1話 運命
1話 運命
聖光歴1296年
光明神ミスラを主神として崇拝する光の陣営下の人族とエルフ族はこの世の春を謳歌していた。
黎明戦争後は、各地に点在した暗黒神アルシエルの残存勢力を一掃し、人族とエルフ族を絶対的な存在に昇華させた。
黎明戦争時には中立を宣言したドワーフ族や獣人族を力、虚言、謀略を用いて隷属させ、遂には盤石な支配体制を築き上げることに成功する。
やがて人族は、異世界の勇者達を中心に多くの国を興す。光明神ミスラの正義を体現するという大義名分を掲げて勇者達は王となって人々を纏めた。
エルフ族は、真理を追求する賢者として多くの者が、黎明戦争前の集落に戻った。人族の良き隣人として王国の設立にも協力し、長い蜜月の関係を構築した。
光明神ミスラやミスラに従った天使は、戦争後は早々に神界に戻った。神界にあるアルシエルの領地を奪い、ミスラはこの世界の神の長となったのだ。
遂に平和が訪れた!誰もが幸せになる世が到来したのだ………
………本当にそうだろうか?
光あるところに影も存在する。
奴隷に落とされたドワーフや獣人は本当に幸せだろうか?
答えは否だ。
カーストの下層に叩き落とされた彼らドワーフや獣人は、文明を発展させる歯車として使い捨てられていた。まるでゴミのように扱われていた。満足のいく食事や睡眠をとることはできず、彼らの寿命は年々短くなっていた。
だが、決して死に絶えることない。生かさず殺さずの半殺し状態を維持させられていたのだ。
一方で彼らは最低限の自尊心を持つことができていた。それは、彼らよりもさらに下の存在、カーストの中にすら入らない者達が存在したからだ。ドワーフや獣人でも持っている奴隷という地位すらない者達がいた。
奴隷の下の彼らは地位も、まして人権もない。まるで生きていることさえもが認められていない。
それは、かつては王国に住む人族だったが、故あって同じ人族から切り捨てられた者達。
彼らの存在が、ドワーフと獣人が自暴自棄にならない最後の一線であり、逆説的に彼らこそが世の中で最も穢れた存在とされていた。
人族の天下の世で、皮肉にも同じ人族こそが最下層。そんな底辺の底辺が集まる集落の一つであるマルメット村に、いま一つの生命が誕生しようとしている。
村の外れに住む女の名前はミリオネーラ。村に住む唯一の産婆インバと共に出産に臨んでいた。
……父親は誰だか分からない。ミリオネーラはマルメット村の中でも最下層の人間で、村の男たちの慰め者だったのだ。
果たして穢れた地で、穢れた者から産まれるものは生まれながらに穢れているのだろうか?
ミリオネーラはそうとは思わなかった。例えどんな生命であろうとも祝福されるべきであると考えている。だからこそ、ミリオネーラはボロボロの体で出産に臨んでいる。彼女はこの出産で自分の命を落とすことも覚悟していた。
「ミリオネーラや。今ひとつ尋ねるが、本当に子どもを産んでもよいのだな?お前の体は出産に耐えられる体ではない。子どもを産むと同時にお前は死ぬことになるんだぞ?……それに父親が誰だか分からない子を産むなど………」
「父親が誰か分からなくても、確かに私のお腹にいるこの子はこの世に生まれようとしています。例えこの身が穢れていようとも、この子までもが穢れているわけがない…………
これは私のエゴなのかも知らないけど、私がこの世に生きていたということを残したい。
なんとなくなんですが、生まれてくるこの子はきっと世の中を変えてくれる気がするんです。ただの母親の願望かもしれないけど……。
それに自分の子どもを憎く思う母親などいないに決まってるでしょ?
残念ながら私はこの子を育ててあげられない。それが本当に悔しい……。
インバさんにはご迷惑をかけますが、どうかこの子をよろしくお願いします」
「……分かった。ミリオネーラの覚悟を確かに受け取った。この子は必ず私が育てる。なーに迷惑なんて思うじゃないよ。こんな村だから王都の人間に比べると、貧しい生活を送らせることにはなるが、それでもミリオネーラの子として恥じない立派な子に育て上げるさね」
「インバさん、本当にありがとうございます……」
「ところでこの子の名前はなんだい?男の子が産まれてくるんだ。もう名前は決めているのかい?」
「アルスロット。この子の名前はアルスロットです」
「アルスロット……いい名前だねぇ。分かった、このインバはアルスロットの育て親になることを誓うよ」
かくして、人類圏の最下層に一つの生命が産まれる。名は"アルスロット"。彼こそがこの世に産まれることを望まれた運命の巫子なのだ。
ミリオネーラは死んだ。だが彼女が感じた、アルスロットがこの世を変えるという予感は、これから現実のものとなる。
アルスロットがこの世に産まれ落ちたことを即座に察知した者達がいた。
悪魔は気がつく。ついにアルシエルの半身とも呼べる巫子が生まれた。悪魔は膨大な感謝を胸に、巫子の誕生を祝福した。
吸血鬼も気がつく。ついに我らの巫子が産まれたのだ。吸血鬼は滂沱の涙を流し、巫子の誕生を祝福した。
アンデッドの王も気がつく。漸く研鑽を奮う機会が訪れるのだと。かつての剣聖は身を震わせんばかりの幸福を去来させて、巫子の誕生を祝福した。
魔族の王も気がつく。遂に我らの時代が到来するのだと。魔王は激しい高揚を感じ、神への感謝と共に巫子の誕生を祝福した。
遂に運命はうごきだす。だが赤子のアルスロットはまだそのことに気がついていない。




