或るトラック運転手の嘆き
やってしまった。……やってしまった。
別に集中していなかった訳では無い。だが、耐えられなかった。
常に気を張らねばならない仕事だった。
物を運び、ひいては人の想いをも運ぶ職業。
トラック運転手。それが私だ。
しかし疲れが溜まっていたのか……私は遂に、人を轢いてしまった。
それも信号無視で飛び出して来た少年を、だ。
たとえルール違反をしたのが向こうであろうが、非があるのはこちら側。車両に乗っていた私だ。それは重々理解していたし、異論を唱えるつもりも無い。車という走る凶器を使うと決まった日から、当然の如く承知の上だ。
フロントに何か重たい物がぶつかったのが分かった。免許を取り立ての頃は、何度か電柱にぶつけた事もあった。けれども、今回のは違う。
確実に、温もりを感じる、無機物などではない肉々しい衝撃。
寒気がした。
身体から体温そのものが抜けていく様な、悍ましい心地。
触覚が、聴覚が、視覚が。崩れ落ちるように消えていく。
逃げてはいけない。辛うじてそんな思考が湧き、よろよろと車を降りて様子を見る。
血。人間に無くてはならないもの。
紅い濃さに、見ているだけで引き摺り込まれる。
震える手で何とか、1、1、9と携帯電話のコールをする。
──事故を起こした、人を轢いてしまった。
自分の声が、何処か遠くで響いている。
──その場を離れないで下さい。
上の空で聞こえた電話の向こう側の声は、そう私に告げた。
ギリギリ自らを繋ぎ止めていた加害者の義務を果たした私は、ぷっつりと糸が切れ、意識は闇に沈んだ。
目が覚めると、そこは病院だった。
医者から話を聞くに、私は精神ショックで三日ほど意識を失っていたのだとか。……やはり疲れもあったのか。事故の事に更に追い打ちとなったのかもしれない。
しかし今はそれよりも確かめねばならないことがある。
「あの……私に轢かれた少年は、どうなったかご存知ですか」
「……“轢かれた”? 貴方は沿道の木にぶつかっただけで、あの大破は人を轢いたものでは無いのでは?」
「……は?」
「いやね、確かに通報の内容には『誰かを轢いた』と仰っていた様ですが、……言い辛いのですが、それは錯乱状態の中の幻覚だったのではないでしょうか。居合わせた救急隊員からも、その場で血痕は検出されなかったと聞いていますし」
何が何やら。訳の分からぬままに、私はいつもの生活へと戻っていった。せめて器物破損に関しては保険で何とかなったのが、不幸中の幸いだろうか。
あの日と同じように……否、少し違う。
今まで以上に気を配り、素早く、然れども大切に、乗せられた荷物を運ぶ。
今になってみると、あれは、あの少年は、私への戒めとして現れてくれたのではないかと思うのだ。
何年もこの仕事を続け、最早始めた頃の情熱などとうに冷め切ってしまった。最初は一つ一つ慎重に、丁寧に不慣れな手順を熟していたというのに、今や私はその面持ちを仕舞い込んで、遠くへと置き去りにしていた。
『お前の仕事は決しておざなりにして良いものじゃない』
少年の幻影は、そんな思念が見せた私への激励だったのかもしれない。
私は充実した気分で日々の仕事に戻った。
そうしてトラックを運転していると、ふと目に付くものがあった。
「……ん? ……!!」
……まさか。そんな。
あり得ない。
あの姿は。
何故だ。何故だ。
何故あんなにも元気そうなんだ。
「お? ……もしかしてあのトラックのおっさんか!」
──間違いない、あの少年だ。
言葉に悪意など欠片も無さそうな少年は、私がトラックを止めると、近付いてきて開けた窓に体を寄せる。
怖い。
恐ろしい。
決着が付いた筈の悪夢が、再び私を襲い来る。
一体その口から、どの様な罵倒の言葉が吐かれるのか。
私への断罪か、はたまた恨み辛みの籠もった怨嗟か。
自然とハンドルを握る手に力が入る。
その少年の口が開く。
「おっさん、ありがとうな!」
……拍子抜けする。
意味が分からない。
自分を殺した相手に向かって、よりによって『ありがとう』?
閉じていた罪悪感の蓋が開きつつあり、疑念が体中に纏わり付く私に、少年はその理由を放った。
「おっさんのお陰で、異世界転生出来て、この世界に戻って来れたわ!」