第5話 ギターの持ち主
「今日は有難うございました」
イベントが終わり、私は西沢さんに頭を下げた。
「楽しんでもらえたかな?」
「それはもう! めちゃくちゃ良かったです」
「なら良かった」
最初は居心地の悪かった空間も、終わってみれば楽しい場所に思えてきた。
気が乗って、他のお客さんや出演バンドの人たちと話もしたくらいだ。
バンドに対する苦手意識はだいぶ薄れたと思う。
「君も良かったら、今度出てみないかい?」
「私が……?」
「外で弾き語りの練習をするなら、ちょうどいい度胸試しになると思うよ」
「それは確かに……」
ライブで歌う人を見て、自分も歌いたいと思った。
誰かに自分の歌を聴いてもらいたい。
不安もあるけれど。
「でも、私がやってるのって既存曲のコピーと言うか、カバーなんですけど。そんなのでも良いんですか?」
「コピーバンドもたくさん出てるよ。でも、どうせなら君だけの曲を作ってみたらどうだい?」
「私の曲? オリジナルソングってことですか?」
「そうだね」
「私に作曲なんてできるのかな……」
悩んでいると、「慣れればそんなに難しくはないよ」と背後から声を掛けられた。
滝田さんだった。
穏やかな表情で、私を見つめてくれている。
「コードが分かるなら、まずはやってみてもいいんじゃないかい?」
「でも……」
「作曲っていうのは表現だ。自分が伝えたいことを、メロディに乗せて人に伝える。それは、とても楽しいことだよ」
「私が伝えたいこと……?」
「君が思っていることを君の歌で伝えるんだよ」
滝田さんが言うと、西沢さんもうんうんと頷く。
でも私は、即答することができなかった。
「ちょっと……考えてみます」
◯
バジルを後にした私たちは、トボトボと家路につく。
一応、西沢さんからはSNS経由で連絡先だけもらった。
先程まで明るかった空はすっかり暗くなっている。
「何だか今日は色々あって疲れたね」
「梢、曲作るの?」
「うーん、どうしようかなぁ……」
作曲を勉強して、歌詞も考えて。
そんなバイタリティ、今の私にあるんだろうか。
私が悩んでいると、ヒカリは「私、聴きたい」と言った。
「梢の歌、聴いてみたい」
彼女の目はとても真っ直ぐだった。
真剣な表情で、よどみなく私を見つめてくる。
ヒカリの目にはいつも迷いがない。
故に、彼女の言葉には嘘偽りが一切ないのだと気付かされる。
だから私は彼女の期待に応えたくなってしまう。
ヒカリのキレイな顔に影を落としたくないと思うから。
そうして、私の作曲の日々が始まった。
作曲のことなんてまるで分からないから、一から勉強をした。
作曲はセンスと経験で行うものなのだと勝手に思っていたが、ある程度キチンとしたルールがあるらしい。
既存の曲と照らし合わせながら学んでいると慣れてくるもので、最初はさっぱり訳がわからなかったものも、徐々に意味が分かるようになってきた。
この音の次はこの音……と言うようにある程度決まってくる。
まるでパズルゲームみたいだな、と感じた。
会社にいる間も隙を見つけては作曲とギターの知識を頭に入れた。
それまで仕事ばかりだった私の生活に、どんどん音楽が侵食してくる。
だけど、嫌じゃない。
むしろ楽しい。
着実に出来上がっていく曲は、ずっと同じ時間を繰り返していた私の人生を確かに動かしてくれていた。
会社で構想を練って、家で色々試して、出来上がった曲をヒカリに聴かせる。
私の曲を聴いたヒカリは、いつも子供のように無邪気に喜んでくれた。
彼女が美しく微笑んでくれているのが、私は嬉しい。
「もう曲、できそうだね」
だいぶ曲が形になってきたある時。
ヒカリが嬉しそうに微笑んだ。
私はそっと肩をすくめる。
「まだだよ。曲の進行やメロディはできてきたけど、肝心の歌詞が全然だもん」
歌の要は何より歌詞だ。
作曲者の気持ちや考えを歌詞に乗せて、音で伝える。
それが歌の醍醐味だと私は思う。
だけど、それって逆に言えば、何か主張したり、伝えたいことがなければならないってことじゃないだろうか。
私の中には、人に伝えたい大層なメッセージも、使命感もない。
流されるがまま日常を生き、追われるがまま仕事を続けてきただけのつまらない人生だ。
結婚適齢期なのに彼氏の姿も無く、親には行く末を心配される。
そんな私が曲を作ってまで伝えたい事ってなんだろうと考えては、空っぽな自分の中身を残念に思うのだ。
私が一人で唸っていると、後ろからそっとヒカリが腕を回して抱きついてきた。
私のすぐ横にヒカリのキレイな顔がある。
「梢、もう一回歌って?」
「歌詞もないのにそんなに聴いてどうすんのさ」
「聴きたい」
仕方ないな、と思いながらも求められることに悪い気はしない。
私はギターを弾きながら、鼻歌で旋律を歌う。
ヒカリは私の曲を、目を瞑って幸せそうな微笑みを浮かべながら聴いていた。
最後まで弾き終わると、ヒカリは小さく何度も頷いた。
まるで、咀嚼するかのように。
「きっと、このギターも喜んでるね」
ヒカリはそっと、私の抱えた白いギターを撫でた。
「このギターを持っていた人はね、もう居ないの」
「居ない?」
「ずっと大切にしてくれてたけど、動かなくなってしまったの」
「動かなくなったって、どういうこと?」
しかしヒカリは私の質問には答えず続けた。
「その人が居なくなって、弾く人がいなくなった時、持ちものを全部捨てることになったの」
「捨てられるって、その人に家族は?」
私の質問に、ヒカリは首を振った。
二百五十万ものギターを使う人。
普通に考えたら、金持ちの道楽だと思えるけれど。
その人が人生をギターに捧げていたのだとしたら、ヒカリ以外に頼れる人がいなかったのかもしれない。
「それで、ヒカリはギターを持って家を出たんだ?」
「うん」
「その人とヒカリはその……一緒に暮らしてたの? 付き合ったりとか」
「私は……」
ヒカリは何か言いかけて、やがて口を噤んだ。
躊躇する、と言うよりはヒカリ自身よく分かっていない様子だった。
このギターの持ち主とヒカリは、どんな関係だったのだろう。
「家を出たけど、どこにも行く場所がなくて。そしたら、梢が私を拾ってくれた。行き先がない私に、居場所を与えてくれた」
「だからギターもヒカリも、あんなにボロボロだったんだね……」
「うん」
ヒカリは、私の手にそっと自分の手を重ねる。
「今は私、幸せ」
ヒカリは顔を上げる。
「ありがとう、梢」
「ヒカリ……」
ありがとうを言いたいのはこっちの方だ。
暗闇で塗りたくられた、死んだような日々。
そんな私の人生に、ヒカリは現れてくれた。
私に人間としての息の仕方を教えてくれて。
生きる楽しさや、意味を届けてくれた。
それだけで私は、もう何十も何百も深い感謝を抱いてるんだから。




