第二次ウルクラビュリント奪還・1
夜とも朝ともつかぬ秋の払暁の中、一人の少年が口から白い息を吐き出した。
「さむ……。こんな寒いのにあいつらもよくやるな」
冒険者歴一年の駆け出し槍使いである鳩楽躍は欠伸をかみしめながら旧ウルクラビュリントこと現ヌーヴォラビラントの城壁にて伸びをしていた。
五メートルほどの眼下には刈り入れの終わった麦畑が広がっており、その彼方は小高い丘と森によって地平線が遮られている。
そんな黒々とした大地にはいくつもの篝火が焚かれ、そこに蠢くモンスター達が垣間見えた。
「オークか……。暴走攻勢とかって言うんだっけ? 何匹いるか知らないけど執念深いんだか、学習能力がないんだか……」
攻略したばかりのダンジョンに新しく新人の迷宮と名前がついたくらいの時にも一度、三千くらいのオークの軍勢が攻め寄せてきたことがあった。
その時はヌーヴォラビラント周辺の掃討戦をするためにダンジョン攻略にあたった四千人の冒険者が駐留していたため難なくこれを撃退できたが、今は掃討戦も終わり、冒険者の根拠地と言っていいピオニブールを中心としたエルサル領へ散ってしまっているため実働的な戦力は二千を下回るくらいしかいない。
「その二千人で入植者一万人を守れ、か……。ギルドの無茶ぶりも大概にして欲しいな」
そもそも事の発端は三日前。たまたまヌーヴォラビラント周辺を探索中であったとある冒険者一行が二、三千ほどのオークの軍団を発見し、その報せを基に冒険者ギルドヌーヴォラビラント支部が領主であるエルサス辺境伯軍の救援が来るまで冒険者のみで籠城戦を行うという緊急クエストを発令したのだ。
ギルドの見立てでは援軍到着まで遅くて三、四日ほどかかる見込みであり、その間は街の主戦力である冒険者達が盾とならねばならぬという過酷なクエストだ。
「この世界にやってきてもう一年か……。今年はみんな大学受験で切羽詰まっている時期かな? 受験はなくなったけど代わりにB級クエストで切羽詰っているなんて笑えないな」
受験やテストはなくなったものの、この世界は日本に比べ圧倒的に治安が悪い。
辺境の村々はオークやゴブリンといったモンスターの襲撃に怯えているし、盗賊だって現れる。
街の衛生環境も悪く、医療技術も未熟で病に苦しむ者も多い。
ここにきてオドルは日本の素晴らしさを改めて噛みしめたものだ。
「ま、まぁ悪いことばかりじゃなかったけどな」
オドルが高校生であった頃は教室の隅でライトノベルを読みふける普通の少年だった。そんな普通の少年でもこの世界ではレベルを地道に上げ、クエストとして村を襲うモンスターを討伐したら村長や村人から涙ながらに「ありがとう」と口々に言われ、握手を求められた。
その熱い手に彼らが必死に息づく生活を自分は守れたのだという感動を覚えた。
「あれは忘れられないな。だからこそ、戦わなきゃな」
だがそれでも彼はふと高校の教室でたまたま異世界転移の魔法陣に取り込まれ、気づけば中世風の城の一室に居たあの日を今でも鮮明に思い出してしまった。
今、ガリア王国は魔族やモンスターの脅威にさらされているので助けてほしいと懇願され、そして帰還の手段がないと聞かされた絶望の日――。
そうした絶望がふとした拍子に喉を這い上がってくることがある。それと共に鼻の奥がツーンと痛くなるのだ。
「オドル? また故郷のことを思い出していたの?」
彼が振り返ると流れるような透き通った金色の髪に吸い込まれそうな青い瞳をした美少女が心配そうに近づいてくる。
ミスリルの胸当てから窮屈そうに豊かな双丘をのぞかせる彼女こそガリア王国第三王女マリア・ド・ガリアその人であった。
彼女は王位継承権が兄姉併せて第六位とあり、王位を継ぐことが絶望的なためこうして気ままなオドルの旅路に剣士としてつきあっているのだ。
「いや、大丈夫」
「……うそ。分かるよ」
「あちゃ? わかっちゃったかぁ」
努めて冗談めかして明るい笑みを浮かべたつもりだったが、一年の旅路を共にしたマリアをだませるはずもなく、ただ彼女は悲痛そうに顔を曇らせるばかりだ。
「やっぱり、わたくしが兄さまや姉様さまを説得できていれば貴方を巻き込むこともなかったのに……」
「気にするなよ。確かに帰還の手立ては立ってないけど、絶対に帰れないって訳じゃないんだろうし。それに、こっちの生活もけっこう気に入ってるんだ」
