2話 日常
2話 日常
聖光歴1297年
アルスロットが1歳を迎える年。世の中に目立った異変や変化は生じてはいない。相変わらず繰り返される日常が続いていた。
アルスロットの育て親になったインバは、齢78歳。マルメット村の中でも最高齢であった。幸い、村唯一の乳母と薬師という二つの役割を担っており、代えの効かない存在として村での地位を確立していた。しかし、決して裕福な生活を送れているわけではない。
「ふぅー、なんとかアルマダの家から牛の乳を分けてもらったおかげでアルのおまんまもどうにかなりそうだよ」
アルスロットの誕生はマルメット村で祝福されることはなかった。ただでさえ貧しい村に生まれた、穢れた母親から生まれた忌み子。インバが庇わなければ、アルスロットは産まれた直後に殺されていただろう。忌み子に渡す食料などないが、インバがいなければ怪我をした際の治療ができない。
この世界には魔法が存在しており、体を癒す回復魔法も当然あった。だが回復魔法が使えるものはマルメット村にはいない。だからこそインバの煎じた薬が村の重要な資源だったのだ。
「村の忌み子に食わせるものなんかねーんだがな。そいつを育てていったいなんになるんだインバ?
クソババアの脳みそもいよいよクソになっちまったな」
アルに飲ませる乳を手に入れたことで感じていた心地よい疲労感が消え去る。
「なんだい、シジン。婆に八つ当たりして。アルは私の孫も同然なんだ。何度も言ったが殺させはしないよ。お前さんの暇つぶしに付き合うほど暇じゃないんでね。用件がないなら帰っちまいな」
下卑た顔をしたシジンが訪れたのには理由があることをインバは理解していた。インバだからこそ多少ぶっきらぼうに返答することができるが、要件を断れば殺されるだろう。つまるところ、インバに断るなど、そもそも出来ないのだ。
「また王都の方から生贄を寄越すように言われてよ。ちぃとばかしまた睡眠薬を作ってくれるか?どうやら今回は4人分いるそうなんでな。じゃあ頼んだぜ」
4人分も必要なのか。
心臓がギュッとするような重苦しい思いがした。
インバの顔が陰った。
「おぎゃーーーーーーーーー、ぎゃーーー!!」
家の奥からアルの泣き声が聞こえてきた。不思議なもので、辛い思いやしんどくなるとアルも同じように泣くのであった。まるでこちらに共感しているようだ。もしかしたら、アルは誰かに寄り添う力が強いのかもしれない。
多少インバの気持ちも楽になったが、今からの作業を考えると体が鉛のように重い。だが、やらないわけにはいかないとインバは家に向かうのであった。
まずはアルを宥めてから薬を作ろう……。
こうしてマルメット村の1日が終わる。なんて事のない日常が終わろうとしていた。
原初の悪魔はいまだに封印されている。だが1000年以上の時が過ぎ、悪魔は嘗て以上の力を蓄えていた。そしてミスラ達にバレないように、先手を打とうとしていた。封印を無理やり破ることはできるが、要らざる警戒心をやつらに抱かせてしまうからだ。
だが巫子をお守りしなければいけない。悪魔はすでに巫子の居場所を誰よりも早く突き止めていた。
これも運命なのだろうか……、巫子との距離はそう遠くはない。ならばこそ悪魔の打つ手は早かった。
封印されてもなお溢れる魔力を駆使して、周辺にいる生き物や魔物を密かに操作する。
「原初の悪魔バルバトスが命ずる。命をかけてでも素早く、且つ確実に巫子をお救いするのだ。これは私からの君命である」
原初の悪魔が、ついに動いた。




