第4話 知らない世界
西沢さんに先導され後ろを付いて歩く。
二分も歩かないうちに、妙にボロボロなビルに辿り着いた。
今どきエレベーターも設置されておらず、階段で登るらしい。
怪しい場所に連れ込まれるのではないだろうか。
内心冷やついていると、階段の入り口に小さく立看板が出ているのに気づいた。
「スタジオバジル?」
首を傾げる私に「リハーサルスタジオだよ」と西沢さんは告げる。
なんだかよく分からないまま、階段でどんどん上へ登らされた。
普段デスクワークだからすぐに息が上がってしまう。
「運動しないと、ダメだ、な……」
「梢、もうちょっと!」
「ヒカリは、元気、そう、だね……」
私が息を上げていると「ここだよ」と西沢さんは告げた。
彼の肩越しに、そっと中を覗き込む。
小さなカウンターとテーブル、そして冷蔵庫が置かれた受付。
楽器の部品やスピーカーなどもあり、聴いたこともないバンドの曲が流れていた。
何よりも目立ったのは、ボロボロの内装に似つかわしくない、綺麗で分厚い防音ドアだ。
同じような部屋がいくつかあるらしい。
今は誰も入っていないらしく、ドアは全て開け放されていた。
受付は小汚いが、ドアの中はカーペットが敷かれ、清潔感がある。
大きなアンプやドラムが置かれていて、壁の一面が鏡になっていた。
バンドマンが練習するようなスタジオなんだと気がつく。
どうやらここは、本当にリハーサルスタジオらしい。
「とりあえず座りなよ」
促されて何となく入り口横のパイプ椅子に座る。
テーブルもボロボロ、カウンターもボロボロ。
色んなバンドのステッカーやポスターがそこら中に貼ってある。
典型的なイメージの古き良きスタジオと言う感じだ。
何だか体よくお客さんにされてしまったような気がする。
内心ため息を吐いたが、私の向かい側に座ったヒカリは物珍しそうにキョロキョロして楽しそうだったので、それだけで良いかと思えた。
「何か飲むかい?」
西沢さんが受付奥の冷蔵庫を開く。
中には沢山の飲み物が入っていた。
よく見るとその大半はお酒だ。
冷蔵庫いっぱいに埋め尽くすような缶チューハイや缶ビールが入っている。
……飲みながら経営しているんだろうか。
私が訝しげな表情をしていると、視線に気づいた西沢さんが口を開いた。
「今日はここでスタジオライブがあるんだ。それで買い出しをしててね」
「ライブ?」
「せっかくだから見ていくと良い」
「はぁ……」
言われてもちょっとピンと来ない。
こんなところでライブなんてできるのだろうか。
不思議に思っていると「ビールで良いかい?」と言われて思わず「はい」と答えてしまう。
「はい、ビール」
「あ、どうも」
大手スーパーのプライベートブランドのビールだ。
ヒカリの分は、と思ったけれど考えてみればヒカリは未成年か。
いや、そもそも年齢もよく知らないな。
ヒカリと暮らして結構経つけれど、未だにヒカリの生い立ちを知らない。
と言うよりも、彼女のことはほとんど知らない。
何となくビールを口に運んだ。
案外美味しい。
これくらいなら今度自分で買うのも有りだな、なんて考えていると「こんちわ」と知らない男性が入ってきた。
男性の四人組で、歳は二十代前半くらい。
楽器を背中に背負っている。
スタジオのお客さんだろうか。
目が合う。
ちょっと気まずい。
と言うか怖い。
考えてみれば、バンドマンという人種と人生で触れ合ったことが今までないのだ。
チャラくて凶暴で恐ろしい人間というイメージしかない。
そんな人間と交流できる気がしなかった。
私が不安を飲み込むようにビールを煽ると、その様子を不思議そうにヒカリが見てくる。
「こんにちわ。今日はよろしく」
「あぁ、滝田さん。いらっしゃい」
すると次にやってきたのは、六十歳くらいのおじいさんだった。
