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神々の庭のクロニクル  作者: 御神楽てるよふ
過去の行く先、彼女の始まり
12/13

第十一話 過去の扉

 二十七日、午前。

「うーん……」

 輝夜は二条院への道を急いでいた。 紫苑が貴船山に出かけているのに何故かと言えば、蘇芳との約束があるからだ。

 輝夜は魔術師を相手に戦った経験がほとんどない。 紫苑との訓練は”戦闘”とは少し違う気がしていたのだが、戦闘訓練を受けている魔術師など今や禁軍くらいしかおらず、機会がないのだ。

 そこで彼女には珍しく、いわゆるコネを使うことを思いついた。 具体的には紫苑か蘇芳に、禁軍の魔術師を誰か紹介してもらおうというものだ。

 そのことを紫苑と蘇芳に話したのが数日前。 すると蘇芳が、「ならば私が相手をしようか」と言い出したのだ。

 輝夜はうろたえた。 紫苑はフランク過ぎてあまり意識しなくなってしまったが、蘇芳はれっきとした宮家当主。 正直恐れ多いにも程があったが断るのも失礼に当たりそうで、尻尾を垂らして言いよどんでいると、蘇芳はダメ押しとばかりに薄い笑顔で、

「私では、不服か?」

 折れた。 その時には紫苑は「軽い脅迫よね今の」と言ったものだ。 蘇芳としてはこの状況で禁軍の人員を自邸に呼びつけるなどということをしては、相手陣営へ攻撃の材料を与えかねないという思惑があったのだが、輝夜は知るべくもない。

 ともあれ、紫苑以外の魔術師と手合いをする機会は得られたということで、その点彼女に不満はなかった。 うっかり怪我でもさせてしまったら私どうなるんだろうとは思わなくもなかったが。

――ああでも、私の腕では無理だろうな。 うん。

 平静を取り戻すためにそんな結論を脳内で導いた後は、軽くへこんだものだったが、その点は解決しているのだ。

 では何故唸っているのかというと、最近抱き始めた悩みのためだった。

「何のため、か……」

 それは、自身が剣を振るう意味についてのこと。 そんなことを気にするようになったのは、つい先日読んだ小説の一節が、自分の中で引っかかりを生んだからだ。

“目的なく振るわれる力は、ただの兇器だ”

 ……そんな事を言いながら発言した本人は「汝ら咎人なり!」とか叫びつつ二丁ライフルでドッカンドッカンだったなあ。 これ確かエル・ネルフェリアの小説の翻訳だったはずだがエル・ネルフェリアという国は一体どんな国なのだろうか――などと色々と”ツッコミ”の練習も兼ねて読んでいったのだが、その一言だけは明確に心に刻まれたのだった。

 自分ははっきりと、強くなりたいと望んでいる。 それは明らか。

 しかし、そうして何を成すか? それが今の自分には無いように、輝夜には感じられた。

 だとすれば自分の剣は、兇器にしかなりえないのではないか――そう考えると鍛錬にも身が入らない。 今朝の乱取りなどは藤田師範代どころか門下生相手に負けがつき、心配されたほどだった。

 今現在の輝夜の立場は、“内親王・御神楽紫苑”の護衛を任とする、近衛府所属の皇国軍少尉だ。 しかし、これは自身が正式に任官するまでの間に合わせだろうな、と輝夜は思っている。

 冴月家の家督を外されたとき、自分はあからさまに塞ぎ込んだ。 そんな自分をなだめるための間に合わせの身の置き場だ、と。 もちろん、そのおかげで御神楽紫苑という人と会え、輝夜自身の調子も戻ったのだから、悪いことだったとは言わないし、紫苑とはこれからも懇意にしていければとも思っているが。

 しかし、それは将来とは別だ。 皇国の軍人になるのか? それとも、また別の――

 考えている間に、二条院の正門前にたどり着いてしまう。

 やれやれ、とかぶりを振って、彼女は大きな門をくぐったのだった。



 *****

 


