第三十二話 鐘鳴らし殺害事件
「こ、ここ、殺され……!?」
澱みなく鐘鳴らしの殺害を断言した鴉頭に、赤頭巾は驚愕を隠せないまま壊れたおもちゃのように声を震わせる。
そんな赤頭巾を無視して、鴉頭はひとまず殺害現場であろうその場に落ちている黒いローブを拾い上げた。
「……匂いはするが、血は付いていない。おまけに死体も無い、か」
確かに血の匂いを漂わせるローブを見下ろしながら鴉頭は思考を巡らす。
屋上には血だまりといったものは見当たらず、恐らく犯人は相当な手練れか、若しくはかなり前に鐘鳴らしを殺害して念入りに証拠を潰した可能性も窺える。
しかし死体も無いとなると、死因はおろか状況の推測すら難しい。
微かな血の匂いが誘拐の類ではないことだけを鴉頭に伝えていた。
無論、鴉頭は憲兵でも無ければ探偵でもない、ただの狩人だ。
たったこれだけの証拠では犯人の輪郭すら見えてこない。
だが、ランスではいま失踪者が出ている。
獣の出現の可能性に加えて、鐘鳴らしの殺害が無関係だと思えるほど鴉頭は暢気でも腑抜けてもいなかった。
「あの、私はどうすれば……!」
「取り敢えずお前は憲兵を呼んで来い。俺が行くより素直に動くだろう」
「はいっ、あれ、鴉頭さんは……?」
「この隙に乗じて資料を粗方漁る」
「なるほど……え、いいのかな?」
「いいから行け」
鴉頭の発言に赤頭巾は引っかかりを覚えるも、あえなく無下に返された事で赤頭巾は口を尖らせながら階段を降りようとしたところであることに気付く。
「えっと、集合場所はどうするんですか?」
「ん?あぁ、集合は――」
――――
「なるほど、それで僕の所に」
「や、やっぱり駄目でしたか?」
大通り側面にひしめく住居の内の一棟、その扉から顔を出して出迎えたのはつい先刻鴉頭が助けた眼鏡の男――オンジューだ。
鐘鳴らしの殺害の検分によって協会から締め出された鴉頭が、一時の拠点として白羽の矢を立てたのがオンジューの家だったのである。
「まさか。寧ろさっそく恩を返すことが出来て好都合なぐらいです。お二方、どうぞ遠慮せず入ってください」
「邪魔するぞ」
「ほ、ホントに遠慮ない……!」
ついさっきまでの警戒はどこへやら、オンジューの許可を聞くや否や鴉頭は一切の躊躇なく家宅へ転がり込む。
鴉頭が入ってしまえば選択の余地などない赤頭巾も、鴉頭に追従して扉の奥へと進むのであった。
「紅茶で良かったですか?」
二人を居間まで案内したオンジューがティーポット片手に出迎えると、赤頭巾は手を膝に置いて着席し、鴉頭は立ち上がって家の中を物色するように眺めながら銘々に答える。
「構わん」
「ありがとうございます。大丈夫です!」
「はは……」
正反対な対応の二人を見て苦笑いを浮かべるオンジューだったが、出された紅茶を冷まそうと息を吹きかけている赤頭巾もまた内心では驚いていた。
(お、落ち着かない…………)
オンジューの家の装飾の華美さに。
広さで言えばギーセン村の貴族屋敷に及ばないものの家具や壁面の煌びやかさは負けておらず、それにも関わらず徘徊を止めない鴉頭の存在も相まって、赤頭巾の心中は穏やかでいられなかった。
服装からも見て取れた事だが、オンジューに対する鴉頭の金持ちという言葉は強ち間違いでもないようだ。
そんな赤頭巾の様子を見て察したらしいオンジューが自分で淹れた紅茶を飲みながら、敢えて鴉頭を気にせず、赤頭巾に話しかける。
「随分と落ち着かない家でしょう?」
「へっ?い、いや、私は田舎者なので……!」
「無理に否定しなくてもいいですよ。僕もそうですから」
「……そうなんですか?」
今も住んでいる自宅が落ち着かないとは一体どういうことなのか、思わず問いかけた赤頭巾にオンジューは話を続ける。
「実は僕、婿養子でしてね。この家も含めて資産は全て妻のものなんです」
「な、なるほど。あれ?それなら奥さんは……」
オンジューの話に納得しかけた赤頭巾だったが、そこで出迎えどころか御茶汲みまでオンジュー一人で行っていたことを思い出す。
そんな赤頭巾の純粋な疑問にオンジューは一瞬、目を伏せた。
「……もう、いないんだ」
「あっ!そ、その、すみません!」
普段の敬語すら崩して答えたオンジューを見てようやく赤頭巾は自身の疑問が不躾だったことに気付く。
今の世界で、目の前に居ない命がどうなっているのかなど想像に容易い。
「いいえ。僕から振った話題ですから、貴女が気に病む必要はありませんよ」
「つまり、インテリアの趣味はお前のものではないということか」
「鴉頭さん、話聞いてたんですか!?」
眼鏡を持ち上げて赤頭巾を慰めるオンジューに対して、家を徘徊し続けていた鴉頭が突然割り込んでくる。
赤頭巾の突っ込みを無視し続ける鴉頭に、自分の答えが待たれている事を察したオンジューは口を開いた。
「え、ええ。ですが妻のもの、というより代々継がれてきた資産らしいです」
「ふむ……。まぁ、そうか」
オンジューの答えに満足したらしい鴉頭は得心がいったように頷くと、徘徊を止めて赤頭巾の隣の席へ腰を落とす。
そして出された紅茶には手を伸ばさずオンジューへ向き直った。
「さて、じゃあ本題に入るか」
「あぁ、確か狩人協会を締め出されたとか。……今更ながら理由が気になりますね」
