コンピエニュの戦い・2
コンピエニュ離宮を巡る戦いによって火蓋が切られると共に激化の様相を見せ始めた。
コボルテンベルク王国第四師団は準備砲撃を終えるや、先遣の二個大隊が攻撃を開始する。
それに対して離宮側は事前の野戦築城によって塹壕や待避壕があらかじめ作られていたため、コボルテンベルクの砲撃による損害は軽微であった。
そのためガリア軍主力は依然と丘の反対斜面に布陣し、少数の援軍を離宮に送るのみだった。
奇しくもガリア軍の動きは北部軍が描いた作戦に酷似したその行動により、北部軍司令部はにわかに活気づいていた。
「閣下! 敵が丘を下っております! 作戦は成功でしょう!!」
「そのようだな。鷲獅子の掃討はどうなっている?」
その問いに航空参謀であるシュヴァルベは「未だ決着がつかず」と顔を曇らせて言う。
「どうやら竜騎兵も擲弾を投棄して制空戦に挑んでいるようで第一派による対地支援は見込めません」
「仕方ない、か。だが我が夫殿が育てた特火の力を見せつけてやろう。軍特火、前進」
プルメリアの命令一下、ついに戦場の女神達が解き放たれた。
ノームやサイクロプスにオークなどの身体頑健な種族の兵士達は総重量八百キログラムを超える一〇三ミリ野戦砲などを軽々と操作し、その砲口をピタリと丘へ向ける。
そして軍直轄の二個特火大隊が誇る六十四門もの火砲が轟然と火を噴いた。その硝煙弾雨が立ち込める様はまさに丘が噴火したと錯覚するほどだ。
「凄まじい発砲煙だな。なにも見えん」
「やったか!?」
「これほどの攻撃で無傷な敵はおるまい。勝ったな! がはは」
口々に参謀達が喜色を滲ませる。耳を貫く砲声が、視界を覆う白のカーテンが勝利を約束していると誰もが思っていた。
その確信を生んだのは北部軍の軍直轄の特火兵力は南部軍の二倍に及ぶからだ(その分、マジックキャスターによる同時詠唱攻撃を旨とする法兵を欠いた編制ではあるが)。
と、いうのも北部軍はガリアの諸都市の攻略を念頭に置いており、安定的に強力な打撃力を発揮できる特火兵が必要であると考えられていた。
それに対し、南部軍はエルザスを占領するも、その主目的はあくまでガリア王国軍主力の誘引と拘束が使命であり、戦術的敗北を喫しても敵を拘束するためゲリラ戦的な機動攻撃ができる騎馬特火や騎馬の快速と魔法による火力を有した法兵が編入されていた。
そうした戦略性の違いから豊富な火力を得られた北部軍だが、当の特火参謀のノームは不機嫌そうに髭を弄りながらぼやいた。
「そう上手くいくものか。地面もまだぬかるんでいるから円弾も跳ねぬだろうし、敵の布陣も……。大よそ損害は与えられておらんだろうに」
だがそんな呟きを耳にしたプルメリアだが、彼女は命中しなくとも敵に精神的な攻撃を与えられれば十分と割り切っていた。
すでにガリア王国軍の主力は彼女の夫であるカレンデュラ・オークロード・フォン・オルクによって殲滅させられており、今立ちはだかっているのもにわか仕込みの民か運のない傭兵くらいしかいないだろうというのが彼女の予想だった。
「素晴らしい攻撃だと、カレンなら拍手しながら涙を流したろうな。さて――。オルク王国第二師団へ。攻撃開始」
プルメリアは右手を高く掲げ、一気に振り下ろされる。それは法務官が儀礼槌を振り下ろすが如き神々しさがあった。
そして軍司令部より信号ラッパが吹奏されると共に、大砲列の後ろで待機していたオルク王国第二師団が攻撃前進を開始した。
総兵力八千を誇る第二師団のオーク共は精鋭の名に恥じぬ精緻な横隊陣形をいくつも組み上げ、一糸乱れぬ足取りで戦場中央部の農園へと迫る。
だが、その完璧な密集陣形は仇になろうとしていた。
彼らの目的地である農園は上から見ればコの字型に建物が配され、開口部分は石壁によって閉鎖されて真四角になっている立派なものだった。だが一大砲撃によって屋根は崩れ、石壁も所々崩落している。
そんな半死半生のような農園だが、直前まで行われた野戦築城によって一大砲撃をやり過ごした解放者が手ぐすねを引いて待ち構えていた。
「御主人様……。みんな! 攻撃用意!」
そう号令をかけるのは解放者の指揮をオドルから預かったハーフエルフの奴隷少女だった。
彼女は一度、自分を地獄のような奴隷商から救ってくれた主人がくれたライフルを力強く握ると、テキパキと命令を発し、農園を取り囲むように作った塹壕の中を駆けまわって仲間達の様子を確認していく。
「大丈夫、大丈夫よ。勇気を出して、ね」
そして解放者の攻撃準備が整ったことを確認すると、彼女は農園の北面――オーク達の攻撃正面に移動する。
