第二十七話 決着
エターナルしない
「フッ!」
――バチュンッ!!
肉の切断する音と潰れる音を同時に鳴らしながら、鴉頭は最初に落下してきた鳥たちを難なく払いのけた。
横一線に並んだ先頭の三匹を横なぎに両断した鴉頭は【鋸鉈】を振り切る前に刃を翻す。
「ギャッ!?」
【反転】を行使するまでもなく【鋸鉈】の軌道を無理やりに返した鴉頭は後続の鳥たちを再び哀れな肉塊に変えた。
先陣の鳥のおよそ倍ほどの数を叩き落とした鴉頭だったが、肉の雨粒は次第にその質量を着実に増していく。
野鳥の群れは基本的にⅤ字状を形成して飛行する。
それはバケツ被りの作為的な事象でも例に漏れず、落下していく肉の雨も続いて増えるのだが、鴉頭はその点について憂慮はしていなかった。
鴉頭の最優先事項は赤頭巾の防衛ひいては自身の致命傷の回避であり、バケツ被りの命はおろかこの鳥の雨の全撃墜を果たすつもりなど毛頭ない。
加えて膨大な数の鳥たちも所詮は有限。
たとえ降鳥の密度面積が指数関数的に増えようがそもそも動きを止めている鴉頭には何の脅威にもならない。
更に烏合の衆である鳥たちが寸分の隙間も、乱れもなく列を成している訳もまた、無い。
それは即ち鴉頭に休息の時間を与えることと同義である。
このまま直線上に降ってきた鳥を切り落としつつ、僅かな間隙を縫って群れの配置を確認し効率的に処理を続ける。
これを繰り返すだけでやがて鳥の数は減り、残るのは既に死に体のバケツ被りのみ。
不意を突いた広域攻撃としては評価できるが所詮は奇をてらった搦め手。
自身の勝利は依然として近付いている事を確信した鴉頭は第一陣の群れを落としてほくそ笑みながら次の群れに備えようと――。
「【増幅】しろ」
「くっ……!?」
鳥の群れの隙間。
生物である以上必ず発生するそれを狙っていたのは何も鴉頭だけではなかった。
鳥の雨が止む僅かな合間は即ち、降鳥下範囲外にいる者が安全にその空間へ侵入できることでもある。
そしてバケツ被りはその微小な時間を惨めな延命に費やすのではなく、鴉頭の命を削るための追撃へ活用することに意味を見出した。
既に飽きるほど目にしてきたバケツ被りによる質量の増した【槌杭】の単純な横なぎは、しかしここにきて初めて鴉頭の命に肉薄する一撃へと変容する。
偏った重心は攻撃の方向が読みやすく、反撃する隙をも晒した杜撰な行動。だが直撃だけは避けるべき“重い”一撃を今の鴉頭は回避できなかった。
もし安易に身を翻せばその隙を縫って鳥の雨が容赦なく背後の赤頭巾を貫くだろう。
かと言って特殊隕鉄によっても守られた【槌杭】を【反転】する事はできない。
加えて鳥の雨を凌ぐためにも【鋸鉈】を失うわけにはいかなかった。
「ぐっ、おぉぉぉ!!」
――ならば鴉頭の取るべき一手は決まっていた。
自身の首元を狙う【槌杭】に沿わせるように左腕を下から敢えて抉らせながら持ち上げたのだ。
コートの中で筋肉を削られながら【槌杭】をすんでの所で跳ねのけた鴉頭だったが、空いた右腕の【鋸鉈】がバケツ被りに向かうことは無かった。
「クソっ……!」
バケツ被りは既に退避を始めていたのである。
鴉頭は内心でそのバケツ被りの姑息な手段を称賛せざる得なかった。
バケツ被りにとって【槌杭】の一撃で鴉頭を殺す必要はない。
致死であることだけが重要で、後は放っておいても未だ降り続ける鳥の雨が始末してくれる。
鴉頭が赤頭巾の命を軽んじて追撃にうって出る可能性を度外視しての行動は、鴉頭にとって憎たらしい事この上ない程度には痛手だった。
しかし鴉頭に恨み言を放つ余裕は与えられていない。
バケツ被りが退いたのであれば次に待ち受けるのは鴉頭の身体を貫きうる肉の雨だ。
