第二十三話 拷問、その末に
「あ?……はっ、やべ」
――メギッ。
獣の身体に鴉頭の脚が沈み込むと共に、肉の潰れる音と骨の砕かれる音が獣の中で爆音を奏でる。
瞬間、獣は屋敷の壁を突き破って外に吹き飛んで行った。
背後から獣を足蹴にした鴉頭はそれを見届ける事もなく、蹲った赤頭巾に膝を立ててしゃがむと肩を掴んで上体を起こす。
「おい、大丈夫か?」
「は、はい……ありがとう、ございます……」
鴉頭を支えにしながら立ち上がった赤頭巾は、しかし後ろめたそうに俯いて感謝を述べた。
赤頭巾の様子と、開けっ放しにされた柱時計の扉から覗く小さな血溜まり、そして赤頭巾の左手に刻まれた傷を見て全てを察した鴉頭は彼女の頭を撫でた。
「赤頭巾、良くやったな」
「わ、私は……」
「血液瓶で俺に合図を送ったんだろう?」
「……はい。でも、鴉頭さんの力を借りてしまって……」
獣の目論見は大いに外れていた。
獣が陽動と見做した血液瓶の本来の目的は鴉頭に対して異変を知らせる合図だったのである。
つまり血液瓶こそが赤頭巾の本命であり、彼女の目的はこうして達成された。
それでも泣きそうな表情で謝罪を重ねる赤頭巾に鴉頭は仮面の下から微かに笑う。
「前にも言っただろう。お前のその善性は守るべきだと」
「そんなの……」
本当に必要なんですか。
赤頭巾がそう吐き捨てようとした所で鴉頭は立ち上がって獣を蹴り飛ばした際に出来た壁の穴に向かっていた。
そして振り向きざまに一言。
「後は俺に任せろ」
自身で作った穴を潜って外に躍り出た鴉頭は、野ざらしの地面に血塗れで這い蹲る獣を発見する。
この期に及んでも獣化を行わない獣は傷を抱えながら必死に逃走を図っていた。
「だぁっ、クソっ、クソっ、クソォっ!!なん、何でっ、雑魚とはいえ十二匹もくれてやったんだぞォ!?それがっ、大した時間稼ぎにもならねぇのかよ!?」
「五月蝿い」
芋虫のように身体を捩りながら痛む傷を誤魔化すために叫び続ける獣を鴉頭が背中から踏み躙る。
避ける余力など最早残っていなかった獣は為されるがままで鴉頭の追撃を甘んじて受けた。
「がァっ!痛ッてぇ、チクショォ!」
「黙れ」
涙と鼻水を垂らしながら痛みを訴える獣だったが、誰であろうと鴉頭が獣に情けをかけるはずが無かった。
――バツンっ。
「ひっ、ぎゃあぁぁぁぁぁぁあ!!」
鴉頭は無抵抗だった獣の右腕を鋸鉈で以って無理矢理に切断した。
美しい断面からは夥しい量の血液が漏れ出し獣を苛む激痛を更に増長させる。
足元で喚き散らす獣の身体を仰向けに変えた鴉頭は、汚い顔面を掴んで変わらない声量で告げた。
「お前の目的はなんだ?」
「は、ぁ?」
「お前が赤頭巾を狙った理由はなんだ、と言っている」
妙に慣れた人語、そして数々の策略。
この獣こそがケルンの町を滅ぼした元凶であると断じた鴉頭は赤頭巾と同じ結論に至っていた。
即ち情報源としての役割である。
そして獣本人も鴉頭の意図に気付いた。
「はっ、ははっ、馬鹿にすんじゃねぇよ」
「なんだと?」
「目的はなに、だと?それをゲロったら殺されると知っていて誰が喋るかよ!」
激昂する振りをしながら獣は内心でこの狩人はまだ付け入る隙があるとほくそ笑んだ。
鴉頭は情報を求めている。
そしてその手がかりを持っているのは自身だけだ。
ならばなんとか交渉を取り付けて――。
「あぁ、まだ勘違いをしているみたいだな」
「へ?」
「お前にとって死ぬ事すら贅沢だという事が」
「な、何言って」
「今からお前の右足を千切り落とす。その次は左腕を引き抜く。その次は左足をミンチになるまで叩き潰す」
「そっ、それが脅しになるとでも思ってんのかぁ?」