そこにはすでに彼女と同じくライフルを与えられた二十人ほどの少女達が集められていた。
「みんな! やるわよ!」
少女達は恐怖に震えながらもそれに頷き、各々が塹壕の縁にライフルを据銃する。ちょうど赤い軍勢との距離は五百メートルをきるかどうかという具合だ。
ハーフエルフの奴隷少女は小さく息を吸い、それを少し吐き出して止める。呼気によるブレが収まり、銃先がピタリと一点で止まった。
そして優しい指使いでトリガーを、絞る。
撃鉄が落ち、火花が飛び散るや、火薬の力を一身に受けた弾丸は銃身に刻まれた螺旋状の溝によって回転を与えられながら銃口を飛び出し、それは過たずオークの胸板を食い破った。
「みんな! 出来るだけ胴体を狙って!」
「な、なに言っているの? あんな大群、狙わなくても当たるわよ」
「そ、そうよ。あんなオークなんて、やっつけちゃうんだから! でも、相変わらず装填しにくいわね、もう!」
銃身の内径より弾丸直径が小さくなければ装填はできない。だがオドルの作ったライフルは銃身に刻まれた旋条と弾丸が噛みあうことで初めてジャイロ効果の恩恵を得られる。しかしそれには弾丸の直径がライフリングの山より少し大きくなくては噛みあうことができない。
そのため丸い弾丸をフェルトのパッチで包み、銃身の内径にピタリと張り付くようにしたものを装填するのだが、そうすると凄まじい力で無理矢理弾丸を押し込む必要がある。
通常の燧発銃が一分間に三、四発撃てるのに対し、ライフルは一分間に二発撃つのがせいぜいだろう。
故に彼女達は四苦八苦しながらもライフルに次弾を叩きこみながらも、恐怖を紛らわせるように軽口を飛ばす。
もっとも精神をすり減らすような砲撃が止み、迫りくる魔族もまだまだ距離があるため彼女たちは未だ余裕を持ち続けることができた。
なにより敵の十倍もの射程を誇るライフルという存在は彼女達の勇気を奮い立たせるには十分だった。
「ピオニブールの時は役立たずだったけど、平原なら圧倒的ね」
「そうよ、さすが御主人様!」
「少し変わっちゃったし、あんな命令を出されたけど、私達が勝てるから死守を命じたのよね? そうよね?」
その問いにハーフエルフの奴隷少女は思わず込め矢を動かす手が止まってしまう。
確かにオドルは変わってしまったし、いつもならば多少の不快感を覚える程度に緩い奴隷の拘束を今回は限界まで強め、文字通り農園を死守することを強いてきた。故に逃げようとするだけで凄まじい苦痛が奴隷に襲い掛かる。
「当り、まえよ。御主人様が私達を見捨てるはずないじゃない。あんなところから救い出してくれた御主人様なら、絶対にまた、私達を助けてくれるはずよ! さぁ、御主人様が来られるまで私達に出来る事をやりましょう!!」
えぇ! と力強い同意と共に健気な奴隷達は縋るようにライフルによる狙撃を行う。
もっともたかが二十丁の銃で八千ものオークを退けられるとは、思っていなかった。
そんな決死の攻撃は、彼女たちが思う以上に効果を見せていた。
特に前面に立たされた連隊のオーク達は誰もがこう思っていた。
「たったの四百五十メートルが、こんなにも遠いなんて……!」
軍の教範に基づけば八分程度で踏破できる距離だが、それだけの時間があれば装填に難のあるライフルでも優に十数発も射撃できる。
それも唐突に彼方から訪れる一方的な攻撃は兵士達の精神に直撃し、動揺が生まれていた。
「なにをしておる! 狼狽えるな! 進め! 進め!」
連隊長の声が虚しく銃声と悲鳴にかき消える。
もちろん彼らとて南部軍からガリアが燧発銃の射程を上回る火器を有していることを知らされていたが、知っていることと実際にそれを体験することはまるで違う。
今までガリア王国軍に与えていた恐怖がそのまま跳ね返ってきたようなもので、精緻な戦列は麻の如く乱れ、統制を欠き始めた。
それでも指揮官達は怯えるオーク達を叱咤して死の行進を続けさせ、なんとか攻撃位置まで移動させる。
それはつまり燧発銃の有効射程に踏み入れたということであり、同じ火器を有する解放者も射撃を開始し、濃密な弾丸の叩き合いが始まった。
単純な銃口の数ならオーク達が優に勝っていたが、暴露したままの射撃戦は塹壕や農園の塹壕といった陣地に守れた解放者に利があり、優位とはいえない。
その折りに銃声に混じって響く馬脚の音色にオーク達は気がついた。
「き、騎兵だ!」
警報を発したオークが指さした先には丘を一気呵成に駆け下りて来る近衛騎士達の姿があった。
