第二十話 開幕
人間態の偉丈夫の合図によって現れた獣たちは、鴉頭を男に近付かせない位置で取り囲んでいた。
その数、およそ十二。
どのような手段で知能の無い獣を使役しているのかは分からないが、やはり獣どもは少なくともあの男の指示に従っているようだ。
(あの男は擬態型だろうが……特殊個体か?)
母胎型の前例も存在する。
獣でありながら人間の姿を保つ赤頭巾を目にして唾液の抑制が出来ていない事から、擬態型である事に間違いは無さそうだが新型の可能性もある。
いずれにせよ――。
「グルゥオオオオオ!」
「まずは雑魚の処理からだな」
幸いにも男は取り巻きの獣と共同で戦う気はないらしく、依然として鴉頭から距離を取って傍観している。
雑兵の主目的は鴉頭の消耗であわよくば殺せて御の字といったところだろうか。
獣と相対する上で数的優位の恩恵は通常のそれとは大きく異なる。
何故なら獣を一撃で屠ることは非常に困難だからである。
獣が狩人よりも間違いなく勝っている要素は回復速度に基づいたしぶとさだ。
四肢の末端程度なら数十秒のうちに復元が可能で、首も復元こそ不可能だが切断するだけでは絶命しない。
故に鴉頭は獣と接敵した際、四肢よりも首の切断及び脊椎の破壊を優先していた。
だが複数の獣を相手取ると必然的に攻撃の回数が増え、更に追い打ちを加える隙が少なく短くなる。
もちろん一撃で脊椎の損傷を狙えれば良いが、その核は個体差がある上に首の筋肉によって隠蔽されている。
鴉頭もその方法は所詮ラッキーパンチだと割り切るレベルで難易度が高い。
結論として獣の最も効率的な殺害方法は一対一で速やかに首を切断をして、獣が反撃または回避する前に首の断面から露呈した脊椎に直接攻撃を与える事である。
つまり狩人といえど複数の獣との戦闘は避けるべきなのだ。それが並みの狩人ならば、だが。
「ギッ、ギャアア!?」
「一匹目」
しかし鴉頭は違った。
警戒を示して徘徊する獣のうち、最も近い獣を反応を許さない速度で接近するとあっけなく頸を切り落としたのだ。
だが低能の獣でも同胞が襲われて眺めるほど呆けては居ない。
一匹の獣がすかさず背を向ける鴉頭に突貫する。
それに気付いた鴉頭は一切振り返らずに首を落とした獣に追撃を加えながら口を開いた。
「【反転】しろ」
「グオオオオ!?」
鴉頭の無防備な背中に獣の爪が到達するその前に突貫した獣が鴉頭の能力によって後ろへ吹き飛んでいった。
突然の現象に対応する知能を持ち合わせない獣は受け身も取れず、逆に自らの背中を民家の壁に強く打ち付ける。
そしてその隙を見逃す鴉頭では無かった。
今まさに握り潰した獣の脊椎が手の中で灰に変わるのを感じながら壁に打ち付けられた獣を無抵抗のまま頸を切り落とす。
「二匹目」
比較的鴉頭から距離があった獣の反応を待たずに二匹目の獣が灰燼に帰した。
「やべぇなオイ。話より強くね?」
傍観を決め込んでいた間に一分と経たずその数を十に減らされた男だが、言葉とは裏腹に口角を上げたまま鴉頭の強さに舌なめずりをする。
奴の見通しはやはり甘かった。
無作為に雑魚をぶつけたところで鴉頭に有効打を与えるどころか体力の消耗すら望めないだろう。
「やっぱ眺めてるだけってのは性に合わねぇからなァ!」
返り血を浴びる鴉頭を見ているだけに耐え切れなくなった男は叫ぶとその身体から夥しい量の体毛を生やし、元から巨大だった筋肉を更に肥大化させる。
変化する体躯と共にその顔を熊のように捻じ曲げた男は獣化を果たし、他の獣に新たな命令を下すべく湧き上がる殺意をも込めて咆哮した。
