焼ける村
ガリア王国王都パリシィまで二百キロメートルのアーラス近くの小村に夏の短い夜が訪れた。
パチパチと篝火が音をたてる中、夕餉を囲むコボルテンベルク王国第四師団に属するコボルト達がいた。
「それにしても嫌な夜だ。なにか起こりそうだぜ」
新月の空に向けて鼻をひくつかせ、頭から飛び出た狼耳をせわしくなく動かす元傭兵のコボルトがそう呟くと隣に座っていた新兵が途端に嫌な顔をする。
「噂をすると影がさすって昔から言うじゃねーべか。変な話しないでほしいですだ」
「ただの迷信だろ? だが、夜襲にはうってつけの夜だ。歩哨を増やしたほうがいいじゃないか」
「なら中隊長殿さーに御進言されてはどうだべ?」
「……聞くわけない、か。それにこんな少ない飯で不寝番をやれといわれてもな」
小麦粉を水で練って焼いただけのパンは石のように固く、木椀に注がれた豆のスープも僅かに塩が効いているか? という代物だ。
質も悪く、量も少ないメニューに多くの兵士が辟易を覚えていた。もっとも農村出身の兵士達は例外であったが。
「毎日食えるだけ幸せだと思うだ?」
「お前は得な生き方をしているな。だが、あからさまに飯の量も減っているし、本当に勝ち戦なのかね?」
「でも人間どもは弱ぇっぺ。一発燧発銃さ、撃てばたちどころに逃げてくし、この村もすぐに占領できたですだ」
ガリア王国へ侵攻した北部軍十個師団のうち先鋒の名誉を得たオルク王国第二師団、コボルテンベルク王国第四師団、プルーサ王国第七師団(ゴブリンやドラゴニュート主体)はパリシィ入城を目指して南下をしていたが、目下の難敵はガリア軍ではなく食糧不足であった。
と、いうのも総兵力二十万を誇る北部軍に対し、兵站が貧弱なのだ(そもそもこの時代においてこれほどの大兵力を同時運用すること自体が未知であり、北部軍はおろか参謀本部の想定を上回る負担が兵站にかかっていたともいえる)。
そもそも魔族国本国から送られた物資はまず星字軍遠征への協力としてイスパニア王国が海上輸送にて低湿地同盟国へ送られるが、そこからガリア王国までは陸路で三百キロメートル以上の前線まで送らねばならない。
軍馬やスケルトンに馬車を牽かせる輸送が絶え間なく行われてはいるものの、全軍を養いきれるものではなく、各部隊は侵攻した周辺地域から物資を徴発することでなんとか飢えを凌ぐ有様だ。
もっとも先鋒三個師団へは優先的に補給が行われているが、それでも食料は常に不足しがちだった。
「オラのうちは小作人で、領主様に税ば納めて、さらに地主様にも地代を納めてたせいで兄弟みんな毎日腹ばすかしてたから一日に必ず三食も食える今が天国のようだで。これ以上文句を垂れては罰があたっちまう」
「慎ましいな、おい。星神教徒かよ。でもよ、中隊本部の置かれているでっかい家があるだろ、その倉庫にはたくさんの食糧がしまわれているって話だ。きっと肉とかもあるに違いない。今夜、もぐりこむか」
「えー! 泥棒でねーですか」
「しッ! 声がでけーよ。たまには肉でも食わないとやってられないだろ。明日にはガリア軍と一戦交えるかもしれないんだ。なら今日のうちに肉を食っておかなきゃ、死んでも死にきれないってもんよ」
悪い笑みを浮かべる元傭兵に新兵は弱きに耳を垂れ、尻尾を丸める。とはいえ、明日死ぬかもしれない身なのだから肉くらい食べたいという思いもあった。
そんな新兵の様子を元傭兵は楽しんでいたが、派手な音と共に篝火が倒れた音を耳にした。
「……なんだ?」