「あー、えっと、それはぁ……」
オンジューのもっともな懸念に、鐘鳴らしの殺害という明らかに混乱を招きそうな真実を告げるべきか赤頭巾が鴉頭の方へ確認の目線を送る。
そんな赤頭巾の心配を尻目に鴉頭はあまりにあっさりと答えた。
「鐘鳴らしが殺されただけだ」
「言っちゃうんですか!?」
「…………それは」
叫ぶ赤頭巾を隅に置きながら鴉頭の言葉を信じられないというように瞠目しながらオンジューは唸る。
だが鐘鳴らしの有用性を理解する者であればこそ、その反応は想像に難くない。
オンジューは決して愚かではない。
これまでのやり取りでそれを察していた鴉頭は、故に真偽を問うのではなく、真相に至るための非情な疑問をオンジューに投げかけた。
「そこでだ。お前の知る人間の中で鐘鳴らしを殺しそうな奴に心当たりはあるか?」
「なッ……」
「えっ」
獣、ではなく人間。
その言葉に赤頭巾とオンジューが動きを止めて僅かに沈黙が流れる。
その後、あれほど紳士的だったオンジューが遂に噴いた。
「有り得ないッ!!」
「ひっ」
怒涛の如く立ち上がって鴉頭を頭上から睨め付けるオンジューの様相に、しかし感情だけの安易な反論を認める気のない鴉頭は赤頭巾と違って静観を貫く。
動じない鴉頭を見て冷静さを取り戻したのか、オンジューは椅子に座り直して一息つくと、先ずは肯定から始めた。
「確かに、フラウニースは狩人に忌避感を抱いている者が少なくありません」
「お前は違うみたいだがな」
「もちろん僕もお嬢さんが最初に駆けつけていなければ、こうはならなかったでしょう。貴方が特別な訳じゃありません」
「……ああ」
オンジューの敵意を隠さない言葉にも鴉頭は態度を変えず生返事で応える。
思わぬところで好感を与えていた本人である赤頭巾は緊張で渇いた喉を紅茶で潤していたが。
「ですが狩人と違って鐘鳴らしの業務は我々の命に直接関わっています。それをむざむざ殺すなど……鬱憤を晴らす他にメリットが微塵もありません。ましてや僕の知人にそういった類の方は存在しないと、そう断言できます」
そして前置きを終えたオンジューはきっぱりと鴉頭の邪推を否定した。
主張は感情に依るものが大きかったが、それでも納得に値する程度には理知に富んでいた。
「そうか、そうだな。下らない質問をした。忘れてくれ」
「……いいえ、僕も少し、無礼でした」
お互いに険悪な雰囲気を自重して謝罪をしあったところで、今まで黙っていた赤頭巾がおずおずと口を挟む。
「その、協会の資料ではどうだったんですか?」
「どうもこうもない。鐘鳴らしの死亡は把握されていなかった」
「そ、そうですか……」
少しでも突破口になればと口に出してみたが、鴉頭が見落とす筈もなく。
既に事態の理解が若干追いついていない事に肩を落とす赤頭巾だったが、鴉頭にとっては話題を切り替える契機にはちょうど良かった。
「資料といえば、失踪者については割と詳細な情報があった」
「やはり協会の方が詳しく記録していましたか」
「ああ。失踪者は計三人。いずれも旅行者だった」
「旅行……ですか?」
思わず聞き返した赤頭巾だったが、流石の彼女も旅行自体は理解している。
疑問に思ったのは何故獣の蔓延るこの時世で、という事である。
「首都からな。どうせ貴族だろう」
「ええ。数は減りましたが、やはりランスの大通りを人目見ようと、財の限りを尽くして訪ねてくる方はいますね」
「なるほど……やっぱりお金なのか……」
赤頭巾はまた一つ、この世界の汚い真実を知ってしまった。
しょうもない事実に狼狽える赤頭巾を放って鴉頭は話を続ける。
「失踪が判明したのは、一週間前だった。概ね噂通りだな」
「全く耳ざといものですね」
「棚上げするなと言いたいところだが、オンジュー。点灯日はいつだった?」
(……点灯日?)
聞きなれない単語に首を傾げる赤頭巾に反して、オンジューは合点がいったように目を見開いた。
「そうだ、一週間前です……!まさかそれを狙って……」
「ああ。人通りが少ない上に、注目もされ難い」
「……あの、点灯日ってなんですか?」
蚊帳の外に置かれた赤頭巾は耐え切れず点灯日について問うと、オンジューが眼鏡を上げた。
「あの大通りは週に一度、街灯を点ける催しがあるんです。夜景の照らされたものも中々乙ですよ」
「へぇ~、一回ぐらい見てみたいですね!」
「獣はそういう吞気な輩を狙っていたというわけだ」
「うっ、喜んだ手前否定できない……!」
点灯日とは、つまり大通りのライトアップだが、現地民にとってはそれ程大した催しではない。
しかし獣の脅威を知ってなお、首都からはるばる訪ねてきた者にはより特別に見えることだろう。これを逃す筈もない。
要するに人通りの少ない夜にまさしく誘蛾灯の如く釣られて出てきた旅行客を餌に、獣は彼らを襲っていたのである。
そこまで理解が及んだ赤頭巾は一つの答えに辿り着く。
週に一度の点灯日。それがちょうど一週間前。
「あれ?ってことは……」
自らが言わんとしている事に赤頭巾が気づいた事を察した鴉頭は強く頷いた。
「ああ。今日の夜が点灯日という事になるな」
――まるで二人を誘うかのように、事件解決の糸口がその姿を見せ始めていた。