「ヴゥオオオオオオオオ!!」
「相変わらず耳障りだな」
ゆったりとした開幕に反して戦闘は既に佳境を迎えようとしていた。
――――
「家に近づくなってそういう意味だったんだ……」
時間は数刻前。
鴉頭から逃走を指示された赤頭巾は家屋から飛び出す有象無象の獣の群れを見て驚嘆の息を吐く。
獣害に遭ったはずのケルンの町に人どころか獣が居ない事に加え、奇襲された事で罠の可能性に気付いた鴉頭はこの状況を予測して赤頭巾に離れるよう促したという訳である。
確かにあの量の獣に囲まれてしまうと赤頭巾を庇いながら戦闘するのは困難を極めるだろう。
分かってはいた事だが自身が鴉頭の足手纏いである事実をむざむざと見せつけられた赤頭巾は、使われる機会を失った包丁を悔しさを込めてぎゅっと握った。
「いやぁ強いな。バケモンかよ」
「え?」
そんな感傷に浸る赤頭巾のすぐ隣で今も獣を切り伏せる鴉頭の鬼神の如き戦闘を観ながら、愉快そうに嗤う男の声が響いた。
ケルンの町が既に滅んでいると知らされていた赤頭巾は獣の襲撃よりも人の声が聞こえた事に対して驚愕する。
赤頭巾の横にいた男は彼女と同じ姿勢で屈んでおり、その表情は猿が笑ったように歪んでいた。
「あなたは……」
「あ、俺?ここの住人。一族郎党獣に殺されてさぁ」
嘘だ。
ヘラヘラと下卑た笑みを浮かべながら家族の死を語る人間が存在するだろうか。少なくとも男の態度は赤頭巾の価値観にそぐわなかった。
そして獣となった祖母と過ごした赤頭巾だからこそ持ち合わせる獣に対する異常な嗅覚が、目の前の男を獣だと声高らかに訴えて憚らないのだ。
「いいえ、貴方は獣です!」
「ありゃ、なんでバレちまった?」
懐の包丁を握って男から後ずさって距離を取る赤頭巾に男は否定する素振りも見せずに顎に手を当てて首を傾げる。
そもそも騙せるとは思っていないような男の態度に赤頭巾が警戒しているのも無視して男はぶつぶつと何やら思案を繰り返していた。
「まさかこれも器の機能……?いや仕込みと一緒に暮らしてた影響の方か?」
「器?」
聞き慣れない言葉を赤頭巾が思わず繰り返すと、男は今更彼女の存在を認知したかのように目を合わせる。
「あぁ、こっちの話だ。気にすんな」
「そんな言い方されると余計気になるんですけど……」
「はっはっは!それもそうだろうがこっちもお上の命令で話せねぇのさ」
「命令……ですか?」
話の流れでつい疑問を呈した赤頭巾に男はしまったと言うように頭を押さえる。
「駄目だ、余計なことまで話しちまうな……」
「私としては有り難いんですけどね」
すっかり馴れ切った様子で話しかける赤頭巾に男は頬を掻きながら笑う。
その瞳は今までの軽薄さを弱め、代わりに獰猛さを映していた。
「なら最後に一つ。俺の目的はお前の確保だ。鴉頭のアレは陽動に過ぎない」
「……もしかして、この状況」
男が語った事件の目的。
それは赤頭巾の身柄の確保だった。
なぜ赤頭巾を欲するのか、そしてその為だけに町一つを滅ぼす必要があったのか。
それらの真意は依然として不明な赤頭巾だったが、そんな彼女にも理解できる事はある。
目の前には自身を狙う獣が居て護衛である鴉頭は多数の獣に囲まれており、どちらが行動するにせよ接近は困難。
もっと簡潔に言うならば。
つまり赤頭巾は絶体絶命という事である。
「えっと……見逃してもらえたりは……?」
「聞く必要あるか?」
「ですよね!」
鴉の狩人が大立ち回りを強いられる中、一方で赤い少女の戦いがひっそりと始まるのであった。