空戦と軍略、そして謀略
ジリジリと焦げ付くような熱い風が頬を伝うのをピエレッテ・クロステルマンは感じつつ、ふらふらと飛行する若グリフォンの手綱を引く。
「お願い! いい子だからもう少し頑張って……!」
まだ十六歳の小柄な少女は懸命に相棒をコントロールしようとするが、愛騎のベルクートは不満そうな甲高い鳴き声をあげるばかりだ。
それもそのはず。小柄なピエレッテが鎧もメインウェポンの馬上槍も帯びていないとはいえ、胴体にロープでくくりつけた五十キログラムもの擲弾はベルクートの体力をむしばんでいた。
それをピエレッテは風の魔法で相棒の負担を減らそうとしていたが、当の本人も攻撃前だというのに魔力と体力を消耗してしまっていた。
≪クロステルマン! 遅れているぞ!≫
風の魔法による伝声でハッと彼女が周囲を見渡すとV字編隊から自分がはみ出していることに気がついた。もっとも彼女を含む十二騎のグリフォンが編隊を組んでいるが、遅れている者や早すぎるものなどが混在しており(そもそも真っすぐ飛べる騎が隊長騎以外存在していない)、お世辞にも綺麗な編隊飛行とはいかぬのが現状であった。
「了解しました。増速します!」
ピエレッテはベルクートの脇腹を太ももでしめて加速の合図を送るのだが、相棒は苦しげな鳴き声を上げてぐずりだしてしまい、そのケアをしていると編隊からより離れてしまうという悪循環に陥っていた。
これはグリフォンに無理な飛行をさせていることもあるが、それ以上に騎乗者達の錬度不足による影響も大きい。
すでにガリアの航空戦力はエルザスの制空権争いによってめっきりと消耗してしまい、北ガリアに展開する空中騎士団も団員不足に喘いでいた。
そもそもガリアは一対一の空中戦こそ誉れとしており、空戦機動の習熟や騎乗者の鍛錬に時間がかかっており、一人前のパイロットになるには優に三年の年月がかかるといわれていた。
それに対し、ワイバーンを駆るドラゴニュートは徹底的にグリフォンとの格闘戦を避け、速度を生かした一撃離脱を編隊単位で行うため一方的な出血を強いることに成功していた。
その上、格闘戦を禁じることで複雑で習熟に時間のかかる空戦機動の課程を省くことができ、一撃離脱と編隊攻撃――ロッテ戦術だけを叩きこまれた速成兵力が前線に送られ、そうしたルーキーと熟練ワイバーン乗りを組み合わせることで戦力の消耗を抑えていた(またドラグ大公国で発足した飛行教導隊によって教育を一元化したため、効率的に新兵を供給できるという態勢が整っていることも消耗を防ぐことに貢献していた)。
(くっ、風が重い……! でも私達ががんばらなきゃ魔族に無辜の民が襲われちゃう……! 少しでも魔族に打撃を与えないといけないのに……!)
王都パリシィに差し迫る魔族を攻撃し、一人でも多くの避難民が脱出できるよう支援をしなくてはならないが、熟練したグリフォン乗りの欠如から彼女のような若鷲を前線に赴かせるほかないのが今のガリア王国であった(教皇庁から敵視されて四面楚歌のガリア王国はどの方面からの戦力の抽出ができないというのも訓練未了の若武者を前線に送る理由であった)。
「……ベルクート? なにかいるの?」
その時、愛騎が上空を睨んだ。それにつられてピエレッテが顔をあげると、彼女達よりも遙かに上空に昇った太陽があるだけだ。
その眩しさに手をかかげたところ、光の中にいくつかの黒い陰があることに気がついた。
なんだろう。その疑問が氷解したのはすぐだった。
その黒い陰達のうち、二つが一気に急降下、超長槍を手にピエレッテ達の編隊に襲いかかってきたのだ。
「――ッ! け、警告! 警告!! 敵騎! 太陽の中!! きゃああ」
しかしピエレッテの警告が届く頃には先頭を行く隊長騎が翼の外側を青く塗ったワイバーンに襲撃され、続いて二番騎も片翼を赤く塗ったワイバーンに撃墜された。
二騎のワイバーンは耳障りな威嚇声を響かせながら即座に翼をはためかし、急上昇に転じながら空域を離脱していく。その様に残されたひよっこ達はただ風の魔法で叫ぶくらいしかできなかった。
《教官が……! ねぇ、どうしよう!? どうすればいいの!?》
《卑怯なトカゲ野郎どもめ! 相手はたったの三騎か!? 舐めやがって、くそ、どこいった?》
《後ろだ! 後ろにつかれた! ふりきれない! 誰かッ誰かッ、うあああッ!!》
