第6話 ヒカリ
次の日。
目覚ましの音に目を覚まして、私は異変に気づいた。
ヒカリが来ない。
いつもこの時間は起こしに来てくれたのに。
リビングに出る。
妙に静かだ。
人の気配はない。
「ヒカリ?」
声を掛けるも、返事はなかった。
家中を探し歩く。
どこにもヒカリの姿はない。
「出掛けたのかな……」
見ると、ヒカリ用に作った予備の鍵がリビングのテーブルに置かれていた。
忘れて出てしまったのだろうか。
そんなことは初めてだったが、あり得ない話じゃない。
「困ったな、今日これから仕事なんだけど……」
結局その日は、鍵を開け放して家を出ることにした。
危ないかもしれないが、ヒカリを締め出す訳にもいかない。
一日くらい大丈夫だろうと言う気持ちが勝った。
仕事をしていても、ヒカリのことが気に掛かる。
ちゃんと家に帰れただろうか、どこに行ったのだろう。
そんなことを考えて仕事が手につかない。
すっかり夜遅くなってしまい、急ぎ足で家に帰る。
帰宅する頃にはもう深夜だった。
家のドアに手を掛ける。
鍵は開いたままだった。
「ヒカリ!」
ドアを開けると同時に叫んだ。
しかし家は真っ暗だった。
ヒカリは帰って来ていない。
私はすぐに着替えて家を出る。
ヒカリを探すために。
まさかと思った。
いつかはこんな日が来るかもしれないと分かってもいた。
でも去り際くらい、ちゃんと挨拶はしてくれると思っていた。
「ヒカリ! どこ!?」
夜の街を駆け抜けながらヒカリの名を呼ぶ。
しかし答えてくれる人はない。
ヒカリはとうとう見つからなかった。
結局、何時間も探した後、私は諦めて家に戻ることにした。
既に空は白み始めており、どこか遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。
一晩中走り回ったから、すっかりクタクタのボロボロだ。
疲れ果てて足もパンパンだった。
数時間後には仕事だ。
こんな時ですら仕事のことを考えてしまう自分が嫌になる。
いいや、もう今日は休んでしまおう。
怒られるだろうけど、もうどうだって良い。
ヒカリのいない生活なんて、どうでもいい。
リビングのソファに座って、しばらく呆然としていた。
改めて見るとうちのリビングはずいぶん広い。
ヒカリがいたから、そんな感覚抱くこともなかった。
ヒカリが居た我が家は、明るく、賑やかで。
部屋が広いことに気が付かないくらい慌ただしく、満ち足りていた。
ふと、スタンドに立てかけられたギターが目に入った。
ヒカリが大切にしていたギター。
あんなに大切そうにしていたのに置いて行ったらしい。
何気なく手に取ると、弦のところに小さな紙切れが挟まっていることに気がついた。
何だろうと思い手に取る。
それは手紙だった。
たどたどしい、まるで幼稚園児が書いたみたいな震える線で一言だけ書かれている。
『私を弾いてくれてありがとう』
その手紙を紡いだ人物に、私は一人しか心当たりがない。
「意味分かんないよ……ヒカリ」
ギターを鳴らすと、その音がどこかヒカリの声に重なった。
私はそっと、ギターを弾く。
作っていたあの曲を。
あれだけ考えても一文字も浮かばなかった歌詞が、自然と口から溢れ出た。
この歌に足りなかった物。
それは明確なテーマだった。
誰のために歌うのか、何のために歌うのか。
その明確な目的が、私の歌になかった。
しかし私は思うんだ。
このギターを鳴らすことは、ヒカリが居たことを証明することにもなるんじゃないかって。
彼女が確かにここにいたことを、伝えられるんじゃないかって。
言葉が溢れてくる。
ずっと作れなかった歌が、瞬く間に出来上がっていく。
これは歌だ。
ヒカリの為の、歌なんだ。
◯
西沢さんから連絡が来たのは、ヒカリが居なくなって一ヶ月後のことだった。
またバジルでスタジオライブをするのだと言う。
「出てみるかい?」
「はい」
私の声に、迷いはなかった。
「出てみたいです。人前で歌ってみたい」
電話を切ってから、そう言えば人前で演奏するのは以前ヒカリと外で練習した時以来だなと感じる。