鴉頭の並べる拷問の数々に獣は頬を引き攣らせながら声を裏返らせて強がった。
だがそれは鴉頭に対するには余りにも惰弱に過ぎる。
「誰がそれで終わりだと言った?獣というのは拷問するのに最適な生物でな。切った手足がまた生えてくる」
「おい、おいおいおいっ。まさか……」
「ああ。お前が情報を吐くまでこれを一生続ける。耐えたかったら耐えると良い。その分俺の楽しみが増える」
獣は鴉頭の声音に嘘を感じられなかった。
「じゃあ行くぞ」
獣の憔悴を置いて鴉頭は鋸鉈を獣の左足に番える。
冷たい刃の先が太腿に当たる。その前に獣は白旗を上げた。
「は、話すっ!何が知りたい!?」
「……存外に早かったな」
微塵もそう感じていない様子で鴉頭は手を止める。
だが鋸鉈を左足に当てながら鴉頭は質問を始めた。
「お前の目的はなんだ?」
「……赤い頭巾を被ったガキを攫う事だ」
「そのためにケルンの町を滅ぼしたのか?」
「あ、ああ。お前らを誘き出すために、首都から近い町を襲った」
ここまでの情報は鴉頭の想定通りだ。
ケルンの町を滅ぼしたのは鴉頭を釣るための餌であり、また外骨格型が率いる獣の群れたちは鴉頭を赤頭巾から引き離すための囮だったのである。
だが今回の問題の核心部分はそこでは無い。
「ゴードン家との関係は?」
「ご、ゴードン?誰だそりゃ……?」
「しらばっくれるな」
まるで初めてその名を聞いたかのように戸惑いを見せる獣に鴉頭は鋸鉈の刃を食い込ませる。
「待て、待ってくれ!本当に知らないんだよ!!俺が命令されたのはこの町を襲う事とそれに引き寄せられたお前から赤頭巾を奪う事、それだけだ!」
「……命令?」
鴉頭の知る限りでは偶発的な産物であるはずの獣に指示系統は存在しない。
母胎型の例もあるが、つまりは存在しても小規模であるという事になる。
ならばシプラムが獣を連れていた事とその家元が皆殺しにされ、剰え鴉頭たちを誘うための餌にされた事が無関係だった?
そんな偶然はあり得ない。
そうなると結論は一つに集約される。
つまりギーセン村から連なる事件は全て何者かによる差金であるという事だ。
そして目の前の獣に命令を与えた者こそが黒幕である可能性が非常に高い。
「誰の命令だ?」
「……っ、それは……」
これまで簡単に返答していた獣が初めて言い澱む姿を見せる。
それは恐らく反射的なものだろう。
だからこそ真相に近づいているのだと考えた鴉頭は更に獣を追い詰める事を決定した。
「時間切れだ」
「はっ?……まっ」
――ギャリギャリギャリ。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
短く最後通牒を伝えた鴉頭は獣の左太腿を鋸鉈で切断し始めた。
だが左腕の時とは違って一思いに切断するのではなく、敢えて肉の中で鋸鉈を何度も往復させて骨を削る。
常人ならば失神を免れないような痛みに獣が痛酷な叫びを上げる中、それを無視してじっくりと太腿を切断した鴉頭は再度尋問を続けた。
「誰の、命令で、赤頭巾を狙った?」
「っおうだ!女王の命令だ!!」
「……女王?」
「ああっ!お前らにも居るだろう!?種族を統べる長が!何故俺たち獣には居ないと断言できる!?」
血が滲み出るほど歯を食いしばって痛みに耐えた獣は口の中の血と唾を飛ばしながら黒幕の正体について答えた。
“獣の女王”。
それは狩人協会ですら掴んでいないであろう獣の情報だった。
獣自らが女王などと自称し、加えて幾つもの獣を従えているという事実に鴉頭は密かに戦慄する。
今まで干渉能力を持つ獣やそれなりの知性を獲得した獣との遭遇なら経験はあるが、ここまで大掛かりな計画で動く獣は居なかった。
大規模な群れを持つ母胎型なのか?