それは空戦ではなくただの虐殺であった。
重い擲弾を抱いたグリフォン達は本来の機敏な機動を行うことができず、ただ鈍重に低空を這うことしかできない。その上、擲弾を装備したことでペイロード不足となり、馬上槍などの得物を置いてきてしまっているためまともな反撃ができないときている。
それに対し、ドラグ大公国軍第六航空師団第六六六飛行隊はピオニブールから敵を求めて転戦してきたばかりだというのにパフォーマンスに一点の陰りも見せずに鏖殺を始めた。
「くッ……! もう敵の輜重部隊が見えてもいい頃合いなのに!? もしかして進路を外れてる?」
事前の航空偵察で敵部隊の所在を掴んでいたのに、眼下には穏やかな初夏の畑が広がるばかりで敵輜重部隊の姿はいっこうに現れない。
とはいえお荷物の新兵が擲弾を抱えて飛行していたため、当初の予定よりも彼女達の行動は遅延していた。その上、先導をしていた教官が撃墜され、導く者もいない彼女達は空を漂流しているに等しかった。
それでも彼女達は懸命に直上から襲いかかるワイバーンの攻撃を避けながら無我夢中で現れぬ敵を求めて飛行する。
しかし――。
《ダメだ! このままじゃみんなやられる! 擲弾を投下して退避しよう!》
「なッ!? 逃げるというの!? ここで敵の輜重部隊を攻撃しないと魔族に無辜の民が殺されてしまうのよ!」
《うるさい! このままじゃ全滅だぞ。反撃する武器もないんだ! くそ、こんな、こんなの空の騎士の戦いじゃ――。う、うあああッ!!》
悲鳴と共に音もなく通信がとぎれる。周囲を見渡すとすでに僚騎の姿はどこにもない。
それにピエレッテは恐怖に震えながら風の魔法で生存者に呼びかけるが、応答は一切なかった。
しかし、皮肉にもグリフォン同士の交信が途絶えたため、返って魔族側の風魔法による通信が混線してきた。
《小僧! とっととあの鷲獅子を撃墜しろ。逃げられるぞ!》
《しかし――! もう戦意はないようです! 見逃しても――》
《なにを言っている? お前が逃したせいで誰かが死ぬかもしれないだぞ。いい加減、綺麗事を口にするのは卒業したらどうだ?》
もう戦う相手とは見なされていないのか。そうピエレッテは思うと共に涙が風に流れていく。そしてふと空を見上げると先ほどの通信を無視するかのように自分めがけて突貫してくる一騎のワイバーンがいた。
翼端を青く塗ったそれはまるで鬼神のごとき軌跡で降下し、一瞬で彼女はそれが避けられないことを悟る。
あぁ、こんなにも美しく、残酷に飛ぶことも出来るのか。そして彼女は超長槍の穂先が視界一杯に大きくなるのを最後に、意識が途絶えた。
≪おい、相棒お前……。っち、そうだな。悪かったよ、大人げなかった。大人が始めた戦争だ、子供の手を汚させる訳には、いかないよな≫
そして第六六六飛行隊二番騎を務める赤髪のローレンツ・フォルクは最後に絞り出す様に言った。
≪よう、戦友。これが正義の戦ってやつなのか?≫
こうして北部軍はワイバーンによってガリアの対地襲撃を封殺できたと安堵したが、その安堵は長続きしなかった。
接敵さえすればワイバーンや、ことによっては鳥人族による一方的な虐殺を展開できることは証明したが、肝心の接敵が行えないパターンが続出した。
これは視界外で敵を探知し、友軍に伝達し、警戒する方法が存在しないためだ。いや、そうした早期警戒システムという概念さえない。
例え、輜重隊をピンポイントに直掩するにしてもワイバーンの数は少なすぎた。
それに対し、攻撃側であるガリア王国は好きなタイミングで、好きな方向から好きな攻撃が行えたため、ワイバーンの警戒網を容易に突破して対地襲撃を行うことが出来た。
むしろ攻撃を受けたことで初めて竜騎兵はグリフォンの接近を知るパターンの方が多かったといえる(とはいえ擲弾を保持するため得物もなく、速度に劣るグリフォンはワイバーンから逃げ切ることができず、ガリア側にとっては片道の攻撃であることに変わりはなかったが)。
その結果、邀撃を務めるワイバーンは多くのエネルギーを浪費してしまい、より多くの飼料を欲するようになったため兵站を圧迫することになった。
そのため北部軍は事態の根本的な解決を図るため、グリフォンの飛行場や畜舎を破壊するべくガリア諸都市へ空爆を実施することになる。
◇
