海と陸
ガリアの空を駆ける数騎のワイバーンがいた。それぞれ白地に王冠を被った双頭の黒龍の描かれたバナーを靡かせている。
そんな編隊のど真ん中のワイバーンは他のものと違って鞍が二つと複座になっており、後席には北部軍司令官にしてオルク大公夫人であるプルメリア・フォン・リンドブルムが騎乗していた。
航空優勢こそ確保しているが、要人が移動するには危険が高すぎるため普段はこうした事はしないのだが、彼女は危険と速度を天秤にかけて速度をとったため、騎上の人となったのだ。
「閣下ッ! 見えました! カレ港ですッ!!」
パイロットの怒鳴り声にプルメリアはわずかに頭をあげ、飛行眼鏡越しに映る灰色の海を見て唖然とした。
まだ数百メートルあるはずだが、荒波を孕む外洋には幾隻もの船がいるのが確認できた。それに胸騒ぎを覚えていると風魔法の通信が彼女の鼓膜を叩く。
《二番騎より各騎へ。前方に所属不明騎。警戒されたし!》
プルメリアが目を凝らすと青い世界に黒い点が一つ、二つと浮かんでいる。
それらはこちらに気づくと翼を左右に振って敵意がないことを示したながらゆっくりと近づいてきた。
近づけばワイバーン特有のシルエットと、その尻尾から伸びたバナーに描かれた赤五芒星が見て取れた。ブリタニア連合王国騎だ。
するとブリタニア騎より通信魔法が入った。
《警告する! こちらブリタニア連合王国軍第一五六戦術戦闘航空団。貴騎はブリタニア王室直轄空域へ接近しつつあり。所属部隊及び飛行目的を述べよ》
《こちらは神星魔族帝国ドラグ大公国軍第六航空師団第六六飛行隊。臨時会談のためカレ港へ向かっている。通信符丁は”内気な乙女”。繰り返す”内気な乙女”》
《符丁を確認。貴隊の到着を歓迎する。これより離着陸場までの誘導を行う、我に続け》
翼を翻したワイバーンに続き、プルメリアの乗騎もそれに続く。
徐々に高度を落としながらカレに近づくと町の鐘楼にブリタニア旗がなびいているのが良く見えた。
(もう自分の町にしてしまったか)
相変わらず手癖が悪いという感想をプルメリアは抱いていると、ワイバーンはいつしかカレ港の郊外にある離着陸場へ着陸体勢に入っていた。
元々、ガリア王国が都市防空のために整備したそこは今やブリタニア連合王国軍の航空隊の根拠地と化し、近辺にはグリフォンの臭いが染みついてしまった畜舎に代わって新たな飼育場が建設され始めている。
そんな滑走路にプルメリアを乗せた騎のみが先導騎に続いて着陸を試み、危なげなく大地に足をつけた。それと共に畜舎の影から紺青色の軍服の一団が駆け寄ってくる。
それに竜騎兵達が警戒するように愛竜の牙を向けるが、プルメリアはサッと腕を振ってそれを止めさせた。
「儀仗兵整列!」
紺青の部隊の指揮官の号令に二列横隊を組み、次の号令で捧銃を行って最敬礼をするが、その隊伍はどこか歪み、放漫な印象を彼女に与えた。
それと共に演劇よろしくその隊伍の前に箱馬車が現れ、扉が開くと共に強い桃色の髪を潮風になびかせた美麗なドラゴニュートが現れた。
「やぁ、ようこそメリア。久しいね」
「クローバー、お前な……」
そしてワイバーンの前に進み出るや気障ったらしく手を指し伸ばしてくる。どうやら下龍の介助をしたいらしいが、そうはさせじとプルメリアは誰の助けもなく乗龍から飛び降りる。
「まったく、無茶なお姫様だ。少しはボクの顔を立ててくれてもいいだろうに」
「生憎、手を差し伸べる相手はただ一人ともう決めてしまっているのだ」
プルメリアは飛行用に着ていた季節外れの外套を脱ぐとすぐクローバーの背後についてきていた従者がそれを受け取る。
それから彼女はクローバーが引き連れてきた紺青の軍勢を閲兵するふりをしながらカレを観察すると、城壁のあちこちに白地に赤五芒星の旗がこれでもかとかけられていることに気がついた。
(完全にしてやられたな。もう占領下にあるとは思わなかったが……)
補助攻勢として実施予定だったカレ攻略だが、その直前に行われたワイバーンによる航空偵察でブリタニア連合王国軍がカレを占領していることに気がついたのだ。
その後、陥落したカレにおいて軍使とのやりとりが行われた後、こうしてカレ攻略を指揮したクローバーとの会見の場が設けられたのだが……。
「さて、ようこそプルメリア殿下。我が新しき領地に足を運んでくれたことに礼を言おう。今宵は歓待の宴を用意している。遠慮せずに相伴にあずかってほしい」
