第三十一話 予兆
鴉頭と赤頭巾がストラスを抜けておよそ一週間が経った頃。
いくつかの村を経由しながら、二人は予定を何ら逸脱することなく目的地であるランスに到着した。
鴉頭の言葉通り、協会の支部が存在するランスは門番に狩人証を見せるだけですんなりと足を踏み入れる事ができた。
残念なことに鴉頭の狩人証の提示だけで済んだ為、赤頭巾の懐で温められていた狩人証の出番は無かったが。
それはともかく肩を落としながらも無事にランスの門をくぐった赤頭巾だったが、その先に広がる景色を見た途端に感嘆の息を漏らしていた。
「わぁ……!」
首都近郊に位置するランスだが、この町はいわゆる観光地である。
その目玉が今も赤頭巾たちの眼前に鎮座する煉瓦造りの大通りで、町を両断するように敷かれた彩色豊かなそれを人目見ようとわざわざ首都からランスに訪れる者も少なくない。
故郷の寂れた林道どころかベイルムの無骨な石畳すら目新しかった赤頭巾が、足を止めてまで見入ってしまうのも無理はないだろう。
「すっごいですね!鴉頭さ……」
「…………」
いつにもましてテンションの高い赤頭巾に反して、鴉頭の態度はこれ以上ないほど冷ややかだった。
何やら顎を擦りながら思案する鴉頭に見事な無視をされた赤頭巾は密かに冷や汗を流す。
もちろん鴉頭の態度が冷たいのは今に始まったことではない。
問題なのはその態度がランスに近付くにつれ、より険しくなっていった事である。
そして赤頭巾には鴉頭の機嫌が悪化する原因に心当たりがあった。
鴉頭の態度が硬化し始める数日前。
相変わらず村に入ったものの誰の歓迎も受けなかった二人は何度目かの野営をしていた。
だがここである問題が発生する。
携帯食料が底を突いたのである。
詳しく言うなら、その日の一人分ちょうどを残して食糧が尽きたのだ。
少し物足りないが二人で分ければ多少の飢えは凌げる上に、目と鼻の先まで近づいたランスに着けば補給も容易いため鴉頭の様子は極めて穏やかだった。
穏やかでなかったのは赤頭巾の胃袋の方だ。
中途半端に腹に物を入れたせいで赤頭巾の胃袋はこれまでにない頻度で空腹を訴えた。主である赤頭巾の意思に反していようと尚も鳴り響いた。
とうとう居た堪れなくなった鴉頭が食べかけの食糧を与えることで事無きを得るのだが、赤頭巾にとっては黒歴史として刻まれる日となった。
そしてその後、日に日に口数を減らしていく鴉頭。
もはや赤頭巾は気が気ではなかった。
「あ、あのぅ、鴉頭さん怒ってますよね……?」
「…………お前は何か思うことは無いのか?」
おずおずと話題を切り出した赤頭巾に対して、鴉頭は僅かな沈黙の後まさかの質問返し。
赤頭巾の退路は断たれてしまった。
「やっぱり、鴉頭さんの分までごはんを食べちゃったこと……ですよね」
「は?」
「えっ、違うんですか!?」
「……赤頭巾」
急に神妙な面持ちで頓智来なことを言い出した赤頭巾に鴉頭は頭を抑えながらやれやれと首を振る。
自ら全くもって要らない恥をかいた赤頭巾が顔を赤くしながら俯く様子を見て、鴉頭は今までの態度についての答えをなるべく優しく告げた。
「ストラス……いや、フラウニースに入国してから今の今まで一度も獣に遭っていない」
「……それは、良いことじゃないんですか?」
「ああ、良いな。良すぎるくらいだ。だから怪しい」
獣の脅威に侵されない安住の地などこの世界には存在しない。
それをよく知る鴉頭だからこそ、国を境に獣がその影すらも見せないことに強烈な違和感を覚えた。
加えて今まで訪れた村の殆どに狩人協会が設置されていない事も鴉頭の不信感を増長させる要因となった。
防衛手段を持たないはずの村が獣害に遭遇せず生き永らえている。
鴉頭にとっては、妙な静けさよりもそのことの方が不気味だった。
しかしその謎を解明する手段を鴉頭は持っていない。
