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神々の庭のクロニクル  作者: 御神楽てるよふ
剣の想い、赤毛の来訪者
11/13

第十話 嵐の前の日常

輝夜とアレスの初手合わせから数日。 部屋で届いた書簡を整理していた蘇芳すおうは、昨日分の中から気になる一通を見出した。 差出人は、二条実篤にじょう さねあつとある。

 二条が何の用だろうか、と蘇芳は考える。 二条は先ごろからの中立姿勢を放棄し、改革派陣営に加わったので、一応は味方だ。

 ところが、現在の御前会議における改革・守旧両派の人数は九対六。 摂政任命には三分の二以上の賛成を要するため、これで状況は決しない。

 ゆえに、二条が蘇芳に対して恩を売るとしても、あまり値段をつりあげるわけにはいかない状況なのだ。

 そんな折の手紙。 蘇芳が疑問に思うのも無理はないことなのである。

 そしてペーパーナイフを手に封を破り、中身を一読した彼は――


 唐突な笑いの発作に襲われ、引きつりそうな腹筋を抱えたまましばらくその場から動けなくなってしまったのだった。



 *****



 その日は木枯らしも落ち着き、京の天蓋てんがいは真っ青に染め上げられていた。 つまりは、文句の付けようのない秋晴れの日である。 しかし、都を取り巻く政局は、空模様とは対照的に混迷を極めていた。

 守旧、改革派ともに中核は六名。 御前会議には現在十五人の成員がいるため、中立といえる三人を取り込み、さらに敵対派閥から一人を切り崩さなければ、摂政せっしょう任命は行えない。 中立三者のうち一人、二条実篤は旗幟を明らかにしているが、残りの二人、すなわち内大臣・小野宮透おののみや とおると太政大臣・一条兼良いちじょう かねらだが、これまでは改革派寄りの立場を取ってきていたとはいえ、まだ含みを持たせている。

 そうなれば、当然、取り込みのための政治工作が激化する。 老練な九条方は準備に余念がなく、三者どころか改革派方の邸宅にすら、九条の息がかかっている役人や商人たちがしばしば訪ねてくるようになった。

「御前会議とは無関係なはずの私の家にも、九条様方からの進物が多く届いているようです」

 そう輝夜かぐやが苦笑すると、文庫本をぱたりと閉じた紫苑しおんはやれやれと吐息した。

「まだるっこしいったらありゃしない。 もっと解りやすい手段を使えばいいのに」

「……と、いいますと」

 やたら嫌な予感がする。 微妙にゆがむ口元を隠そうとするかのように、彼女は目の前のマグカップに手をつけた。 砂糖とミルク入りのコーヒーは、最近飲めるようになったのだ。

「仮にも応神貴族。 皆、一通りの魔術の心得はあるはずよ」

「は、はあ」

 大体予想できてしまった。 まったくこの方は血の気が多いんだから、と彼女は白い陶器のカップ越しに、窓の外に遠い目線を投げかける。

 その先には光宮の白い壁が、陽の光の下で煌いていた。 この素晴らしい白き塔の内側では、黒い陰謀が渦巻いているのだなあ、と考えると、なんとも言えない気分になる。

「だから六対六の集団戦でもやりゃあいいと思うのよね。 政治ってやつは裏から手を回して陰謀だ工作だで後腐れが残りまくるから良くない」

「……一理はあると思いますが」

 しかし政治の最高権力の代行者たる摂政という役職を、どちらが強いか、などという次元で決めてしまってはいかんだろう、と輝夜は思う。 政治家には政治家に求められる資質があるはずで、それは魔術師や剣士、軍人に求められるそれとは別のはずだ。

「あんだけ主張のぶつけ合いして収まりがつかなかったんだもの。 いっそ殴り合いでもさせたらいいのよホント」

「紫苑様……」

 なんでそんな解決策が脳筋風味なのですか、と言ってしまっていいのかと一瞬逡巡しゅんじゅんして、やめた。

 あの一件以来、輝夜は妙にこの主との距離が近づいた気がしていた。 それと共に時々、暴言めいた言葉が口をついて出そうになって困ることも多くなった。 先日尻を触られた時などは完全に主の言を咎めるような言葉を吐いてしまったし。