白髪で上品そうだが、背中にはギターを背負っている。
この人もお客さんだろうか。
すると先程の四人組が、滝田と呼ばれたおじいさんに向かって「よろしくお願いします」と頭を下げだした。
知り合いだろうか。
私が疑問を抱いていると、いつの間にか横にいた西沢さんが「みんな今日のライブの出演者だよ」と補足してくれた。
「ウチでは色んなバンドが出演するからね。それこそ十代のバンドから、七十のおじいさんまで、様々だよ。横の繋がりを作るのが、ここの目的なんだ」
「へぇ……」
世の中にはそんな場所もあるんだな。
バンドやライブなんて、チャラチャラして遊びみたいなものだと思っていた。
でも、そうでもないらしい。
やがて、徐々に今日のスタジオライブの出演者たちが集まってきた。
先程の滝田さんはどうやら常連らしく、若手の男の子や女の子に頭を下げられている。
実は結構な大物なのだろうか。
すこしして、奥の広いスタジオで一番目のバンドが準備を始めた。
「そろそろ始めますよ」と西沢さんが言い、中に通される。
室内は二十人くらいが入れそうなサイズのなかなか広い部屋だ。
ギターやベースのアンプが端に寄せられ、演奏スペースと観客スペースに分けられていた。
ステージらしいステージはない。
いかにも普通のスタジオをライブ仕様にしましたという感じだ。
私の想像しているライブハウスとは雲泥の差だった。
私以外の客もいるみたいだったけれど、いずれも出演者の顔見知りらしい。
和やかな雰囲気なのは良いけれど、ちょっと内輪ノリっぽい感じもして少し居心地が悪い。
「じゃあ、一バンド目の『noisy girl』です。よろしくお願いします」
カッカッカッとドラムのスティックカウントで音楽が始まる。
大きな音が肌にぶつかってきて、体が揺れた。
ビリビリとした音と、音楽に合わせて揺れる観客。
でも旋律はキレイで、不快感はない。
ギターが絡み合うようにハーミニクスを生み出していて、心地よさすら覚えた。
もっとデスメタルみたいなものを想像していたけど、これなら聴いていられる。
演奏者たちはそれぞれが楽しそうで、体の動きで音の変化を表現しているのだとわかった。
まるで演劇のようにも見える。
演奏をしながら、肉体で表現をしているのだと感じた。
すごいな。
こんな世界があるんだ。
今まで踏み込んだこともない世界の情景に、ただただ圧倒される。
ヒカリはと言うと、私のすぐ横で楽しそうに体を揺らしていた。
本当にこの子は音楽が好きなのだろう。
あっという間に一番目のバンドの演奏が終わった。
続いてすぐ二番目のバンドが演奏を始め、やがて滝田さんの番になる。
すると滝田さんは、おもむろに私が持っているものと同じようなアコースティックギターを取り出した。
弾き語りをするらしい。
先程までバンドばかりだったから、こうして弾き語りとしてポツンと座られるとずいぶん頼りなく見えた。
こんな風に一人でたくさんのお客さんと向き合うことは、かなりの孤独だ。
「ここに出てもう三十年以上にかな。最初の頃から出させてもらって、以来ずっとお世話になってる。ここは私にとっての思い出の場所なんだ。今日来てくれているお客さんや、共演者のみんなにも、ここが思い出の場所になってくれると嬉しいね」
滝田さんはそう言って、手にしたアコギを爪弾く。
まるでギターが歌っているかのような美しい音色だった。
ジャカジャカ弾いているだけの私とはまるで違う。
本当に同じ楽器なのだろうか。
その手腕に、その場にいる誰もが魅了されていた。
「私もいつか、こんな風になれるかな……」
ここにいる若者たちが滝田さんに敬意を示していた理由が分かった気がする。
私は目を瞑ると、滝田さんの美しいギターの音に耳を傾けた。