それとも新種の特殊個体なのか?
鴉頭の脳内で数多の疑問が浮かんでは消えていくが余計な事柄はこの際目を瞑り、最も重要な部分を問う。
「その女王が赤頭巾を狙う理由は?」
「ハッ、ハハッ、そりゃ知らねぇよなぁ!?」
「さっさと話せ」
「あのガキは器なんだよ!!」
「器だと?一体なんの……」
赤頭巾も聞かされていた器という単語に鴉頭は同様の反応を示す。
そもそも器という言葉を生物に当てはめる事など無い。
何かしらの暗喩かと鴉頭が寸分の思案を巡らせていると、獣が初めて違う表情を浮かべた。
それは怒りでもなく、苦悶でもなく、鴉頭をまるで哀れむかのような感情を湛えていたのである。
「鴉野郎……お前、本当に何にも知らねぇんだなぁ……」
「っ、何がだ!?」
劣等種である獣の嘲りを越えた哀れみに鴉頭は思わず首を掴む力を強める。
ぎし、と首の骨が軋む音を立てる中、獣は嗤った。
「器はなぁ……儀式の素材なんだよ」
「それと女王に何の関係が……!」
「器を使って創り出すんだよォ!女王のツ
――ぐちゃ。
静まり返った町で狩人が獣を拷問をしている最中。
獣の発言を遮るように一羽の鳥が肉の潰れる音を響かせて、鴉頭を掠めるように墜落した。
それは先程まで大空を羽ばたいていたのだろう。
ぴくぴくと身体を痙攣させ、地面に赤と白の混ざった脳漿をぶち撒けていた。
突然現れた異様な光景。
不意に固まっていた鴉頭の目に映り込んだのは獣の安堵したような笑みだった。
それを見た鴉頭は本能的に獣を殺す事も放棄して自身の首元を両腕で盾にして防御する姿勢を取る。
また同じ光景を民家の壁穴から眺めていた赤頭巾の脳裏に獣が放った保険という言葉がよぎる。
そして鴉頭の背後に忍び寄る影を目にして叫んだ。
「鴉頭さん、後ろに!!」
――瞬間。
鴉頭の左腕が弾けた。
本来首に受ける筈だった衝撃が盾にした左腕に襲い掛かる。
僅かながら耐えていた鴉頭だったが、身に余る衝撃に左腕がぶちぶちと筋肉を断裂する音を出すのを自覚しながら、衝撃を殺し切れず右方向に吹き飛ばされた。
全く動かない左腕を揺蕩わせながら空中に浮いた鴉頭は、無事であった右腕と鋸鉈を地面に突き刺して勢いを殺すと地面に着地する。
慌ててこちらに駆け寄る赤頭巾を視界に写しながら鴉頭はそれを無視して怒号を飛ばした。
「誰だ!?」
およそ赤頭巾が目にしたことの無い感情的な声を上げた鴉頭の視線の先に居た人物はゆっくりと振り返りながら、鴉頭に似た低い嗄れ声を紡いだ。
「自己紹介が必要か?鴉頭」
――鴉頭はその男を知っていた。
全身に真っ黒な司祭服を身に付け、返り血を防ぐ為の通常のそれよりも長いカズラを羽織っている。
手にはついさっき鴉頭の左腕を粉砕した身長に迫りそうなほど細長い柄に、平べったい槌と肉を抉る為の杭を先端に付けた【槌杭】という名の武器を持ち。
頭には円柱形の鉄兜……よく見ればバケツに視界を通す為の穴が空いただけのようなモノを被っていた。
全身黒尽くめに奇怪な頭。
その特徴が示すことは唯一つ。
「何故お前がここに居る……バケツ被り!」
――鴉頭はその男をよく知っている。
襲撃者の名はバケツ被り。
狩人協会に所属するランカーⅧ、その人だった。