 そんなようなことを蘇芳に相談したら、「それはツッコミと言うんだ」という返答に、「どんどんやってやれ、それが紫苑のためにもなる」と励ましまでもついてきた。 しかし、輝夜はその「ツッコミ」という単語に心当たりが無く、何だろうと調べてみたならば、意思疎通そつう円滑えんかつにするための、古来より伝わる手段として「ボケ」と「ツッコミ」というものがあるらしい、と判明。 うまく作用すれば周囲の雰囲気を和らげる効果もあるのだという。

 今度やってみよう、と思ったがいいが、意識してやろうと思うとまたこれが難しい。

 うまくいかないものだ、と輝夜は思う。 この「ツッコミ」を体得すれば、口下手な自分も少しは変われるのかもしれない、と期するところもあるのだが――。

 話題を変えよう、と彼女は最近同級の女子たちの間で流行している、翻訳小説のことを紫苑に話した。

「白馬の王子様ねえ。 ロマン主義とかあっちでは言うんだっけ? あんまり惹かれないわね」

 馬車やら、白馬に乗った王子やら、大きなバラの花束、白く輝く城の尖塔せんとうやら――輝夜とて年相応の少女であり、そういったものに若干の憧憬しょうけいを抱かないこともない。

 しかし紫苑はといえば、応神のそれとはいえ”そういう世界”で生活しているせいか、はたまた性格のせいか、そんなロマン的要素への憧れが一切無いようだった。

「では、どのようなものがお好みですか」

「そうねえ。 最近魔導院が買ったエル・ネルフェリアの双発回転翼式飛空艇、あれはいいわ。 私も乗ったことあるけど、あれに乗って異国の王子が迎えに来てくれる、っていうなら大歓迎よ」

「また男子のようなことを……」

 言ってから、しまった、と輝夜は思う。 ある意味当然のことなのだ、それは。

 先代月読宮が亡くなるまで、紫苑はこの屋敷の外に出たことがほとんど無いという。 それはつまり、同世代の友人など一人もいなかった、ということを意味しているのだから。

「お父様が好きだったのよね。 飛空艇を応神で建造できればっていつも言ってたわ」

 紫苑は特段気にした風でもなく、輝夜はほっと心中で胸をなでおろした。

「それはどういう?」

「想像してみなさい。 空を飛ぶ乗り物、それも多くの人やものを運べる。 それがこの国の各地を結び、ひいては世界と結びつく。 鉄道や自動車どころの騒ぎじゃないわ」

「おお……」

 と感心はしてみせるが、いまひとつ実感は湧かない。 どうにも自分の考えは地に足がつきすぎているような気がする輝夜なのだった。

「ああそうだ、ちょっと」

 立ち上がるように紫苑に促され、肩を押されるようにして彼女は鏡台の前に座らされた。

「久々に髪、梳いてあげる」

 鏡にうつる自分の表情が、目に見えて明るくなった。 耳もぴこぴこと動いている。 それを承諾ととったのか、紫苑は輝夜の髪をポニーテールにまとめているリボンを取り去ると、べっこうのくしを手にした。

 櫛が髪の間を通り抜けていく感覚が心地良い。 この髪を同級の女子たちから羨ましがられる事もあったが、今度手入れの仕方を聞いてみようか、などと輝夜が思っていると。

「紫苑、入るぞ」

 扉を開けて、蘇芳が現れた。

 この来訪が、彼女たちにとっての青天の霹靂へきれきだった。



 *****



「は?」

 紫苑の第一声はそれだった。 あまりのことに思考回路が一瞬凍りついてしまったかのようだった。

 輝夜も、顔と口とで三つの丸を形作っているのが鏡に映っている。 しかし彼女はそれが失礼だと思ったのか、慌てて表情を取りつくろった。

「私と、食事? あの二条が?」

「そうだ。 来週末の土曜、新築した貴船きふねの山荘で催す夜会に、お前を招きたいそうだ」

「……本気?」

「私に聞くな」

 にべもない返答と裏腹に、蘇芳の表情は笑顔だ――意地の悪そうな。 ぶん殴ってやろうかしら、と紫苑は思ったが、それを実行に移す前に一応の常識的対応を取ってみることにした。

「嫌よ。 断って」

 紫苑の、二条実篤に対する評価は低い。 蘇芳が彼の価値を測りかねていたのに対して、紫苑は初対面の後に"言葉に内実が無い″の一言で切って捨てていた。 あらん限りの言葉を尽くして自分の美しさと知性とを褒めちぎられた彼女は、最初の一分間こそ満更でもなかったのだが、それが口を開くたびに飛び出してくるとなると、うんざりを通り越して怒りすらも湧いてきたのだ。