でも、今は前よりずっと上手く歌える気がする。
ヒカリが居なくなってからも、私はギターを続けていたから。
私が呼ばれたバジルのイベントは、とても小規模なものだった。
初心者が多いイベントらしく、会場の空気は緩い。
「お久しぶりです」
「おぉ、梢さん。待ってたよ。今日は出てくれてありがとう」
「こちらこそ。誘ってくださってありがとうございます」
私が西沢さんに挨拶をしていると、ふと視界の端に見覚えのある人の姿が映る。
先日のライブで会った滝田さんだった。
私がペコリと頭を下げると、彼も頭を下げてくれる。
覚えてくれていたらしい。
「滝田さん、曲、作ってきました」
「ほぉ? 楽しみにしているよ」
私が言うと、眼の前の人の良さそうな老人は心底嬉しそうにくしゃりと笑みを浮かべた。
「じゃあ、そろそろライブを始めます」
西沢さんの号令でライブが始まり、やがてすぐに私の番になった。
弾き語り形式だからか準備もすぐに終わり、早々に本番だ。
共演者やお客さん、たくさんの人に囲まれる。
以前ここに来た時は、それがとても怖いことのように思えた。
孤独感に苛まれ、それでも大勢の人と対峙せねばならないと感じていたのだ。
でも、違う。
ここにいる人たちは、私の曲に耳を傾けようとしている。
目当てでもない、知りもしない私の歌を聴こうとしてくれている。
私の歌を聴いてくれる人がいることがどれほどありがたいことなのかを、私は知っている。
「初出演です。よろしくお願いします」
私が言うと、パチリパチリとまばらな拍手が上がった。
深呼吸し、指先の感触を確かめて、私はギターを弾く。
カバーで何曲か弾いてみる。
調子がいい。
いつもより声がしっかり出ている気がする。
聴いてくれている人がいるおかげだろうか。
私は知らなかった。
ライブの高揚感を。
このステージの楽しさを。
誰かに歌を聴いてもらえることの喜びを。
これはきっと、ヒカリと出会えなかったら知らなかった感覚だ。
「次が最後の曲です。最後は私のオリジナルソングです。生まれて初めて歌を作りました。私の大切な友達のことを歌った曲です。彼女と一緒に過ごした時間は短かったんですけど、毎日仕事ばかりだった私に、生きてる意味を与えてくれました」
バジルの客は私の声に耳を傾けてくれている。
私は、この人たちに伝えたいと思う。
私のことを救ってくれた、かけがえのない友達のことを。
「彼女にありがとうと言いたくて。でも言えなかったから、歌で伝えたいです。いつかこの歌が、彼女に届いて欲しいと思って。今日、ここにいる人たちにも、彼女のことを知ってほしい。だから、聴いてください」
顔を上げた。
「『ヒカリ』と言う曲です」
私がギターを弾くと、その場にいるみんなが耳を傾けてくれた。
ヒカリが消えてしまった日に完成した、ヒカリの歌。
その歌を、私は歌っている。
今でも思うことがある。
ヒカリは私が見た幻だったのだろうかと。
横浜の楽器屋さんでも、誰もヒカリを見ていなかった。
西沢さんや、滝田さんも、ヒカリに気付いていなかった。
でも少なくとも、ヒカリが居なかったら私は今日こうしてギターを弾いていない。
彼女はたしかに私と同じ時間をすごしていた。
私が手にしたギターと。
そして、今口にしているこの歌が、その証拠。
皆が聴いてくれる。
体を揺らしてくれている人も居る。
そのことが、私はとてもありがたいなと思う。
ヒカリと暮らしてから、色あせていた私の人生は変わり始めた。
最近では転職活動も始めていて、面接も順調に進んでいたりする。
仕事から帰って、歌を作って、これからのことを色々考えられるようになった。
やりたいことができた。
会いたい人や、会うべき人もできた。
世界が色づき始め、たくさんの光に満ち溢れた。
ヒカリは、私にとっての光だった。
これからも私は歌い続けようと思う。
次にヒカリに会う時までに、もっともっとギターを上手くしたい。
たくさん曲を作って、ヒカリに聴かせてあげるんだ。
そして、いつか彼女にもう一度会えた時には、最高の歌でこう伝えよう。
私と居てくれてありがとう、と。
――了




