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コンピエニュの戦い・5

「……っ」



 ガリア軍の陣を離れて馬上の人となったマリアは下腹部から突き上げて来る痛みに思わず太ももを摺り寄せる。

 戦場という精神を張りつめていた場所から解放されたせいか、初めての営みを原因とした激痛が思い出したように彼女を責めていた。

 そんな青白い顔をしたマリアに背後から同行していたケラススが近寄ってくる。



「あの、殿下? お顔色がすぐれないようですが。馬車で横になられたほうが」

「だい、じょうぶ」



 ケラススが振り返ると、そこには負傷者を乗せた数台の馬車があった。ちょうど負傷者をコンピエニュへ後送するための一団が陣を発とうという時にマリアもまた陣を離れることとなり、旅は道連れだと街まで同行することになったのだ。

 そんな戦場で国のために傷ついた勇士の脇に自分のようなものが横になるわけにはいかないとマリアは強気に笑みを作る。



「ではせめて回復魔法だけでも」

「それは、みんなのために取っておいて。本当に平気だから」



 味方を救うために勅を犯し、その責としてガリア王国の未来を左右する戦から追い出された彼女の心情を思えば体調もすぐれないだろう。だというのに気丈に振る舞う上に負傷者を気にかけてくれるとはさすが王族だとケラススは畏敬の念を改めて思い抱く。

そんな視線にマリアは居心地が悪そうに尋ねた。



「それより星職者を取りまとめていたケラススさんが抜けられてよかったのですか?」

「今は上も下もなく負傷者の救護が優先ですので……。今はそれしかできませんし」



 元々、学究の徒であったケラススにとって回復魔法という実技は最たる苦手であった。

 むしろ彼女に出来ることは正しい星々の教えを語るくらいしか出来ず、その無力さに打ちのめされていた。



「殿下は、すごいです。新兵器を手配して、冒険者として外の世界を見て。この戦になってからワタクシはなに一つ皆さまのお役にたつことができませんでした」

「そんなことないわ! 貴女達がいたからこそ多くの兵士や民の怪我を癒すことができたのよ」

「いえ、それでも多くの命が星々の御許に……。ワタクシはただ間違ったことに否といい、真の教えで人々を救いたかっただけなのに」



 正しい事をすれば結果はついてくる。そんなケラススの思いは今や粉々に打ち砕かれたといっていい。

 むしろその崇高な理想にガリアは今、殉じようとしていた。その様は美しいものがあるが、だがその陰に無辜の民による屍山血河が築かれていたが……。



「あれ?」



 マリアが視線をコンピエニュ方面に伸びる街道に向けるとそこには数騎の馬が駆け寄ってくるのが見えた。それも武装しているようだ。

 どこかの貴族が援軍を連れて来てくれたのだろうか。

 そう思ったが、その期待は長続きしなかった。



「味方でしょうか」

「……違う。あれは――。セントールよ! 急いで陣に戻るわ! 早く!」



 だが鈍重な馬車を連れて身軽なセントールから逃れられるはずがない。

 彼女たちはとれる行動はただ、相手の慈悲を期待する他になかった。


 ◇


 北部軍右翼。そこに配されたプルーサ王国第五師団はゴブリンやオーク、ノームなどの雑多な種族で編制されており、その実力もまた寄せ集めの特設師団であった。

 形ばかりの師団のため主攻から外れていたが、今や戦線の最右翼より迫りつつあるブリタニア連合王国軍の邀撃準備に追われていた。



「大隊は二列横隊を組め! 急げ!!」



 師団司令部より西進を命じられたゴブリンの連隊長は己の不運を呪いながらも教本の文言を必死に思い出しながら命令を飛ばしていた。

 彼は隷下の四個大隊のうち二個大隊――一千の兵力を壁のように布陣させていると、深淵より響くような狂った笛の旋律と共によろよろと無様な行軍をする兵士達が現れた。


 その様はまさに異様の軍勢だった。

 首筋にエラを思わせる深い皺が刻まれ、鼻は平べったく、そして顔の表面は皮膚病のように皮がむけたようになっていて妙に調和がとれていない。

 その上、臭いだ。まるで魚市場にいるような独特なものが身に染みていて、それがより嫌悪の念を募らせる。

 そんな見ているだけで胸がむかつく種族――半魚人族(ディープ・ワン)はブリタニア連合軍が採用する紺青色の軍衣(ジャケット)に彼らの民族衣装であるタータン柄のキルトに身を包んでいた。