「……こんなものか。 これで終了としよう」

 簡素な平服の蘇芳が、体の具合を確かめるように首と肩を動かして、言った。

「ありがとうございました」

「なに、私も少しは訓練をしなければと思っていたところなのだ。 なにかと剣呑ゆえな」

「確かに……」

 蘇芳の実力は確かなもので、輝夜としては大いに学ぶところがある稽古だった。 が、やはり「なんのために」という疑問がつきまとう。

「しかし、少々精彩を欠いたように思えたが」

「だな。 キレが無かった」

 縁側には赤毛の兄妹も腰掛けている。 彼らは見学だった。 蘇芳とアレス、この二人に見事に自身の迷いを見透かされていたことに気付き、輝夜は知らず赤面する。

「ええと……その、はい。 少し、悩みが」

「ま、そういう年頃だよなあ」

 納得したように頷くアレス。 その隣でアレシエルもうんうんと頷いている。

「いやいや、私とそう変わらんだろアレシエル?」

「あたしに悩みはないよ!」

「おまえが私にはよくわからん……」

 元気良く手を上げる彼女に若干げんなりしつつ、輝夜は一旦脱力してしまった表情を引き締めた。

「まずは仕上げとして、いくつか試問とゆこう。 紫苑から魔術のことに関しては色々教わったと思うが、魔術とは何を媒介として発動するものだ?」

「視線と、言霊です」

「その通りだ。 思ったよりしっかり教えているのだな、あれは」

「せんせーい」

 そこで、他方から声がかかる。 間延びした声で、茶化すような呼びかけを放ってきたのはアレスだ。

「じゃあ何か、視界内に居たらダメってことか?」

「そうとも限らん。 自分から離れるほど術式の構築も制御も難しくなる。 私はそうだな、ここから十メートル先を起点として爆発を起こすのに五秒程度は集中せねばならん。 使い物にならんだろう? 紫苑は何のこともなく指定範囲の結界隔離や、起点指定型の爆発魔術を使いこなすが、あれは例外中の例外だ」

「自身の手元で発生させる、射撃型の魔術が好まれるのには、そういった理由があるのですね」

 得心したように輝夜は頷いた。 彼女は紫苑の腕前をあまりに見慣れているため、ふつうの魔術師のこととなるととんと疎いのだ。

「そうだ。 つまり、並の相手なら基本的には銃使いとあまり変わらぬわけだ。 狙いを乱す、単調な動きをしない、そういったことが重要になる。 故に魔術師が近接戦闘をする際は、即応性に優れる符を多用する」

 そこで、アレスがふたたび口を開く。

「並みじゃなかったらどうすんだ。 例えば紫苑を相手にするとしたら?」

「まず逃げることだ。 捕捉されたら助からん」

 肩をすくめ、蘇芳。

「身も蓋もない……。 それほどなのですか、紫苑様は?」

「素質で言えば皇国最高だろう。 戦闘経験に乏しいところを差し引いても、魔導院の上位陣と肩を並べるだろうな」

「……でも、見えてなかったら?」

 湯呑みを手に、アレシエルが兄の方を見て言う。

「それなら行けるかもしれねぇな。 どうなんだ、宮さん?」

「確かに、視線が向いていなければ魔術は撃てん。 狙撃や闇討ちは有効な手段だが、腕の良い魔術師というのは感覚の鋭さも相当なものだ。 それに結界というものもある、言うほど簡単ではなかろう。 ときに……先ほど言った、”逃げる”。 どうすればいいと思う」

「一目散に」

「挙動が丸解りだな。 紫苑相手ならば、逃げていると思ったら燃えていた、となりかねん」

「視線をズラす?」

「そうだ。 視界内に居るということと、視線が向いているというのは違う」

「なるほど……」

 頷き、服の埃を払って輝夜は縁側に腰掛ける。

「それにしても蘇芳様、そんなにお強いのに、何故、魔道ではなく政の道に……?」

 失礼かもしれない、と思わなくもなかったが、彼女はその理由に興味が湧いていたのだ。 蘇芳も御神楽の一族であり、秘めている資質は素晴らしいものがあるはずなのだ。 「禁軍」においても、十分に大成できるだけの。 部屋に戻ると一言断って去ってゆくアレスたち兄妹に頭を下げて、輝夜は答えを待った。

「……それは、悩みに関係することかな」

 蘇芳の視線は優しい。 この家の人々は皆自分に良くしてくれる、と輝夜は思う。 その優しさに甘えてしまってもいいのだろうか、と躊躇しなくもなかったが、輝夜は、はい、と頷いた。

