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鴉は少女と肉を喰らう。  作者: 詩徒
第二章 人間回帰への旅
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第二十六話 怪雨

「認めよう……鴉頭。確かに貴様は俺より強い……」


 鴉頭が歩み寄る間に【槌杭】を支えにしながら立ち上がったバケツ被りは、言い聞かせるかのように鴉頭の強さを正直に賛美した。


「命乞いにしては些か遅かったな」

「クッ、ハハハ……獣如きが笑わせるなよ……」

「お気に召したのなら良かったよ。幸せなまま死ねるんだからな」


 強がるように笑うバケツ被りだったが、彼の勝利する可能性が風前の灯火であることは素人の赤頭巾から見ても明らかだった。

 【槌杭】を杖にしながら立つ姿は満身創痍という他なく、よしんば傷が癒えたところで能力も単純な戦闘でもバケツ被りが鴉頭に勝る要素は残されていない。

 気丈に振る舞う姿もここまで来ればいっそ哀れですらあった。


 だがバケツ被りを獣と見定めた鴉頭が彼に慈悲を与える可能性も既に残っていない。

 だからこそ死に体であるバケツ被りにすら、会話できる程度の時間をかけながらも警戒を解かず一挙手一投足に目を配りながら近づいているのである。

 そしてそれも長くない――筈だった。


「貴様は強い。だがそれは純粋な、()()()殺し合いの場合だ……」

「なら今のこれは殺し合いじゃないとでも?」

「あぁ……。これは殺し合いなんかじゃない。これは、狩りなんだよ……」


 弱々しく、だが確信の熱を込めた言葉に鴉頭は眉をひそめた。

 これだけ接近しても距離を取らない、迎撃する素振りも見せない。だのに言葉尻だけは強気なバケツ被りに違和感を覚える。

 いや、まるで何かを待っている節すらあった。


「詭弁を弄するならあの世でやってろ」

「複数の獣を使い貴様を消耗させる煮え湯を吞んだ俺が!たった奇襲を加えるだけで終わるとでも思うか!?」

「さっきから何を一人で熱く……」

「熱くなっているのはお前の方じゃないのか?耳を澄ましてみろ」


 最早これ以上無駄な会話に付き合う通りは無い。

 言葉を交わしながら【鋸鉈】の間合いまで追い詰めた鴉頭が一気にバケツ被りの首まで距離を詰めようと踏み込んだ所で、獣害の遭った町で聞くはずの無い異音を耳が拾った。


――バサバサ。


「これは……鳥の……?」


 いや、有り得ない。

 獣の出た地域の生物は例外なく根絶に追い込まれる。

 確かに大空を逃げ場とできる鳥類は生き残りやすい傾向にあるが、それでも確実にその数を減らす。

 

 だから有り得ないのだ。

 ()()姿()()()()()()にも関わらず羽の音が聞こえるほど大量の鳥が、剰え群れを形成するなど。


「言っただろう……?」

「あ?」

「これは!貴様という獣を、狩人であるこの俺が殺す!狩りだと!!」






――バサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサッッ!!!!





