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無能の姫と天華学園

第1話 無能の姫と天華学園


ああ、またこの夢だ。

夜空いっぱいに、星が降っている。ひとつ、またひとつ。白く尾を引く光が、黒い空を静かに流れていく。


綺麗な夜だと思うのも、束の間だった。


熱い。息ができない。


 気づけば、私は炎の中にいた。星の下で、すべてが赤く燃えている。大きな屋敷も、家々も、細い路地も、庭の桜も、夜風に揺れるすすきの原も。全部が燃えている。


 見覚えのない、知らない景色。なのに、どこか懐かしい。大切な場所が燃えている。そう思った瞬間、涙が止まらなくなった。


 炎の向こうに、女の人がいた。銀色の髪をした、美しい人だった。燃える里の中で、膝をついている。そのすぐそばには、男の人が倒れていた。女の人を守るように、片腕を伸ばしたまま。もう、動かない。


 炎の外側には、人影が立っていた。ひとりではない。何人も。まるで、燃える里から誰も逃がさないように囲んでいる。


 女の人が、何かを抱きしめるように胸元へ手を当てた。そして、消えそうな声で呟く。


 ――どうか、生きて。


 それが誰へ向けられた言葉なのか、私には分からなかった。ただ、その夜空に降る星だけが、あまりにも綺麗で。だから余計に怖かった。


 夢はいつもここで終わる。


 目を開けると、そこは見慣れた自分の部屋だった。白木の天井。薄桃色の帳。障子の向こうでは、朝の光を受けた桜が、ふわりと揺れている。


 ここは九条家の屋敷。結界術を司る術師の一族、九条家。私、九条セリカが生まれ育った家だ。


「……また、あの夢」


 首筋に手を触れると脈が少し速かった。指先もかすかに震えている。寝汗をかいたのか、襟元が少し冷たかった。


 小さい頃から、何度も見る夢がある。流星群の夜。燃える里。銀色の髪の女性。そして、消えそうな声で呟かれる言葉。


 どうか、生きて。


 幼い頃、夢の内容をお母様に話したことがある。その時、お母様はほんの少しだけ顔色を悪くした。何かを知っているような気がした。でも、何も言わずにただ私を抱きしめるだけで、詳しく聞けなかった。


 静かに頭を撫でてくれた手の温かさを、今でも覚えている。


 それからは、誰にも夢の話をしていない。話してはいけないことのような気がしたから。


今日は、天華学園の入学式だ。こんな日に、夢のことばかり考えている場合ではない。私は布団から抜け出し、身支度を整え始めた。


 天華学園。それは十二歳になった術師の子どもたちが入り、六年をかけて術を学ぶ、天華院による全寮制の学舎。


 九条家、一条家、花守家、鷹司家、言守家。

 術師社会の名門と呼ばれる五つの家――通称、五家。その家の子どもたちも、十二歳になれば当然のように天華学園へ入る。


 五家は、それぞれ血筋に根づいた家術を持っている。

 術師の体内には、その人だけの術のかたちがある。自分の中にある霊力を、どう結びつけ、どんな術として現すのか。それを、術糸と呼ぶ。

 たとえば同じ火術でも、人によって炎の色や形が違うように、術糸は一人ひとり違う。そして五家には、代々受け継がれてきた特別な術糸がある。

 九条家なら、九重結界。

 境界を作り出し、守り、隔て、隠す結界術。

 私も九条家の娘として、その術糸があるはずだった。けれど、五歳の時に受けた測定で、私には何の能力の片鱗も現れなかった。測定鏡には何も映らない。九条家の子なら当然あるはずの、九重結界へつながる術糸も確認されない。


 私には、術糸がない。

 だから私は、陰でこう呼ばれている。

 無能の姫。

 何の術も持たない、飾りものの姫。


 たとえ術糸がなくても、術師の子どもは天華学園に入学する。五家の子なら、なおさらだ。

 術家に生まれたにも関わらず、術糸のない人間は聞いたこともないが。

 無能と蔑まれるのも、馬鹿にされるのも慣れている。そう思っている。

 けれど、不安や緊張を感じているのも事実だった。

 私は短く息を吐いた。


「セリカ、準備はできていますか」

 襖の向こうから、やわらかな声がした。

「できています、お母様」

 返事をすると、襖が静かに開いた。

 お母様――九条沙夜は、薄い藤色の羽織をまとって立っていた。昔から病がちで、屋敷の離れで臥せっていることが多い。今日は、私の制服姿を見るために、無理をして来てくれたのだと思う。