その音源を見ると、倒れたかがり火に歩哨の兵士が覆いかぶさっていた。それも歩哨の首には深々と切り傷がつけられ、深紅の軍服をより赤く染めている。
そんな異様な光景を目の当たりにし、思考が空白に染まっていると視界の端で何かが動いた。
「え?」
そこにいたのは小柄な少女だった。
剣技というには拙いが、人間離れした速度で繰り出される突きが深々とコボルトの喉元に沈む。
ひゅうという風が漏れ出る音を最後にそのコボルトは事切れ、身体が崩れる。その勢いを利用して小柄な少女――【勇者】ジャンヌはフィエルボアの剣を引き抜き、今度は目を点にしていたコボルトを見やる。
「ひぃぃ!」
戦士とは思えぬ情けない声と共に後ずさるそのコボルトをジャンヌは無感動に距離を詰め、一太刀の下に切り伏せる。それと共に周囲からも続々と黒装束の冒険者が野営地を襲い、歩哨を倒しては家々に松明を投げつけていく。
それと共にやっと襲撃に気づいたコボルト達が警笛を鳴らし、迎撃を行おうと行動を始めるが――。
「【勇者】様! 退き時です!!」
「分かりました! みんな下がって!」
コボルト達が体勢を立て直す機運を見せるや、歴戦の冒険者の声にジャンヌは周囲の魔素を取り込みだす。それを【勇者】スキルによって得た強力な魔力回路を使って魔力へと変換していく。
「【炎の槍よ、現れよ炎槍】!!」
細い手首を天に掲げ、魔力を炎に変換した三メートルもの槍を出現させるや、それを投擲する。緩い弧を描いた炎槍は過たずに一軒家を貫き、眩い火柱を生み出した。
それを合図にコボルト達の野営地を襲撃した冒険者達が闇に消えて行く。
そんな中、ジャンヌの足元で弱々しい呟きが聞こえた。
「か、かあちゃん……。お、おら死にたくない、だ……。かあちゃん、かあちゃ――」
そんなコボルトにジャンヌは眉一つ動かさずフィエルボアの剣を突きさす。そしてやっと感情らしいものを顔に浮かべ、彼女は言った。
「ガリアを守るための【勇者】が、ガリアを焼くなんて……」
涙をこらえ、彼女はコボルトから剣を引き抜くや、小走りに闇に姿を消すのであった。
◇
ヴォジュ男爵領の領都エピナルから西におよそ八十キロメートル。長閑な田舎景色が広がるそこにドンレミ村はあった。
辺鄙な片田舎のドンレミは祭りでもない限り雑踏も生まれぬ静かな村であったが、今は例外的に人であふれていた。
その多くは煤を被り、垢と疲労に塗れた者ばかりだ。誰もが背負えるだけの家財道具を抱え、希望の光が潰えた瞳をしている。彼らは元エピナル市民であった。
そんなエピナル市民にドンレミの村民たちはなけなしの食糧を使って炊き出しを行い、かいがいしい手当を行っていた。
「押さずに一列になってくれ! まだ粥はある! 一人一杯は食わせるからあわてないでくれ!」
そう、難民然のエピナル市民に声をかける壮年の男はドンレミ村の自警団を率いるジャックであった。彼は農民らしいがっしりと、だが無駄に肉のついていない身体に剣とオーク革で作られた鎧を帯び、若い衆を指揮していた。
オーク革は安価でありながら耐久性が高く、ワイバーン革の買えない冒険者は重宝している代物だった。その上、それは彼の愛娘の初任給で買われたもので、彼のなによりもの宝物になっていた。
「あなた、少し休んだら?」
日焼けによるシミが目立つが、それでもなお美麗な顔立ちに黄金色の髪をいただく女性が水の入った壺を手に微笑んでくる。そんな女性の首元にキラリと黒水晶のペンダントが夏の日差しを受けて瞬いた。
「そうだな。だが、ジャンヌも国のために頑張っているんだ。負けていられないさ」