それに奴隷達は歓声をあげ、オークは悲鳴と共に壊走するしかなかった。
◇
「間に合った……!」
一千の近衛騎兵を率いるジャンヌは安堵と共に鞘に納められていたフィエルボワの剣を抜き放つ。
「みんな! 突撃!」
丘の影で砲撃を凌いだ騎士達は【勇者】の命令に従って得物を掲げながら愛馬を駆けさせる。
そんな騎兵集団にオーク達は狼狽しながらも農園に向けようとしていた銃先を騎士達に向けるが、その横合い――農園から叩きこまれる射撃によって混乱に包まれてしまった。
「――! 敵が崩れた!」
ジャンヌは目ざとく崩壊した戦列を見つけると、そこに馬首を向ける。
それに応えた愛馬は【勇者】スキルによる能力向上の恩恵も相まって恐れることなく敵陣に斬り込み、進路を妨げるオークを時に蹴り飛ばし、時に蹄で押しつぶしていく。
その上、ジャンヌも果敢にフィエルボワの剣を振るい、赤い集団をより赤く染め上げる。
「【勇者】殿に続け!」
「我らが戦乙女に後れをとるな!!」
「国王陛下万歳! ガリア王国万歳!!」
ジャンヌのスキルによるところも多いが、祖国興亡がかかる一戦とあって騎士達の士気は高い。
その上、浮足立っていたオーク達に対抗する術がなく、壊走を余儀なくされる。
元々、個ではなく全での戦闘に主眼が置かれた訓練をしてきたため、その全が崩れれば脆い(もっとも全を崩せればの話だが)。
「追撃するわ! みんな続いて!!」
【勇者】に相応しい命令に近衛騎士達は喊声を上げ、愛馬に鞭を打つ。
それは第二師団のオーク達にとって悪夢も同然だった。騎兵に対抗しようと方陣を組みかけるが、近衛騎士達はそれを許さず敢然とそれに押しかかる。
もちろん勇気のあるオークは迫りくる騎兵に怯むことなく戦おうとするが、如何に身長百八十センチ、八十キログラムを超す巨躯のオークとて体重が五百キログラムを超える人馬の突撃を受け止めきれるものではない。
まさに騎兵突撃は精神的な衝撃力を以ってオーク達を蹂躙し、さらにもう一個連隊を壊走させることに成功した。
「【勇者】殿! 【勇者】殿! 敵の騎兵です!!」
ジャンヌと共に剣を振るっていた騎士が剣を向けた先には第二師団の救援として投入されたドラグ大公国の騎兵連隊がいた。
これが引き際か、と彼女は頷くと彼女は天に目がけて火球の魔法を打ち上げる。それが合図となって騎士達は勝利の美酒に酔いしれながら丘へと凱旋を始める。
まさに初戦はガリア軍の勝利であることに疑いはなかった。
◇
北部軍司令部では重苦しい空気が滞留していた。
特に顔色を青くしていたのは戦況報告に訪れていたドラグ大公国の騎兵連隊の長だ。ドラゴニュートの彼は寄せられる視線に頬の鱗を青くさせながら頭を下げる。
「申し訳ありません。ガリア軍騎兵を、取り逃がしました」
「貴官の責任ではない。よく戦ってくれた。別命あるまで休んでいると良い。下がれ」
北部軍司令官であるプルメリアは声音に細心の注意を払って言うと、周囲の参謀達を見渡す。
誰もが一突きでガリア王国軍は崩壊し、敵の牙城であるパリシィまでの道が開けると思っていた。そんな顔をしている。
それにプルメリアは口元を緩めながら言った。
「我々がどれだけ特火に依存していたか、よくわかったな。参謀長、貴方の知恵を貸してほしいのだけど」
オークの参謀長は唸るような声で「農園の奪取は不可避でしょう」と絞り出した。
何をするにしても突破口は必須だ。その重点を彼は農園と見ていた。
「農園を奪取できればコンピエニュ離宮と小村を分断できます。先ほどのガリアの抵抗から鑑み、敵もそれを恐れているはず」
「もう一度同じ轍を踏めと言う訳ではないのだろ? どうする」
「はい。農園を攻略する部隊と、それを護衛する部隊の二隊によって再攻撃をすべきかと。その上、農園の攻略隊には特火兵を付属させ、支援を与えるのが良いかと」
特火兵の重要さは先ほどの一戦で痛いほどよく知れた。故に万全の態勢で攻撃を行うには特火の支援は不可欠だ。
「その案を採用しよう。細部を詰めてくれ。それと右翼のプルーサ王国第五師団へ。二個大隊を抽出し、第二師団の増援に充てるように。部隊選定は師団に一任する」
言葉を終えると参謀達はプルメリアの構想を実現させようと細部の策定に取り掛かる。
それを見守るプルメリアはまだ初戦だと自分に言い聞かせるように心の中で唱える。
もっとも北部軍の不幸中の幸いといえば司令官が癇癪持ちな彼女の夫でなかったことだろう。
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