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聖女という名の籠の鳥

作者: 神崎みこ
掲載日:2026/04/29

 私の母は、美しい人だった。

この国では珍しい黒髪に、焦げ茶色の瞳。

華奢で儚げで、折れそうなほど細い腕で、時おり頭を撫でてくれたことを覚えている。

言葉を交わしたことはあまりなく、いつでもぼんやりと窓の外を眺めていた。

感情のない顔で、対外的には高位貴族であるうちの仕事に関わるそぶりすらみせなかった。それなのに、父も祖父母もそれを咎めることなど一度もなかった。

ありえない状況もあたりまえのように眺め続ければ、それが当然となる。

うちはそれが普通で、ずっと続いていくのだと思っていた。


母が死んで一年ほどになる。

廃人のようになってしまった父と、与えられた仕事に右往左往している自分。

そのさなか、この国はゆるやかに衰退の道へと突き落とされていた。

そのことを、後になって思いもしなかった来訪者から知ることができた。

もう、何もかも遅すぎるころになって。





「……、またか」


一瞬言葉につまり、それでも吐き出したそれはとても陳腐なものだった。

普通の獣とは違う、凶暴で強力な魔獣と呼ばれる生き物は、時おりその数を増やし人々の日常の生活を脅かすことがある。

各地の領主たちも、いや、国ぐるみで対策を講じたとしても結果は芳しくない。

本来、その獣一体に対して一個小隊を率いてなんとか退治できる脅威度だ。荒事に慣れた人員ですらそうなのであれば、一般の人間は為すすべもない。

その数が、じわじわと増加している。

もちろんそんなことは、あちこちから上がってくる報告書からわかってはいた。

だが、またもや大規模な被害、そして討伐に行った隊員の死亡報告を相次いで聞けば、うんざりするのも仕方がないだろう。

こういう王国の危機にさいしては、今までなら神の愛し子とも呼べる聖女が現れて、安寧へと導いてくれた。

歴史書を紐解けば、そういった苦難を彼女らとともに乗り越えていった文言があちこちに溢れている。

だが、もうこの国にはそんな奇跡は降りてこない。

それは、あの人、私の母が命を絶ったときから決められた運命だったのかもしれない。



 最初に覚えた違和感は、魔獣の数の急増だ。

聖女に救われて平和になり、その聖女がいなくなればその体すら獣の発生をなぜだか抑制する。

聖女が亡くなってまだあまり経っていないのに、すでに危険域に突入しそうになっていた。

自分が生まれる前、魔獣が跋扈し王都ですら安全な場所ではなくなった時期があったらしい。

王家や高位の神官たちがこぞって神に祈り、そしてこの国は聖女がもたらされた。

その人が現れた瞬間、ぴたりと魔獣が姿を現さなくなり、国は平穏な時を過ごすこととなった。

それは、まあこの国に住むものならば誰もが知る真実だ。

聖女さまは王弟へと嫁ぎ、数年前に亡くなられるまで幸せに過ごされたと聞く。

一応、親戚ではあるため繋がりはあるはずなのに、かの家と我が家はまるでやりとりがない。

祖父母などはそれでも付き合いはあったようだけれども。

彼女のおかげの平和は、それこそ今まで保たれていた。

聖女さまの祈りはずっと国を見守ってくれるのだな、と安心しきったところに、不穏な知らせが次々ともたらされた。

それが、ここにきて増えてきた魔獣の出現報告だ。

今はまだ、早めに対処することで人的被害を防ぐことができている。

長年にわたって築き上げてきた技術や情報があるおかげで、なんとかはなっている。

だが、これ以上増えれば単純に人的要因が足りない。

あれらに対処できるだけの兵士を育て上げるのは簡単なことではない。平時にはできればそういった支出は避けて通りたい、そんな甘い考えがじわじわとこちら側の余裕を削り取ってしまっている。

