第9話 学園 二年目が始まる ⑥
アボット先生とそんな話をしてから、俺は字を書くことにも力を入れるようになった。
前世では日記もつけていたし、小説モドキも書いていたからな、大学ノートに。手を動かして文字を書くこと自体を負担には感じなかったよ。書道の時間も好きだった。
上手く書けるかどうかはまた別の話だろ。
アボット先生の用意してくれた手本の通り、一文字ずつ慎重に丁寧に書いていく。前世の写経みたいだ。これを四カ国ぶん。あっちもこっちもと手を出していると交ざってごっちゃになりそうだけど、文字には規則性があるからそれほどでもない。先生に教えてもらえるうちに、しっかりがっつり身につけなくっちゃ。
魔法学園の学習プログラムでも読み書きは教わるけれど共通語だけじゃん。多くの国の文字が読めれば、そんだけたくさんの本を読むこともできるしな。実益と趣味を兼ねてる。
それに魔力操作の訓練にもなった。
俺は生産職。魔力無しでも莫大な魔力保持者でも、同じように使える生活魔道具──前世での家電製品とか水道ガス電気みたいなの──に魔力回路を刻むのが主要な仕事だ。魔力回路はプログラムみたいなモンで、ICチップみたいに小さな魔石の核に精密に正確に均一にと魔力を集中させてると、あっという間に魔力切れを起こしてしまう。
俺もだけれど、平民生徒は特待生つっても貴族に比べると魔力量が少ないから、どんな些細なミスでも仕事上のロスに直結するんだよな。正確さって大事。
そのうち文字書きが上達したら、前世みたいに小説モドキを書いてみたい。そんでいつか本になって、店先や図書館に並んだら──なんて夢が広がる。
アボット先生が言うには、王都とかの大都市には書店もたくさんあって、いろんな物語の本が並んでいるんだって。恋愛モノとか架空戦記モノとか歴史モノ──日本でいうとこの時代小説、そう司馬遼太郎みたいなヤツね──と種類も豊富。本自体は決して安いものではないけれど、都市部では平民の識字率が高くて書くのは不得手でも自国語なら読めるという人がそれなりにいて、街の区画ごとに図書館が整備されている。都市部の平民にとって読書は手軽な娯楽のひとつなんだそうだ。
その物語の書き手も貴族が多いけれど、最近は平民の作者も増えて来ているらしい。
魔法学園の卒業生だったり、アボット先生みたいに平民の識字率を上げようと活動している人達のお陰だね。
魔法学園の図書館にもたくさんの本があるけれど、物語の──前世でいえばラノベ?見たいな本はほとんどないんだって。まぁそうだよね、学園の図書館なら専門書とかが中心になるよなー。俺の通ってた高校の図書館は歴代の担当者である教師の趣味嗜好が色濃く反映されたラインナップで、要するに過去のベストセラーや各賞受賞作に映像化された作品の原作本も並んでいたけど。
そんなことを考えながら朝食を終えた俺はラリサから返して貰った本を手に、ふたりと別れた。教室には授業に関係ない私物は持ち込めない。大事な大事な俺が初めて買った本。きちんと部屋に戻しておかなくっちゃ。
俺は足取りも軽く寮へ向かうのだった。
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アルフレード王子は国王の第一子で最初の正妃唯一の子だったが継承権を持っていない。アルフレードの母は隣国の公爵家出身で準王族。
だが隣国は先代国王の崩御の後間もなく、成人前の王の遺児ふたりを推す宰相派と有力貴族が推す王弟派の間で王座を巡る争いが起こった。王族貴族軍部に商人達までふたつに分かれ、争った内紛の末に勝利を手にしたのは宰相派だった。
王弟派だった母の実家の公爵家は準王族であったにもかかわらず、家名は断絶、領地その他の財産は全て没収。当主一家は幼子まで全員処刑、一族郎党は使用人も含めて貴族籍を剥奪の上王都を追放となった。
家族の死を知ったアルフレードの母は倒れ、その後一度も目を覚ますことなく世を去ってしまう。
アルフレードが五歳の誕生日を迎えて一ヶ月後の事だ。
その後。
王は新たに公爵家から正妃を娶り一男一女をもうける。第四王子である彼が生後間もなく王太子と定められる一方、後ろ楯の無いアルフレードは王宮内で孤立し不遇な境遇の中、十五歳となった。