「むろん、父の後継を目指していた頃もあった。 紫苑が生まれて諦めたがね」

 問いに対して、笑いながら蘇芳が言った言葉は、それは輝夜からすれば意外であり、またさらに興味を惹かれるものだった。

「……なぜですか?」

「わかっているだろう、あれは天才だ、力の面でも技の面でもな。 父の血を引いているとはいえ、私ごときが精進して、埋められる差ではないと、すぐに理解できた」

 自嘲するでもなく、何のことは無いかのように言う蘇芳。 しかし、輝夜には何故そう割り切れるのかがわからなかった。

「納得できない、という顔だな」

「すみません」

「なにを謝ることがある。 私も政治家という道を志していなければどうしていたか」

 そう蘇芳は笑う。 そして輝夜の横に座り、どこか遠くを見るような目をしながら続ける。

「あれにも、随分辛く当たったこともあった……」

 輝夜の中で常に引っかかっている紫苑の境遇にも、関係することなのだろうか。 その横顔をしげしげと見つめる輝夜。 と、蘇芳はくるりと向き直り、真っ向からその視線を見据えてきた。

「輝夜よ。 知りたいか?」

 蘇芳の瞳に映る自分の藤色の瞳が、はっと見開かれるのを輝夜は見た。

 月読宮は続ける。

「個人的な思いだが――私は、お前には紫苑のそばに在って欲しいと思っている。 故に、お前が望むならば、教えよう」


 ――全てのはじまり。 紫苑が生まれた日、何があったのか。



 *****



 そのしばらく前の紫苑はといえば、迎えの馬車に乗せられて、貴船山へと向かっていた。

 彼女の身を包むのは、髪上げの儀を行った時に仕立てられた、白い布地に随所に金銀で刺繍がほどこされた豪奢な振袖だ。 さらに御神楽家の紋入りの扇を携えて、首元には御神楽家伝来の大きな青玉サファイアが輝く精緻せいちな装飾が施された白金の首飾りをかけている。

 豪華極まる出で立ちだが、紫苑にしてみれば「重い」という感想が真っ先に上がるのだった。 その優美な外見は気に入ってはいるものの。

 そんな窮屈な装束に包まれながら、紫苑はがたごとと揺れる馬車の中にいる。 窓の外には、貴船の山地に広がる、そろそろ葉が落ち切りそうな広葉樹の森。 木々の梢の合間からは、白い壁と群青ぐんじょう色の尖った屋根が見える。 エル・ネルフェリアに行った際によく見た形式だ。 白い壁は高空に位置するがゆえの強い日差しに抗するためのもの。 青い屋根は空の色を映したものなのだとユリウスから聞いたことを、紫苑は思い出した。

 視線の先の山荘は、秋晴れの中で確かに白い壁面と群青の破風はふを輝せていたが、周囲にある裸の木々との取り合わせに違和感があった。 その有様が、なんとなく山荘の主の人格と重なるような気がして、紫苑は元々良くはない気分がさらに沈むのを感じた。

 それは、馬車が屋敷の門をくぐるとさらに深刻になった。 同乗している女性の世話係が、建物と庭園の設計は実篤自らが行ったものだという解説をしてくれたのだが、当の庭園は応神の自然美を生かしたものとも、西方諸国の幾何学きかがく的な美しさを求めたものともつかない、奇妙な様相を呈していたからだ。

 紫苑は造園に詳しいわけではないが、それでも違和感を覚える。 先ほどから左右に連なる松の並木などは、一種悪夢的ですらあった。 のたうつように伸びた枝葉を茂らす松が、しかし規則的な配列を形作っているのだ。 各所に配置された彫像、中央の噴水も、どこかしらに不快感をもよおす何かが感じられる。

 実篤のことを、今まではただの道化者かと思っていた。 蘇芳は道化か、道化の振りをした切れ者か、掴みかねていた。 この矛盾した要素を詰め込んだ庭園を設計したという人間は、恐らくそのどちらでもない。

