第五話 獣の謎
赤頭巾が鴉頭を見送って少し経った頃、老人が彼女の家に訪ねてきた。
赤頭巾にとって老人の訪問は特段珍しいものでなく、彼女は何も疑わずに老人を迎え入れた。
「でも、どうして急に?」
「森から狩人と出てきた所を見かけてね。心配で見に来たんだ」
「え、えっと、ああ見えて意外といい人ですよ?」
「……今はな」
鴉頭を庇う赤頭巾に向かって呟いた老人の独り言は結局彼女に届かないまま、当の赤頭巾はいそいそとお茶を淹れていた。本日二回目のチャレンジである。
健気な赤頭巾に破顔した老人は、一つの噓を吐いた。
「そう言えば家畜たちが落ち着かない様子だったよ。見てきたほうがいいんじゃないか?」
「ええ!?それを先に言ってくださいよ!」
老人の噓を信じ切った赤頭巾は作業を止めると慌てて家を飛び出して行った。
孫娘を見つめるような眼差しで赤頭巾を見送った老人は重い腰を上げると、誰に言うでもなく独りで覚悟を決めた。
「解放、してやらないとな……」
誰も居なくなった居間で取り残された粗茶から、迷子のように湯気が漂った。
「うーん、みんな普通だなぁ」
「ブモォー」「コケコォォォォ」
老人の言伝通り家畜たちの様子を見に来た赤頭巾は肩透かしを食らっていた。
確かに赤頭巾が来てから家畜たちがひっきりなしに鳴いているが、それはいつものことであり、落ち着かないというより元気いっぱいと言ったところだ。
だが老人も素人ではない。
なんなら赤頭巾よりも家畜に精通していてもおかしくないのだ。
そんな老人が言ったのだからと、赤頭巾が全ての家畜を見て回った終わりごろ。
赤頭巾の家から老人がふらふらと覚束ない足取りで出てくるのが赤頭巾の目に入った。
結局老人の言うような異常はなかった事を確認した赤頭巾は彼のもとへ向かった。嘯かれた事に怒った訳ではなく、純粋に心配しての行動だった。
「おじさん!みんなの様子は普通、だった、けど……」
「ぁあ、……クソ、くそっくそっ、何でだぁ……!」
「おじさん?」
老人の様子は誰の目から見ても異常だった。
顔は病人のように青褪めているのに対して、目はギラギラと真っ赤に充血している。
その上、普段の態度からは想像もつかない譫言を吐き続けていた。
赤頭巾が声を掛けたにも関わらず、それに気付く素振りも見せないまま老人は誘われるかのように森へとふらふら歩いていく。
「私があんなに協力してやったのに……こんな所でっ、こんな所でぇ……!クソォォ!!」
「おじさん!」
ブツブツと譫言を繰り返しながら感情的になりつつある老人に痺れを切らした赤頭巾は、とうとう行方を遮るように彼の前へ立った。
老人は赤頭巾に気付いて充血した目を見開くと、打って変わって額に汗を浮かべながら狼狽し始めた。
「じょ、嬢ちゃん!?……私はもう駄目だ!早くあの狩人を呼びなさい!」
「ダメってどう言う……」
「ああ、クソ、思考が乱れる……!早く、早く早く早く呼べと言っているだろうがァァァァァ!!!」
「ひっ」
憔悴していたはずの老人は、また態度をガラリと変えて今度は青筋を浮かべて怒り狂い始めた。
感情のまま赤頭巾の襟を掴んで持ち上げると唾を飛ばしながらがなり立てる。
生まれてこの方、初めて老人に敵意を向けられた赤頭巾は瞳に涙を浮かべながら叫んだ。
「きゃあぁあああああ!!!」
「グゥゥ、うるさぃい!!!」
力の限り叫んだ赤頭巾に老人は顔を顰めると煩わしそうに彼女を投げ飛ばした。
「あぅっ!」
何の躊躇いもなく投げ飛ばされた赤頭巾は受け身も取れないまま地面に追突する。
少しの浮遊感の後、臀部に衝撃が走った事で自分の状況を赤頭巾が理解している間に、老人の様子がまるで違っている事に気付いた。
「ぐっ、ゥゥゥゥゥゥ……!」
いつの間にか老人は座り込んだ赤頭巾よりなお低く四つん這いとなって、地面に爪を立てて土を抉り出しながら涎を垂らして苦悶の表情を浮かべていたのだ。
いや、表情だけではない。
老人の身体が文字通り肥大化し始めたのだ。
決して筋肉質とは言えなかった萎んだ腕は、彼の肉体の全盛期を優に超えるほど太くなっていき、衣服すら突き破っていく。
肉体の肥大化は腕に止まらず、とうとう老人は四つん這いのままで赤頭巾を見下ろせるほどに体躯を変化させていた。
「う、そ……」
これだけの変化でも驚くべきだが、赤頭巾を更に驚愕させる変化が起きる。