確かに故郷は懐かしい。
だがあの頃の自分は死んだ魚のような目をしていたと思う。
それがオドルの結論だった。
いじめられてこそいなかったが、それでもクラスの中心とはほど遠い場所にいたし、成績も将来を嘱望されるほど優れていたわけではなかった。
あのままだとなんとなく進学した大学で四年間を過ごし、就活をして社会人にでもなって世間に埋もれるだけだったろう。
だが今は王様はもとより色んな人が自分を必要としてくれている。
「オドル……」
そしてマリアもまたオドルのことを世界を救う勇者としてだけではなく、一人の人として互いに必要としあう仲になっていた。
「おっはよー!!」
二人が唇を合わせても不思議でない空気が成就された時、それをぶち壊すような元気の良い挨拶が飛び込んできた。
「も、もう。ハルジオンさんたら――!」
「はは。おはよう、ハル」
「おはようございます。ご主人様」
元気の良い笑みを浮かべるのは翡翠色の短髪に黄色く輝く瞳をいただく美術品のようなエルフの少女だった。
確かにマリアの生まれ持った王族としての気品さと整った顔立ちも負けてはいないのだが、ハルジオンの場合は美術品に向けられるような完璧で人間離れした美しさを持っていた。オドルが初めて彼女と出会った際も彫像が動いているのではと疑ったほどだ。
だがその完璧な美しさを壊すように彼女の首には無骨な鉄の首輪――奴隷用のそれだ――がついており、その魅力を半減させていた。
「もう。ハルジオンさんと出会ったばかりの頃はもっと大人しい性格だと思っていたのに」
「確かにな」
「も、もうあの頃の話はやめてくださいよ!」
なんでも昔はピオニブール付近に存在したエルフの国の姫君だったが、その国がガリア王国に吸収された際に奴隷身分となってしまったらしい。
あの頃の彼女は檻につながれ、生気も薄れていた。だがそれでもエルフ特有の完成された美しさに心を奪われた貴族によって夜のおもちゃになりそうだったのをオドルが助けたのだ。それを機に彼がハルジオンを買い取り、奴隷契約を解こうと言っても「ご主人様に恩を返したいのでこのままでいいです!」と突っぱねて奴隷として二人のパーティーに加わったのだ。
「ははは。たった一年だけだったけど、すごく濃い一年だったな。俺とマリアでパーティーを組んでレベルをあげながらクエストやって……。そんでハルも加わってダンジョン攻略したり。すげー楽しかった」
「オドル……」
「ご主人様……」
二人に感謝を込めてうなずき、そして日本とは異なる世界を見据える。
明るみを帯び出した世界に蠢くオークの軍勢。それらからこの城壁の中に生まれつつある人々の平穏を守るために――。
「さーて。ちょっと頑張ってみますか!」
「そうね!」
「うん!」
◇
「閣下、準備が整いました」
プレートメイルに身を包んだグロリオサ・フォン・オーク伯が師団司令部と名付けられた大テントに顔を出すなり右手の拳を右の側頭部に当てる。オーク式の敬礼だ。
最敬礼となるとひざまずく事になるのだが、ここでは儀礼を最低限まで簡略化するよう命じていたので敬礼を選んだのだろう。……もしくは最敬礼に値しないと思われているのか。
「ご苦労。オーク伯」
「……失礼ですが閣下は戦装束をお召しにならないのですか?」
もっともオーク伯が最敬礼ではなく敬礼に止めた理由は俺の格好――赤い軍服という防御力の欠片もない姿を目の当たりにしたからなのかもしれない。
普通、戦と言えば重厚な甲冑を身につけるものだ。それも軍を率いる大将なら言わずもがな。
まぁ某海軍よろしく指揮官先頭の伝統があるから奇妙に思うんだろう。
だがウルクラビュリントに猿獣人が攻めてきた折り、俺の着ていた革鎧を矢が易々と貫通して右肩に後遺症が残るほどの傷を作られているし、オルク家に伝わる甲冑を身に着けて戦った父上も戦死してしまっている。それを思うに鎧など着るだけ無駄だろうし、今回は――。これからは指揮官が矢面に出ることもなくなる。
「これで十分だ」
だからこそ重たい甲冑を廃し、部下と同じユニフォームを着込むことにしたのだ。(予算の都合上、甲冑を揃えるより軍服の方が安上がりだというのは誰にも言えない秘密だったりする)