軍の一つの部隊を率いている立場といっても、所詮まだ若造だ。家柄がいいだけで選ばれた自分にはまだまだ発言権はない。

今ごろ、予算を預かる部署と、軍を率いる将軍あたりがきついやり取りを行っているだろう。

だが、そんな速度では早晩手詰まりになる。

そんなことぐらいは、みなわかっていたと思っていた。


「儀式、だと?」

「ああ」


副官が眉根を寄せながら返事を寄越す。


「そんな短い期間で行ってもいいものなのか?」

「さあ、知らねーけど、今のままじゃじり貧なのは確かだし」


もうすでに被害があちこちで起き始めている。

王室からも軍隊を出している。

けれども、実際魔獣に対していたのは前回の聖女の儀式以前で、二十年以上も前のことだ。対応する術が多少失われていても仕方がないのかもしれない。

前回の前、となると百年以上も遡らなければいけない。どうにもならなくなり儀式を行い、ぴたりと被害は減る、そして聖女が天に帰れば小康状態が長く続く。

そうやってこの国は平和を維持してきた。

だが、今回はその間隔があまりに短い気がした。

まあ、そうは言っても、これでようやく楽になる、と安易に構えていた。

そんな気軽な考えは、儀式失敗の報を聞いて、吹き飛んでしまった。



 魔獣の数は増え続けている。

一つ一つ対応はしていくものの、一向に突破口は見えない。

疲労が蓄積していき、隊員たちの数が櫛の歯が抜けるように減っていく。

ぎすぎすした雰囲気の部署へ、王弟と聖女の息子であるリアンさまがやってきた。

私は先代王の妹の孫なので、うっすらと血は繋がっている。

まるで付き合いはないのだけれど。


「忙しいところ申し訳ないね」

「あー、いえ、まあ」


貴族らしい遠回しな表現が苦手な自分は、思わず頷いてしまいそうになりごまかす。

そんな自分を気にもせずにリアンは口を開く。


「君の、君の母上のご遺体はどこにある?」

「遺体、ですか?」

「ああ」


彼の母親である聖女は、大教会の敷地内に埋葬されている。代々の聖女は同じところに眠ることとなっていて、それに習った次第だ。

自分の母は王家筋の家ではあるけれども、別にそんな規則はない、家の慣習にのっとって、いや、彼女の希望通りに執り行った。


「火葬したあと……」


言いかけた言葉に、彼は驚いて立ち上がる。

武骨な部下が入れた茶が、彼が動いた瞬間揺らめき机の上にこぼれ落ちる。


「なんで、そんな!」

「いや、母の希望で」


何に驚いたのかもわからないリアンを見ながら、母が死んだときのことを思い出す。

今でも、鮮明に覚えている。

まるで役に立たなくなった父と、何もかも終わって静かに安置されているだけの母。

そして何かを言いたくても何も言えない、といったような表情をしていた屋敷の者たちは、ただひっそりと自分たち親子を見つめていた。


「母上」


私の声は、むなしく壁へと吸収されていく。

その呼び掛けに応じる声は、もう発されることはない。

血の気を完全に失った頬に、くしけずられ綺麗に整えられた黒髪。

まるで眠っているかのような母は、うっすら笑顔さえ浮かべて寝台の上に寝かされていた。

毒を飲んだ、というのに苦しんだ様子さえなく、なにかやりとげたかのような表情にも見えた。

父は、普段は表情一つ動かさない冷血な男だと噂される人間だというのに、取り乱し、母にすがり付きながら慟哭している。

一方的に仲がよい夫婦だとは思っていた。

父は誰よりも母を大切にして、母はうっすらと困った顔をしながら、それでも受け入れていたように見えた。

放心状態の父を引き剥がし、粛々とその後の行程を進めていく。

葬儀はひっそりと、それが母の希望だったと残されていた。

いや、少なくとも立ち入り禁止だとしっかりと記されていた人物たちの中には、父の親友たちや王家までも含まれていた。

故人を優先して、母の言う通りに私と屋敷のものたちだけで見送る。

母は、神の側へと上がることができたのだろうか、と考えながら。