「それより我が国の使者を返してもらおう。それともブリタニアは海賊よろしく正式な外交官を拘束した上に引き渡しに身代金を要求するおつもりか?」
「まさか。おい」
従者は馬車に合図を送るとそこから屈強な半魚人族に囲まれた有翼人が連れ出された。
見たところ怪我などはないようだが。
「ファルコ、無事か?」
「ご心配をおかけしました。このファルコ、一生の不覚……!」
北部軍のカレ攻略においてブリタニアとの調整のために飛んだ彼であったが、交渉の前に拘束されてしまったという。
と、いうのもカレを欲していたブリタニアにとって北部軍の行動は許容できるものではない。そのため交渉が行われれば開戦への秒読みが始まってしまう。
だが魔族との全面衝突を嫌ったクローバーは一計を案じ、使者を拘束することで交渉そのものをストップさせ有耶無耶のうちにカレを手に入れようと画策したのだ。
「貴国の使者に対し、乱暴を働いたことをブリタニアの代表者として詫びよう」
「ほう。ではどのように?」
「そうだね。魔族国船籍に限りカレへの入港税を免除しよう。期限はこの一年間。どうだろう?」
「我が国も安く見られたものだな。十日もあれば貴軍を冷たい外洋に叩き落し、カレを新たな領地とすることも容易いというのに、今更そのような盟約を結べと?」
とはいえプルメリアはクローバーの真意を測りかねていた。
確かにブリタニアにとって大陸への足掛かりを求めていたのは事実だが、今このタイミングでそれをする意味が分からなかった。
いくらガリアが宿敵とはいえ、両国とも教皇庁と対立する立場にあり、星字軍の脅威に対抗するためにはいがみ合っている場合ではない。
そのためプルメリアはクローバーの望む落としどころが分からず、とにかく強硬策を口にしたのだ。
「物騒だねぇ、まったく。とはいえ君のその自信を裏打ちする力があるのは認めよう。だけどその力は海の上までも通じるのかい?」
「………………」
陸戦兵力や航空戦力において魔族国は他の追随を許さないだろう。
だが海軍力は違う。
特にプルメリアの夫であり、軍務伯でもあるカレンデュラ・オークロード・フォン・オルクが軍備の増強に心血を注いできた分、港湾設備の拡充などはおざなりにならざるをえなかった。
そんなしわ寄せを受けた未熟な海軍力でブリタニアに対抗できるなど考えられもしない。
「あ、イスパニアから無敵艦隊を借りるという手もあるか。でも、どうだろうねぇ。再征服明けで国力に余裕はないイスパニアが我が国と全面衝突の危機を犯しても君達のご飯を守ってくれるだろうか?」
クローバーは啖呵を切るが、内心ではそろそろ引き際かとプルメリアの様子を伺いつつ思っていた。
と、いうのもブリタニアは新鋭船を実戦投入しているが、先のガリアとの戦で失った主力艦隊は未だ再建の途上にあり、カレの港に並べた軍船だってなけなしの船をかき集めた張り子のトラばかりだ。
そのため無敵艦隊を有するイスパニアと矛を構える事態をクローバーは恐れていた。
「だけど君とボクの仲だ。君達と戦うことは本意ではない。先の条件に付け加えて魔族側有利の中立か、共同出兵をするというのはどうだろう」
「共同出兵だと? 教皇庁の軍に教会を破門されたブリタニアが加わると?」
「信仰の擁護者たるブリタニア王は星々の正しき教えを守る義務がある。その履行として魔族と轡を並べる所存だよ」
コイツの目的はそれか、とプルメリアは確信する。
クローバーの離婚問題で教皇庁と対立したブリタニアだが、いくら強大な海軍力を以ってしても世界の全てを敵に回す力はない。
だからこそ教皇庁に媚びを売るために異端であるガリアを売ろうとしている。その魂胆にプルメリアは舌を巻きつつ、なら妥協点も見いだせるだろうと外交方針を変える事にした。
「入港税免除の対象をイスパニア船籍にも増やしてもらおう。それとカレ港での取引における関税の撤廃も」
「大きくでるじゃないか」
「その変わり、教皇庁と仲立ちをしてやる。知っての通り夫殿は熱心な星神教徒で、星字軍遠征軍団長とも懇意だ。今なら共に行動をしているから確実に取り次げるだろう」
教皇庁との対立は世界からの孤立を意味する。だからこそクローバーはその提案にニッコリと微笑む。
「まったく、相変わらず聡いな。もう少し愚鈍な方が可愛げがあるよ」
「可愛げなどなくて結構。だがカレンは余との婚儀について星神教のアーダムとエーヴァの故事から余のことを自分の肋骨であってほしいと口にしていたぞ」