「っ! なんておぞましい姿だ。主よ……!」



 この遠征に伴って改宗したばかりのゴブリンは胸の前で五芒星を切り、天上の加護を祈らざるを得なかった。

 もっとも神の恩寵を待つ前に深き者どもで編制された低地人連隊(ディープランダーズ)はバグパイプと呼ばれる民族楽器を吹き鳴らしながら攻撃を開始する。



「こ、攻撃用意! 構え!」



 銃剣を取り付けた燧発銃(ゲベール)の銃先が一斉に人知の外にあるような見てくれの亜人に向けられる。

 だが呪われたバグパイプの音色に導かれた半魚人族(ディープ・ワン)達に怯えはなく、悠々と歩を進めてきた。まだ距離は八十メートルほどあるだろう。だが彼らの放つ圧力に気おされた連隊長は乾いた口内から「狙え! 撃て!」と命じてしまう。

 激しい射撃音がバグパイプの音を打ち消すが、その弾丸は距離があるためほとんどが明後日の方角に飛んでいき、効果は薄い。

 深き者どもはこの瞬間を好機と見た。



「ディープランドよ永遠なれッ!! 突撃ぃ!!」



 低地人連隊(ディープランダーズ)は編制されて間もない部隊であり、練度としてはプルーサ王国第五師団よりも劣ると言えた。その上、士官の多くは新兵器たる燧発銃(ゲベール)(魔族国からの輸入品だ)に信頼をよせていなかった。

 だからこそ海戦においては陸戦最強種の一柱であるオーガを越えるフィジカルと、北方系に広まる戦争と死の神への信仰というスピリチュアルを背景にした白兵戦――銃剣突撃に重きをおいていた。



「そ、装填――。いや、白兵戦に備え!」



 連隊長は経験が浅いながらも再装填が間に合わないことを悟ると、顔を青くしながら深き者と同じく白兵戦を決意した。

 だが第五師団の兵士全てに言えることだが、根こそぎ動員による強制徴募と速成訓練によって無理矢理戦力化された結果、士気も練度も低く、行軍中の小競り合い程度の実戦しか経験していなっかた。

 そのため鬼気迫る半魚人族(ディープ・ワン)の突撃に一人、二人と耐え難い恐怖に負けて戦列を抜けていく。

 それは次々に他の兵士へと伝染していき、戦う前から戦列が瓦解を始めた。



「に、逃げるな! 戦え! くそ、もうダメか」



 海上での戦闘に特化した半魚人族(ディープ・ワン)は陸戦となれば弱体化(デバフ)は避けられない。

 だが恐怖に支配されたゴブリンを圧倒するには十二分な力を発揮し、このどさくさで魔皇リーリエより親授された連隊旗も奪われてしまう等、軍制改革以後初の敗北を北部軍は喫した。

 そんな瞬く間の攻防に第五師団司令部は阿鼻叫喚に包まれていた。未だ北部軍に要請した軍特火の支援は得られず、邀撃準備もままならず、誰しもが戦線の崩壊を予想するしかなかった。

 しかしそれを他所に北部軍には最後の悪夢が襲来しようとしていた。


 ◇


 ガリア王国軍本営では前衛陣地の一つである農園の自爆という凄絶な最期に誰もが言葉を失っていた。

 だが、それと共に自爆攻撃によって戦線中央部を空白に出来たことを喜ぶ者もまた、存在していた。



「陛下! 今こそ好機です! 中央突破を図り、敵を分断すべきです!」

「左様! ブリタニアも重い腰をあげたのです。今こそ出陣の時!」

「御命令を! 陛下ッ!!」



 血気盛んな騎士達を見渡したガリア王ルイ十三世は息子を見やると、彼は茫然自失としているオドルを一瞥してから立ち上がった。



「この機を逃がせば、ガリアのために斃れていった者達に申し訳がたちません。今こそ総攻撃の御命令を」

「お前がそこまで言うのなら、許そう。【勇者】ジャンヌよ。攻撃の指揮を執れ」



 「御意」とジャンヌは膝をついて最敬礼を行う。それにルイは思案しながら先ほどアンデッドを退治してきたばかりの妹を見やる。



「父上、魔族は恐らく軍の再編をする時間を稼ぐためアンデッドを再び投じるものと思われます。シャルロットの魔法騎士も投じたくあります」

「それも許そう」



 魔法騎士達は【死者浄化(ターンアンデッド)】の魔法だけではなく、同時詠唱による強力な魔法を放つことができる精鋭でもある。そのため機動力と打撃力を持った戦闘団としても活躍が期待できた。

