「僕たちはね、鳥という立場なのかもしれないんだ。もっと、なにか大きな枠組みの話になるのかな」
ピーピーと、中庭で鳥が鳴いている。
「鳥、鳴いているだろう? なんと言っているか、分かるかい」
「さあ、あれはヒヨドリですか? お腹でも空いているんですかね」
「僕はね、君にこう訊いたんだよ。彼らがなんと囁いているか、分かるかい? と」
「あ...すみません。分からないです」
「そうさ。僕にも分からない」
じゃあ、この会話は一体どこを終着点としていたのだろうか。
俺の先生は、いつもちょっぴりずれている。のんびり屋というか、呑気というか、何事にも無関心な風なのに、実はよく俺たちを観察している。そして、たまにこうして問いを投げかけては、答えをくれずに、いつの間にか会話は途絶えている。
「集合、警戒、囀り、会話。あの鳥たちは、場合によって鳴き方を区別していると思うかい」
「してる...んじゃないですか」
「そうか。しているのか」
そうしてまた、黙り込む。
なにか返答を間違えてしまったのか、毎度々々不安になる。だが、そうして先生が怒ることはないし、不満げな表情を見せることもない。
「僕たちはどうかな。鳴き方、変えているかい?」
「鳴き方...。確かに、声の大きさとか、抑揚とか、感情や状況によっては、変わるんじゃないですか」
頷くこともしなければ、考え込む素振りもみせない。
俺は言葉を繋げる。まるで言い訳でもするかのように、場を、空気をもたせるために。
「ほら、怒ったときは声を荒げますし、悲しい時は途切れ途切れの...。喜怒哀楽! 鳥にもあるんでしょうね、きっと!」
「鳥に感情があるのか。僕たちはそれを知らない。知ることもできない」
「鳥にだって感情はありますよ! 虫とか細菌にはないかもしれませんけどね、さすがに」
「知った気には、いつだってなれるんだ。常識というのは、その時代の、その生物の理解の中でしか完結しない。分かっていることがすべてだし、それを元に、判断がなされる」
「......どういう意味ですか」
「鳥、鳥...」
先生は、哲学者ではない。なにか、特別な宗教を崇めているでもない。ただ鳥が好きで、毎日毎日、鳥と向き合うような生活を、幼いころから継続してきたのだろうということは、壁に掛かる数多の写真から分かる。
「鳥が会話をしていたら、君はどうする」
「どう...。凄いことですよね! きっと世界中の科学誌に取り上げられますよ! それに、ペットの飼育環境とか、環境問題の解決にも繋がるかもしれない!」
「君は、どうする。鳥と話すかい?」
「話せる、んでしょうか」
「君は鳥と、話すのかい」
「あ、話せるのなら、話してみたいです。鳥以外でも。犬とか、猫とか」
「君は、鳥の言葉を理解できるのかい」
「え? いや、無理です」
「では、会話はできないな」
ふっと口を歪ませ、カメラを構える。
先生はこうして、毎日鳥の写真を撮っている。バードウォッチングというのではない。研究室の窓から見える細いサクラの木に、飛んできたり来なかったり。種類や、画角にこだわりはなく、ただ、鳥を好きでいたいというか、鳥の写真を撮ることが目的のように感じる。
「君は、鳥の言葉を理解できないと言った」
「はい...」
「鳥も同じだ。彼ら同士では言葉は分かるのに、君の話は分からない」
「そうですね」
「どちらが下等かね」
「下等...。優劣では語れない問題ですよ」
「鳥だろう。鳥の方が下等だろう」
はっきりと言った。
珍しいな。先生が。
「僕たちの方が、圧倒的に話す言葉が多い。多様だ。多岐だ。そうだろう?」
「はい...」
「鳥に、研究が理解できるか?」
「出来ない...んじゃないでしょうか」
「新規学習直後の視覚刺激が、記憶の固定化プロセスの阻害と忘却を促進すると言って、理解できるか?」
「...それは俺にも分からないです、ははっ」
「そうだろう、そうだろうな」
俺に対していったのか、それか、鳥に対してなのか。
「水槽の中のイソギンチャクだ」
「...はい」
「イソギンチャクは、そこが水槽だと理解しているのかな。人が、石油という太古の亡骸から作り出したアクリルの織に、仕方なく入れられているのだと、分かっているのかな。分かっていないだろうな」
「先生...えっと」
「水槽の外にはなにがあるのかな。机があって、道路があって、途方もない大きさのビルがあるのだろうな。それが数千と連なって、その先には海がある。海はとても広いだろうな。なんでも、地球の半分以上が海なんだからな。凄いよなあ。宇宙には星が限りなくあるんだ。水槽から出て、道を進んで、都会に出て、見える一面の水平線なんて、小さな湾の一角でしかない。船に乗って、湾を出て、沖に出て、それでも他の大陸になんか、まずたどり着かない」
「すみません、えっと」
「それを、イソギンチャクは知っているのかなぁ。宇宙よりももっと大きな何かがあっても、僕たちには分からないだろうなぁ」
「鳥...と関係あるんですよね」
「僕たちはさあ、鳥でもあるし、イソギンチャクでもあるんだね。僕たちは頂点さ。一番強くて、一番賢い」
「あ、そういうことですか! 確かに、地球では、一番賢いですよね!」
「そういうことではないんだ。僕たちは、僕たちの理解の中でしか物事を測れない。だから一番強いんだ。それよりももっと強い存在を、摂理を、現象を、僕たちは認識できないのだから。生き物は、その生き物の可能性の中で、もっとも賢くて、強い」
パシャリと、俺を撮る。
「鳥にとって、虫は弱い。でも、人間のことなんか、災害程度だと捉えているかもしれない。手の施しようがなくて、どうすることもできない」
「嵐も生き物かもしれない、と?」
「そうさ。嵐にとって、人間の会話は、取るに足らないちっぽけなもので、ああ、人が今日も鳴いているな、繁殖期かな、とか。ここに居る人は邪魔だし、駆除しよう。とか考えているのかもなぁ」
訳が分からない、はずだった。
「俺らは、俺らの能力でしか、物を判別できない。それは確かに、そうですよね。ここ何千年、科学の常識というのは都度変わっていったし、今思えば馬鹿らしいことも、その時代では至極真っ当だった...。細菌には虫の存在が理解できないし、虫は鳥の性能を理解できない。鳥は人の歴史を理解できない。人は...。なのに、人は考えない...。いや、考えたってどうしようもない。どうしようもないじゃないですか!」
「ふふっ、よくできたね」
先生は、口角に皺を作ってから、現像した写真を大切そうにアルバムにしまった。
終




