序文
神が神たるゆえんは、不可視の神のライバルがそれに成る事で成り立つものである。誰でも不可視の世界の自分という名のライバルを描いてみせて、実相と実在を両立させるものだろう。
実在が自分で、実相が自分という名のライバルである。
誰でもそれとそれが解離するものだが、やがて、追い付くのが自分という名のライバルというものである。
必ず、追い付いて、現実として、栄えるものである。
目に見える世界、実在と目に見えない世界、実相とが私自身にもあるはずである。目に見える世界にとって、目に見えない世界とは、ライバルそのものである。実在を確保し、(イエス・キリストという実在であるならば、)実相を待つ。(紀元後、あらゆる思想が実相として、信仰義認説等、追い付くのを待ったのである。)その後、新たなる信仰として、大本教等が付け加えられたのである。
さらに、この三十三条項が降ろされた訳である。
三十三条項とは、三十三の真理の契約である。この三十三の書が神にとっての気持ちで、その後に降ろされるものは全て真理であるという、神の契約のあかしである。つまりは、人間にとって、この書群は序文に当たるものである。
「真の唯一神教の神とは、神道を認めた方の事である。
彼が神道の神を認めた様に、あなた方も神道の神を認めなさい。」