決戦前夜
北部軍司令官プルメリア・フォン・リンドブルム・オルクは接収した農場の屋敷から夕立の煙る丘を物憂げに眺めていた。
開け放たれたよろい戸から吹き込む涼しい風に彼女の薄桃色の髪が躍る中、部屋にノックの音が響く。
「閣下、ハピュゼンにございます。偵察の結果がまとまりましたのでご報告に参上いたしました」
「うむ、入れ」
「失礼いたします」
プルメリアはよろい戸を閉めながら振り返ると燭台を手にしたファルコが深々と頭を下げる。
彼女はファルコの手に燭台の他、丸められた地図が抱えられていることに気がついた。
「で、敵の布陣は?」
「はい。まず、我らの現在位置はここ。地元住民からコンピエニュの森と呼ばれている場所で、もう少し東に行けばコンピエニュ市があるそうです。また、この農場脇の街道を南に八十キロほどいけばパリシィとなりますが、その手前にガリア軍が待ち構えております」
そう言いつつファルコは部屋に備え付けの小さなテーブルに手描きの地図を広げる。
真っすぐ南へと伸びる街道の脇に記された農場をファルコは叩いてからその南側――街道を東西に横切るように描かれた楕円を指し示す。
「北部軍司令部の置かれたこの農場から南に四キロの地点――。先ほどご覧になられていた丘に布陣しているようです」
「一足遅かったようだな」
高地を抑えられれば位置エネルギーを加えられた飛び道具の射程が伸びるだけではなく、敵軍を一望できるためアドバンテージが高い。
「残念ながら。とは言え、事前の空中偵察でも敵は二万程度と判明しております。決戦を指向するのならば地の利に頼る他ないでしょう。これもオークロード卿の活躍でガリア軍を消耗させられたおかげかと」
「そうだな。カレンのおかげで楽をさせてもらえる」
「とはいえ、気になる点として普通、丘を占拠したのならその頂に陣を張るものですが、連中の主力は丘を挟んだ反対側に陣取っているようなのです」
ガリア軍の主力は稜線に隠れ、頂上や前面には少数の支隊が展開していることが斥候の報告で判明していた。
そのため地上からの偵察ではその全貌を掴むことはできなかった。
「恐らく寡兵を気取られぬようにこのような布陣しているのかと。そのため現状、敵主力の位置及び規模は不明です」
「それでは本当に敵の主力が存在するかどうかも怪しいではないか。空中偵察は――。この空模様では無理か」
「はい。間もなく日没ですし、今日中の空中偵察は不可能と言わざるをえませんな」
耳をすませば雨粒がよろい戸を激しく叩く音色が聞こえ、遠くからは雷鳴さえ響いている。
こうした悪天候ではワイバーンでも飛行は不可能であろう。
「敵の主力がどこで何をしているのか分からないというのは気味が悪い」
「しかし午前に実施されたコンピエニュ市等周辺諸都市への空襲において敵軍は捕捉されておりません。つまるところ、敵の主力は丘の反対斜面に陣取っているか、さらにパリシィ側にて陣を張っているものと推察できるかと」
「つまるところ司令部の見解は分からないということが分かったということ?」
「まぁ、そうですな。司令部としては明日は薄暮と払暁と共に空中偵察を実施し、敵情を暴くつもりです」
よきにはからえとプルメリアは頷く。それと共に地図に描かれた基点を指し示す。
「この丘の手前の三点は?」
「敵の前衛拠点です。西から小村、大農場、コンピエニュ離宮とのことで、ガリアはこれらに普請を行い、簡易的な砦にするつもりのようです」
三つの拠点には見通しの悪い果樹園や頑丈な石垣が備えられており、ガリア軍はそれらに野戦築城を施すことでより堅牢な防御陣地を作っていた。
「稜線の向こうに敵主力が存在すると欺瞞するための措置か、遅滞戦闘を念頭にした普請の可能性ももちろんございます。ですが敵主力が存在すると仮定した場合、この普請は丘に殺到する我々を足止めするためのものかと。我らがこれらの陣地で足止めを受けている際に同時詠唱が使えるマジックキャスターか騎士を突撃をして蹴散らそうという腹積もりと思われます」
「なるほどな。余もガリア側ならばそうする。ならば特火兵を前面に押し出し、拠点を吹き飛ばす他あるまい」
「おっしゃる通りではありますが、この雨ですからなんとも」
恵みある水を吸った田畑はたちまち泥濘と化し、軍の行動を阻害する。
特に軽砲に分類される八十四ミリ直射砲といえどその重量は六百キログラムを超えるため運用に枷がついてしまう。
また、大砲だけではなく、その泥濘は馬脚を飲み込み、騎兵の衝撃力を弱めてしまうだろう。
「攻撃開始は地面が乾いた頃が吉か」