「ならん。 もう返事を出してしまったからな」

「……どういうことか、説明してもらえるんでしょうね?」

 椅子に座らされていた輝夜がびくりと震える。 背後に突然生まれた熱気と、鏡に映る主の表情と、ゆっくりと揺らめく銀色の髪に、彼女は本能的な恐怖を覚えたのだ。

 一方で蘇芳は至って冷静だった。

「二条はいまこちらの陣営にいる。 無碍にもできんのだ、機嫌を損ねて九条方に回られでもすれば、それはそれで面倒だ」

 もっともらしい理由を、と紫苑は内心で歯軋はぎしりした。 蘇芳のことだからもめると理解した上で、その対策までも用意し、そして自分をき付けているのだろう。

「まあ、彼のことだ、きっとぜいを尽くした宴になるだろう。 存分に楽しんだ後は、実篤めを適当にあしらうなりしてくるがいいさ」

「それで都に二条が私を招いたって噂が流れるんでしょう。 そうすると、二条家は完全にお兄様の陣営であるということが印象付けられ、一条や小野宮を説得する材料にもなる。 九条方への牽制効果も望める。 そんなところよね」

「よくわかったな」

 少しも悪びれず、蘇芳はうなずく。 鏡越しに蘇芳を睨みつけながら、あからさまな不満を表明する。

しゃくね。 この妹ですら、道具として使おうと?」

「お前のような不安定要素の塊が道具になるものか」

 兄は妹の抗議をそう一蹴した。

「……何もかもお兄様の思惑通りにゆけばいいのだけれど。 仮に二条が既に九条方と通じていて、私を人質に摂政候補から降りるように迫ってくるかもしれない」

 その問いに、一瞬だけ蘇芳は虚を突かれたような顔になったが――

「ふ……はは、はははは!」

 唐突に、堰を切ったかのように笑声を爆発させた。

「な、何がおかしいのよ」

 対する紫苑はやや赤面がちに、戸惑いの表情もありありと、少しだけ上ずった声で問う。 それに対する答えは、紫苑をして黙り込んでしまうに十分なものだった。

「どうするも何もだな、万が一そうなったとしてもお前がそんな、人質などという立場に甘んじていられる性格であると、自分で思うか? 本っ当に思っているのか?」

 と、目尻に涙を浮かべてまで言う蘇芳に、紫苑は言葉に詰まり、顔を紅くしてそっぽを向いてしまった。

 自分でもそんなに大人しくしているとは思えなかったのだ。 実篤を殺してでも、きっと自由を手にするに決まっている。

 しばしの沈黙。

「……なんなら、代わってあげましょうか? 宣伝効果を期待するなら、お兄様自ら赴いたほうがいいでしょう」

「おいおい……お前は私に女装しろと?」

 そっぽを向いたまま発された紫苑の苦し紛れの嫌味に、蘇芳は真顔でそう返した。 流石に紫苑も絶句し、どうしていいかわからず兄妹の口論を聞くばかりだった輝夜は、それを想像してしまったのか軽く噴き出してしまったあと、取り繕うようにきりりと表情を引き締めて鏡に向かっていた。

 途中から手元が狂いまくった紫苑の櫛によって、自分の髪の毛がぐしゃぐしゃになっている事には、しばらく彼女は気付かないままだった。



 *****



 二条院に逗留とうりゅうしている赤毛の兄妹は賓客ひんきゃく級の扱いをされていると言ってよかったが、食事だけは共にしないことになっていた。

 そこにはアレスの強い意向があった。 貴族の豪華な食事に舌が慣れてしまうと、あとで困るというのだ。 一理あると紫苑も蘇芳も承服し、兄妹は紫苑や輝夜、あるいは紫苑によってあてがわれた従者の理緒を伴って、篝火横丁やその近辺へとよく買い物に出かけていた。

 今日の買い物は、南方で産する十数種類の香辛料を混ぜ合わせた粉末と、タマネギなどの野菜類、そして挽肉。 香辛料類は輸入品ということで多少値が張ったが、紫苑から食費として、「お釣りは要らないわよ」という有難い言葉と共に毎日手渡される一枚の金子で、十分すぎるほどだった。