「……天才、あるいは狂人、か」

 世話係に聞こえないように呟くと、紫苑は表情を引き締め、心中を切り替えた。

「二条殿は……使用人のあなたから見て、どのようなお方?」

 笑顔を作って、そう問いかける。

「よい方ですよ。 私のような者にもよくしてくださいます」

 まあ、客の前で主人を悪く言えるわけもないな、と紫苑は質問を変える。

「そうね。 昨今の皇国について、二条殿はどう思ってらっしゃるのかしら」

 言葉を発してから直球過ぎたかと後悔したが、幸いにして相手は口を開いてくれた。

「月読宮様に基本的には賛成でいらっしゃいます。 ほかにも、実篤様は女性の地位の向上に心を砕かれていらっしゃいまして」

 ふむ、と紫苑は内心で首をかしげた。 応神という国は、魔術師として比較的多くの女性が要職に就いている国だ。 現在の体制の基礎を構築し、魔術の研究も精力的に行った先代光皇によって、女性の方が強い魔力を持ちやすいという知見も出ており、結果魔導院の人員の半数は女性である。 それ故に魔術師以外の職でも女性が就くことが最近は多くなった、と亡父が言っていた。 では、実篤が言う「立場の向上」とは、一体どのようなことを指すのか?

 たとえば公卿くぎょうには女性が一人もいない。 これは任命を行う際にたびたび保守派の横槍が入るせいだという人もいるし、武家社会の名残という人もいる。 女性光皇の例は歴史上に何度かあるが、その際には摂関せっかんないしは太政大臣だじょうだいじんが政務の大部分を執り行ってきた。

 実篤の志向は、よもやそういう方向なのではないか。

 そう考えると、私がここに招かれた理由というのは……紫苑は空恐ろしい可能性に思い至り、知らず身震いした。

 ――やがて馬車は目的地にたどりつき、別荘と言うには規模が大きな邸宅の玄関にて、紫苑は彼女の感覚からすれば過剰にも程があるような出迎えを受けた。

 馬車の扉を開けてみれば足元には館の玄関まで赤い絨毯じゅうたんが敷かれ、そばにはゆったりとしたローブと羽飾りのついた帽子を身につけた実篤が立っている。 絨毯の両脇には皇国軍服に似せた作りの一式を来た一隊が整列し、陽光を受けて輝くレイピアを彼女に奉じていた。

「ようこそ、我が城へ!」

 うへえ、と紫苑が内心でうんざりしながら馬車から降りると、楽隊がトランペットを盛大に吹き鳴らし、紙吹雪が舞った。 あたりの森から、驚いた鳥たちが飛び去っていく。

「殿下のような美しく聡明な方を、この別荘のはじめての賓客として迎えられるとは。 臣としては喜悦の極みにございます」

 この空間の主が帽子を取って一礼しながら発した言葉は、相変わらず装飾過剰だった。

 一体この演出にいくらかけたんだか、と皮肉っぽく思考しつつ、紫苑は笑顔と共に形式通りのねぎらいの言葉を実篤にかける。

「盛大な出迎え、大儀でした。 相公しょうこう(参議の別名)、本日の招待に感謝を」

「おお……! その天上の美をたたえる微笑と御声を、この場においては、臣のみが賜れるのですな! この二条実篤、感動を抑えることができませぬ!」

 果たしてどこまで本気で言っているのだろうか。 いっそ全て社交辞令ならば気が楽だが、そうだとしたら流石に度が過ぎている、と紫苑は思う。 本気が混じっているとすれば、それはそれで嫌なものだ。

「ささ、中へどうぞ! 今日はごゆっくりお楽しみくださいませ」

 芝居がかった動作で重厚な造りの玄関を指し示す実篤。 その熱っぽい視線に辟易へきえきしながら、紫苑は赤絨毯の上を玄関向けて歩き出すのだった。



 *****



「此度の争いは、宮中を二分することになりまするが……これが最後になりましょう」

 宴が始まってしばらくした頃。 山海の珍味が二人の前に並べられ、西方風の楽団が一人しか居ない賓客のために音楽を奏でる中、実篤はそう切り出した。

「ですがこの激動の時代に、皇国はいま今上きんじょう陛下という英明なる君主を喪いつつあり、そして後を継ぐべき直系の親王しんのう殿下らはいずれも幼い」

 政治の話は面倒だ。 実篤はまだ事実しか示していないが、それを越えて自身の見解を述べてしまえば、それはそのまま自分の政治的立場へと反映される。 まして自分は、本当に面倒なことに、皇位継承権四位を持つ皇族なのだから――そう紫苑はかものローストを口に運びながら思考する。

 ……あ、美味しいわね、これ。 一緒に供されている葡萄ぶどう酒もかなり良いもので、この点に関しては来て良かったかもしれない、と彼女は思う。

 さて、ここで拒絶すればこの話題を中断することはできるかもしれない。 とはいえ、それは狙いに反することだ。 故に紫苑は言葉を選び、葡萄酒の入ったグラスを手にとりながら、まずは常識的な見解を口にする。