寧ろ鴉頭が当初に抱いていた目論見はもはや理想論に陥っていた。
バケツ被りの追撃を無視できない以上いつまでも鳥の配置を注視してはいられない。
そして鳥の群れはまだ増え続けている。
「……やっと面白くなってきた訳だ」
自身の首元にも死神の刃が添えられた事に気付いた鴉頭は己を奮い立たせる意味も込めた独り言を呟いて【鋸鉈】をより一層深く握りしめる。
バケツ被りの【怪雨】は漸く完成を果たし、今まさに鴉頭に襲い掛からんと降り注ぎ始めた。
――嵐が、巻き起こっている。
鉄と血と脂が吹き荒れる様を赤頭巾はそう形容する他なかった。
鳥の雨は鴉頭の見立て通りその数を淡々と増やし、もはや寸分の隙も無く鴉頭を責め立てていた。
そして僅かに出来た晴れ間を突くようにバケツ被りが【槌杭】の一撃を加える。
それらが二度三度と続けば、次に驚嘆するのはバケツ被りの方であった。
「こいつは……本当に化け物か……!?」
【怪雨】は間違いなく鴉頭の命に届く決定打となる筈だった。
加えて消耗した自身を鞭打って多大なリスクの伴った追撃をも敢行した。
なのに、何故、目の前の狩人は未だに五体満足で【鋸鉈】を振るっているのか。
空を埋め尽くすほど群れた鳥の雨を捌きながら一撃で致命傷に至る攻撃をあしらいつつ戦闘能力皆無の少女を守り切る。
文言にすればその荒唐無稽さがより沸き立つほど鴉頭の行動は常軌を逸していた。
こうなればバケツ被りの脳裏にあり得るはずの無い未来が過る。
もしかすれば鴉頭が【怪雨】を防ぎ切ってしまうのではないかという一抹の不安が。
だがバケツ被りの危惧とは裏腹に鴉頭もまた、刻々と限界に近付いていた。
既に最初の計画とは遥かに乖離しており、鴉頭はもう鳥の群れの隊列と動きの予測を放棄していた。
これに関しては鴉頭の見通しが余りにも浅かった。
単純に鳥の数が多すぎたのである。
最早ふるい落とすべき肉塊を選ぶ余裕など存在せず鴉頭は文字通り赤頭巾の脅威になる弾を受け止める壁となり果てていた。
四肢の端々は超質量の嘴によって傷にまみれ、【槌杭】を一身に受けた左腕に至っては筋肉が粘液状になるまで叩き潰されており、鴉頭の袖の下は支柱となる骨とそれを繋げる僅かな筋線維が残っているばかりだった。
必然、鳥を捌く手数に制限が掛かり鴉頭をじりじりと追い詰めていく。
(このままではジリ貧……いや、余計な事を考えるな……!集中、集中しろ……!!)
自身の左外大腿を抉られるのを感じながら、痛みと熱によって余計な意識を排除した鴉頭は改めて頭と胴に向かって飛来してきた鳥を袈裟向きに切り裂く。
卑小な切断範囲から漏れ出た鳥たちが鴉頭の肩や足を裂きながら地面に内臓をぶちまけていくが、当然赤頭巾には掠りもしない。
だがそのうちの一匹が鴉頭の合間を縫って真っ直ぐ赤頭巾に向かって通り過ぎていく。
それを横目に見た鴉頭は既に詠唱を始めていた。
「ッ!【反転】しろ!」
その物量を増やすことで鴉頭を窮地に追いやった【怪雨】だったが、それ故に発現したデメリットもあった。
【反転】によって雨粒の迎撃が可能になったのである。
バケツ被りの能力は飽くまで等しく質量を増やすだけ。つまりたとえ落下運動を反転させたとてその質量をそのままに他の鳥を打ち落とせることにほかならない。
案の定、衝突し合った肉が爆弾のように弾け飛び臓物と脳漿を散らしながら血煙を上げる。
それは鴉頭が【怪雨】を受ける中で編み出した赤頭巾を危険に晒す隙を敢えて利用した時間稼ぎだった。
「【増幅】しろ」
そして噴き上がった血煙を搔きわけながらバケツ被りが鴉頭目掛けて突貫した。
(目敏い……!)