 もっとも数が少ないため無暗に戦場に投入できないのが欠点であろう。



「皆、この一戦で片をつけよう。騎士や魔法騎士だけではなく国民衛兵隊にも攻撃を命じる。全力でガリアの未来を切り開いてくれ」



 ルイ十三世の言葉に諸将の鬨の声が沸き起こる。

 だがそんな中、オドルだけは脳裏に黒煙を立ち昇らせる農園の残骸が張り付いては慣れなかった。



「オドル? 大丈夫か?」

「ルイ……。僕は……。いや、平気だよ。大丈夫」

「……オドル、総攻撃は本陣の警護に当たってくれ」

「なっ!? そんなこと納得出来る訳――」

「これは友としての願いじゃない。ガリア王国の王太子としての命令だ」



 オドルの顔に浮かんでいた死相にルイは自分の判断は間違ってないかと反芻し、それに頷く。

 確かにオドル個人の技量はAランク冒険者以上の実力があるだろう。だがこの大会戦において個人の技量など塵も同然だ。

 ならば死相がついた友を行かせる訳にはいかない。



「ルイ、僕は、僕はどうしたら良かったんだ……?」

「あまり自分を責めるな。オドルの作戦のおかげで、彼女達の犠牲のおかげで勝利への扉が開いたんだ。誰も君を責めたりなんてしない」



 だが唇を噛みしめるオドルはその言葉に納得していないようだった。

 そして本陣に残されたオドルはポツリと「どうすれば良かったんだ……」と許しを請う様に呟くしかなかった。


 そんなオドルを残し、ガリア王国軍は決死の総攻撃のために二万の戦力のうち一万もの兵士を投じることを決め、軍旗を先頭にゾロゾロと丘を登っていた。それが頂に達した時、誰からともなくざわめきが起こる。



「あれが魔族か」



 ほとんどが王都出身者という魔族と縁もゆかりもない者達は眼下で方陣を組みつつあるオークを見やり、息を飲む。

 これからあの集団と一戦交えるのだと実感すると、恐怖が臓腑を締め上げるようであった。

 そんな民衆の前に躍り出た【勇者】ジャンヌは騎乗したまま声を張り上げた。



「怯える必要はありません! 共にガリアを守りましょう!」



 だが【勇者】の声は戦力の過半数を締める強制徴募された国民衛兵隊には届いていなかった。

 元来、農民や町民といった戦闘とは縁遠い者達を奴隷の首輪で無理矢理戦わせているのだから無理はない。

 もっともそれは【勇者】というスキルによって強制的に国の剣になるしかなかったジャンヌも同然ではあった。



(啓示がなかったら、戦なんかせずにお父さんと麦の世話をして、お母さんと針仕事をやりたかったなぁ)



 思えば故郷から遠くまで来てしまったものだと彼女は不安を隠せない民を見ながら思った。

 だからこそ彼女は啓示を民に授けるのではなく、ただの少女として民に語りかけた。



「これは、未来のための戦いです。明日、家族が平和な朝を迎えるための戦いです。これは【勇者】だけではつかめない、大切な、大切な朝を守る戦です。どうか私に力を――!! ガリアに暮らす全ての者に勝利を――!!」



 ジャンヌはフィエルボワを抜き放ち、高らかに掲げる。【勇者】スキルによる全体強化(バフ)と相まり、総攻撃に参加する兵士達に生気が蘇る。



「そうだ! 明日のために!」

「家族のために!!」

「俺達がガリアを守るぞ!!」



 そんな歓声に沸く頂上に対し、北部軍の中央部ではオルク王国第二師団の残存兵力が方陣を組み上げて逆に邀撃体勢を整えつつあった。

 そんな彼らの前にプルメリア・フォン・リンドブルム・オルクの姿があった。

 彼女は夫の軍勢の前に立ち、馬上から叫んだ。



「兵士諸君はこれまでの戦況に不安を覚えているやもしれないが、それは買いかぶりである。余に言わせればガリア王家は愚将であり、人間共は弱兵だ。連中を打ち負かすなぞ朝飯前である! 夜には共に祝勝の宴を催そう!!」



 プルメリアの言葉はひどく侮蔑的であったが、彼女は敵を称賛することで士気が下がることを憂いていた。

 なによりプルメリアは夫が育て上げた軍勢の真の強さは新兵器たる燧発銃(ゲベール)や大砲の破壊力ではなく、古来より連綿と受け継がれてきた集団戦をより効率的に組織だって運用する軍制面にあることを見抜いていた。

 もっとも統制を維持できれば世界最強の座につける軍隊ではあるが、逆に言えば統制が麻の如く乱れれば軍団はたちまち瓦解してしまうことを意味する。

 だからこそ士気という不可視のファクターを彼女は無視できなかった。



(元来個人の武勇に重きを置いてきた魔族が群で戦い、人間は【勇者】などという特級戦力に縋るとは。この世は皮肉そのものだな。いや、カレンに言わせればその理不尽さも”よし”とされているのか)