 ケルンの町。その夕暮れを隠さんばかりの夥しい数の野鳥が空を埋め尽くしていた。

 もはや獣の有無など関係無いほどの大量の群れを見上げて鴉頭は仮面の下で瞠目する。


「一体何処からこんな大量の……」


 明らかに作為的な異常事態に対して真っ先に原因を特定しようとシナプスを巡らせた鴉頭の脳内に、バケツ被りが戦闘直前に獣と交わしていた会話が再生される。


――おい……()()は怠るなよ。


「そうか……!お前の言っていた準備は()()か!!」

「あぁ、どうやってここまでの数を用意したのかは知らないが……これだけ居れば良い雨粒になりそうだ」

「……雨粒だと?」


 およそ生物に使わないはずの熟語を当てはめたバケツ被りに鴉頭が首を傾げると、バケツ被りは鴉頭に倣って鼻を鳴らして嗤った。


「とぼけるのは止せ。俺が最初に見せてやっただろう?」


 ここまでバケツ被りが情報を開示するまでもなく当然、鴉頭の脳裏をよぎるのはバケツ被りの【増幅】によって自重に耐え切れず墜落して潰れた鳥の死骸だ。

 あの時は一匹のみだった上、外れたこともあって特段危険の感じない一芸に過ぎなかった。

 だが今あの量の鳥が一斉に降下するとなれば話は大いに変わってくる。


「……それを知っている俺が、ここに立ち止まって眺めているだけだとでも?」


 しかし今更になってその程度の奇策は遅すぎたと鴉頭は吐き捨てた。

 確かに狩人の膂力ですら身に余る重量の鳥が空から降ってくる衝撃は凄まじいだろう。

 だがバケツ被りの能力が及ぶのはそこまでだ。鳥たちが自らの意思で鴉頭を標的に降り注ぐわけではない。

 ならば周辺の家屋ないし、なんなら鳥たちの居ない範囲までバケツ被りごと移動させれば良いだけだ。


 バケツ被りが全快であればそれも難しいだろうが、今の消耗したバケツ被り相手ならば鴉頭には容易に叶う。

 だからこそ鴉頭は遅すぎると評したのだ。


「いいや。お前は立ち止まるさ。()()()()()()貴様はなぁ!!」

「…………なるほど。そういうことか……」


 変わらず満身創痍の身でありながら意気揚々とバケツ被りが指を刺した荷物とは、今も鴉頭の背後の茂みで身を潜める赤頭巾に対してだった。

 バケツ被りは当初の会話の当てつけで言ったのだろうが、その言葉自体に間違いは無かった。


 もし鴉頭がバケツ被りの処理にかかずらってしまえば鳥の雨は取り残された赤頭巾へ降り注ぐ事になる。

 そしてそれを回避する方法を赤頭巾は持たない。


 赤頭巾を抱えてこの場を離脱するという手もあるが、小柄とはいえ一人の人間を運搬しながらの逃走は今のバケツ被りが相手でも多大なリスクを孕んでいる。

 最悪の場合、赤頭巾に刃が向けられる可能性もある。なりふり構っていられない今のバケツ被りなら寧ろ積極的に取る手だろう。

 かと言ってその場で突っ立っていれば共倒れになってしまう。


 つまりバケツ被りは赤頭巾を狙うという一手のみで鴉頭を追い詰めたことになる。

 それが狩人として最底辺の行為である点を除けばだが。


「堕ちたな」


 バケツ被りにとっても業腹であろうその手段を、しかし実行に移さざるを得なかった無様さを鴉頭はたった一言で吐き捨てた。

 これまでの攻撃を誘うためでもなく、怒りを誘発するためでもない鴉頭の純粋な侮蔑に、バケツ被りは自身でも気付かない内に片目の部分だけが空いたバケツを搔きむしっていた。


「……墜ちた?……堕ちただと?」


 ガリガリと手袋の下からバケツに爪を立てていたバケツ被りは、とうとう噴き上がった怒りを体現するように白い手袋を赤く染めながら声を荒げる。


「俺達はあの日!半獣なぞに身を窶した時点で最底辺だろうが!!」

「次は開き直りか。つくづく救いようがないな」

「開き直っているのは貴様の方だ!そこの小娘も獣だと知っている。しかも人間に戻そうと画策している事もな!」


 怒りの思うがまま叫ぶバケツ被りだったが、鴉頭は寧ろ何故か自分達の情報の悉くを把握されている事に眉を顰めて押し黙った。


「全くもって救いようの無い!俺達が今更人間に戻るなど……神が許しても殺された人間は許さない!!」

「…………もう、いい。時間の無駄だ」

「あ?」

「お前がどれだけ高尚な思想を垂れようが獣に与した時点で空虚な妄言でしかない。神の審判が欲しいなら自殺でもして都合の良い夢でも見ていろ。過去にしがみつくお前では赤頭巾の描く未来は理解できない」


 これ以上、赤頭巾への罵倒を看過できなくなった鴉頭はらしくないと自覚しながら堰を切ったようにバケツ被りを罵る。

 だがそれはバケツ被りにとって最大級の()()だった。


「言うに事を欠いて、俺に死ねだと……?死ぬのは貴様らだろうが!それとも小娘を抱えながらみっともなく逃げるか!?」

「俺が獣に背を向ける事は金輪際ない。赤頭巾!」


 凄まじい怒号の応酬を交わしていた鴉頭に突如、名前を呼ばれた赤頭巾は慌てて茂みから顔を出す。


「は、はい!私は無事です!悪口も気にしてません!」

「その場から、絶対に、必ず、何があっても動くな」

「はい……?」


 てっきり一人で逃げるように言われると思っていた赤頭巾は反射的ながら疑問符を付けて返事をする。

 そして近付いていたはずのバケツ被りに、目を離さないながらもゆっくりと自分の方へ後退する鴉頭を見て一つの結論に辿り着いた。


「鴉頭さん、まさか……!」


 その答えに辿り着いたのは赤頭巾だけではない。

 バケツ被りもまた赤頭巾と同じ結論を赤頭巾よりも先に察していた。


「やはり貴様は愚かだ。だが今は……その愚かさに感謝しよう!」

「さっさとやれ」


 逃走も追撃も選択できない鴉頭が導き出した、赤頭巾に危害が加えられず、且つバケツ被りの追撃にも対応しながら鳥の雨をやり過ごす方法。

 それは至って単純である。


 ただ降ってくる鳥を片端から迎撃する。それだけの事だった。


 鳥の雨などと仰々しく言っているが実際の雨とは違って自重に耐え切れない鳥たちは、上空から鴉頭を正面に向かえて斜線上に降ってくる。

 群れが列を成している以上その密度もたかが知れている事に加えて鳥たちには数の制限も存在する。


 つまりその場に留まっての迎撃こそが最適解であると鴉頭は判断したのだ。


「【増幅】しろ」


 赤頭巾を狙った以上、鴉頭が迎撃を選ぶことを予期していたバケツ被りは漸く鳥の群れが鴉頭に降り注ぐ軌道上に乗ったタイミングで能力を発動した。

 大空を羽ばたいていた鳥たちはやがて自身の体重を支えきれなくなり、懸命に翼をはためかせながら徐々にその高度を下げていく。

 自由落下と重力に沿って速度を上げる翼をもがれた鳥たちが目指すその先は無論、一人の狩人。


――今まさに鳥の雨が鴉頭に降り注ごうとしていた。

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