第一話 平和な日常
――村人の朝は早い。
まだ日も昇りきっていない、肌寒さの残る朝に少女は目覚めた。
野暮ったい寝巻きに身を包む彼女は微睡みながらその紅い眼を擦る。
「んぅ〜っ、よし!」
固いベッドを軋ませながら少女は伸びをして気合を入れるように声を放った。
漸く目の冴えた少女がまず始めたことは、――当たり前だが、着替える事だった。少女が手に持ったのはフリルの付いた可愛らしいドレス……などでは勿論なく、作業に徹した無骨な衣服たちだ。
無地のシャツ、革製のオーバーオール、草臥れた靴下。どれ1つ取ってもお洒落とは言い難いが、ドレスが肥料の混じった土に塗れるよりはマシだろう。
「んっ」
伽藍とした部屋に衣擦れの音と、少女のくぐもった声だけが響く。そうして出来上がったのは何処にでもいる村娘そのものだ。
しかし少女の朝支度はまだ終わらない。
少女はいそいそとクローゼットに向かうと、真っ赤な赤頭巾を取り出した。ぼさぼさの銀髪を隠すように羽織った赤頭巾は、両親が少女に贈ってくれた何よりも代え難い宝物であり、ついぞ彼女を象徴するものでもあった。
頭巾を日差しから守るために着用する場合、本来であれば光を反射しやすい白色が適している。
打って変わって少女の頭巾は鮮血のように赤く、それは両親が自身の娘に少しでも着飾って欲しいと言う想いの現れだろう。それゆえに少女は、今日も今日とて赤頭巾を被って平凡な一日を始めるのであった。
自室を出た赤頭巾が真っ先に向かったのは廊下を出た先の最奥にある、一つの部屋だった。
どの部屋のそれよりも重苦しい扉を赤頭巾は恐る恐るノックをする。
当然返事がくるはずもなく赤頭巾は部屋の主の反応を待たずして扉を開いた。
――ぎぃぃ。
木の擦れ合う耳障りな音に顔を顰めつつ、赤頭巾は部屋に鎮座するベッドを優しく叩いた。
「おばあちゃん、朝だよ。起きられる?」
「……あぁ、赤頭巾かい?おはよう。今日もいい朝ねぇ」
部屋の主――赤頭巾の唯一の家族でもある祖母は緩慢な動きで赤頭巾の頭を撫でながら笑顔を向ける。布越しからでも伝わる優しい手つきに赤頭巾は顔をくしゃりと歪めた。
「体の調子はどう?ちゃんと動かせる?」
「手は動かせるけど、足はもう駄目かもねぇ。……そんな顔しないでおくれ。」
祖母の余りに痛々しいその姿に赤頭巾は表情を曇らせる。
赤頭巾の祖母はここ最近から病気がちで部屋どころかベッドから出る事すら難しいほど衰弱していた。
いつも自分の知らない童話を語り、優しい手つきで頭を撫でてくれた祖母を見捨てられる理由を赤頭巾は持ちえなかった。
以来半ば介護同然で赤頭巾は祖母に付きっきりの状態が続いている。
しかし赤頭巾がそれを苦に思う事は無かった。
――だって、家族だから。
身体こそ動かないものの意識に問題がない事を確認できた赤頭巾は、後ろ髪を引かれながらも部屋を後にした。
家の扉を開けば漸く浮かんできた朝日が赤頭巾の肌を照らす。日差しに目を細めながら彼女は仕事に取り掛かった。
「コケコッコォォォォ!!!!」
「ブモォー」
「はいはい、待ってねー!」
赤頭巾の仕事とはずばり、家畜達の世話である。
鶏冠を振り回しながらアホヅラを浮かべて鳴き喚く鶏に、気怠そうに体を寄せてくる牛。皆がこことぞばかりに餌をせがみ赤頭巾に擦り寄ってくる。
それは家畜達の赤頭巾に対する信頼の表れだろう。彼らは赤頭巾にとって仕事道具であり、またある種の家族でもあった。それが例えあと半年も経たず貴族の胃袋に送られるとしても。
餌やりを手早く終わらせた赤頭巾は次に家畜達の観察を始めた。彼らの体調管理、ひいてはメンタル管理も漏れなく少女の仕事だ。
特に最近は森に放牧も出来ていない為、より入念に家畜達の様子を注視する。
餌を頬張る彼らは完璧とは言えずとも体調に問題はないようだ。赤頭巾は胸を下ろしながら愛おしげに家畜の頭を撫でながら、淡々と仕事をこなしていった。
――――
「よしっ、これで終わり」
最後の飼槽に乾草を入れ終えた赤頭巾は、一仕事を終えたと言わんばかりに汗を拭う。
ようやく昇り切った太陽に照らされた彼女の汗はきらきらと光り輝いていた。まこと、労働者の鑑である。
「お疲れさま、嬢ちゃん。」
「あ、おじさん。おはようございます。」
「あぁ、おはよう。」
一息ついていた赤頭巾に声を掛けたのは近隣の住民である年配の男だった。
男は村でも珍しい元猟師であり、昔は森に入って鹿などを狩って暮らしていたらしい。
だが今となっては“猟師”などと言う肩書きは蔑称だろう。とっくに現役を引退した彼には関係のない事かもしれないが。