老人の身体中から毛が生えていたのだ。暗く澱んだ色の体毛がびっしりと。
それはまるで、“獣”のように。
「うそ、うそうそ……!」
やがて老人の顔面が無理矢理骨格を変えているのか、パキパキと軽妙な音を立てながら鼻と口を前に押し出した。
首を不気味に揺らしながら変化を果たし終えた老人……いや、獣は充血した瞳に赤頭巾を写すと、どろりと涎を垂らして口を大きく開いた。
「ガァァァァァァァァァァァァ!!!!」
「っ!」
目の前で親しかった隣人が獣に変化していく様を見ていた赤頭巾は逃げる気も失せてただ固く目を瞑った。
今度こそ死を確信した赤頭巾だったが、突如身体が後ろに投げ飛ばされる感覚を覚える。
「うわぁっ!?」
首根っこを掴まれて雑に投げられた赤頭巾が目を開くとそこには鳥の仮面を被った全身黒尽くめの男が立っていた。
「……鴉頭さん!」
「そこから動くなよ」
喜ぶ赤頭巾と違って鴉頭は冷めた声で赤頭巾に指示を飛ばした。
手には既に【鋸鉈】が握られている。
その事実に気付いた赤頭巾は慌てて声を張り上げた。
「ま、待ってください!その人はおじさんで……!」
「元、な」
「ガルルァァァァァ!!」
会話を続ける二人に獲物を横取りされた獣が怒り狂いながら咆哮を上げて極太の爪が光る右腕を振り上げる。
――だが振り上げたはずの腕は既に地面に堕ちていた。
「ァ?」
「死ね」
赤頭巾に応えつつ、獣から目を離していなかった鴉頭は超高速で腕を切り飛ばすと、そのまま武器を振って力任せに首を切り飛ばした。
しかし殺意に燃える〈狩人〉はまだ止まらない。
鴉頭は森の時と違って間髪入れず、血を噴き出す生首に左手を突っ込んだ。
そして膂力のままに脊椎を引き摺り出すと、慣れた手つきで捻ると握り潰した。
脊椎を失った獣の肉体はビクッと身体を震わせると骨は灰に、肉体は粘液のようにどろりと地面へ溶けていった。
僅か一分にも満たない時の中、赤頭巾の目の前でかつて老人だった獣はその一生を終わらせた。
他の誰でもない、〈狩人〉の手によって。
「なっ、何でおじさんを殺したんですか!?」
「お前のおじは殺していない」
「私が言っているのは……!」
「俺が殺したのは獣だ。人間じゃない」
「人間じゃないって……さっきまであの人は私と喋って……ぅっ」
家で会話をした事や、心配する老人の顔を思い出した赤頭巾は、彼が肉の液体に変わった瞬間を思い出してえずく。
そして迫り上がる気持ち悪さに耐え切れずその場で嘔吐した。
「うっ、おぇぇぇ」
「……はぁ」
胃液の混じった今朝の朝食を地面にぶち撒ける赤頭巾に鴉頭は呆れたようにため息を吐いた。
先程まで会話していた相手を殺したとは思えない態度に、これなら気を失った方が楽だと、赤頭巾は思った。
「落ち着いたか?」
「……すみません。ありがとうございます」
鴉頭なりに心配はしていたのか、胃の中の物を出し切った赤頭巾に懐から出した水筒を手渡した。
赤頭巾は無駄と思って下手に反発せず貰った水で口を濯ぎ喉を潤す。最悪な気分だと言うのに、その水は余計に美味しく感じた。
鴉頭の腰にぶら下がった血塗れの【鋸鉈】に目を向けつつ赤頭巾は重い口を開いた。
「聞きたいことが、いっぱいあります」
「だろうな」
――――
鴉頭は赤頭巾に連れられて村の中でも外れの小さな丘に来ていた。
周りには小さな墓石が並んでおり、恐らくアルスフェルトの墓地なのだろう。
そして赤頭巾は老人の私物を持ち出して適当な場所にそれを埋め始めた。つまりはあの老人の墓を作っているのだ。
健気なもんだな、と鴉頭は他人事のような感想を抱いた。実際他人事なのだが。
「獣って、何なんですか?」
「人類の敵だ」
「そう言うことじゃないです!何で、おじさんが獣になったんですか!?」
「寧ろ、何で知らないんだと言いたい所だが……」
そこまで言って鴉頭は赤頭巾が両親に捨てられ碌な教育を受けていない事に気付いた。
なぜ俺が、と思いながらも人の良い鴉頭は説明を始めた。
「獣は皆、元人間だ」
「じゃあ森で会ったあの獣も……?」
「ああ、ここの村人かどうかは知らないが」
「そんな……」
赤頭巾にとって獣の正体はショックだったようで信じきれないように首を振っていた。
赤頭巾の仕草に鴉頭は首を傾げつつ墓地を見渡す。
周りには他の遺品が無造作に置かれており、この村がいよいよ崩壊に向かっていることを暗示しているかのようだった。
(ん……?)