 そして帰ってきてみれば、庭先でこの屋敷の主が、妹に組み敷かれている。

 その傍らでは、くしゃくしゃになった髪にべっこうの櫛が引っかかったままの輝夜が、どうしていいかわからずにおろおろとしていた。

「……何だこりゃ」

「ちじょうのもつれ?」

「お前どこでそんな言葉を覚えた」

 目の前の惨状と傍らの妹とで二重の疲労感を覚えていたアレスの存在に気付いたのか、紫苑と蘇芳が揃ってこちらを向く。

「……行っていいか?」

「ちょっと、聞いてよ!」

 くいくいと母屋の方向を指差したアレスだが、紫苑がその言葉をさえぎった。 かくて先ほどの離れでのやりとりがアレスにも説明されたのだが、話を聞き終わった彼は、はあ、と一つ吐息した。

「――それで、紫苑様がその、一発殴らせろと」

「お前も大変だったなあ」

 しみじみと輝夜に頷く。 そうしてからアレスは、ぜぇぜぇと荒い呼吸をしながら、幽鬼のようにゆらりと立ち上がった紫苑を見た。 乱れた髪に、薄あいの和装のやや崩れたえりからは汗の浮く鎖骨と豊かな胸がのぞくというなまめかしい姿が、髪の間から覗く真紅の眼光の苛烈かれつさによる凄絶せいぜつな雰囲気で台無しだった。

「宮さんよぉ。 やんごとなき事情ってもんもあるんだろうが、あんまりじゃねえか?」

 寝転がったままの蘇芳に非難めいた言葉をかければ、「面白そうじゃないか」と答えが返ってくる。 直後に紫苑が蹴りつけ、転がって蘇芳はそれをかわした。

「で、聞いちまった俺らだが、口止めとかなしで帰っていいのか?」

 げんなりした面持ちで腕組みしながら聞いてみると、紫苑がひとつため息をついてひらひらと手を振った。

「あー良いわよ別に。 みっともないとこ見せちゃったわね」

「申し訳ない、御客人に見苦しいところを。 主に紫苑が」

「原因作ったのは誰よッ!?」

「んじゃ、俺は部屋に戻ってるからな。 兄妹仲良くやってくれ。 あー、お前あんまり見るな、ありゃ目の毒だ」

 再び紫苑が蘇芳に掴みかかろうとするのを見届けて、その横をアレシエルの手を引いて通り抜け、気のない声で手を振りながら、彼は母屋の引き戸を開いたのだった。



 *****



「ったくもう……」

 自室に戻った紫苑は、輝夜の髪をどうにか整えてやって帰したあと、書見台の前の安楽椅子に腰掛けてひとつ大きく伸びをした。

 すると先程の兄の出来事が何故か思い出される。 みっともないところを、と彼女は顔を僅かに紅潮させてかぶりを振った。

 部屋の隅の柱時計が指している時刻は六時少し前。 夕食まではあと少々というところだが、暇をつぶすための何かを始めるにも少々中途半端な時間ではあった。

 どうしようか、とあごに手をあてて考えてみても、出てくるのは先程の事ばかり。

「……ん?」

 形のよい鼻が、ひくひくと動く。 漂ってくる香りは、市場によく出掛ける彼女にとっては馴染み深い、南方産の香辛料のもの。

 馴染みとはいえ、素材の味を活かすことを至上の命題とする応神の調理師達が腕を振るう、この御神楽家の夕餉ゆうげの時間にそれらが使用されることは稀だ。

 なら、この香りの出所はどこかしら――と、紫苑は部屋を出て探してみることにしたが、中庭に出ると、その回答がはっきりした。

「アレス?」

「厨房を使わせて貰おうと思ったんだが、こいつの匂いがキツいって追い出されてなぁ」

 そう言う赤毛の青年の背後には、湯気を立ち上らせる真鍮しんちゅうの鍋がある。 それが下に敷いているかまどの石も、兄妹が椅子代わりにしている石も、全てどこかで見たような形をしていた。

「それ、うちの庭石……」

「気にするな気にするな、なんだお前も食いたいのか」

 アレスがそう茶化すように言うと、鍋の向こう側に座っていたアレシエルがぱっと顔を上げ、瞳を輝かせて紫苑をじっと見てくる。 紫苑はもはや怒るに怒れず、はぁ、と嘆息して両手を挙げてしまった。 全面降伏だった。