「アーダムの肋骨から生まれたエーヴァが結婚することで再び一つに戻る、ね。まったく顔に似合わずロマンチストなオークだ」
クローバーは苦笑を浮かべながら手を出しだしてくる。
「まったくだ」とプルメリアはその手を握り返すが、とはいえ何人もを口説き落としたコイツの口を信じすぎるのもよくないなと胸中に不安を抱いていた。
◇
王都パリシィから北に六十キロメートル。古来のガリア王の住居が残るその街は遷都された後も栄え、大聖堂を中心に羊毛や革、ワインなどで富を得てきた。
そんな古都の郊外の墓地にマリア・ド・ガリアは急ぎ足でやってきたが、すでに人だかりが出来上がっていた。
「ごめんなさい、通して」
「しかし……。御目汚しになるかと」
「お披露目会の内容については知っているわ。だから通して」
人の壁を作っていた騎士はマリアの言葉に続々と道を開ける。
そこには一体のゾンビがいた。出自がうかがい知れる粗末なボロ布に身を包んだそれは四肢と顎が斬り落とされ、ただ意味もない言葉を喉の奥から漏らしている。
「……ッ」
「安全のため手足を斬り落としたと聞きましたが、いくら名もなき浮浪者とはいえむごいものです。主よ、我らを許し給え」
胸の前で五芒星を切る貴族もいるなか、おぞましいゾンビの前に濃紺のローブをまとった女性が歩み出た。
二十歳とは思えぬ童顔の第二王姫シャルロット・ド・ガリヌスは身の丈ほどもある杖を掲げる。
「【亡者よ、正しき裁きを受けよ死者浄化】」
若き鬼才の詠唱と共にゾンビの身体が清らかな輝きに満ちたかと思うと、事切れるようにそれは死体へと戻った。
それにシャルロットは満足そうに頷くと聴衆に向き直り言った。
「これが新開発された対アンデッド用の魔法」
アンデッド全てに通じるが、死者達に物理的な攻撃は効果があまりない。その変わり魔法や特別なエンチャントが施された武器を所持していれば楽に狩れ、特にゾンビやスケルトンのような低級アンデッドは駆け出し冒険者でも討伐可能なモンスターだ。スケルトンなどは物理耐性こそあるが攻撃力も低く、尚更狩りの対象となる。
だが魔族はそんな最弱モンスターを集団運用し、低い攻撃力を燧発銃で補わせ、また身体に爆弾を巻きつけて自立誘導兵器に仕立て上げることで最弱のレッテルをはがしてしまった。
特にヌーヴォラビラントを巡る一連の戦いからアンデッドの脅威を感じていたガリア王国は王立魔法研究所を中心に対アンデッド特化の魔法の研究が行われていた。
そこにピオニブール解囲戦で魔族がデュラハンやリッチなどの上位アンデッドを集団運用している事実が露顕し、研究に拍車がかけられた。
そして今日、その対抗魔法のお披露目が行われていた。
「この魔法は一人で五体のアンデッドを浄化できる。射程も個人詠唱ながら百メートルはあるから相手の攻撃を受けることはない。あと聖職者系のスキルもなくて大丈夫」
使い勝手の良い浄化魔法に騎士達の顔に喜色が浮かぶ。
そもそも相手はただでさえ数が多い上にアンデッドを使役することでその戦力を水増ししているのだから、それを削れる魔法に期待をかけざるを得ない。
「でも欠点として習得が難しい。覚えているのは二百人くらい。時間的にこれ以上の増員は見込めない」
一人が五体のアンデッドを処理したとして上限は千体ほどか、と諸侯の中には難しい顔をする者もいる。
どう考えても魔族はガリア人を生かしておく道理はなく、占領地からの脱出に失敗した者をアンデッドに仕立てていることは容易に想像につく。
そのためいくら強力な魔法とて焼け石に水なのではと疑問を覚えていた。
「さすがシャルロット。この短期間によくやってくれた」
「兄様……」
ガリア王国軍副将のルイの言葉に周囲は王立魔法研究所の才女を称える拍手が沸き起こる。
そして彼は周囲を見渡しながら言った。
「我が妹を初めとした王立魔法研究所の不断の努力によって魔族の使役するアンデッドを封殺する力を得た! オドルの知恵により魔族の銃に対抗するための銃兵隊も作った! つまるところ、魔族の優位は崩れたと言っても過言ではない!! 今こそ不遜な魔族共に誅伐を下し、星々の正しき教えを守る時! 諸氏の奮闘を期待しているッ!!」
割れんばかりの歓声というシチュエーションにルイは満足そうに頷き返していたが、マリアから見ればそれは虚勢を張っているようにしか見えなかった。
とはいえ、連戦連勝の魔族の大軍――それも自分達の四倍もの戦力を前に一握りでも希望が必要であることを知っている彼女もまた虚勢に加わりながら兄のもとに歩み寄る。