「そう、ね。でも無理は禁物よ。あの子と違ってあなたは【勇者】スキルをもっていないのだから」
女性――イザベルは愛おし気に胸元の黒水晶を太陽にかざす。それは王都土産だと、娘にプレゼントされた品だった。
ジャンヌは毎月賃金を全て実家に仕送りしていたが、両親はそれをいずれ【勇者】の任を解かれるであろう娘のために貯蓄していた(使っても他の村人からの嫉妬を避けるために村に出資するように使っていたため、実質的に暮らし向きはジャンヌが【勇者】になる前も後もそれほど変わっていない)。
そんな両親に感謝の気持ちとして魔除けの効果があるという黒水晶のペンダントをプレゼントしたのだ。
「それにしてもまさか王国軍がエピナル市を焼くなんて……。恐ろしいわ」
「仕方ないさ。戦なんだから」
ドンレミに逃げてきたエピナル市民の話によればルイ殿下率いる軍団が魔族に大敗し、王都に向けて撤退途中だという。その途上、魔族の進軍を鈍らせるために街道沿いの街という街、村という村を焼き払っていくという。
「戦のことは分からないわ。でも、あの子も罪のない街を焼いていると思うと……」
「大丈夫、大丈夫だよ。優しいあの子がそんなことする訳ないだろ」
不安で押しつぶされそうな妻をジャックは太い腕で抱きしめ、首を横に振る。あの子は国のために、王のために戦っているのだからそんなことはしない。そう自分に言い聞かせるように彼はイザベルを励ます。
そんな風に夫婦のきずなを確かめていると、村の入り口に設置されている鐘楼から警鐘が打ち鳴らされた。
「セントールだ!! セント――。ぐあ」
数発の銃声と共に鐘楼に立っていた自警団の一人が悲鳴をあげて崩れ落ちる。
それと共に激しい馬脚の音が近づいていきた。
村の外周には六十センチ程度の動物避けの石垣があるが、セントール達はそれを軽々と飛び越えて村内へと侵入してくる。
「く! お前は家に――」
だが言葉が終わる前に遥か彼方より同時詠唱による火炎魔法がドンレミへと降り注ぐ。人々の悲鳴と怒声が交錯し、逃げ惑う者で押し合いへし合いが起こる。収拾のつかぬ混乱を他所にセントール達は村の簡素な門を開く。すると続々とオークが我が物顔で村へと侵入を始め、セントール達の蛮行に混ざっていく。
「た、たすけてくれ!」
「うああああああッ!!」
「母さん! 母さん、うああ!!」
阿鼻叫喚が村を染め上げ、それを燧発銃の暴力的な銃声がかき消していく。
自警団も必死の抵抗を見せようとするが、農民の寄せ集め集団が相手をするには荷が勝ち過ぎていた。
「くそ! どうしてこんなところに魔族が――。ぐッ」
自警団の長としてジャックも果敢にオークの蛮行を止めようとするが、どこからか飛来した銃弾にその身体を射抜かれ、地に倒れる。「あなた!」という悲鳴にジャックは激痛を発する腹を抑えながら顔をあげると、醜悪な化物が妻の背後に立っていることに気がついた。
「イザベ――!」
だがその言葉が終わるよりも早くオークが振り下ろした燧発銃のストックがイザベルの後頭部を打つ。
みずみずしいものが割れる音と共に妻が倒れ、豚顔を怒りに染めたオークが言った。
「人間めッ! 謝れッ! 向こうでオレの、オレの妻に謝れぇえええ!!」
「き、きさまーッ!!」
「――! お、おまえ! そ、その鎧! この外道め! あの世で同胞に詫びてこいッ!!」
胆力で勝るオークにボロ雑巾のように蹴られ、ジャックは抵抗はおろか呼吸さえままならなくなる。
しかしそんな彼を助けたのは上質な深紅の軍服を纏った法務官のオークだった。