それにウルクラビュリントが奪われたあの日に受けた矢傷のせいで腕が肩より上にいかなくなってしまったので満足に剣を振るうことができなくなってしまった。
これでは前線に出たところで無意味でしかない。
「さ、さすがは閣下……! 鎧も身に着けぬとはなんと剛毅な……!」
「ん? うん。そ、そうだな。さて、それより諸君。なんとかオルク軍三千は敵の眼前にたどり着くことができたな。速やかに布陣を完了させよ。もう夜が明けるぞ。さぁ急げ!」
準備が出来たというのは指揮官の準備が出来たというだけでまだ兵士達の攻撃準備が整ったわけではない。
出来るだけ猿獣人に攻撃を気取られぬよう夜間のうちにウルクラビュリントに接近したつもりだが、どこかで猿獣人に接触されたらしく街の城門は固く閉ざされ、城壁にはかがり火に照らされた幾人もの歩哨が見て取れた。
まぁ三千もの軍勢が近づいて来ればどこかで発見されて警戒されるのは必定か。
だからこそウルクラビュリントの目前で野営をし、夜明けと共に攻撃開始を命じていた。
「早急に布陣を整えると共に落伍者の合流と捜索、並びに損害の補填に勤めるように!」
夜間行軍は敵に動きを気取られずに近づけるというメリットがあるが、デメリットとして落伍者がでることだ。
体力の限界で歩けぬ者や用を足しに行って部隊からはぐれてしまった者、不心得にも戦に嫌気がさし、夜陰に乗じて逃亡する者――。
理由は様々だが暗闇の中、月明かりだけで原隊を見つけることは非常に難しく、はぐれてしまえば行方不明者となってしまう。
つまり戦闘に参加出来ないという点で言えば死んだも同然であり、軍にとっては損害に他ならない。
その上、奇襲攻撃を狙った夜間行軍だというのに当の敵は我らの気づき、迎撃の構えを見せている。これでは本末転倒だ。もう夜間の行軍は止めよう。
「失礼いたします! 特火中隊本部より伝令です!」
テントの外を見やれば小さくがっしりとした体を赤い軍服に包んだノームが慣れぬ手つきで右の拳を側頭部に押し当て、緊張に顔を強ばらせていた。
その背後ではすでに朝日が半分ほど昇っている。猿獣人共も迎撃の準備を整えていることだろう。
「発言を許可する」
「ハッ。発、特火中隊本部。宛、オルク王国軍司令部。我、陣地の敷設完了。指示を乞う。以上です」
「やっとか。了解、別命あるまで待機せよと伝えよ」
「し、失礼いたしました!」
逃げるように去る伝令の背中を見送る。もっとも彼らノームは元々火器の研究を頼んでいた工房の職人や徒弟であり、火器を製造段階から知り尽くしている彼らを臨時に軍へ編入したため本来なら俺のような貴族なんかと出会わずに一生を終えるはずだった者共なのだ。だからビクビクしているのだろう。
さて――。
「ではこれより『ルーエの守り』作戦を開始する。全軍、攻撃開始!!」
命令が下達されるや司令部に待機していた信号兵――ラッパ手が煌々とした音色を吹奏する。
それを聞きながらテントを出るとそこには朝霧に包まれつつあるウルクラビュリントの街並みが広がっていた。いや、街の中心であった居城は焼け落ち、見慣れぬ城の尖塔が新たに作り出されている最中であり、荘厳だった城壁も各所で木材による応急処置が施されるという痛々しい有様だ。
もうここに俺の知るウルクラビュリントは存在しないのかもしれない。
ならばいっそのこと――。
その意思をくみ取るように司令部の置かれた丘より五百メートルほど離れた平地にて待機していた特火兵中隊――五門の野戦砲が動き出した。
それはリーベルタースで見つけた四輪の台車に乗せられたものではなく、それを改良した独自の大砲――八十四ミリ野戦砲である。
そもそもリーベルタースで見つけた大砲は前世でいう十五、六世紀くらいのものに相当するのだが、射程も威力も満足のいくものではなく、売り手のナリンキー殿がおっしゃられるように兵器としては失敗作の部類のものだった。
それもそのはず。ノームの検分によって分かった事だが、リーベルタースで仕入れた大砲は粘土で作られた円柱の周囲に青銅を流し込み、冷えた後に粘土を取り除くことで砲腔を作っていた。
だがこの製法では完全な円筒を作ることができない上、粘土製の円柱は使い捨てなので二度と同じものが作れない。
そのため砲弾はその誤差を鑑みて小さく作られており、その誤差分の隙間から発射ガスが漏れてしまい、パワーロスを起こしていたのだ。