「もうわたくし達が恐れるものはないわ! 皆! 共に勝利を目指しましょう!!」
熱気を持った歓喜の声にマリアも王族らしく応え、そしてこの新魔法のお披露目会がお開きになると兄姉と共に箱馬車に乗り込む。
そして馬車が動き出したタイミングを見計らってルイはマリアに苛立たし気な視線を向けた。
「マリア、今日は新魔法のお披露目会だから遅れるなと念を押したろう? なにをしていた?」
「ち、ちょっと輜重隊の方に顔を出していたの。遅れたことはお詫びするわ、兄様」
「……まぁいい。次からは気をつけろ。王族の結束が綻んでいると諸侯に思われては士気にかかわる」
そんな小言以外に会話のない三兄妹を乗せた馬車は本営の置かれた大聖堂へと向かう。
その大聖堂の中に入れば長椅子の片づけられた礼拝堂にオドルや本営に入ることを許された高級騎士などがテーブルに向き合っていた。
「皆、そのまま。敵情はどうか?」
するとオドルが「ここから北に六十キロメートルほど、ちょうどロワのあたりだよ」と答える。数日前の軍議でも魔族の先鋒がロワ近郊にいることを掴んでいたルイとしては、魔族の行動は遅々としているように思えた。
「グリフォンの航空攻撃やジャンヌが率いる遊撃隊による焦土作戦の効果で進軍速度は目に見えて落ちているみたいだ」
「なるほど、善良な民の犠牲のおかげというわけか」
「ルイ!」
「分かっている! オドルの策がなければ連中はもっと早く行軍していただろうな」
ルイは首を横に振りながらテーブルに広げられていた地図に目を走らせる。
「敵はロワで我々を待ち受けるつもりか?」
「いや、今日の偵察だと先鋒も動き出しているらしい。それにロワの街も徹底的に破壊したし、籠城できる状態じゃないよ」
「数はほぼ同数だというのに打って出て来るのか。舐められているのか、それとも後詰と合流する目途が立っているのか……」
「僕もそれが気になるけど、グリフォンの偵察が上手くいっていなくて判断できないんだ」
グリフォンの多くは敵を遅滞させるため対地襲撃にもっぱら駆り出されており、偵察に割ける人員を確保できなかった。
その上、 魔族はグリフォンの脅威を排除しようとパリシィ近辺の都市に併設された離着陸場や畜舎へワイバーンによる爆撃を行ってその無力化に腐心していた。
また、速度に勝るワイバーンからグリフォンが逃れる術はなく、長距離飛行に慣れたパイロットの払底もあって情報不足は否めなかった。
「なんにせよ、早ければ明日、遅くても明後日には会敵するとすれば……。戦場はコンピエニュか」
豊かな猟場が広がるコンピエニュの森は王族御用達の狩り場であり、ルイも父に連れられて何度か足を運んだことがあった。
地の利はある分有利ではあるが、それでも敵の後詰が先鋒に加わったらその限りではない。
「もう負けることは許されぬとなれば、敵情を見誤ることはできぬな。仕方ない、北東方向にも飛ばしていた偵察騎を北から北西にかけて飛ばそう」
「兄様! それは危険よ。ピオニブールを突破した敵が迫ってきたらどうするの?」
「とはいえ他に方法がない。それにボジュやラーンスといった各都市にも焦土作戦の命令を伝えてあるのだ。あの後すぐに敵が追撃に出てきていたとしても、食糧不足でコンピエニュまでたどり着けんだろう。なにより攻城兵器を伴っての行軍はただでさえ行き足が鈍るから到底、会戦に間に合うことはない」
本当にそうだろうかとマリアは疑問を口にしかけるが、その小さな唇を閉じる。
自分の意見には根拠もないし、なにより兄の意見はもっともだ。相手は攻略したばかりのピオニブールから四百キロ以上も敵中を踏破してコンピエニュを目指すなんて考えられない。
それでもマリアは“だけど”と思ってしまう。とはいえそれが薄闇を見て悪霊に怯えるような根拠に欠けた恐怖であることを重々承知していた。
自分はいらぬ心配をしているのかもしれない。
そう思いこむと共に「分かったわ」と兄に告げた。
「それにしても父上は? お身体がすぐれないの?」
「まぁ大っぴらには言えないが、御心労がな」
元々病弱な父はここ数日の行軍で体調が悪化しており、ルイが実質の大将となっていた。
「まずは一勝、それだけのために戦おう」
その言葉に居合わせた面々は頷くほかなかった。
通信符丁の”内気な乙女”とはプルメリアの花言葉の一つです。
他にも気品とか恵まれた人という意味があります。
ご意見、ご感想をお待ちしております。