そんなある種の消化不良が鴉頭の態度に表れていたという訳である。決して赤頭巾のように食い意地を張ったのではない。
「まぁ今はいい。考えても仕方ないからな。……取り敢えず適当な場所で腹ごしらえでもするか?」
「うぅっ、もう大丈夫ですよ!」
鴉頭の純粋な気遣いに羞恥心を更に刺激された赤頭巾は、涙目になりながらランスの大通りで声を響かせるのだった。
――――
ランスに到着するまでの旅路と腹ごしらえは置いておいて、早速協会で情報を得ようと二人が足を進めたその時だった。
「……めてください……!」
「……はは!……るかよ!」
「この…………野郎が!」
路地裏から確かに聞こえる悲痛な声と下卑た笑い声に、鴉頭ではなく赤頭巾が真っ先に反応した。
「っ!私見てきます!」
「おい!……ったく」
それは反射的なものだったのだろう。
自身の制止する声を出す間もなく駆けだした赤頭巾に、鴉頭は悪態を吐きながらも後を追うのだった。
大通りから外れた薄暗い路地裏に向かった赤頭巾の目に飛び込んできた光景は、余りにも痛々しかった。
利発そうな眼鏡の男がいかにもガラの悪そうな屈強な二人組の男に足蹴にされて、赤頭巾が見ても高級そうな白地の服を汚して蹲っている。
「ぅ……」
「さっさと出すもん出せば痛い思いもしなくて済んだのになぁ?」
「ケっ、わざわざこんな所に来て自慢でもしに来たってのか?」
痛みと恐怖で身体をガタガタと眼鏡の男の様子を見てもなお、ゴロツキ二人は嘲笑を浮かべながらその場を離れない。
先ほどの言葉通り、眼鏡の男が見た目相応の金品を出さなければ更に暴力を加えるつもりなのだろう。
鴉頭も認める赤頭巾の善性はこれ以上の暴挙に我慢できなかった。
「やめなさい!!」
「「あぁ?」」
突如として響いた赤頭巾の怒気を含んだ凛とした声音にゴロツキが二人仲良く赤頭巾の方へ目を向ける。
みすぼらしい格好に性根を表したような醜悪な人相の男達と対面してようやく赤頭巾は恐怖を覚えるが、それを跳ねのけて彼女は言葉を続けた。
「寄って集って人に暴力を振るうなんて駄目ですよ!」
「……なんだこのガキ?」
「ここいらじゃ見たことねぇな。よそから流れてきたのか?」
赤頭巾の乱入にさしものゴロツキも困惑したのか、眼鏡の男も放置して顔を見合わせてコソコソと話し合う。
だがその話し合いも長くは続かなかった。
「めんどくせえ、攫って売っちまうか」
「売るったって……まだガキだぜ?」
「そう言うのが好きな変態もいるってことだよ。需要と供給だな」
「んじゃあ、憲兵に嗅ぎつけられる前にさっさとやっちまうか」
(な、なんだか話が物騒な方向に……!?)
一通り相談を終えたゴロツキのうちの一人が面倒そうに頭を搔きながら赤頭巾に近付く。
そして下世話な話を間近で聞かされていた赤頭巾は、無意味だと理解しながらも懐の包丁を握りしめた。
「この期に及んで逃げねぇってのは馬鹿なのか肝が据わってるのか、分かんねぇな」
「そのどちらもだ」
何故か仁王立ちで動かない赤頭巾に疑問を独り言ちたゴロツキの言葉に、低くしゃがれた声が後ろから答えた。
「は……?」
「だがそんなのでも俺の連れでな。出来れば手ぶらで帰ってくれ」
「鴉頭さん……!」
ゴロツキの背後を取って近付いていたのは鴉頭だった。
赤頭巾を追った鴉頭はいつでも能力を行使できるように様子を伺いながら、ゴロツキ二人を赤頭巾と挟む形で回り込んでいたのである。
そして鴉頭の奇妙な嘴の仮面と黒尽くめの姿を見たゴロツキの反応は決まっていた。
「か、狩人が居るなんて聞いてねぇぞ!?」
「言ってないからな。……片割れならもう逃げたが、お前はどうする?」
「……ちッ!」
如何に場数の踏んだゴロツキとはいえ、寧ろこれまで裏稼業を続けてきたゴロツキが狩人に面と向かって争おうなどとは考えない。
片割れがそうしたように、ゴロツキは路地裏に響くほど大きな舌打ちをすると近くの赤頭巾に目もくれず逃げ出した。
