第三十五話 突入
「……よし。ここは大丈夫みたいだ。入って来い」
「し、失礼しまーす」
「ふーっ、緊張するなオイ」
ランスの辺鄙に位置する廃倉庫。今や居場所を失ったゴロツキのねぐらとなったその場所に一行は足を踏み入れていた。
獣を逃がす可能性から格納庫側の搬入口ではなく、人間が出入りするための裏口を選んだ三人はひと先ず獣に遭遇する事なく侵入を果たした。
灯りの一つもない暗闇の奥を警戒しながら鴉頭はゴロツキへ声をかける。
「いつもはここに見張りでも配置しているのか?」
「あ、ああ。入ってすぐの場所は二人がかりで見てるはずだ」
「で、でもここには誰にも……」
「十中八九殺されたな」
「です……よね……」
裏口とはいえ見張りの一人も配置していないとは考えられない。
そして深夜帯に加えて建物の影に隠された事で赤頭巾とゴロツキの目には見えていないが、丁度二人分の血痕がべったりと付着しているのを鴉頭は確認をしていた。
引きずられたような血の跡が続いているが、獣に襲われて無事であるはずもない。
「格納庫か?」
「だろうな。あそこが一番広い。このまま進んだ先の扉を開ければ着くはずだぜ」
獣の行く先さえ分かれば鴉頭に迷う理由はなかった。
幸いにも奇襲の類は無い様で、ゴロツキの案内通り格納庫に繋がる扉はひっそりと佇んでいた。
「……行くぞ」
「はい」
「おう」
警告の後、鴉頭は音を立てぬように半分だけ扉を開き格納庫内の様子を確認しようとして――。
「うっ!」
「っぇ、なんだこの臭い……!」
隙間風に乗って流れてきた濃密な血の匂いに、鴉頭を除いた二人が鼻をつまんでえずく。
そしていち早く格納庫内の様子を確認した鴉頭は二人を置き去りにして、半開きの扉を蹴破って飛び出した。
「鴉頭さん!?」
「おい!」
格納庫内は既に血の海に沈んでいた。
自ら居場所を失い、獣に騙されてランスの外からやってきたゴロツキたち十数名の死体は至る所に打ち捨てられ、二匹の獣によって乱雑に食い荒らされていたのである。
よほど腹が減っていたのだろう。
獣たちは鴉頭が扉を蹴破るまで一切感づくことなく必死に死体の肉を漁っており、そしてその無防備な背後を狩人が見逃すはずもなかった。
「死に晒せ」
「ギッ!ャァ!?」
扉から最も近くに位置していた獣のうなじを狙って鴉頭は【鋸鉈】を振り下ろす。
筋肉が隆起するほどの力で振り下ろされた【鋸鉈】はその刃で以って無理矢理に獣の皮と肉を切り裂き、血に濡れた頸椎を露出させた。
獣が苦悶の声を上げた事など歯牙にもかけず、抵抗する時間も与えないまま鴉頭は獣の首を後ろから踵落としで潰す。
弱点である頸椎を踏み潰された獣は先程まで食っていた肉塊に顔面を埋めると、這いつくばった姿勢のまま粘液となって血の海に溶けていった。
そして鴉頭が粘液の混じった血だまりから足を上げた瞬間。
「グルァァ!!!!」
鴉頭の侵入に気付いたもう一匹の獣が左方から大口を開けて突貫を仕掛けてきた。
鴉頭はすかさず左腕を犠牲にする形で難なく防御する。
今にも鴉頭の腕を噛み砕かんと獣が必死に牙を剥く中、しかし当の鴉頭は全く別の事を考えていた。――否、探していた。
今回の獣害は旅行客に扮していた三匹と、先入りしてゴロツキを率いていたボスの計四匹によるものである。
一匹はゴロツキ救済の時、二匹目はたった今。
そして現在進行で鴉頭の腕を食い千切らんとする三匹目。
(もう一匹は何処に……?)
