第二十九話 霧散
第二章はこれにて完結となります。
時は過ぎて数日後。
ケルンの町の一連の事件にひと先ずの終結を迎えた鴉頭と赤頭巾は、獣が目指していたフラウニース国境沿いのザールと呼ばれる村に滞在していた。
場所はザールの一画に位置する無人の協会支部内。
机を隔ててちょこんと席に座る赤頭巾と、何処か窮屈そうに座る鴉頭が顔を突き合わせている。
「駄目でした……」
「俺もだ」
開口一番に収穫がなかった事を申し訳なさそうに伝える赤頭巾に鴉頭も続いて首を横に振る。
当然誰も近づかない場所で二人きり、赤頭巾はともかく鴉頭も珍しく一緒に肩を落としていた。
この状況になった理由を説明するには獣を討伐した直前まで時を遡る。
――――
「これで本当に終わったんですよね……?」
「ああ、今のところはな」
未だ鴉頭に抱えられたまま、おずおずと質問をした赤頭巾はようやく戦闘が終わったことに胸をなでおろす。
一方、鴉頭は獣への怒りがまだ冷めやらないのか、靴裏にこびりついた粘液を地面にこすりつけて汚れを落としていた。
「それで、この後はどうするんですか?」
「取り敢えずあの村で情報を得る」
獣を嬲っていた時から既に決めていたのか鴉頭の返答は早かった。
しかし鴉頭の答えを聞いても赤頭巾には解せない事が一つだけ残っていた。
「でも……あの獣のひとを倒しちゃったんですよね?一体どうやって……?」
「恐らくあの村には奴の内通者がいる」
「えっ」
鴉頭の即答に赤頭巾は驚きの声を上げる。
獣の内通者。
考えてみればバケツ被りという前例が存在するのだ。その他に協力者がいてもなんら不思議はない。
獣が一目散にこの村を目指していたことも相まって、寧ろ居ない方が不自然なくらいである。
「もしあの獣がお前の捕縛に成功していたとして、足手まといを抱えながら俺の追跡を振り切れるなどとは流石に考えないだろう」
「あ、あしでまとい……」
鴉頭の口から飛び出た真実という名の刃が赤頭巾の心にぶすりと突き刺さる。
あまりのショックに、しかし反論のしようもない正論に赤頭巾は密かに肩を落とした。
「いや、足手纏いというのはあの獣に赤頭巾は手に余るという意味でだな。別に俺自身がお前をそう思っているわけでは……」
露骨に落ち込む赤頭巾に流石の鴉頭も居た堪れなくなり、すかさず慰めの言葉をまくし立てる。鴉頭は優しい狩人なのである。
「フフッ、そんなに必死にならなくても分かってますよ?」
「……分かっているのならいちいち落ち込むな」
鴉頭の様子にすっかり毒気を抜かれて破顔する赤頭巾に鴉頭は短くツッコミを入れて、改めてこれからの予定について語り始める。
「兎に角、奴がわざわざこの村に逃げ込んだのなら内通者が滞在しているか、合流するかのいずれかだ。そいつを炙り出して吐かせる」
「分かりました!…………あの、もう一ついいですか?」
「なんだ。まだあるのか?」
今後の計画を話し終えた鴉頭が村に向かって足を運ぼうとするその前に、赤頭巾がまたしても鴉頭に待ったをかける。
若干の肩透かしを感じた鴉頭がぶっきらぼうに赤頭巾を見下ろすと、赤頭巾はもじもじとしながら口を開いた。
「そろそろ下ろしてください……」
そう言って顔を赤くする赤頭巾を見て、鴉頭は今の今までずっと赤頭巾を抱えていた事を思い出すのであった。
――――
時は戻ってザールの協会支部内。
二人の意気消沈っぷりから分かるように、鴉頭の予見していた内通者はその影も踏ませなかった。
いや、寧ろそんな存在は初めから居なかったかのようだった。
鐘鳴らしから協会内の資料、鴉頭と赤頭巾が自ずから聞き取り調査を行った市井に至るまで、それらしい人物は全く挙がってこなかった。
それどころかこのザールに訪れた人間は直近の一ヶ月から数えても鴉頭と赤頭巾の両者のみだった。
「唯一それっぽいのは山で火事があったぐらいですけど……」
「その小火騒ぎなら俺も聞いた。だが、恐らく関係ないな」
「そうなんですか?」
「お前は焦げた死体を食おうと思うか?」
「そもそも人なんか食べませんよ!?」
赤頭巾のツッコミは置いておいて、鴉頭の言う通り獣は基本的に火は用いない。
これは火を恐れるからではなく獣にとって火が人を殺す手段の中でも不便が多いからである。
飢えた獣が人を襲う理由は食べるためであり、律儀にこんがり焼けるまで待つ必要はない。
殺人衝動を抑えるためでも、焼殺は時間がかかる上に非常に目立つ。
つまり獣側にとって人を殺す手段として火を使う意味が全く無いのである。
「それに鎮火も早くて被害はほぼなかったらしい。今回の件とは無関係だろう」
狼煙を上げて合図をした、という可能性もあったが住人が火の光を見たのは夜中だったのでそれもない。
よくある火の不始末であると鴉頭は結論を出していた。
そしてそれは申し訳なさそうに何とか異変を話そうとする村人の様子を見ていた赤頭巾も察していた。