そして静けさを取り戻した路地裏で次に声を上げたのは赤頭巾だった。
「助かりました……ありがとうございます」
「……ああ」
自身で飛び込んだとはいえ、ひと先ずの危機が去ったことに胸をなでおろした赤頭巾の感謝を鴉頭は生返事で答える。
「あと、その……勝手に飛び出して、すいませんでした……」
「謝る必要はない。お前のそういう所を肯定したのは俺だ」
「で、でも……」
「反省しているなら次は俺にも確認を取れ。良いな?」
「…………はいっ!」
自省する赤頭巾に落とし所をつけて会話を終えた鴉頭たちは、次に足蹴にされていた眼鏡の男の介抱に向かう。
赤頭巾の起こしたひと悶着の間に逃げ出す体力も無かったのか、それとも律儀に待っていたのか、眼鏡の男は住居の壁に背を預けて座っていた。
「あの、だ、大丈夫ですか?」
「大袈裟だな。見たところ大事には至っていない」
「鴉頭さん!」
「ぅ……フッ、はは、ありがとうございます。彼の言う通り、殴られただけで大丈夫ですよ」
流石に助けられた手前だからか、狩人である鴉頭の物言いに怒る様子や恐れる様子も見せず眼鏡の男は微笑みながら自身の無事を伝える。
「幸いにも彼らに取られた物はありませんでした。お二方には……」
「礼ならこいつに言え。正直、俺はお前をどうこうする気は無かった」
自身に向かって頭を下げようとした眼鏡の男を遮って、鴉頭は感謝を伝える相手が間違っている事を指摘する。
飽くまでぶっきらぼうな鴉頭に赤頭巾がまた何かを言うその前に、眼鏡の男は彼女の方に向き直っていた。
「……随分と正直な狩人だ。では、赤い頭巾のお嬢さん。改めて礼を。……ありがとうございます」
「い、いえ、私は当然のことを……わぷっ」
眼鏡の男の仰々しい感謝に謙遜を続ける赤頭巾の頭を鴉頭が乱暴に撫でて中断する。
鴉頭の茶々入れに半目で睨んで抗議する赤頭巾に対して鴉頭は短く言い放った。
「人の好意は素直に受け取れ。それが礼儀だ」
「……ど、どういたしまして!」
「……君のような人に助けられた僕は幸運でしたね」
赤頭巾が緊張しながらも礼に応えた姿を見て、眼鏡の男は初めて自然な笑みを浮かべて独り言ちた。
それから少しして、服装こそ未だ草臥れているが身なりを整えた眼鏡の男は立ち上がると改めて頭を下げる。
「嫌がるでしょうが……狩人の貴方にも礼を」
「……ああ」
「それと、今更だが自己紹介を。僕の名はオンジュー。もしこの町で困ったことがあれば頼ってください」
自らオンジューと名乗った眼鏡の男は鴉頭にも礼を述べると、辺りを警戒するように見渡しながらもう一歩だけ鴉頭に近付くと小さな声で囁いた。
「そして礼の代わりと言ってはなんですが、一つ。実は一週間程前から、ランスで失踪者が出たんです」
「……ほう?」
神妙な面持ちで話題を切り出したオンジューの言葉に初めて鴉頭が興味を示す。
人の多い町で突然の失踪者が出たとなれば、当然思い当たるものは決まっている。即ち――。
「獣か」
「……あまり迂闊なことは言いたくありませんが、巷ではその様な噂が流布していまして。住民たちも神経質になっているようなのです」
「お前のような金持ちが路地裏に入っただけで絡まれるほどな」
「ええ。全くお恥ずかしい話ですが」
自身の嫌味を気まずそうに頬を掻いて首肯するオンジューを見て、鴉頭も獣の噂の信憑性について改めて確信を得る。
ランスは首都近郊という立地も相まって治安はそこまで悪くない。
たとえ人目のつきにくい路地裏だろうがそう易々とゴロツキに絡まれることなどあり得なかった。
しかし治安の悪化の遠因が獣にあるとするならば納得もいくというものである。
「ですが詳しいことは協会の方で聞いた方が良いでしょう。場所はお分かりですか?」
「ああ。獣の噂については助かった」
「いえ、お気になさらず。ああ、そうだ。僕はこの大通りを出て向かいの一画に住んでいます。ぜひ気軽に訪ねてください」