未だ影も見せない四匹目の獣を探そうと、鴉頭が血と闇に染まった格納庫内をくまなく眺めているその時だった。
――ぎぃぃぃ。
錆びた鉄をこすり合う耳障りな音が格納庫内に響き渡った。
それと同時に木漏れ日のように月光が足元に伸びながら、おもむろに搬入口が開く。
「おい!誰が搬入口を開いた!?」
「お、俺じゃねぇぞ!多分……」
「本命か……!」
獣と拮抗状態である鴉頭はもちろん、赤頭巾に格納庫の扉を開く術はない。
そしてこのアジトを知るゴロツキが開放したのではないのなら、残る候補はただ一匹。
ランスに獣を運び込み、格納庫内をこの惨状に変えた張本人である獣だ。
搬入口の大穴から覗く街並みは空っぽで格納庫の開放は増援が目的ではない。
ならば、獣の目的は逃走。
だが支配下にあった二匹の獣すら捨てて逃走を選ぶとはさしもの鴉頭も想像していなかった。
このまま獣が再び街の中に逃げ込んだとなれば事態は一刻も争う。
鴉頭は歯痒い気持ちを飲み込んで、今もまだ自身の腕に嚙みつく獣に向き直った。
「お前はいつまで咥えてんだよ」
「グゥゥ……!!」
鴉頭は忌々しげに吐き捨てると、【鋸鉈】を手から離し、獣の上顎を掴んで強引に上へと引っ張りあげた。
だが獣はそれに対抗しようと更に咬合を強め――。
「【反転】しろ」
「ッガ、ァァ!?!?」
そして獣の抵抗が強まった瞬間に合わせて鴉頭は干渉能力を行使した。
自身の力によって鴉頭から聞こえるほどの音を立てて顎を外した獣が鴉頭の左腕を離す。
そして鴉頭は離された左手を、そのまま無防備に開けた獣の口の中へとねじ込んだ。
「ォゴッ……!?」
突如、喉頭内に腕を突っ込まれた事で獣が吐き戻そうと呻く中、鴉頭は獣の上顎を掴む力をさらに強めるとねじ込んだ左手を更に奥まで突き破って獣の頸椎を掴んだ。
自らの弱点を直接握られた事で獣が瞳を充血させて、鴉頭を振り払おうとするその前に、鴉頭は掴んだ頸椎を口の中から引っこ抜いた。
「ッ…………!」
自身の命を口から引きずり出された獣は、もはや声を出す事も叶わないまま無様に口を開いたまま固まると、粘液へ溶けていった。
「おぇ、グロすぎだろ……」
暗がりの中で鴉頭による獣の凄惨な殺戮を見せつけられたゴロツキは舌を突き出して顔をしかめる。
もし光の下で仔細を目にしていたら、ゴロツキといえど吐いていただろう。
ゴロツキの言葉を聞いた鴉頭はふと、こんな光景を見たときにもっと喧しくなる存在がいた事に気付く。
「……おい、赤頭巾は何処に行った?」
「ん?……ありゃ、居ねぇな」
もしや、どさくさに紛れて格納庫から逃げ出した獣に攫われたのでは――。
「鴉頭さん!こっちです、こっち!!」
などと、鴉頭が最悪の事態を想定する前に、開いた格納庫の搬入口からいつもの間抜けな声が響いた。
鴉頭が真っ先に搬入口の外へ目線を向けると、月明かりに照らされる赤い頭巾がぴょこぴょこと跳ねている姿を目に映す。
どうやらどさくさに紛れて移動したのは赤頭巾本人であったらしい。
なぜわざわざそんな所に移動したのか、鴉頭が問う前に赤頭巾は煉瓦道を指差して叫んだ。
「獣が逃げた方向を確認しておきました!」
「っ!……でかした、赤頭巾!」
赤頭巾のまさかの機転に今度ばかりは鴉頭も素直に感心を示した。
彼女は鴉頭が獣の処理で逃走した獣の追跡が困難と見るや、暗闇に乗じてその方向だけでも把握していたのである。
獣の追跡に難儀すると思っていた鴉頭は、この好機を逃がすまいと足早に廃倉庫の外へ向かった。
「お、おい、待て!俺はどうすんだよ!?」
急ぐ鴉頭を引き留めたのは、依然血に沈む格納庫内に置かれたゴロツキだ。
疎ましげに振り向いた鴉頭は一秒でも惜しいというように口を開いた。
「あの逃げ出した獣がお前らのボスで間違いないな!?」
「あ、ああ!間違いねぇ!」
突然の質問ながら、格納庫を開いた事実とボスの亡骸がない事を確認していたゴロツキは肯定を返す。
それを聞いた鴉頭は赤頭巾を担ぎなおすと、ゴロツキがあれ程望んでいた言葉を放った。
「ならお前は用済みだ。逃げるなり出頭するなり好きにしろ」
「は、はぁ?そんなあっさり……」
頭の固そうな鴉頭がまさか見逃す筈がないと覚悟していたゴロツキは、簡単に考えを翻された事に戸惑う。
さんざ人間に興味がないと聞かされていた赤頭巾も、鴉頭の変わり身に腕の中で耳打ちした。
「鴉頭さん、本当にいいんですか?」