バケツ被りも初見である鳥の迎撃で生まれた僅かな隙を、しかし彼は見逃さなかった。
肉爆弾が爆ぜるその前に【鋸鉈】を振り上げていたバケツ被りは一切の淀みなく鴉頭の【鋸鉈】を持つ右腕を狙う。
この修羅場で【鋸鉈】と右腕まで失えば鴉頭はとうとう怪雨を防ぐことが出来なくなる。
極限まで集中していた鴉頭は思考よりも先に自身の左腕を持ち上げていた。
僅かばかりの筋繊維で何とか右肩付近まで上がった左腕が、狩人すら持て余す質量の【槌杭】によって骨ごと削られていく。
見るどころか聞くことも憚られるような痛々しい光景にさしもの鴉頭も苦悶の表情を浮かべた。
「ぐっ、ぅおおおおおお!!!」
骨の表面とこびりつくように残っていた筋肉をこそぎ取られた鴉頭は激痛を誤魔化す為に声を上げながら【鋸鉈】を振りかぶる。
見据える先はバケツ被りの背後。
未だに降り続く鳥の雨を捉えようとして、鴉頭は異変に気付いた。
バケツ被りが退いていない。
それどころか振り切った【槌杭】を翻してすくい上げようと溜めを作っていた。
ここまで来れば鴉頭も一つの答えに辿り着く。
「雨は上がったみたいだな!バケツ被り!!」
「それは貴様もだろう!?」
――火花が散る。
振り落とされた【鋸鉈】とすくい上げられた【槌杭】が衝突し、いつの間にか日の傾いた薄暗いケルンの町に閃光を放った。
バケツ被りの【増幅】は質量を増やす。
そしてその急激に増幅した質量を遠心力と併用して絶大な破壊力を生み出すものだ。
鴉頭が【鋸鉈】の破壊を恐れて武器の打ち合いを避けるほどその威力は凄まじいが、それを利用できないパターンがいくつか存在する。
それが今のような【槌杭】を持ち上げる動作である。
たとえ能力者自身であろうと干渉能力は等しく作用される。
この土壇場で持ち上げる武器をわざわざ重くする狩人など存在しない。
だが能力の伴っていないバケツ被りの一撃に鴉頭は微塵も脅威を感じていなかった。
加えて【鋸鉈】を振り下ろす鴉頭とそれを防御するバケツ被りでは体勢の点で鴉頭が有利となる。
このまま頸を切り落としてやる。
そう、鴉頭が【鋸鉈】に力を込めた事に反して――。
――キィィィィン。
当初に比べてあまりに弱々しい金切り音を震わせながら両者が同様に弾き飛ばされた。
(押し切れない……!)
お互いに武器を弾かれた鴉頭とバケツ被りだったが、その状況に甘んじて制止する狩人はここには存在しなかった。
しかしそうなってしまえば圧倒的に不利なのは未だ左腕の機能を失っている鴉頭の方だ。
仰け反りながら左足でバケツ被りを蹴るつもりの鴉頭と、弾かれて地面を突いた【槌杭】を支えに左拳を突き出すバケツ被りが交錯するその直前。
仕掛けたのは――。
「【増幅】しろ」
バケツ被りだった。
「っ、【はんて……!」
「遅い!!」
蹴り上げようとした左足を、自身の体重を超えるほどの質量に増幅された鴉頭が【反転】する前にバケツ被りの左拳が鴉頭の仮面越しに頬へめり込み、貫いた。
狩人の尋常を超えた膂力による拳が鴉頭の歯茎をぶち抜いて振り切られようとしたところで、しかし鴉頭も詠唱を諦めていなかった。
「ん】しろォ!!」
大質量を【反転】され、羽のように軽くなった鴉頭の左足がバケツ被りの無防備なわき腹に炸裂する。
「ぅぐ、がぁっ……!」
「っ、ぐぅっ……」
呻き声を上げて腹を庇いながら後ずさりするバケツ被りを、歯嚙みするように同じく呻きながら鴉頭は眺めるにとどまる。
もはや鴉頭に追撃を行う余力はどこにもなかった。
いや、それどころか。
「……っ、クソっ」
――ガシャン。
あまりに軽快な音を立てながら鴉頭は膝を突いた。
苦しむように。もう既に立っていることすら困難であるかのように。
それを塞がれていない隻眼の瞳に写したバケツ被りは、まず瞠目し、それから鉄兜の下に隠れる口を大きく歪めた。
「く、ふ、はは……雨を凌がれた時は流石に覚悟したが……」
「最後に立っていたのは俺の方だ……!!」
「俺の!俺の勝ちだ!!」
ケルンの町でバケツ被りの勝鬨が響き渡った。
「……」
血みどろになった地面にうずくまる鴉頭は狂喜に揺れるバケツ被りに対して沈黙でもって応える。