王族貴族の子女は十五歳の誕生日を迎えた日から三年間、魔法学園への入学の義務が課せられている。
アルフレードも例に漏れず、誰ひとり祝う者のいない誕生日のその朝、魔法学園の門を潜った。
世界にはエーテルと呼ばれる魔法の素が循環していて、これを利用することで人は魔法を発動し、動力として転用することで薪が無くとも暖をとり、煮炊きができる。地下水の汲み上げにも人馬が必要でなくなり、夜の闇を明るく照らす。
だがエーテルの循環がひとたび滞ると、滞った場所から瘴気が沸く。瘴気は人や動植物、水や大地を蝕み、病や死をもたらす。瘴気に侵された水や大地からは魔物が沸き出してくる。
このエーテルの滞留を産み出さないため、世界各国の王侯貴族は学園にて学び鍛えて自らの保有できる魔力量を限界まで増やし、魔力を行使した際の威力を増すよう努めるのだ。
なぜか王族貴族といった身分の高い者の方が、庶民よりも遥かに多い魔力量を持って生まれるための高貴なる義務、という訳である。
エーテルの循環が滞り始めた場合、自らの体内の容量いっぱいにエーテルを取り込み、世界の円滑な循環を維持するために。
人の身に、エーテルを多く取り込み続ければ身体も魂も瘴気に蝕まれていくのは王侯貴族でも、幾ら鍛えても避けられない。過去には命を失い、あるいは魔人と呼ばれる存在に変じた者も居たという。
次第に身分の高い者達はそうした危険で、時におぞましい結末を迎える可能性のある義務を厭うようになっていく。
アルフレードの時代には、魔法学園に放り込まれるのは高位貴族の跡取りやスペア以外、政略の駒に使えないと判じられた──いわゆる訳ありの子女が中心となっていた。もちろん数を揃えるため、下位貴族には変わらず義務が課せられていたし、騎士爵や準男爵といった一代貴族にも子弟の入学義務が課せられていた。下位貴族、ことに一代貴族にとって学園への入学はこの時代でさえ名誉と受け取られていたが、高位貴族ほど子女に家名を名乗らせなかった。アルフレード自身も王子と名乗ることは許されていない。爵位すら与えられなかった。それでも高位貴族の子弟らはアルフレードを認識していた。訳ありの──王家の厄介者として。
加えて庶民からも、一定水準に達した魔力量の子供達を受け入れるようになっていた。
いざというときの犠牲は多いにこしたことはない。自らの義務を放棄した為政者達はそう考えたのだった。
だが学園が庶民を受け入れるようになっていたことで、アルフレードは運命の相手と出逢った──。
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ナタリーお気に入りの本『魔法学園の女子生徒は不遇な王子様を夢に見る』は、平民の女子生徒と不遇な王子の両片想いから始まる恋愛小説だ。内容は身分差を気にするあまりのじれじれもだもだの王道展開。ちょこっと意地悪なでもどっか抜けてるライバルの公爵令嬢や、ヒロインが兄のように慕う幼なじみが登場してお邪魔虫化すんのも、よくある話でご都合主義的展開も安定安心の王道だよね。
王子様や貴族の令嬢令息が通う学園での物語だけれど、王族や高位貴族にとってはこの学園に在学していることは恥とされているせいで、家名を名乗らせてはもらえない。一方で特待生として迎え入れられた平民や、一代貴族のような下位貴族にとって魔法学園の生徒であることは名誉とされている。
この設定のおかげでコメディ色が強くなっていたが、世界観はダークな感じだ。学園生同士の恋愛小説なのになんでこんな世界を設定してんだろうと不思議なくらい暗くてシリアス。王子様の生い立ちからして仄暗い設定なんだから、もう少し軽めの世界観──なーろっぱ的な?でもよかったんじゃないかなーなんて思うんだ。
ナタリーは魔法学園が舞台ってのと、ヒロインが平民ってのとでヒロインに感情移入が凄くて王子様に恋してるみたいだ。挿し絵が無いから容姿の想像は好き勝手できるし。毎晩、本を胸に抱いてはアルさま~、なんてもだもだしているよ。
エーテルを取り込み過ぎると云々てちょっとダークな世界観あたりはサラッと流しているみたいだね。
俺としてはこの物語でのエーテルが、この世界の魔法、魔力と重なって見えて少し不安なんだ。前世には魔力なんてなかったからかな──。