「つまり、完全に手詰まり、ってことですよね……」
「…………あぁ」
ダメもとでゴードン家についても聞いたがそれらしい話は何も得られなかった。
アルスフェルトと同じく上納先がケルンの町で、その領主の家である程度の認識だった。
そして事件の張本人であろう獣や、その事情を知っていそうなバケツ被りは既に鴉頭の手で葬られた。
つまり赤頭巾の言う通り、ケルンの町、ひいてはギーセン村で起こった獣害事件の手掛かりを全て失ったのである。
「やっぱり……その、獣を倒したのは…………いえ、なんでもありません!」
唯一の手掛かりになりそうなあの獣を倒して本当に良かったのかと、赤頭巾は言外に鴉頭へ問おうとしたが、その本人にじろりと睨まれたことで素早く口を噤む。
赤頭巾の変わり身の速さに苦笑いを浮かべながら鴉頭も頭を振った。
「いや、今回ばかりは俺の早とちりだった。あの獣を殺すべきではなかった」
「で、でも、何を企んでたかも分かりませんし……!」
あの狩人である鴉頭が獣を殺した事を悔やんでいる。
そんな有り得ない光景を目にして何故か赤頭巾が鴉頭に慰めの言葉を送る、奇妙な現象が起きていた。
しかしそれも長くは続かない。
「だが、内通者が居ないのなら最早この村に滞在する意味も無くなった」
「じゃあベイルムに戻るんですか?」
内省を済ませた鴉頭はすぐさま次の行動に向けて赤頭巾に短く話す。
「いいや、このままフラウニースに向かう」
「あ、たしかアンゲルさんと合流するんでしたっけ?」
「ああ、それに手掛かりを完全に失ったわけでもない」
「えっ」
あまりにサラッと重要な事を告げた鴉頭に赤頭巾は自身の耳を疑う。
驚きの声を漏らした赤頭巾が更に鴉頭へ質問をするその前に、鴉頭は赤頭巾を指差して答えを告げた。
「お前だ」
「私ですか!?」
予想外の言葉に赤頭巾は自らも自身に指を指して椅子から立ち上が……ろうとしたが背丈が足りず身を乗り出すだけに留める。
「あの獣はお前が器だと言った。そうだな?」
「は、はい」
「そして獣の女王とやらが、器であるお前を狙っている」
「……らしいですね」
鴉頭たちに唯一残された手がかりである獣の言葉を鴉頭は要約して赤頭巾に確認する。
鴉頭すら知らなかった獣の女王と呼ばれる存在が何故か赤頭巾を狙っている。
もはや鴉頭たちに残された解決の糸口はこれだけだった。
「女王とやらがお前を使って何をするつもりかは知らないが……こうなってくると情報屋をフラウニースに向かわせたのは渡りに船だった」
「は、はぁ……」
一人で何やら納得する鴉頭を見て赤頭巾は生返事を返して首を傾げる。
赤頭巾自身にとって、器だの、獣の女王だのは全く知識にない初めて聞く言葉だった。
あの変わり果てた祖母でさえ、関連のあるような言葉は一言も発さなかったのだ。
その情報がフラウニースに行ったからといって都合よく判明するのだろうか?
そんな赤頭巾の内心をなんとなく察した鴉頭は改めて赤頭巾に向き直る。
「まずゴードン家のことだがもうベイルムに戻っても意味はない」
「はっきり言うんですね……」
「例え獣と何かしら取引をしていたとしてそれをわざわざ文書には残さないだろうし、あったとしても俺には閲覧する権限がない」
鴉頭の決め手となったのは主に後者が強かった。
狩人協会が大きい組織とはいえ飽くまで獣を狩る実働部隊のまとめ役である。
その協会に政治に関する文書を保管するわけもなく、またそれを閲覧させる意味もない。
加えてここ数年、鴉頭はベイルムを中心に行動していたため、それなりに伝手もある。
そしてその中に器という抽象的な言葉はともかく、獣の女王について知っていそうな人間は居ない。
だからこそ鴉頭は予め情報屋をフラウニースに向かわせていのだ。
今さら協会に戻ったところで、ひいては旧プライセル公国に戻ったところで情報収集には限界がある。
それが鴉頭の出した結論であった。
「それにフラウニースは通過点に過ぎない」
「え?通過しちゃうんですか?」
「獣が出れば話は変わるが、長居するつもりはない」
「えっと、ならどこに向かうんですか?」
田舎から出て全くの土地勘が無い赤頭巾はフラウニースの先を知らない。なんならフラウニースも知らなかった。
鴉頭もなんだかんだ理屈をこねていたが、狩人協会の上位ランカーであるバケツ被りが敵として現れた時から、既に最終的な目的地は決めていた。
「狩人協会本部。そこに向かい、ランカーⅠに話を付ける」
「ほっ!?ラっ!?」
「落ち着け」
「だ、だって、狩人協会の本部があるって事は……!」
赤頭巾が奇怪な声を上げるのも無理がないほど、鴉頭の口から出た言葉は予想外だった。
狩人協会の本部があるという事は、つまり世界連合政府の本部もあるという事だ。
その言葉の意味するところは――。
「ああ、人類最後の安住の地、ユナイド・ステイリア連邦に向かう」
多くの謎を抱えたまま、物語は次の舞台へと移ろうとしていた。