 肩をすくめながら元は庭石だった椅子に腰を下ろす紫苑。 ひんやりとした感覚が着物の布地越しに伝わってきて、彼女は一瞬身震いした。

「で、これ何?」

 紫苑が指差す先には、鍋のなかで煮え立つ茶褐色の流動体があった。 中には挽肉や細かく刻んだ野菜類が見え、香りは何種類もの香辛料のものが混ざり合ったと思しき複雑なもの。 紫苑はこれと似た料理を見たことがあったが、名までは知らなかった。

「ヤスバースで教えて貰った料理でな。 調合したスパイスを香り付けに使って、バターで炒めた小麦粉と肉やら野菜やら、その場にあるもんを煮込む」

 鍋をかき混ぜながら、アレス。 その横には、鍋の中の液体と同じ色をした粉末が入った瓶がある。

「こいつが便利なんだ。 味も香りも濃いから、振りかけて焼くなり混ぜて煮るなりすれば大概のもんは食えるようになる。 ちょうど残り少なくなっちまったから、ここで補充できて助かった」

「ふぅん……」

 様々な野菜と挽肉の、そして多種多様な香辛料。 それらが溶け合い、混ざり合った味を紫苑は想像する事ができなかった。

 それからしばらく彼女は鍋のそばに座りこんでアレシエルと話していたが、鍋をかき混ぜたりかまどの火を調節したりと忙しそうにしていたアレスが顔を上げ、紫苑を呼んだ。

「何?」

「お姫さんにこんな事を頼むのもあれだがな。 厨房から米を三人分貰ってきてくれるか?炊いてある奴な」

「ええ」

 頷いて立ち上がり、去ってゆく紫苑。 それからしばらくして、厨房の方角から怒声が聞こえてきたが、アレスは聞かなかった事にした。

「あーもう」

 やれやれ、といった表情で戻ってきた紫苑は、米びつをひとつ抱えている。 大儀そうにそれを置くと、紫苑は再び庭石の椅子に腰を下ろして、満天の星空を見上げた。

 この、何処までも続く空の下に広がる大地。 生きているうちに、自分は一体、そのうちのどれだけを目にし、歩く事ができるのだろうか――

 目を閉じて想いを馳せていると、アレスに肩を叩かれた。 彼が下を指さす先を見てみれば、そこには湯気を立てる木皿があり、紫苑が持ってきた白飯に、先ほどまで鍋の中で煮込まれていたものがかかっている。

「餡かけ炒飯なら食べた事があるけど……これも匙で?」

「本場じゃ手掴みらしいがな。 ま、これでも使え」

 アレスが紫苑に手渡したのは、手製と思しき木製のさじ

「ありがと。 でも、あなたのは?」

「俺は本場の食べ方でやってみるさ」

 そう言うと、アレスは皿の上のものを手で掴んで食べ始めた。 その横でアレシエルは、片手に皿、もう片方に匙を持って夢中で料理を口に運んでいる。

 紫苑はしばらくその光景と、自分の皿と木匙とを見比べていたが、やがて彼女は木匙を置き、皿の上のそれを手で掴んだ。 ぬるりとした液体の感触と、熱さが指先を包む。

「おい」

 アレスが目を丸くするが、紫苑は平然としている。

「いいのよ。 私がやりたくてやっている事だもの」

 そう言うと、紫苑は澄ました姿勢で料理を口に運んで、しばらく口を動かしていたが――突然、ごほごほと激しく咳き込んだ。

 喉を押さえ、銀糸のような髪を振り乱して、まるで重病人のようなありさまに、さすがにアレスも心配になったようだ。

「おい、大丈夫かよ?」

 アレスが背中をさすってやると、ようやく落ち着いた紫苑は顔を上げ、目に涙を浮かべて苦笑した。

「これ、すっごい辛いのね……」

「無茶しやがって……」

 アレスもまた苦笑を返し、アレシエルがにこにことそれを見ている。 


 二九九八年十一月二十日。 皇国は、いまだ表向きは平穏のうちにあったのだった――。


 レビューしていただいたのに新作を上げないわけにはと突貫工事でした。

 誤字脱字が不安……。


 11話もできあがってますが、12話ができてから投稿したい……。

 推敲してるときに、話をまたいでシーンを前後させることもあるので。

 でもあんまり間が空きすぎるのもアレなので、難しいとこです。

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