 あとはわかるな」

「守旧派、改革派の双方が摂政候補を押し立てて争うことになった、と?」

 輝夜にも、この程度の皇国の現状認識はできている。

「そういう事だ。 偶然にしては出来すぎだが、継嗣問題も絡んでな。 知ってのとおり九条左府は長良親王の外祖父、我々に近い綾小路大納言は篤良親王の外祖父。 或いは陛下は我々を直接相争わせるおつもりだったのやもしれん」

「それは……」

 自嘲気味に蘇芳は笑う。 輝夜はその力のない笑みが何なのか測りかねていたが、ともかく色々と大変なんだなあ、ということは理解できた。 そこに紫苑がさらなる厄介ごとの種かもしれないものを持ち込んだのだから、戯けと言いたくもなるのだろう。

「そこでだな……いや、止めにしよう。 これ以上は愚痴になる。 君に話しても詮無いことだ。 すまんな」

「いえ、私のような者を信頼していただき感謝しております。 決して外には洩らしません」

「頼むぞ。 市中をこれ以上不安がらせる訳にもいかん」

 士族に謝る皇族というのも、それはそれで稀有なものだが、蘇芳は自らの過誤や失敗を認めるのに常にやぶさかではないのだった。 こうして輝夜に詫びることも初めてではない。

 故に輝夜は思うのだ。 お二人はあまり似ていない兄妹と言われるが、変わり者という点ではそっくりだ、と。


 蘇芳の部屋を辞して廊下に出ると、若い女中がちょうどこちらに向かって歩いてきていた。

「理緒殿?」

「あ、輝夜ちゃん」

 この屋敷に勤め始めてからまだ一ヶ月程度の彼女は何故か紫苑に気に入られ、よく個人的な用事などを任されている。 自然、輝夜と顔を合わせる機会も多く、名前で呼び合う程度には互いを見知っていた。

「殿下に呼ばれたんだけど、輝夜ちゃんは何かご存知?」

「心当たりが、ひとつあります」

「……厄介ごと?」

 輝夜がこくりと頷くと、はぁ、と女中は小さく吐息した。

「最近、みんな私にあからさまに優しいんだ。 苛められるよりはずっと良いんだけど、なんだか妙な気分」

 「主人に贔屓される新人」という立場に図らずもなってしまった理緒だったが、相手が紫苑とあっては、周囲の理緒への視線が「捧げられた生贄」に対するそれになるのも致し方ないことだった。 彼女に紫苑の無茶振りが集中する分、周囲の負担は軽くなるのだから。

 とりあえず理緒に同道することにした輝夜。 その向かう先は離れではなく、邸内に幾つかある客用寝室の一つだった。

「ん、来たわね。 輝夜も一緒か」

 果たしてそこに紫苑の姿はあった。 そして、所在なげに佇む紅毛の稀人ふたりも。

「あのう殿下、そちらの方々は?」

「お客よお客。 理緒、今日から貴女をこの二人の世話役に任じるわ」

「えっ」

 ぽかんと口を開ける理緒。

「経緯を飛ばして結論のみを仰せになるのはおやめくださいと、何度……」

 輝夜はやれやれと吐息し、ジト眼を紫苑に向けつつ指摘した。

「ほら、お二方も着いてこれてらっしゃらないではありませんか」

 彼女が示す先、赤毛の兄はむっつりと押し黙り、フードを取った妹は眼をぱちくりとさせて周囲を見回している。

「おおかた『ついて来い』の一言だけでここまで連れてきて、そのままそこらを歩いていた方を捕まえて理緒殿を呼びにやらせたのでしょう」

「訂正させてもらうけど、その間私はくりや公文所くもんじょと衛兵詰所に顔を出して話を通してきたんだからね」

「……その三箇所も、『二人増えるからよろしく』くらいで済ませたのですね?」

「よくわかったわね」

 輝夜はまた大きな溜息をついた。 理緒もまた俯き加減に頭を抑え、なにやら呟いている。

「お前……」

「何よ?」

「馬鹿なんだな」

 やっと居候する当事者たるアレスが、微妙な表情で口を開いたかと思えば、まろび出たのはそんな言葉だった。 

「はぁ? この天才に向けて、よくそんな口を利けたものね」

「自分でそんな事を言う奴は紙一重の向こう側って決まってんだよ」

 二人の間に挟まれたアレシエルは、ええとええと、と左右にキョロキョロと首を振っている。 普通ならば不敬も不敬だが、相手が相手なので輝夜も理緒も、通りがかった使用人すらも何も言わなかった。

「ねえ、輝夜ちゃん……なんであの赤毛の人と殿下、あんなに仲良さそうなの?」

「私にはわかりかねます……」

 そんなやり取りを交わすと、ふたりの従者はお互い疲れた顔で、不毛な口喧嘩をしばらく眺めているのだった。

 第七話でした。 お読みいただきありがとうございました。

 今回から数話は新キャラふたりの顔見せ回という感じに。

 

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