 母は、立ち入り禁止の人間たちだけでなく、自分の遺体の処分方法まで記していた。

この国で火葬は珍しい。それこそ強力な伝染病にかかった場合を除き、あまりそういったことは好まれない。

だが、母の国ではそれが普通だったらしく、それを強く強く希望するように示されていた。

廃人のようになにも考えられなかった父がある意味意識を取り戻す前に、さっさと母の言う通りにことを運んだ。

骨は海に投げ込んでくれ、という意見にも一部を残し従った。あまり希望を言わなかった母の最後の願いぐらい、叶えてやりたかったからだ。

母は、あまり自分のことを話したがらなかった。

遠い国から来たこと、もう帰る場所はないこと、そしてこの国が好きではないこと。そんなことをうっすらとこぼれ落ちた独り言から知ることができたぐらいだ。

正直、あまりかまってもらった記憶すらない。

父はいつも母にひっついては、あれこれ聞き出そうとしていたけれど、やんわりとそれを退け、いつもいつも曖昧に笑っていた。

どうしてそんな二人が夫婦になったのかは、いまだにわからない。屋敷の古参のものたちに聞いても、それこそ張り付いた笑顔のまま「存じません」と言われるだけだった。


「……おしまいだ」

「いや、おしまいと言われても」


自分が長い思考の海に沈んでいる間に、リアンはだらりと手足を弛緩させながらずるずると背もたれから重心をずらしていく。

脱力したように深くため息をつく。

両親のよいとこ取りをした、と言われる美貌がどこか陰ってみえるほどだ。

天井を焦点の合ってない目で見上げ、幾度目かのため息を吐き出す。


「これは、内緒なのだけれど」


その言葉で、控えていた助手が部屋を後にする。

高位貴族、聖女の息子である彼が言うことに立ち入ってはいけない、いや、立ち入りたくないというとても正しい行動だ。


「うちの母親は聖女じゃなかった」

「はぁ?」


身構えていたのに、あまりの内容に聞き返すような言葉しか返せない。


「実は、儀式の時に現れたのは母だけじゃなかった。母と、あなたの母親、二人が現れたらしい」

「母、が?」


疑問符しか浮かばないが、それでもどこかそれに対してしっくりくるものはあった。

遠い国、戻れない国。

そして、この国は嫌い。

それはそういう経緯をもってこちらに現れれば、そう思うのもわからないではない。


「それで、うちの母が聖女ってことになったのだけど」


それからは伝聞だけれども知っている。

愛らしく華やかな聖女は次々と周囲の男性たちを魅了し、そしてその中で一番地位の高かった王弟と結婚したということを。そうすれば聖女の安全は保たれるし、正直そうやって取り込んでしまうことが一番簡単な保護の方法だともわかっている。だが、噂の中にはひっそりと、聖女を嫌悪するものが混じっている。それはそのあたりのいざこざが影響しているのだろう、と考えていた。


「それでもずっと被害はなかったのだから、やっぱり聖女さまだったのでは?」

「いや、死んでからの被害の出方が違う。普通は穏やかに増加していくのに、まるでそんな被害はなかった。あなたの母上が亡くなるまでは」


ぴたり、となにかが当てはまる。


「そもそも、判定方法なんてないようなものなんだ、王家も教会もどちらか断定なんてできなかった。なのに母は聖女となった。どうしてかわかるかい?」

「いや」

「僕も聞いて驚いたんだけどね!親しくしていた男連中がよってたかって君の母親は追い払って、押し上げたんだってさ」


姿勢を正し、綺麗に座り直したリアンは焦点が戻った目に、侮蔑の色をのせて吐き捨てる。

その親しくしていた、という男性たちの名を尋ねれば、きっちりとそれは母が立ち入り禁止だと記していた人たちだった。

そんなころからずっと、母は恨んでいたのかもしれない。


「性格がいいとは言えなかった、いや、悪かったのだけれど、それでも聖女さまだからね、家では女王さまのようにふるまってさ。僕のことはともかく、妹のことは蛇蝎のごとく嫌ってたけどね」