【怪雨】は鴉頭の命にこそ届かなかったが、バケツ被りと鴉頭の間にあった覆しようもない戦力差をひっくり返すには至った。
本来ならあの左足の一撃で勝負は決していた。
あれだけ無防備な横っ腹に本気の足蹴を入れれば貫通とまでは言わずとも、肋骨や内臓を潰すぐらいは出来たはずだ。
だがそうはならなかった。
せいぜい、バケツ被りをよろめかせる程度が関の山だった。
それどころか、背後の赤頭巾を庇うために受け流せなかったのもあるが、左腕の欠損に加えて無理に突き出した足はとうとう直立に耐え切れず、蹲った今でも赤頭巾にも伝わるほど震えている。
赤頭巾にも認識できるそれを、対峙するバケツ被りが見逃す訳もない。
つまり鴉頭はバケツ被りの早合点を否定する根拠を持っていなかったのである。
「さて……これ以上喜ぶのは貴様を殺すまでの辛抱だな」
「お前は、なぜ獣の女王に与する?……なぜ赤頭巾を狙う!?」
死ぬ前に真実だけでも知りたいと、鴉頭はバケツ被りに疑問を投げ打つ。
だが鴉頭に負けず劣らず満身創痍であるバケツ被りはゆったりとした動作で【槌杭】を肩に乗せると、一歩ずつ近づきながら鴉頭の問いを嘲笑った。
「女王など、どうでもいい。そこの小娘もな」
「なら……!」
「言っただろう?俺の狙いは貴様だけだ。鴉頭、貴様を殺せば全てが解決する。俺たちを取り巻く忌々しい宿痾すべてが、貴様を殺すだけで解決するんだ」
「っ、どこのどいつがそんな妄言を……!?」
「貴様が知る必要はない」
バケツ被りは鴉頭の疑問に答えない。
寧ろ事実しか答えていないように鴉頭は感じた。
つまりバケツ被りは獣の女王とやらや、赤頭巾に使われる器という言葉の意味も知らない。いや、興味がないという素振りだった。
(獣の女王は一枚岩でない?それとも協力者がいる?それがゴードン家だった……?)
鴉頭の脳裏をよぎる推測を、だが鴉頭自身は否定する。
そもそもただの貴族、それも獣などと協力するような人物をバケツ被りが信頼するわけがない。
真実は依然として不透明。
唯一はっきりしているのはバケツ被りの鴉頭に対する殺意だけだった。
鴉頭が思考を張り巡らせていると、不意に肩を掴まれる感触に気付いた。
「鴉頭さん……わ、私……」
涙目になりながら鴉頭の肩を掴んだ赤頭巾は覚悟を決めたように鴉頭の前に躍り出ようとする。
このまま何もせず目の前でむざむざと鴉頭を殺されるぐらいなら自身が盾になる。
そう覚悟を決めたはずなのに、鴉頭以上に震えて泣きそうになる赤頭巾の手を鴉頭は上から手を重ねて制止した。
どうして、という言外の赤頭巾の視線を鴉頭は正面から見据えると、何も言わずバケツ被りを見上げた。
鴉頭と赤頭巾のやり取りを傍観していたバケツ被りは鴉頭に同情するように顎をしゃくり上げる。
「ああ、安心しろ。後ろの小娘も直ぐに同じ場所へ送ってやるとも。……それとも今すぐ尻尾巻いて抱えながら逃げるか?なぁに、それぐらいなら待ってや――」
「俺も言ったはずだ。獣に背を向ける事は無い。とな」
これだけ近づこうと立ち上がれないにも関わらず、この期に及んでまだ自身を煽る鴉頭にバケツ被りは遂に呆れながら【槌杭】を振りかぶる。
「その物言いもここまで来ると滑稽だな。では……死ね」
バケツ被りの狙いはもはや鴉頭の脊椎、ただそれだけ。
項垂れてピクリとも動かない相手に当てるのは造作もない。
だが鴉頭だ。小細工を弄する可能性も高い。
故に万感を込めた全身全霊を。
「【増幅】しろ」
横なぎに振った【槌杭】を視界に入れて能力を発動した大質量の一撃。
それは何者にも阻まれず、まっすぐと、鴉頭の首筋に――。
「【反転】しろ!!」
それと同時に鴉頭は詠唱を開始した。
「だからそれはむい――」
みだと、バケツ被りは続けることが出来なかった。
バケツ被りですらコントロール不可能な質量に増幅した【槌杭】は、無効化したはずの【反転】によってバケツ被りの振った向きとは逆の方向に吹き飛んでくるくると回転しながら勢いよく地面に突き刺さった。
そして僅かに一拍を置いて鴉頭は口を開いた。
「考えてみれば単純な事だった」
「……っ」