そんな男は少女の祖母、両親とも面識があり、そして少女自身も世話になっていた半ば親戚のような間柄の人物だった。
それは祖母が寝たきりになり、両親が居なくなった今も変わらない。
恐らく今日も赤頭巾を心配して様子を見に来たのだろう。このやり取りはすっかり習慣となっていた。
「上がっていきますか?お茶、出しますよ」
「はは、おしめを変えてあげた娘に世話をさせる程老けちゃいないさ。・・・ばぁさんは元気にしてるかい」
「はい、見に行きますか?」
「いや、元気ならそれで良いんだ。嬢ちゃんの予定は?」
何故か祖母との面会を遠慮した男に赤頭巾は首を傾げつつ、隠す必要もなかったのでこの後の予定を詳らかに語った。
「実は森に行こうと思うんです」
「……それは」
森、という単語を聞いた瞬間、男はただでさえ皺の多い顔にまた皺を作る。
やっぱり、などと思いながら赤頭巾は考えていた言い訳をつらつらと並べ始めた。
「えっと、おばあちゃんの身体が少しでも良くなるように薬草を探そうかなって……その、やっぱりダメですか……?」
「そりゃ薬草を摘むぐらいなら構わないが……村に“獣”が出たのは知っているだろう」
“獣”。
男が赤頭巾を嗜めた理由はこの生物が所以であった。
今からおよそ十三年前、赤頭巾が産まれて間もなく世界を未曾有の災害が襲った。
【大獣害】と呼ばれる人類の命を最も奪った災害である。
【大獣害】とは、突如として起こった野生動物に酷似した生物群の人類生息圏への襲撃の事だ。
しかしただの野生動物の暴走であれば、多少の被害はあれど災害などと大それた呼び名はつかないだろう。
普通と違ったのは、襲撃してきた生物が未だ未発見の生物であった事と、それらが世界を局所的に襲ったことである。
あからさま、かつ迅速な計画的行動と蹂躙行為に対応が遅れた人類は、その初日に億を超える人口を失った。
そして二日目に絶望を覚えることになる。
襲撃してきた生物が悉く脅威的な生存能力を持ち得ていたのだ。
知性こそ無いものの、凡ゆる傷を瞬時に治し、例え頭を潰そうと死ぬ事のない生物に人類は碌な抵抗も許されないまま散り散りとなった。
結果として、世界から約半数の人類が消え、残った者たちは小国と、都市と、それに付随する村のみでほそぼそと暮らす事となる。
今でこそ、その被害は減りつつあるが獣の脅威は依然として在る。その証拠が赤頭巾の住む故郷だった。
二週間ほど前に、村に出た木こりが一人残らず帰って来ないという失踪事件が起きたのだ。
大森林に囲まれた辺鄙な村の出身である木こりが森で迷子になるなど滅多になく、この時点で大多数の村人がある一つの仮説に至っていた。
そして、間も無くして村に駐在する〈鐘鳴らし〉が鐘を鳴らした。
即ち“獣”が出たという兆しである。
こうして赤頭巾の住む村、『アルスフェルト村』は衰退の一途を辿る事になる。
同胞を殺された事に怒り、討伐隊を組んだ村の勇気ある若衆は一夜にして全滅。これを恐れた臆病な駐在兵と、一部の村人は他の都市に逃れた。
置いて行かれたのは、戦うことも逃げることも出来ない故郷を想う老人と、足手まといにしかならない子供だけとなった。
赤頭巾もまた、その一人である。
話は戻って現在。
そんな恐怖の対象である“獣”が跋扈する森に、娘同然の赤頭巾を行かせる事を男が止めるのは当然のことでもあった。
「でも……おばあちゃんをこのままにしたくないんです。だから良ければおじさんに森の事を教えて欲しくって」
「むぅ……はぁ、嬢ちゃんはばぁさんに似て頑固だな」
年齢に似つかわしくない敬語と真面目な表情の赤頭巾に、男はとうとう折れた。
「煎じて飲ませれば病に効く薬草がある場所を教えよう。但し森の奥には絶対に行かない事。守れるか?」
「はい!守ります!」
「よろしい、じゃあこっちにおいで」
元猟師であり、この森に精通している男は自身が昔に記した手帳を見せながら薬草について赤頭巾に教えた。
もちろん、男は無策に赤頭巾を放った訳ではない。
村には駐在している〈鐘鳴らし〉が居り、〈獣避けの鈴〉を絶えず鳴らしている為、“獣”が村の近くに来ないと踏んだからだ。
但し、“獣”が絶対に来ないという訳ではなく、一種の対処療法でしか無いのだが赤頭巾の心労を察した男は、森に出る事を許した。
……許して、しまった。
斯くして赤頭巾は殆どの人がいなくなって静まり返った村を意気揚々と後にした。
関所に立つ、この村に産まれてこの方一度も会話をした事のない〈鐘鳴らし〉が鳴らす、不気味な鈴音を聞きながら。
本日17時ごろに二話も投稿いたします。是非ご一読ください。