「そのための摂関職でありましょう。 過去、先帝が崩御なされた後、後を継ぐべき東宮とうぐうが幼かったこと、事例はあまた存在します。 この度もまた、そのようにすればよいのではありませんか」

「確かに月読宮様は将来を嘱望される、よき政治家でいらっしゃる」

 摂関、すなわち摂政・関白かんぱくの存在を示した紫苑に対して、実篤は蘇芳の存在だけを例示した。 つまりは、蘇芳の政敵たる泰華宮たいかのみやを既に認めていないと示唆したのである。 本心はともかく。

「ですが、摂政とは我ら公卿だけでなく、臣民すべてを導かねばならぬ立場。 そうなると蘇芳様の力量は、また未知数ですな……ああいえ、含むところがあるわけではありませんぞ」

「そうね、兄は容姿もそこそこ、弁も立つ。 ああ、でも本人が先日、『私は黒幕のほうが好みだ』などと申しておりましたわ」

「情勢がそれを許さぬのは皮肉なものですなあ……」

 ふん、と紫苑は少し考えた。 この男は自身の兄と一応は陣営を同じくしていたはずだ。 ここらで少し、自分自身のものを出しても良いだろう。

「泰華宮殿は、左府殿の娘御を妻にお持ちでしたね」

 しかし、仮に実篤に二心があった場合のことを考え、明確な言質は与えないように気を使う。 自分らしくないと思いながらもそうするのは、迂遠であることがこの場合は自身を護ることに繋がるからだ。

「さよう、後ろ楯は万全ですな。 しかし泰華宮様にはまつりごとに携わられた経験がなく、そのための教育も受けていらっしゃらない」

 実篤も乗ってきた。 しばしば自身に向けられたやたらとあけすけな美辞麗句びじれいくの数々が成りを潜めていることを、若干不思議に思わないではない紫苑だったが、やはり相応にしたたかな男だったのかもしれない、と実篤についての評価を改めることを検討する。

「右も左もわからぬ者が、まず頼るのは身内でしょう」

「そういえば、九条殿はかの藤氏の末裔まつえいでしたな」

 およそ千年前、自身の娘を光皇に嫁がせて外戚がいせきとなることにより、この皇国のほぼすべての官職を自身の一族で占めてのけた氏族があった。 実篤がその名を出すということは、九条の狙いがそこにあるのだと彼は睨んでいる、ということを示唆している。

「二条殿とてそうでありましょう。 結局は、志ひとつということですわ」

「違いありませんなあ」

 この話題はここで終了だろう。 紫苑はそこで、彼の言葉の中にあった引っかかりを突くことにした。

「ところで、二条殿は先ほど、兄の摂政としての資質にも疑問を呈されましたね。 あれは何か、思うところがあってのことですの?」

 あえて直球を投げた。 ここで乗ってくればよし、と紫苑は次の言葉を聞き漏らすまいと集中する。 恐らくは紫苑が想像する通りのことを実篤は胸に秘めており、それを開陳かいちんするために彼女をここに招いたのだろうから。

