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「ら」抜き言葉とかじゃなくってさ

作者: 大桑

 短編エッセイ『「何で来んの?」〜話し言葉で書いただけなのに〜』に続く、話し言葉や方言の文字列のお話です。苦手な方はご注意ください。

 話し言葉をそのまま書いたときの例として


「あぁ、それは()れんな。」


と表記しました。その解説として、


「あぁ、それは来られないな。」


と書き言葉を見せました。



 このとき、実は意識的に「来"ら"れないな。」にしたのです。


「来れない」は「ら」抜き言葉だと、頭の片隅で声がしました。


ですが、「来られない」には何か違和感があります。


もちろん上一段活用、下一段活用、カ行変格活用の動詞の連用形に付く「られる」の未然形である「られ」は、受け身・尊敬・自発・可能の助動詞ですから、ここでは可能の意で使っていながら、尊敬にも見えてしまうという違和感なら話は簡単です。


ただ、どうもその違和感ではありません。


前作のエッセイを執筆したときは、「来れない」はら抜き言葉だという文法知識を信じて、違和感に目を瞑りました。



 しかし、この違和感は単にら抜き言葉に由来するものではなかったのです。



 私の方言では、「できん」「されん」「しきらん」があります。


よく漢文の「不可」「不得」「不能」で説明するのですが、これらは責任の所在が異なるのです。


「できん」は特に責任を言及していません。


一方で「されん」は話し手以外に責任があって、「しきらん」は話し手の問題であるようなニュアンスを含みます。


方言話者にもあまり意識されていない区別だとは思いますが、無意識な使い方として、私はこう認識しております。


つまり


A「明日の飲み会、(なん)()んの?(明日の飲み会はどうして来ないの?)」


B「明日は彼女が誕生日なんよね。結構前から約束しとったけん。(明日は彼女が誕生日なんだ。結構前から約束していたから。)」


A「あぁ、それは来れんな。そしたら、また誘うわ。(あぁ、それは来られないな。そういうことなら、また誘うよ。)」


B「おう、ありがと。(うん。ありがとう。)」


という会話の中で


「それは来られんな。」にしてしまうと、ニュアンスが変わってしまうのです。



「来れん」は「できん」に対応します。Aさんは責任の所在は言及しておらず、彼女さんとの先約を優先するのは飲み会を断る理由として正当だと肯定している立場です。


「来られん」は「されん」に対応します。


「それは来られんな。」


と言うと、Aさんは飲み会に参加できないことについてBさんの責任ではないとみなしているので「来るわけにはいかない」といったニュアンスが乗っかります。


それは、彼女さんとの先約を優先することの正当性を強める反面、"本当はBさんが飲み会を優先したくても"参加することができないというニュアンスまで含めてしまうのです。


このとき、Bさんが望んで彼女さんの元へ向かう場面を想定していた私は


「あぁ、それは来られんな。」


にはしませんでした。今思えばですけれど。


 そんな背景がある中で、書き言葉では「来れない」を避け、「来られない」と表記したこと。


これが違和感の正体だったのです。



 例として五段活用の動詞「行く」を挙げさせてください。


「できる・できん」→「行ける・行けん」

「される・されん」→「行かれる・行かれん」

「しきる・しきらん」→「行ききる・行ききらん」


この、「エる・エん」「アれる・アれん」「(連用形)きる・(連用形)きらん」に対して、ラ行の場合は


「れる・れん」「られる・られん」になってしまうというカラクリのようです。


見れる・見れん

見られる・見られん

見きる・見きらん


寝れる・寝れん

寝られる・寝られん

寝きる・寝きらん


来れる・来れん

来られる・来られん

来きる・来きらん


どうやら上一段活用や下一段活用において連用形では登場しないラ行が採用されるようです。


 このエッセイを書く過程で気がついたのですが、私の方言では「見ん(見ない)」に対して「見らん」、「寝ん(寝ない)」に対して「寝らん」と言います!



ら抜き言葉ならぬ、ら入り言葉ですね。



これらのニュアンスの違いは今のところ自覚できておりません。例えば「寝ないの?」と言いたいときに「寝んと?」「寝らんの?」はどちらも使います。


 「ら」抜き言葉を嫌う方には、代々続く"正しい日本語"を好む方もいらっしゃると思います。しかし、方言というのは標準語が整えられる以前から脈々と受け継がれてきたものです。


最近の若者は話し言葉と書き言葉の区別ができていない。最近の若者は誤用である「ら」抜き言葉を多用している。


そう目くじらを立てる方はきっと、このエッセイはお読みにならないでしょう。


そこで敢えて、そう目くじらを立てられる方に

「それってむしろ、方言に由来する可能性があるんだぜ。」

という盾をお渡しいたします。誰かを攻撃するのには使わないでくださいね。


 標準語では代用しきれないニュアンスを持った方言たちが今も日本各地で息づいているようです。

 私の方言は、地域や世代を限定してしまうと、きっと「主語が大きい」と言われてしまう類のものです。そのため、あくまでも私が生きてきた中で自然と身についた言葉の感性の話をしているということを前提にさせてください。アンケート調査などを実施したことがあるわけではありません。

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― 新着の感想 ―
「ら抜き」も「れ足す」もどこかの方言だったのが広がった説もありますね。 結局「正しい日本語」なるものは人工的に作られた不自然なモノ。(東京弁とも厳密には違うらしい) 単語や語尾は方言として着目されがち…
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