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ヒカリ  作者:
2/6

第2話 彼女の白いギター

 翌日、ギターを持ってヒカリと共に街に出た。

 ただ、そもそもこのギターにはケースがない。

 裸のままギターを持ち歩かねばならず、視線が私たちの方へと集まってきて、酷く気まずかった。


 何でギターケースもないんだろうなんて、今更な疑問が思い浮かぶ。


 目的の楽器屋は、横浜駅から徒歩数分のビブレの中にあった。

 ギターのリペアを依頼して、見積もりの待ち時間にアコースティックギター用のケースとチューナーを購入する。


 どれを買えばよいかわからなかったので、ケースは一万円ほどの背負えるタイプのものを、チューナーはネックに挟んで使うクリップタイプの物にした。

 その間、ヒカリは私の周囲でウロウロしながら楽器を見て回っていた。


 ヒカリがいる場所は、まるでそこだけ空間が違うかのように異質だ。

 彼女がどこに居てもすぐに分かる。

 ただ、周囲の人たちがヒカリには目を留める様子はなかった。

 これだけ綺麗な女の子が歩いていたらさぞかし目立つだろうと思っていたのだけど、意外と他の客の視線は人間よりも楽器へ向いているのかもしれない。


 約三十分ほどして、ようやく見積もりが完了した。


「ご、五万円!?」


 思わず大きな声が出てハッと口を抑えた。

 こちらに注目した周囲の目線が散っていく。

 せいぜい一、二万円だと思っていたからすっかり油断していた。

 少しだけ声をすぼめて私は店員に尋ねる。


「なんでそんなにするんですか……?」


「結構ギターが傷んでるんですよね。多分長く使われたからかなと。弦の張替えに、ネックの反り、あと弦高の調整にフレットの交換もあって、もろもろ重なったって感じです」


「うええ……マジかぁ。買い直したほうが安いかなぁ?」


 私が尋ねると、後ろにいたヒカリがふるふると首を振った。嫌らしい。

 同調するように「買い直すなんてとんでもない」と店員が言った。


「そのギター、二百五十万くらいするんで、修理してでも使ったほうが良いですよ」


「はっ……? 二百五十万!?」


 耳を疑った。店員は頷く。


「これ、マーチンの最上位モデルですよね。かなり良いやつですし、メンテしたらまだ全然使えるんで流石に勿体ないかなと。ご存知じゃなかったんですか?」


「はぁ……私のじゃないんで」


 そんなすごいギターだったのか。

 そんなものをケースにも入れず裸で持ち歩くなんてどうかしている。


 これでますます、ヒカリのことが分からなくなった。


「それで、どうします? 修理」


「……お願いします」


 ギターが修理から戻って来たのは、十日後だった。


 ◯


「ただいまぁ」


「おかえり、梢」


 私がいつものように帰宅すると、ヒカリが出迎えてくれる。

 この光景にも、ずいぶん慣れてきた。


 玄関に来たヒカリに、私はフフンと不敵な笑みを浮かべる。

 ヒカリはどうしたのだろうと不思議そうに首を傾げた。

 私は後ろを向き背中に背負われた『それ』を見せる。


「じゃん。どうよ。ギターの修理終わったんだ」


 私は修理から戻ってソフトケースに入れられたあのギターを背負っていた。

 それを見てヒカリが目をキラキラと輝かせる。


「ギター!」


「そう。嬉しいっしょ?」


 このギターを回収するためだけに今日は会社を早退した。

 風邪と偽ったせいで行かなくて良いはずの医者に行く羽目になったが……毎日深夜まで残業して徒歩で帰宅しているのだ。ちょっとくらい良いだろう。

 と思いながらも、胸の中にしっかりと罪悪感がある自分の気の弱さに辟易する。


 でも、そんな気持ちもこの笑顔を見ていると吹き飛ぶような気がした。


 嬉しそうなヒカリの笑顔。

 それはまるで花のようだった。


 ギターがない間、ヒカリはどこか寂しそうに見えた。

 心ここにあらずというか、魂が抜け落ちたかのようだったと言うか。

 どうやら彼女にとって、このギターはよっぽど大切なものらしい。


 もちろん二百五十万もするのだから、大切じゃないはずないのだけれど。

 それ以上に、このギターに深い思い入れのようなものがあるのだと感じたのだ。


 自室で着替えを済ませて戻ってくると、すでにケースから取り出されたギターをヒカリはいつものように爪弾いていた。

 楽器屋さんがチューニングを済ませてくれていたらしく、その音は今までと違い軽やかで美しい。

 音色を聞いたヒカリは、嬉しそうに微笑んでいた。

 その姿を見て、私まで嬉しくなる。


「良かったね、ギター直って」


 私が言うと、ヒカリは私の方を向いてそっとギターを差し出してきた。


「梢、弾いて」


「はっ?」


 予期せぬ言葉に眉を寄せる。

 しかしヒカリが気にする様子はない。


「ギター。弾いてほしい」


「いや、弾いてほしいっつっても。ギターなんて弾けないんだけど……」


「ダメ?」


 ヒカリの瞳がうるうると輝く。

 うう……そんな目で見るな!

 私は折れると、そっとため息を吐いた。


「言っとくけど、マジで弾けないからね」


「大丈夫。弾いてほしい」


「わかったって」


 確かギターケースのポケットにピックが入ってたっけ。

 私はピックを手探りで取り出すと、スマホで『ギター 楽譜 無料』と調べてみる。

 案の定、有名な歌のコード進行と、押さえる場所が図面で載っているサイトがあった。

 それを見ながらギターの弦を抑え、ピックで弾いてみた。


 だが、全然ちゃんと音が鳴らない。

 ペン、と情けない音が鳴るだけだ。


 そもそもこの図面、どちらが上でどちらが下か全然わからない。

 一弦と六弦って書いてあるけれど、どちらが一弦だ?

 それに爪が長くて上手く弦を押さえられない。

 忙しくて爪のメンテナンスなんてろくにしていなかったから当たり前だ。

 曲を弾くどころじゃない。


 散々楽譜を調べた後、ようやく一個だけちゃんと和音を鳴らすことができた。


「鳴った……」


 私が呟くと、ヒカリは嬉しそうな笑みでパチパチと小さく拍手した。

 大したことじゃないはずなのに、それが何だか嬉しい。


「梢、もっと弾いてほしい」


「いよっし、やったるかぁ」


 結局その日は、数時間くらいギターの練習をした。


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