気付けば立ち上がっていた鴉頭が切り出した脈絡のない言葉を、バケツ被りは問い質さなかった。
察してしまったのだ。
【槌杭】の致命的な絡繰りが、解明されてしまったことに。
「特殊隕鉄は唯一、俺達の次元干渉能力の対象にならない。その特性に例外は存在しない」
「なのに、お前の【槌杭】はお前の【増幅】が適用され、俺の【反転】は無効化した」
「自分の能力は使えて、相手の能力は使えない。正に夢の性能だな」
「もう、いい」
【鋸鉈】を弄びながらぺらぺらと話し始めた鴉頭の話をバケツ被りは遮った。
「だがそんな虫の良い話はない。あったとして、独占できない」
しかし、鴉頭は無視して続ける。
「だから単純な工夫だ。お前は【槌杭】の一部を、特殊隕鉄以外の金属で構成した特注品を使っていた訳だ」
それがバケツ被りの【槌杭】の革新的な機能であり、同時に致命的な弱点だった。
バケツ被りの【増幅】は視界にある物体の質量を増加させる。
だが、干渉能力へ対抗するために造られた特殊隕鉄製の武器を攻撃に転用できない。
そうなると良くて足止め、それか都合よく鳥の大群でも来ない限り決定打に欠ける能力だった。
だからバケツ被りは考えた。考えた末に導き出した。
質量を増やし、遠心力と威力そのものを増幅するのに【槌杭】すべてが特殊隕鉄である必要はないと。
実際、特殊隕鉄と同じ色に着色すれば初見で気付く事は不可能であり、加えて鴉頭の認識も特殊隕鉄が含まれていれば能力を妨げられる、当人間も知らざる特長が存在した。
「そんな事はもうどうでもいい!いつ、それを特定した!?」
バケツ被りにとっての想定外はその特殊隕鉄以外の金属の箇所を鴉頭が特定したことだった。
目視で判断することは不可能だ。
ならば一体いつ――。
「おいおい……お前が使い物にならなくなるまでぶつけてきたんだろうが」
そう言って鴉頭は血まみれの左腕をぷらぷらと揺らして見せた。
そう、鴉頭はあの【怪雨】を捌きながら、迫りくるバケツ被りの【槌杭】による一撃を敢えて受けることで特殊隕鉄以外の金属の比重を判別し、その絡繰りに気付いたのである。
「まぁ、本当に【反転】できるかは賭けだったが……結果はこの通りだ」
「さて……ほら、なんだった?俺を殺すまでの辛抱だったか?喜べよ。死ぬのがお前に変わっただけだ」
「それが諦める理由にぃ!」
「なるだろ」
短く吐き捨てた鴉頭は今度こそ自棄クソ気味に向かってきたバケツ被りの両腕を【鋸鉈】で切り離した。
「ぐっ、ああああ!?うで、俺の腕がっ……!?」
「それぐらいで騒ぐなよ。男の子だろ?」
バケツ被りに鴉頭ほどの度を越えた治癒能力は無い。
両腕からとめどなく血が噴き出る様子を見て狼狽えるのも無理はなかった。
「っ、ぐぅっ……ぁあっ……!俺は、殺す……終わらせる……終わらせなければならないっ……」
「尻尾を巻く暇もなさそうだな」
「……ふぅ、ふっ、くっ、はっ、ははっ、俺も貴様と同じだ……」
「あぁ?」
「獣に向ける背など……!無い!!【増幅】しろ!!!」
噴き出る血を辺りにまき散らしながら鴉頭の両足の靴を【増幅】したバケツ被りは殴り掛かる。
――ざんっ。
そのバケツ被りの拳、否、手首が鴉頭の顔を血で汚すその前に、鴉頭の【鋸鉈】がバケツ被りの首をあっけなく切り落とした。
生首を収めたバケツがころころと転がり、殴りかかろうとしていた身体は不自然な位置で固まったまま血に濡れた地面へ墜ちていった。
「確かに、傍から聴くと滑稽だな」
鴉頭は吐き捨てると【鋸鉈】に付いた血を払う。
すると、刎ねられたバケツ被りの生首が依然としてぎらぎらと充血させた瞳を更にどす黒く濁らせながら譫言を呟いた。
「いずれ……後悔する日が来るぞ……今日、俺に殺されておけば良かったと……絶望の淵に立つ時が……!!」
それを見下ろしながら近付いた鴉頭は右足でゆっくりとバケツごと生首を踏み潰した。
「なんで首を刎ねたのに喋ってんだよ。気持ち悪い。さっさと……死ね」
バキバキと鈍い音を立てながら頭蓋骨とバケツをひしゃげ潰されたバケツ被りは遂に沈黙した。
仄暗さが残る夕焼け。
血と臓物の海に沈んだケルンの町で巻き起こった争いに、ようやく終止符が打たれるのであった。