パリシィ中心のルブル宮の一室。王都防衛軍と名打たれたその会議室にはオドルはもちろんルイを始めとし第二王姫シャルロットにその妹マリアといった王族から有力なガリア諸侯などの重鎮らが詰め掛けていた。
そんな諸将が居並ぶ中、会議室の扉が重々しく開くと共に、皆が立ち上がる。
現れたのは豪奢な冠を被った痩身の男――ガリア王ルイ十三世だった。
とはいえ、元々痩身だった身は国土が魔族に蚕食されるのと同じくしてやせ衰え、眼窩は落ちくぼんで深い隈を作っている。
そんな壮齢の男は重々しく身体を引きずり、椅子に身を沈めると掠れた声で言った。
「皆、国難の折りによく集まってくれた。礼をいう」
座るようジェスチャーをしたルイ十三世は出席者を見渡すが、いつもの宮廷行事に比べてその数はあまりに少なすぎた。
特に北ガリアの諸侯の顔ぶれはない。当たり前か、と思いつつ彼は息子に手を振り、合図を送る。
「僭越ながら副将の任を賜ったこのルイが作戦を説明いたします。まず、我が軍の戦力は諸侯及び再編された近衛騎士団を合わせて三千。民を集めて作った国民衛兵隊が二万となっております」
騎士団の内訳のほとんどは傭兵であり、騎兵戦力は乏しい。その上、これまでの諸航空作戦によりいよいよグリフォンは摩耗し、作戦騎は十を下回る見込みだという言葉をルイは飲み込む。
「それに対し、魔族の軍勢は先鋒だけで二万五千を超える見通しであり、その後方には延べ十万の後詰が控えているようです」
例え首尾よく敵の先鋒を撃滅できたとしても、津波のように押し寄せる魔族の大軍をガリアから追い出すことは絶望的であった。
とはいえこのまま魔族の蹂躙を許せばどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。
「敵の先鋒は現在パリシィから百キロほど北のロワ近辺に位置しております。敵の行動を遅滞するため諸作戦が行われておりますが早くて十日でパリシィに迫ってくることでしょう」
それからルイは生唾を飲み下し、第一王子の地位でも不敬だろうなと思いつつ、オドルと協議した作戦を口にした。
「まずもってパリシィの防衛は不可能でしょう」
「……理由は?」
「無意味だからです。オドル、続きを話してくれ」
立ち上がった異世界の若者を見てルイ十三世は驚いた。優し気な好青年然とした面影はなく、凶悪な傷痕を頭部に戴くすがたに恐怖を覚えたといってもいい。
そんな彼はどろんとした瞳を王に向けて言った。
「寡戦において籠城は効果的です。ですがそれは城壁によって防御側が守られているからという前提があります。魔族の持つ大砲は同時詠唱よりも強力で、簡単に城壁を破壊してしまうことがこれまでの戦いで分かっています。例え、この王都の城壁でも耐えられないでしょう。もちろんそれに対抗する星形要塞というものもありますが、もうそれを整備する時間もありません」
だからこそ相手を叩ける力が残っているうちに叩く。それがオドルの示した基本方針であった。
もっとも病身痩躯の王でも戦のイロハくらい習っている。
「大軍に少数で会戦を挑めと?」
「とはいえ、今を逃がしたら後詰と合流されてそれこそ打つ手がなくなりますよ」
敵の先鋒がパリシィの包囲を始めれば後続が続々と集まって戦力の層を厚くしていく。そうなればパリシィは守ることはおろか、攻めることも、逃げることだってできなくなる。
「進退窮まる前に敵を各個撃破するべきです。戦力差があるといっても敵の先鋒に限っていえば絶望的なものではありません。それに魔族が戦力の水増しとしてアンデッドを使用してきますが、これに関してはシャルロット殿下に秘策があるそうで……」
会議室の瞳という瞳が第二王姫シャルロット・ド・ガリアに注がれる。
当代きっての天才と謳われる彼女は静かに首肯して「対アンデッド用の魔法がある。心配しないで」と短く言葉を吐きだす。
「と、いうことらしいです。もっとも、このパリシィを捨ててどこかに落ちのびるというのも、手ではあると思いますが」
歪んだ笑顔を見せるオドルに対し、周囲は青い顔を浮かべる者もいたが、それは異世界人の不敬を心配するのか、それともこれから起こる終末を思ってかは判然としなかった。
もっともルイ十三世としてはパリシィの失陥はガリアの敗北を意味しており、遷都も考えていなかった。