「何度も言わせるな。俺はあいつに微塵も興味がない。そんな事より今は逃げた獣が気掛かりだ」
「おい!待てって!お、俺はどうしたら……」
今度こそ獣を追おうと身を翻した鴉頭に向かって、ゴロツキは今日一番の大声で引き止める。
その顔はまるで迷い子のように不安に怯えていた。
待ち望んだはずの自由にゴロツキは打ちのめされていたのである。
「知ったことか」
だが、それでも鴉頭の答えは変わらなかった。
「このまま腐って落ちぶれようが、全てをやり直して真っ当に生きようが、お前は所詮ただのゴロツキに過ぎない」
「おまっ、もう少し言い方ってモンが……!」
「だから好きなようにしろ。俺はお前の人生まで責任を取るつもりはない」
鴉頭はそれだけ言うと、腕の中で手を振っていた赤頭巾と違って一瞥もくれずランスの街へ消えていった。
ただ独り廃倉庫に取り残されたゴロツキは、血だまりに腰掛けると自嘲気味に呟いた。
「……はぁ、狩人に人生相談した俺が馬鹿だったな」
――――――――
深夜のランス。
ヒトが住み、生きる街のど真ん中で獣が疾駆していた。
「ハァ……!ハァ……!」
人類を脅かしていたはずの獣が、たった一人の狩人に恐れをなして逃げ惑っていた。
「クソ、こんナはずジャ……!」
獣の醜悪な面を歪めて彼は慟哭する。
もし本来の計画通りに進めば、こうも追い詰められはしなかったはずだ。
器の回収などと言う命令を女王に下され、何故か周辺の村から追放されていた愚かな人間を利用してランスに潜伏し、挙句同胞をランスに招き入れる事に成功した彼の計画は順調の一途を辿っていた。
ここから更に街の治安を悪化させ、もっと多くの同胞がランスに潜り込む手はずだった。
だが、たった一つ。たったあれだけのことで全てが狂わされた。
全ての歯車が狂った原因。
それは鐘鳴らしが殺されたことだ。
そう、ボスと呼ばれた獣は鐘鳴らしの殺害などに一切関わっていなかったのである。
誤算はそれだけに飽き足らず、よりにもよって鐘鳴らしの殺害を目標である器を連れたランカーⅨに発見され、飢餓状態の同胞を使って処分するはずだった隠れ蓑の場所まで特定された。
そして、今となっては自身の命すら狩人の手の届く場所にある。
だが幸いにも同胞たちのお陰で逃げる時間だけは確保できた。
ひとまず女王に助けを求めるためにこの街から抜け出さなければならない。
ああ、口惜しい。
こういう事態にこそ、鐘鳴らしが――。
「ギェ……ッ!?」
急襲。
計画の再編を巡らせながら全力で走る獣の首を、路地裏から伸びた鈍色に光る剣が貫いていた。
獣が自らに置かれた状況を理解するその前に、暗闇の奥からくぐもった凛とする声音が一言。
「【聖火】」
瞬間、獣が爆ぜた。
「ギャァァァァァァ!!!???」
刹那の間にて、全身を炎に包まれた獣が熱と痛みに痛哭な悲鳴を上げて、煉瓦の上を転げまわる。
しかし、どれだけ獣が喚こうとも、炎は煌々とランスの夜道を照らし続けた。
「ギャ……ァ、……」
獣の肉体治癒でもっても鎮火に至らない炎は、やがて獣が発声するための酸素と肉体の水分を根こそぎ奪っていく。
遂には炭化した獣の半死体は蹲るような姿勢を取って動きを止めてしまった。
そしてその頸を、路地裏から出てきた剣と同じ鈍色の鎧に身を包んだ何者かがゆっくりと踏みつぶした。
「――おい、どういう状況だ……?」
次に声を発したのは、遅れてやってきた鴉頭のものだった。
逃げていたはずの獣が何故か突如として発火したかと思えば、目の前の謎の人物によって殺されていた。
獣が殺されたこと自体は非常に喜ばしい。――だが。
「べ、別の狩人さんなんじゃ?」
鴉頭が立ち止まって鎧の様子を窺っている中、赤頭巾が間を埋めるように疑問を口にする。
「いや、違う、はずだ」
「違うん……ですか?」
鴉頭にしては珍しく歯切れの悪い答えに、赤頭巾も思わず言葉を繰り返した。
狩人は基本的に鎧を装備しない。
何故なら獣の膂力に対して鎧はさして効果がなく、加えて狩人には高い回復力が備わっているため、機動力を活かした戦法をとった方が寧ろ堅実だからである。
しかし目の前の人物はそれに当てはまらない。
そして、獣に致命傷を与えた炎。
アレが次元干渉能力とは全くの別物だと、鴉頭は本能で感じ取っていた。
つまり鴉頭には目の前の誰かが、敵なのか味方なのか一切分からないのだ。
「お前は一体何者だ……!」
突然の乱入者。その答えは――。