「……気が向いたらな」
「ええ。どうかお願いします」
頑な鴉頭に苦笑しながら、これ以上引き止める理由もないオンジューは路地裏から大通りを覗いてその場を去ろうと身を翻す。
しかしその身体が完全に見えなくなる前に、鴉頭の背後から慌てて身を乗り出した赤頭巾が声を上げた。
「あ、あの、貴重な情報、ありがとうございました!」
何処までも律儀な赤頭巾にオンジューはくしゃりと顔を歪めて下手くそな笑顔を作ると、大通りへと消えていった。
「ふぅ、オンジューさんが無事で良かったですね」
「ああ」
「獣の噂だって聞けましたし!」
「そうだな」
「……もしかしてオンジューさんのこと嫌いなんですか?」
「急になんだ」
赤頭巾から思ってもみない指摘を受けた鴉頭が胡乱な目で彼女を見つめる。
鴉頭から色好い返事が来ないことを知っていた赤頭巾は慌てて理由を述べた。
「えっと、なんだかいつもより刺々しかったような……。あっ、いや、いつも無愛想って訳では無くて……!」
「おい」
自らの失言を取り繕うどころか墓穴を掘り起こすような言動を続ける赤頭巾に、思わず鴉頭が制止の声を上げる。
「愛想が無いのは自覚している。それに、特別あの男に強く当たったつもりもない」
「そ、そうですか?」
「……むしろ、お前があの男に入れ込んでいるんじゃないのか?」
「それは、だって、あんなにいい人じゃないですか」
オンジューの紳士然とした物越しが記憶に新しい赤頭巾は、鴉頭がそれでもなお彼に敵意を見せる理由が分からなかった。
そんな赤頭巾の、恐らく一般常識に近い認識に鴉頭は短く応えた。
「だからだ」
「え?それってどういう……」
赤頭巾の疑問にこれ以上答える気も無い鴉頭はすたすたと暗い路地裏から大通りへ出る。
獣が忌み嫌われるように、それに近しい狩人もまた忌み嫌われている。
故にその存在に対して好意的に接する人間など寧ろ怪しい。
それが道理だ。
しかしその警戒心にも似た懐疑心が己の悪癖であると理解していた鴉頭は、赤頭巾に他ならない自分が悪影響を及ぼさないために口を噤んだ。
一方、赤頭巾は鴉頭がもしや嫉妬でもしたんじゃないかと胸を震わせながら、その後ろを追い掛けるのであった。
――――
その言葉通り、淀みない足取りで協会まで進んだ鴉頭たちは間を置かず建物内部に足を踏み入れる。
そして扉をくぐった瞬間、赤頭巾は妙な違和感に足を止めてしまった。
(あれ……?)
言語化はできないが、確かに感じた不和に赤頭巾が鴉頭へ呼びかけようと視線を向けると、彼も同様に足を止めて鐘鳴らしがいるはずの上階を見上げていた。
「鐘の音がしない……?」
「あっ!それだ!」
違和感の正体――即ち鐘の音の不在を鴉頭が言い当てたことに赤頭巾も同意を示す。
狩人協会に駐在する鐘鳴らしの役目は獣の発見、報告と、そもそも街に獣を近づけないための獣除けの鐘を鳴らす守り人としてのものがある。
そのため今まで赤頭巾の訪れた協会では、壊滅したケルンを除いて、鐘鳴らしは常に獣除けの鐘を鳴らしていた。
普段では聞き取れない微弱な鈴音だが、協会内であれば微かに聞こえるそれが今は聞こえない。
明らかな異常事態である。
「赤頭巾」
鴉頭の短く、硬い声音に赤頭巾も警戒を強めて彼の傍に近寄る。
傍らの赤頭巾の足並みに合わせつつ、辺りを警戒しながら鴉頭は協会の軋む階段を登って屋上へ向かう。
難なく辿り着いた屋上は本来であれば、鐘鳴らしが物見やぐらの如く街を見下ろしているはずの空間、だった。
「これって……」
冷たい風が吹き抜ける中で赤頭巾の戸惑う声が揺蕩う。
――そこには、空っぽの黒いローブだけが捨て置かれていた。
「……なるほどな」
「鴉頭さん?」
辺りに獣の気配がない事を確認した鴉頭は、被っている帽子を抑えながら俯きがちに一つの事実を反芻した。
「鐘鳴らしが殺された」