「まあ」

 お母様は、私を見るなり目を細めた。

「よく似合っていますね」

 天華学園の制服は、白を基調にした上衣に、淡い藍色の袴風スカート。胸元には、一年生を示す桜色の組紐が結ばれている。

「本当?」

「ええ。とても」

 お母様は部屋に入り、私の頬にそっと触れた。

「今日から天華学園の生徒になるのですね」

「うん」

「学園生活は、不安なことも多いでしょう」

「少し。でも、ひまりもいるし、レンもいるから大丈夫」

「そうですね」

 お母様は、安心したように微笑んだ。

「花守さんのところのお嬢さんと、一条さんのご子息ですね。あなたたち三人は、幼い頃からとても仲良しでしたね」

 私は小さく頷いた。

 ひまりとレンは、とても大切な幼なじみだ。五家の集まりで顔を合わせることが多く、仲良くなるのに時間はかからなかった。

「セリカ」

「はい」

「周りに何と言われようとも、あなたは九条家の、そして私の大切な娘です。胸を張っていなさい」

 その言葉は、いつもより少しだけ強かった。

「術が強いかどうかだけで、あなたのすべてが決まるわけではありません」

 私は頷いた。

 お母様は、ときどきこう言う。あなたは九条家の娘だ、と。

 まるで私に言い聞かせるように。そして、自分にも言い聞かせるように。

「お父様にも会いたかったな……」

「ええ。今日も日が昇る前から天華院へ。セリカの入学を、とても喜んでいましたよ。あまり顔や言葉には出しませんが」

「そっか」

 お父様――九条冬臣は九条家の当主で、天華院の会議や五家の集まりに呼ばれることが多い。

 天華院は、天つ家の御心を受けて国を治め、穢れから民を守る術師たちの中枢機関だ。この国の大事なことは、ほとんど天華院で決まる。

 国民にとって、天華院の術師様はありがたい存在。穢れが出れば、白装の術師たちが来て、祓い、清め、守ってくれる。

 最近は各地で穢れの報告が増えているらしく、お父様はいつも忙しそうだった。

「仕方ないね」

 そう言うと、お母様は少しだけ眉を下げた。

「冬臣様も、あなたの制服姿を見たかったと思います。そういえば……サクヤがそろそろ来る頃でしょうか」

「え?」

 お母様がそう言った瞬間、廊下の向こうから軽い足音がした。

「母上、ご無沙汰しております。今日はお身体の調子が良さそうで安心しました」

「サクヤ兄様!? 今日は学園にいらっしゃるんじゃ……」

 襖の向こうから顔を出したのは、九条サクヤ。

 天華学園四年生で、私の兄。藍色の髪に、銀色の瞳。身内の私が言うのも変だけれど、どこにいても人目を引くほど整った顔立ちをしている。

 幼いうちから九重結界を扱い、その力は計り知れないと周囲から言われていた。九条家の中でも特別な術師。それが、私の兄だった。

「入学おめでとう、セリカ」

 サクヤ兄様は、にこにこと笑いながら私を見る。

「制服、よく似合ってる」

「……もしかして、それを見るために帰ってきたの?」

「可愛い妹の晴れ姿、早く見たいじゃない?」

 あまりに当然のように言われて、返す言葉に困った。

 お母様は私たち二人を見て、優しい笑みを浮かべている。

「サクヤ」

「はい、母上」

「セリカを頼みますよ」

 その言葉は静かだった。ただの入学式の心配にしては、少しだけ重い気がした。

「もちろんです」

 サクヤ兄様も、それを感じたのかもしれない。一瞬だけ目を細めて、それからいつもの優しい顔で頷いた。

「セリカは、僕が守ります」

 胸の奥に、温かいものが広がる。

 今日も、これから始まる六年間の学園生活も、きっと大丈夫。そう思いたかった。


「お嬢様、お車の準備が整いました」

 侍従の声が廊下から聞こえる。

 私はお母様に見送られ、サクヤ兄様とともに車へ乗り込んだ。窓の外で、お母様は車が見えなくなるまで手を振っていた。


「そういえば、これ」

 車が屋敷を出てしばらくすると、サクヤ兄様が懐から小さな包みを取り出した。薄い和紙に包まれた、ころんと丸いお菓子。中には、星の形をした色とりどりの飴が入っている。

「星蜜の飴。お前はあまり顔には出さないけど、緊張してるでしょ? そんな時は甘いものだよ」

 兄様は無類の甘味好きだ。でも私が緊張している時には、いつも自分の分より先に甘いものを渡してくれる。

 包みを受け取ると、ほんのり甘い香りがした。

 小さい頃から、何かにつけサクヤ兄様は甘いものをくれる。


「別に、術があろうとなかろうと、お前は僕の可愛い可愛い妹だよ」

 兄様は窓の外を見ながら、何でもないことのように言った。

「そして、何があっても僕が守る。セリカは堂々と学園生活を楽しめばいい」

「ありがとう、兄様」

 そう言うと、サクヤ兄様は満足そうに笑った。優しい笑みの中に、ほんの少しだけ不敵さが混じっている。

 この人がそう言うと、本当に何でもどうにかなってしまいそうな気がする。

 天華学園までの道は、春の花でいっぱいだった。

 九条家の車を降り、兄とともに正門へ向かって歩く。白亜の校舎。長く続く桜並木。

 期待と不安が、胸の中で静かに混ざっていた。

 これから、私の六年間が始まる。

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