「司令部も同意見でした。早くても攻撃開始は昼過ぎが良いだろうと。なにより時間は味方です。なんなら後詰を呼び寄せましょうか? カレ攻略予定の三個師団がロワに駐屯いているはずです」
「ロワまで四十キロはあろう。仮にすぐロワを発ったとして雨でぬかるんだ道を夜通し強行軍してこなければ間に合わなかろう。それにカレ経由で補給物資が送られてくるようになったとはいえ、北部軍は未だ慢性的に糧秣が足りておらん。すきっ腹に強行軍をさせた兵がまともに戦えるとは思えんが?」
「確かに銃兵等の地上戦力を転進させるのは骨が折れましょうが、我が航空猟兵連隊ならば朝にロワを発って昼過ぎには戦場に投入可能です。尚且つ、泥濘に苦しめられることもない」
恐らく最後の決戦になるであろう、この戦に自領の戦力を押し込んで報奨を受けたいか、もしくはブリタニアに囚われた汚名をそそぐためか。どちらにせよハピュゼン王国にとってはラストチャンスであることに違いはない。
プルメリアはハピュゼン王国との友好も考え、それを許可する。
「良きに計らえ」
「ありがたき幸せ」
「他に伝えるべき懸念はあるか?」
「では一つ。我らの西に三キロの地点にいるブリタニア連合王国ですが……」
「………………」
カレからわざわざやってきたブリタニア連合王国軍三千の存在はプルメリアの悩みの種だった。
それもブリタニア王クローバー八世直卒の戦力だ。彼らは小舟を使って川を遡上し、強行軍で戦場に現れていた。
「閣下の取り交わした約定もありますが、使者を拘束するような国です。土壇場でガリア側につく可能性も十分あるかと」
「確かに。クローバーは火遊びが好きなのよね。おまけに慎重に火遊びをするから性質も悪い……。形勢が決まるまでは中立でしょうけど、警戒は怠らない様に」
「ハッ。では伝令の手配をするのでこれにて」
「ご苦労様」
ファルコが去った後、プルメリアは愛息の寝顔を思い出しながら早く戦が終わってくれることを祈りながら床に就くのであった。
◇
ガリア軍本営として接収された館の食堂にみっしりと集まった人たちが一心に星像へ祈りを捧げている。
それを部屋の端にいたオドルは冷めた目で見ていたが、ミサを主催した新教派のリーダーであるケラススは意に介さず、淡々と星書を読み上げる。
「星々があなたを祝福し、あなたを守られますように。星々が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。星々が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。汝らに星々の恩寵があらんことを」
簡易礼拝をする諸将に今更神頼みか、時間の無駄だろうという感想を抱いていた。
だが周囲は藁にも縋る気持ちで礼拝を受けており、到底それを口にできる空気ではなかった。
「皆さま、貴重な時間をありがとうございました。天にまします我らが星々も必ずや皆さまの義侠をお見守りくださることでしょう。どうか共に教皇庁の腐敗を打ち破りましょう!!」
だが大半は物静かに退室していく者ばかりだ。そもそも今のガリア軍で高い士気を維持しているのは一握りの新教派だけで、多くは迫りくる滅亡の足音に厭戦気分を抱いていた。
それでも戦列に留まるのは他に未来がないからだろう。
そんな絶望の空気が漂う中、最後の作戦会議が始まった。
「皆、楽にせよ」
ガリア軍を率いるルイ十三世はケラススに代わって上座につくと、息子を手招きする。
それを合図にガリア王国第一王子ルイ・ド・ガリアは会議を始めた。
「皆のおかげで魔族に先んじて布陣を整えることができた。まことに大義である」
「ルイ、前置きはいいんじゃないの?」
「……そうだな。普請の状況はどうなっている?」
強面の男が立ち上がると指示された通り丘のふもとの三つの拠点にそれぞれ空堀の掘削や騎馬突撃を阻止するための柵等の設置を行っていると報告する。
これはオドルがもたらした星形要塞の応用で、稜堡の代わりの前衛陣地を整備しようという試みだ。
「それぞれの拠点には四、五百人の兵を配しており、丘から細道が続いているので適時援軍を送ることができやす。また、それぞれの拠点はだいたい千五百メートルほどしか離れていないのでどこか一拠点が攻めたてられたとしても隣の拠点から支援することもできるかと」
「うむ。で、もっとも重要であろう中央の拠点にはオドル、君の解放者を置く」
「分かっているよ」とオドルはぶっきらぼうに返答する。
そして淡々と会議は進み、解散が告げられる。すると今まで押し黙っていたマリアがオドルの手を引いた。