 プルメリアは一人ほくそ笑みながら兵士達に応えるように手を掲げる。すると彼らは割れんばかりの歓声を響かせた。



「人間如きに負けるものか!」

「猿獣人など遅るるに足らん!!」

「魔皇陛下万歳! 神星魔族帝国万歳!!」



 そしていよいよコンピエニュの戦いは喊声と共に終局へと突入する。


 ◇


 北部軍左翼に展開するコボルテンベルク王国第四師団は戦闘部隊の四割を喪失するという、図上演習では全滅判定を受けるほどの損害を被りながらもコンピエニュ離宮を奪取することに成功した。

 そんな離宮は激戦の爪痕が激しく、狩猟に訪れた王族が利用する屋敷とは思えぬ廃墟になり果てていた。

 そんな廃墟に師団長であるジギタリス・コボルトロード・フォン・コボルテンベルクは入城するや、速やかに生き残った部下達を整列させる。

 その準備が整うや、整然とした軍靴の音と共に胸がむかつく腐臭が強まってきた。

 特に嗅覚の鋭いコボルト族はその鼻を突く異臭に眉を顰めるが、その中でジギタリスはダラダラと冷や汗を流していた。



「あの時の、あの時の臭いだ」



 三年前に勃発した魔王位継承戦争においてオーク共に虐殺され尽くした村に赴いたあの時の臭いが、ここに漂っている。

 あのオークは罪もない村人を平然と虐殺し、死者を冒涜し、そして自分に――。

 思い出すだけで身震いするジギタリスは辺りに響く信号ラッパの音色に意識を取り戻させた。


 気がつけば彼の視界にはオーガと見間違わんばかりの巨躯を誇り、眉間に深々と刻まれた切創が凶相を色濃くするオークが薄い笑いを張り付けた法服の女と、そして死者の軍団を引き連れて現れた。

 その様はまさに地獄の使者であり、ジギタリスを始め多くの兵士が恐怖に震えあがった。

 そんな畏敬の念から捧げ銃の号令がかけられるや、一斉に銃礼が執り行われた。それにオークは図体に似合わない丁寧な答礼をしながら悠然と廃墟を歩んでくる。



「コボルテンベルクの諸君。先刻の激闘は誠にご苦労で感謝の言葉もない。よく今まで頑張ってくれた」



 彼が発した言葉は顔とは裏腹に慈愛に溢れ、傷ついた兵士をよく労っていた。

 だがジギタリスはその優しさの皮一枚下に潜む悪魔のような凶暴さを、よく知っていた。



「ジギタリス様、お久しゅうございます。それにしてもお出迎えなど、早馬を出したせいでとんだ手間をかけさせてしまって申し訳ないです」



 オークは悠然と礼をすると、周囲を見渡し、満足したように破顔した。



「この離宮を攻略されるとは、良き兵士に恵まれましたな」

「お、オークロード卿が、新式軍制を導入してくださったおか、おかげです。あ、あの時はデモナス王国と共に無礼を働いて――」

「もう済んだことではありませんか。それよりもこの大戦果を誇りましょう!」

「だい、せんか?」

「えぇ。なんといっても猿獣人の駆除は大戦果です。よく敢闘されました」



 口の中が乾くのをジギタリスは感じつつ、無理矢理笑顔を作る。



「それはもちろん。御命令ですから」

「ジギタリス様を始め、兵士諸君は軍人としての責を全うし、帝国に忠を尽くされました。あとは、俺が跡を継ぎましょう」



 そしてオークは、カレンデュラ・オークロード・フォン・オルクは凶暴な笑みを浮かべて言った。



「猿獣人を一匹残らず掃滅し、真の教えを取り戻しましょう。星々の恩寵があらんことを……! く、フハ。く、フハハハハハッ!!」



 そしてジギタリスは思った。やはり三年前から何も変わっていない。

 この狂オークは相も変わらず狂オークなのだ、と。だからこそカレンデュラがやってきたことでここは戦場ではなく、ただの地獄に変貌するのだろうと、確信していた。

反転攻勢のはずだったんですが、カレンの登場で精いっぱいでした。あぁかみさま。どうして……。


小話ですが、深き者が「ディープランドよ永遠なれッ!!」というのは元ネタがあって、ワーテルローの戦いでスコットランドの第二竜騎兵連隊グレイズが「Scotland Forever(スコットランドよ永遠なれ)!」と叫びながら突撃したのでオマージュしました(誰も聞いていないですね……)。


それではご意見、ご感想をお待ちしております。

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