彼の家の関係はまことしやかに噂されてはいた、さっさと嫁いでいった彼の妹は、実家には一度も顔をみせていない、と言う王弟の愚痴とともに。


「だから、うちがもう一人である母をかくまった、ということか?」

「そうなんじゃないかな?地位も申し分ないし、君の父上は血迷ってなかったらしいから」


自分の母親への思いを、血迷い事だと切って捨てるリアンの表情はどこか厳しい。


「母と同年代の女性陣に聞いて回ったんだ、実は。妹にも協力してもらってね」


一般の国民は聖女さまをありがたがっていた、そしてそれは貴族連中もそうではあった。だが、どこか別の何かが含まれていたような気がしたのも事実だ。どちらかというと朴念仁寄りの自分にすらその雰囲気は感じ取れた。


「それで、なんとなく気になって色々調べていたところに君の母上の訃報が届いたんだ。そして今にいたる。正しい聖女は君の母親だ。

正直、僕はほっとしているんだ、あれが聖女なんかじゃなくて」


沈黙が降りる。

彼は誰かに話してしまいたかったのか、ひどく落ち着いている。


「だから、君の母上がちゃんと安置されていたら、この国は当分安全だったはずなんだ」


その事実が圧し掛かる。

あの時点ではそんなことは知らなかったのだから、仕方がない。

仕方がないとはいえ、被害が出始めている今ではそんな言い訳すらしたくない。


「あのさ、言いたくなかったらあれなんだけど、ご病気、だったのかい?」

「いや」


家の外へと漏らさないようにしていた秘密が、つらっと吐き出される。

自分もどこかで聞いてもらいたかったのかもしれない」


「自殺だ。毒を自らあおった」


その瞬間のことも覚えている。

珍しく父がいて、自分がいて、自室からあまりでない彼女がサロンにいた。

相変わらず折れそうなほどの体躯に、薄いショールを羽織り、うっすらと笑っていた。

体調が思わしくなかった母は、特製の車イスに乗せられ父の隣に寄り添う。

お気に入りの紅茶に、はちみつの瓶から一匙、二匙とその液体を垂らし、ゆっくりとかき混ぜ適温になるまでぼんやりと手で抱えていたカップに口をつける。

そして、ゆっくりと、それでも最後までそれを飲み干した。

いつもにはないその挙動に、しばし父と一緒にそれを眺めた。


「これでもう聖女は現れない、ざまあみろ」


ひどく冷たい顔で、ひどくしゃがれ声で、母は宣った。

次の瞬間にはぐらり、と体が揺れ、その体躯が地面へと落ちた。

人、一人が落ちたにしてはずいぶんと軽い音だな、という意味のない感想がよぎった。

満足そうな顔をして母は、一瞬でその命を散らしていた。

最後の、その時には意味不明な言葉を残して。



「そっか、そっか。恨んでたんだ、やっぱり」


最後の瞬間を話せば、何度も頷く。

彼が調べていたことが、こちらからの情報でようやく理解できたのだろう。

そして、それは、もうこの国には便利な聖女など現れない、という現実とともに。



結局、母親のわずかな骨は王都を守るぐらいの効果はあったようだ。

だが、いつまでもはもたない。

その間に今まで渋っていた物理的な対策や、兵の再訓練と再編成を行うこととなった。

あれから教会は神の声など聞こえなくなり、どれだけ祈っても願いを聞き届けることはできなかった。

それは、かの方の愛し子をむざむざ自死に追い込んだ自分達を見限ったから、なのかもしれない。

それでも自分達は生きていかなければいけない。

母が恨んだこの土地を、私は諦めることはできないのだから。




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― 新着の感想 ―
大変興味深く拝読いたしました。 二人の女性が聖女として召喚されて…というお話はよく見かけるし、本物は実は…という顛末も読みますが。 子供世代のちょっと冷めた感じのする「その後」は面白かったです。 「聖…
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