辺りを観察していた鴉頭は、並んだ墓石のはずれに捨てられている一着の白いドレスを目敏く発見した。よく見ると最近捨てられたようで、土に塗れながらもそこまで縒れていなかった。
しかし鴉頭が引っかかったのはそこではない。
このドレスをどこかで見たような気がしたのだ。だがよく見ればどこにでもありそうなありふれた布製の安物である。
鴉頭が記憶を辿っていると、いつの間にか立ち直っていた赤頭巾が質問をしてきた。
「あの、何で人が獣になっちゃうんですか?」
「知らん」
「知らっ、えぇ……?」
「俺、というか〈狩人協会〉ですら獣の全貌はまだ理解していない」
赤頭巾は呆れた顔をしているが、これは紛れもない事実である。
有史以来、最も人類を殺害した生物の全容は未だに明かされていなかった。
理由は単純に、捕獲が困難であるため。そして獣の死体は漏れなく液体と化して保存が出来ないからである。
世界が獣について分かっていることは二つ。
獣が全て人間の変異したものである事と、獣の殺害方法のみである。
「じゃあ何故おじさんが獣になったのかも分からないんですよね……」
「それについては分かるぞ」
「どっちなんですか!?」
コロコロ意見を変える鴉頭に温厚な赤頭巾も流石に不満を漏らした。この狩人が一体どこまで事態を把握しているのかも掴めないではないか。
「恐らく、この村には母胎型獣が居る」
「ぷらんと?」
「いわゆる無性生殖可能個体の獣の総称だ」
「ぜんぜんわかんないです」
「……つまり、一人だけで獣を生み出せる獣の事だ」
本来頻発するはずのない獣が短期間に産まれている理由はこの特殊個体に依るものだけだと、鴉頭は判断していた。
滅多に見ない上、自己繁殖以上の能力も持っていない獣のため大体は直ぐに狩られる対象なのだが、ここまで見つからずに村を掌握しているのは非常に稀有な事だった。
何より、全滅したであろう木こりと討伐隊も恐らく獣に変えられている事を鑑みるに事態は思ったより急を要していた。
「でもそれってつまり獣の根源なんじゃないですか?」
「いいや、なんせ母胎型獣を生み出した獣が何処に居るのか分からないからな」
「確かにそうですね……」
「それに母胎型獣の居場所も掴めていない」
「も、もう逃げたって線は……」
「たった今無くなった」
老人の急造された墓を見遣りながら鴉頭は応える。
鴉頭にとって老人が獣に変化したことは僥倖でもあった。それの示す所はつまり、老人を変えた元凶がまだこの村の何処かに潜んでいるという事実だ。
「そういえばあの男は直前まで何処に居たんだ?」
「え?……私の家です」
「お前の家か」
「でも私はおじさんに言われて家畜を見ていたので、その母胎型獣って獣は見ていないんですけど……」
「ふむ」
「あの、取り敢えず家に戻りませんか?」
自分で案内しておいて赤頭巾は墓地に滞在したくは無いのか、焦ったように帰宅を促してきた。
墓地に長居したくない理由がなんとなく察せられた鴉頭は特に文句を言わず赤頭巾の後を着いて行った。
赤頭巾の自宅近くで獣と化した老人。
墓地に捨てられたドレス。
未だ正体不明の母胎型獣。
そして何かを必死に隠したがる赤頭巾。
アルスフェルト村に眠る謎が、鴉頭には段々と見え始めていた。
私事ですが人生初のブクマ、いいねをこの作品で頂きました。誠にありがとうございます。
こうして少しでも多くの方に楽しんでいただければ幸いです。