そのため八十四ミリ野戦砲は前世の知識をフル活用して改良した結果、十八世紀に確立されたグリボーバル・システムと呼ばれる砲身を一体鋳造し、砲腔を水車の力を使ったドリルで開ける様式を採用したことによって砲弾との公差を出来るだけ小さく作るようにした。
この公差を小さくする利点は様々あり、例えば砲腔と砲弾との隙間から漏れだす発射ガスを少なくすることが出来るので砲弾が得るエネルギーのロスを減らせば射程も伸びるし、一体鋳造のため強度も確保できるので砲砲身を薄くして軽量化もできると良い事尽くめなのである。
もっともここまで到達するのにいくつもの試作大砲を作ってきたし、多くのノームが殉職することになった。
だがその甲斐あって満足のいくものをこの場に持ってくることができたと思っている。
その味をたっぷりと猿獣人に喰らわせてやろう。これほどの見世物はない。く、フハハ。
◇
「この音は攻撃開始の合図だったな。よし行くぞテメェ等! あのおっかねぇオークの大将にくびり殺されたくなけりゃ気張れ!」
立派な口ひげを蓄えたノームの親方の言葉に「へいッ」と若手の徒弟たちが答える。
彼らは五人一組で一対の車輪に乗せられた一メートル六十センチもある黒光りする筒先を街へ向ける。色こそ黒だがその材質は真鍮であり、その重量は三百キログラムに迫る。
そのような重量物を巧みに操るノーム達の顔には肌寒い空気の中でも滝のような汗を浮かんでいた。
「全砲基準線についた! 攻撃用意よろしい!」
「評定射撃! 攻撃目標、ウルクラビュリント城壁! 一番砲車のみ砲撃! 第一射、撃て!」
「標定射撃! 攻撃目標はウルクラビュリント城壁! 一番砲車、撃てぇ!」
大隊長の命令を中隊長が復唱し、それを小隊長たる砲長が「テェー!」と命じれば射手が小さく「かみさま……!」と祈りながら火縄の取りつけた導火棹を砲尾にあけられた小さな穴――火門に押し当てる。
すると火門に詰められていた黒色火薬が燃え上がり、砲身内に押し込まれていた発射薬(黒色火薬)に燃え移るや即座に火薬は莫大な燃焼ガスを生み出す。
それと共に砲口から落雷を思わせる咆哮と発砲煙が世界を包み込んだ。
「ぐ、耳が……!」
操作にあたるノームはそれぞれ耳を抑えても響く轟音に耳鳴りを覚えながら煙が晴れるのを待つ。
「見えた! 弾着! 我が射弾、遠弾ッ! 下げちょい!」
中隊副官が叫ぶ。彼の言う通り先ほどの砲弾は易々と五メートルある城壁を越え、ウルクラビュリント内に着弾した。もっともただの鉄球である砲弾は運動エネルギーのままに転がるばかりで爆発などおきないので見かけは地味だ。
「標定射撃、第二射用意! 下げ二つ! 方位そのまま!」
「下げ二つ、方位そのまま。用意よろしい!」
砲尾の下に取り付けられたネジを回すと天を睨んでいた砲口が若干沈む。
それから各砲の前に敷かれた一本のロープの直前に砲車がくるように微調整が行われ、それを確認した砲長の報告に中隊長が砲撃命令を下達すれば轟音、白煙、火花が飛び散った。
「弾着! 近弾、上げちょい!」
「くそ、また外れか」
大隊長のノームが口ひげを苛立たし気に弄る。彼は自分達を強制的に戦場に駆り出した雇い主の狂相を思い出し、背筋を震わせる。このまま無様な結果を続けていてはあの巨漢に何をされるかわかったものではない。
それはこの場に居る全ノームの思いであり、彼らは弾着毎に顔を青ざめさせる。
「第三射急げ! もうわし等は行軍の最中に三門も野戦砲をダメにしとるんだ! 速くせんと後がないぞ!!」
夜間の強行軍により轍に大砲の車輪がはまり、抜け出せずに破棄した大砲が三つ。それだけでも不興を買っているというのにこのままでは生きたまま食われかねない。そんな恐怖に大隊長は恐怖が顔に出そうになっていた。
「一門ずつ撃ちこんでいないで残っている五門の砲をバカスカ撃つべきか? いや、無駄に弾薬を消費したらそれはそれで殺される……」
砲弾がどこに飛んでいくかは最終的に神頼みになる。だからこそ一門ずつ砲撃することで輪投げのように加減を勘案して大砲を調節せねばならない。
そうしたもどかしい作業に生きた心地のしない大隊長は自分の雇い主が崇める異教の神に縋りつきたくなっていた。