「ちょっと、付き合ってほしいの」
「なに? 忙しいんだけど」
「そんなに時間はとらせないわ。こっち」
マリアはオドルを館の裏手に導かれると、そこには雨に打たれる輜重馬車が立ち並んでいた。
彼女はその間を慣れた足取りで進むと、そこには馬車の影になるように幾本もの黄金色の輝きを放つ鉄柱達が幾本も並んでいた。
「マリア、これ、大砲じゃん……!?」
オドルの浮かべる純粋な驚嘆に彼女はどこか懐かしさを覚えながらふくよかな胸を張って言った。
「大砲じゃないわ。鐘よ」
「いや、これ大砲でしょ」
「あら、大砲の製造と輸入を禁じる勅が出されているのを忘れたの? だから今のところこれは鐘なの。製造も鐘を卸している工房に頼んだし」
円筒の中を中空にするという鐘の構造は大砲と酷似しており、鐘作りを生業としていた工房にとって製造は容易であった。
とはいえ、魔族が使用している物に比べてその性能は明らかに劣化していた。特に射程や威力の面で到底、魔族のそれをコピーできるものではなかった。
その原因は製造方法にある。
職人達はこれまでの鐘作りと同じく粘土で作った円柱状の鋳型の周囲に溶けた青銅を流し込み、これを砲腔として一体成型していた。だが如何なる職人とて正確な円柱を粘土で作ることができず、どうしてもいびつな形にならざるをえなかった。
そしたいびつのせいで砲弾を薬室まで送り込むために砲弾サイズを一回り小さいものにせねばならず、砲身と砲弾に隙間が出来てエネルギーロスを起こしていた(対して魔族は一体鋳造した砲身にドリルで砲腔を切削するため公差が非常に小さく、エネルギーロスが少ない)。
「全部で十門はあるわ」
「よくこんな短期間に……」
「今まで冒険者として護衛だったり、配達だったりのクエストで知り合った工房すべてに声をかけたわ。そしたらみんなあの時のお礼だって頑張ってくれたの」
オドルは冷たい砲身を撫で、在りし日のことを思い出した。
あの頃はただ「ありがとう」という言葉にどれほど感動したものか。クエストを達成した折りに触れる人々の必死に息づく生活を自分は守れたと感動したものか。
今となっては全てが懐かしかった。
「そんなことも、あったな」
「えぇ、そうよ」
「でも、あの頃にはもう戻れない」
そんなことはない! とマリアは気づけば叫んでいた。
そんな彼女にオドルはぽかんと間抜け面をさらしてしまう。
「戻れるわよ、オドルが戻ってくれるのなら」
「……それじゃ、ダメなんだ」
だがオドルは生々しい傷痕の残るこめかみを撫でる。すでに痛みはないが、それでも胸の奥を貫くような感覚は未だ残っている。
それを自覚した彼は手を振り払うように言った。
「今までのやり方じゃダメだ。それじゃ勝てない」
「そんなこと――」
「それじゃマリアは神風が吹いて魔族が帰っていくと思っているのか!?」
「………………」
押し黙ってしまったマリアにオドルは口の中に溢れる苦みを噛みしめる。寝食を共にし、幾多の死線を共にくぐり抜けてきた彼女をこうも簡単に傷つけてしまう自分になにが守れるのだと反吐が出る思いだった。
「ねぇ、オドルはどうしてそこまでして戦ってくれるの?」
「え?」
「確かにオドルを呼んだのはわたくし達よ。それに今更言うことではないことも分かっているけど、どうしてそんなに傷ついてまで一緒にいてくれるの?」
「それは……」
言ってしまえばオドルにとってガリアなど縁もゆかりもない国だ。むしろ今までの普通の生活を奪った国ともいえる。
そんな国のために命を賭けてきたといってもいい。
「もう十分オドルは戦ってくれたわ。だから……」
「マリア?」
だが、マリアの口から逃げて良いという言葉は漏れなかった。
明日はもしかすると自分の最後の一日になるかもしれない。そう思うとマリアは口が割けても逃げてとは言えなかった。
「ごめんなさい」
マリアは無意識のうちに彼を抱きしめていた。
それは自分の体温で優しさを思い出させるためではなく、そうしなければ彼が遠くに行ってしまいそうだったからだ。
だが抱きしめただけでも不安だった彼女は、ふと近くの納屋に目が留まった。
「ねぇ、お願い」
そしてオドルはマリアに引きずられるように納屋に消えた。
だが、肉の交わりがあったとしてもマリアの不安が解消されることはなかった。
次回はいよいよ最終決戦開始です!
最後までお付き合いの程よろしくお願いいたします。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。