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俺は足を止めた。
毎日、毎回、決まった場所で足を止める。
視線の先に映るのはさびれた洋館だ。
もう何年も手入れされていないであろう花壇と長々と伸びた雑草が生い茂る広い庭。蔓が巻きついた建物。
誰かが住んでいるとは到底思えない洋館。
だけど俺にはただのさびれた洋館には見えなかった。なんだかこの洋館を昔から知っているかのような不思議な感覚を毎回覚える。
俺は幼少の頃の記憶がほとんどない……。日常生活に支障はないものの度々何かを見たり何か行動をしたりすると不意にデジャブに襲われる。
父さんや母さんに記憶の話をすると毎回はぐらかされたり、誤魔化されたりする。
そして昔の記憶がない所為で二人が本当の両親かすら俺にはわからない……。
でも二人は記憶のこと以外は本当に親身になってくれる。そんな二人を困らせるようなことはしたくはない。だから俺は必要以上に詮索しないことにした。そして俺に降りかかっている火の粉のことも二人は知らない。
俺は止めていた足を動かし学校へと歩きだした。
『3-A』
俺は教室の扉を開けると中央最後尾の自分の席に視線を向けた。そしてその自分の席には花瓶のようなものが置かれているのがわかった。
人をあざ笑う声。
不意に田中流理と目が合う……。
「るり〜、青空がなんかこっちみてるよ〜。きもくな〜い?」
わざと俺にも聞こえるような声で遠藤は田中に話しかけた。
「……なんか怖いね」
田中は憎らしい笑みを浮かべる。
俺は歯を食いしばり、自分の席へと向かう。これが俺の日常。どこからか歯車が狂い始めてこうなってしまった。俺はこのクラスから除け者、笑い者にされてしまった。
だがあと一年耐えればこの苦しみから解放される。それまでの辛抱だ。
俺は頭にそう言い聞かせながら机に置いてある花瓶を退け、自分の席に着いた。
太田達が俺のもとへとやってくる……。
「なあなあ大地君、せっかく田中さんが善意で持ってきてくれた花どかしちゃうの? ねえ?」
太田はそう言いながら花瓶を俺の机に乗せた。
「……何が善意だよ。悪意しかねぇじゃねぇか……」
俺の呟きは太田に届いてしまった……。
「……へえ〜、そういうこと言っちゃうんだ大地君は〜」
太田達の人を馬鹿にしたような笑い声。
俺は構わず花瓶を再び退けた。
「少し生意気だよ? 大地君……」
太田は退けた花瓶をまた俺の、机に乗せた。
「……やめろよ」
俺は視線を上げて太田を見据えた。
「ん……、何? 聞こえなかったんだけど……。ああ〜、喉が渇いたって? 何だよ大地君、それを早く言ってよ〜」
太田は花瓶を手に取った。そして花瓶の中の水を俺の頭に掛け流した。
それを見ていた周りのクラスメイト達は大きな笑い声を上げていく。
全身に力を入れて今にも泣き出しそうな気持ちを必死に、必死に堪えた。
俺は無言で立ち上がり、体操着のジャージを手に取りクラスを出た。
男子トイレに入ると同時にチャイムが鳴った。
俺は構わず、ジャージに着替えた。手洗い場の鏡に自分の姿が写る。
弱々しい自分。何もできない自分……。
俺は鏡に写った自分自信に腹が立ち、鏡を殴りつけていた。鏡は跡形もなくくだけ散る。俺は割れた鏡に目もくれず男子トイレを後にした。
クラスに戻ると教壇に担任が立っていた。担任の目は俺を見つめた。
「青空! その手どうしたんだ!?」
自分の手を見ると右手の拳から血が滴っているのが見えた。
……痛みは感じない。
「……一体何をしたんだ! いいから早く保健室行ってこい!」
担任の声で我に帰った俺は踵を返し保健室へと向かった……。
手当を終え教室に戻ると一限目の授業が始まっていた。
俺を見た国語の教師が何事もなかったかのように俺を席に着くように促した。
何事もなかったように静まり返っているクラス内……。
こいつらは教師の目がある時は何もしない。
だからなのか教師達はこのクラスで起こっていることには無関心だ。
こんな世界、滅びてしまえばいい。
俺は心の片隅でそう思った……。
教室の扉を閉め、俺は自分の席へ着いた……。