「ふむ。 実を申しますと……私は日頃、女性にこそ、人々を導く生来の資質があると思っているのです」

 そら来た、と紫苑は内心で指を鳴らした。

「元来、女性は太陽でありました。 我らが皇国の始祖たる天照大神あまてらすおおみかみは女性の神格であることは、皇国臣民の誰もが知っております」

 そして紫苑も知っている。 そんな知識を今この場で、しかもしたり顔でひけらかすという事は、これを踏まえて何か言いたいことがあるということだ。

「しかし、開闢かいびゃく以来、女性の光皇や公卿が在った例というのはあまりにも少ない」

「そうですね。 特に自らの身を武器として戦わねばならぬ武家は、必然的に男系長子相続が慣習となった」

 適当な応答をして、葡萄酒を一口。

「さすが、教養豊かでいらっしゃる。 冴月さえつき中将殿の娘御も、その慣習がもとで大変な思いをされたようだ」

 ぴく、と紫苑の眉が動いた。 ここで輝夜の名を出すか、と感情が理性を煽り、心にさざなみを立てる。

「それで」

 ゆえに、彼女はひとつ釣り餌を実篤の前にぶらさげてみることにした。

「皇位継承権四位をもつ、内親王の私を、ここに招いた意図は奈辺なへんにあるのです?」

 妖しい笑みを作りながら、実篤に横目で視線を送る。

「……私を政治の表舞台に立たせようというのですか?」

「さすが、御明察。 ですが私はそれ以上のことを考えているのです」

 本当に言った、と内心の驚きを隠しきれずに一瞬絶句した紫苑をよそに、実篤は自らの理想を熱っぽく語り始める。

「内親王殿下、貴女ならば皇国史上、最高の女皇となれましょう」

 こんな驚くべき言葉から始まった、演説めいた主張は、しかし紫苑からすれば迷惑極まりないものだった。

 光皇はこの国における最高権力者であり、最高の権威者。 かつてのルテティア王ルイ十四世の言葉、”ちんは国家なり”をまさに体現する存在だ。

 しかし、絶大な権勢には途方も無い重さの責任も伴う。 紫苑にしてみれば、そんなことは真っ平御免だ。 幸い自分より順位が上の継承権者が三人もいるのだから、そんな重責は適当なところに押し付けて、自分は自分自身の生を謳歌おうかしたい、そんなところが彼女の本音なのだ。

 父の遺言も、そうだった。

「そして私は、栄耀えいようを極めんとする皇国を導く新たな女神たる貴女のもとで、摂政として直にあなたを補佐したまい、その御声を聴き、その御命を承るという最高の栄誉に浴すのです……!」

 それにしても、この男の変わりようはなんだ、と紫苑は思う。 先ほどまでの迂遠な会話と正逆に、今の彼は本音しか口にしていないかのようだ。

 彼の中で何かが切り替わったとでも言うのだろうか。 その二面性こそが、館や庭園を見て感じたものの正体なのだろうか――否、そんなことに気を取られている場合ではない、と紫苑は思考を引き戻した。

 失策だった。 あからさま過ぎる餌に、よもや釣られはしないだろうと彼女は思っていたが、実篤はあっさりと釣られてみせ、さらにこちらを完全に巻き込みに来たのだ。

 ある種彼にとっても賭けなのかもしれない。 その言葉に込められた熱意は常軌を逸したレベルで本物だ。 その主張は、紫苑に二人の幼い親王と兄を弑逆しいぎゃくせよと言っているようなものなのだから。

 後戻りはできなくなってしまった。 紫苑が取れる選択肢はふたつ、ここで実篤の罪を鳴らし、大逆を企てた罪人として誅殺ちゅうさつするか、いっそ乗せられて光皇になってしまうか。後者は自動的却下モノだが。

「無謀、無為、そう言いたげな顔をしていらっしゃいますな。 狂った、とお思いになっているのですかな。 確かに私は狂っているやもしれませぬ。 しかし、殿下、貴女さえその気になれば、私の夢は実現する。 故にこうして私は賭けに出ているのですよ」

「……どういう、事?」

 今すぐ紫苑を押し立てて反乱を起こして、勝てる。 そう、実篤は言っているのだ。 紫苑は最早この男の正気を完全に疑っていたが、その根拠は気になった。

 実篤は両手を大きく広げ、朗々と宣言する。

「殿下の真なる御力をもってすれば! 今上陛下であろうと、”禁軍きんぐん”であろうと、たとえ皇国全軍が、いや、世界が敵に回ろうとも!」


 ――ものの数ではないのですよ。


 言葉と共に、世界がぐにゃりと歪むのを紫苑は感じた。

 迂闊、この馬鹿、と内心で自分自身を罵る。 はじめからその気だったと言うのなら、強力な魔術師である自分を無力化するための策の一つや二つ、仕掛けていないはずがなかったのだ。 料理か、葡萄酒か、あるいはその両方かに薬が盛られていたのだろう。

「二条……さね、あつ……!!」

 椅子の肘掛ひじかけを掴んで闇に溶けてゆく意識を懸命けんめいに保とうとしながら、紫苑のあか双眸そうぼうは実篤をきっと睨みつける。 ところが、しぼり出した言葉は、

「あなたは……私の、何を知って……」

 断罪のそれでも怨嗟えんさのそれでもなく、むしろ求めるためのもので。

「教え……て、私は――私は、誰なの……」

 懸命に、実篤の方へと伸ばした手は、

「私は、何、なの……!?」

 取られることなく、卓の上へとぱたりと落ちたのだった――。




10/10 誤字、一部表現訂正

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