「打って出るほかないようだな。だが、魔族は狡猾だ。グリフォンが少ないせいでまともな航空偵察も出来てはおらぬのであろう? これが我らをおびき寄せる罠ではないのか?」
エルザス辺境伯領の領都であるピオニブールは城壁が破られてもなお、抵抗を続けていたと航空支援を行わせていたグリフォンからの報告をルイ十三世は聞いていた。
その市民を巻き込んだ壮烈な市街戦は魔族に出血を強いたそうだ。もしこの十万の市民を抱えるパリシィでそれを行った場合、勝つことは不可能でも魔族に軍を引かせる被害を与えられるのではないか? いや、負けるにしてもより多くの魔族を道連れにできる。
もし自分が魔族側の将であればいたずらに兵を失うくらいなら、敵を誘いだして一網打尽にした方が早いと考えるだろうというのがルイ十三世の結論だった。
「可能性は否定できませんが、相手は策を弄するまでもない兵力を持っているんです。罠をはる理由はないんじゃ?」
ルイ十三世はオドルから他の貴族に視線を向けると、彼らもまた頷き返してきた。
そもそも作戦とは部隊に特定の運動を行わせるもので、そこに錯誤や混乱が生まれれば瓦解するリスクを常に抱えている。
そんなリスクを押しても勝たねばならぬ時には使用するが、リスクを抱え込まなくても勝利への道筋が開けている魔族がわざわざそんなことをするはずがない。
「分かった。打って出よう。ただし、今や故国存亡の時。出し惜しみする戦力は一欠けらもない。故に此度は朕も共に轡を並べよう」
いよいよ親征か、と諸侯は堅い表情のまま息を飲む。
そしてルイ十三世は席を立つと、諸侯を見渡して言った。
「我々に星々の恩寵があらんことを――!」
まだ、まだ大丈夫。この一戦で勝ちを拾い、時間を稼ぐ。その間にブリタニアの援軍を待ち、反転攻勢に出れば。
それが一日でも早く訪れることを、ルイ十三世は星々に祈っていた。
◇
ガリアの外洋交易の拠点であるカレ。
普段は貿易船で賑わうその桟橋にはでっぷりとした見た目のキャラック船が入港していた。それも、一隻だけではない。三隻のキャラック船やガレー船などの軍船が埠頭に碇を下し、沖合にはその倍の軍船が投錨している。
その船の帆にはブリタニアを示す赤五芒星が描かれ、船尾にも同国の国旗がなびいていた。
そんなキャラック船の一隻――王立海軍旗艦『プルメリア』号から桟橋に降り立ったピンク髪のドラゴニュートがいた。
頭髪を際立たせる紺青色の軍服に身を包んだ彼女は優雅にタラップを降り、それと共に儀仗兵としてつれてこられた紺青の集団に捧げ銃で迎え入れられる。
彼女が桟橋を踏みだせば軍楽隊が雅な音色を奏でる。
そんなブリタニア王にしてエリン太守にして信仰の擁護者――クローバー八世は役者のように潮風を胸いっぱいに吸い込み、ひとりごちる。
「来ちゃったよ、メリア」
潮風になびく髪をかき上げ、彼女は堂々と桟橋を渡りきる。そんな彼女を待っていたのはうだつの上がらなそうな街の重役達だ。
すでにカレの主な防衛戦力は王都防衛のために引き抜かれ、マジックキャスターの一人もいない彼らは自身の身の安全と地位の保証とを引き換えに無血開城を選択した。
そんな彼らは新しい主に跪き、頭を垂れる。
それにクローバーはほくそ笑みながら視線を上に転ずれば、そこには白地に赤五芒星を描いたバナーをなびかせるワイバーンの編隊が航過飛行していった。
「良き日和だ。さて、君達。これよりこの地はブリタニア王室の直轄地とすることをブリタニア王の名において宣言する」
大陸から孤立したブリタニア王たちは大陸への足掛かりを得ようと過去になんども遠征を行ってきた。
その悲願を達成したクローバー八世だが、その顔に勝利の笑みはない。
そう、彼女にとってこれはただの一歩でしかない。
今や世界は星々の教えを巡り、また種族対立による生存権を賭けた戦で混迷を極めている。
そんな混沌とした世界を制するのはただ一国。このブリタニア連合王国をおいてほかにない。
これはそのための一歩に過ぎないのだ。
この世のはじめ、星々の命を受け蒼空の中から興るブリタニア!
”これこそ証、国の証ぞ”と星々らは斯く歌い合えり!
統べよブリタニア! 大空を統治せよ!
ドラゴニュートは断じて、断じて、断じて、奴隷とはならじ。
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