「君、やめなさい。野蛮な行いはやめるのだ。我らは人間とは違い、法と秩序を重んじる高等な種族なのだから。さて、人間君。大丈夫かね?」
先ほどのオークとは違い、優しい口調にジャックはなんとか頷き返す。それに法務官のオークはにっこりと笑い、言った。
「よかった。ではこれより即決裁判を開廷する」
「………………は?」
「君は武具を帯びているから冒険者だね? では罪状は冒険者である罪、判決は死刑」
「………………え?」
「連れて行きなさい。速やかに刑を執行せよ。さぁ乱れた秩序に正義の光を運び、不義と悪に鉄槌を振るうのだ」
法務官のオークの命令に従兵がジャックを引きづっていく。それを見送る法務官に声をかける他のオークより二回りは大きなオークがいた。
「フライスラー君! 君はよくやってくれているようだね」
「これは閣下! まだ村の制圧が完了したとは言い難いです。まだ危険では?」
「それは戦闘職ではない君とてそうだ。軍人ではなく軍属なのだから君も戦闘地域への立ち入りを控えたらどうだ?」
「わが身をご心配くださり恐悦至極に存じます。ですが自分の職責はこの世の悪を速やかに処刑台に送ることであります。そのためならば多少の危険など関係ありません」
頼もしい、と大柄なオークは凶悪な表情に笑みを浮かべ、庭を散歩するような足取りで蛮行が繰り返される村を闊歩する。
それに続くフライスラーは道すがら「手にタコがある、武器を握っていたからだろう。つまり冒険者だ、死刑」「日焼けしている。冒険者だな。死刑」「目つきが冒険者だ、死刑」と次々と死刑宣告を連発していく。
そして気づくと村に生えている木という木に罪人達が吊るされていった。
「フライスラー君! 君の働きには感服するばかりだ。国に帰ったら主席判事になれるよう取り図ろう」
「ありがたき幸せにございます、閣下!」
そんなやりとりをしている間も村人達は必死に逃げ惑い、そして魔族が侵入してきた側の反対側に逃げ込むと、星神教を表す五芒星の旗を掲げた騎士達が低い石垣を飛び越えてきたところであった。
まさに天が遣わした助けと村人は安堵を覚えながら騎士達に近づいていく。その最中、石垣の上に漆黒の法服を着た少女が立った。
ガリアでは見かけぬ浅黒い肌に黒い髪の少女は糸のように細い目にわざとらしい笑みを浮かべながら言う。
「みなさん! あなた方には異端者の嫌疑がかけられています」
村人たちは口々に自分達は異端ではない旨を叫ぶ。少女は慈悲深くそれに頷きながら免罪状を高らかに掲げた。
「悔いる心があるのなら、この免罪状を購入ください。それによって穢れた魂は――」
「そんなことより魔族が来てるんだ!」
「免罪状なんて買っている暇はないんだ!!」
「そうだ! 早く助けてくれ!」
しかし少女の言葉よりも自分の安全を確保したい村人達はこぞって騎士達に助けてもらおうと詰め寄せ、収拾がつかない。
そんな現実に少女は小さく嘆息し、周囲の騎士に宣言した。
「全員異端者ですね。浄化を始めてください」
そして人馬の嘶きと共に悲鳴が混じる。
その後方では刈り取りが終わった麦畑に死人達が同時詠唱の土魔法によって大穴を開け、異端者の収容準備をしていた。
星神教において極刑とは天の星々の慈悲が届かぬ地中に骸を埋められることだ。その準備を整え、異端者は土の下へ。冒険者は吊るされ。
こうして南部軍より分派したオルク支隊と星字軍遠征に参加した諸騎士団を含めた特別行動隊はドンレミにおける略奪を完遂するや、次の集落を求めて行動を再開した。
今、北ガリアはオドル達解放者による焦土作戦と、星字軍による虐殺による二度の戦災に巻き込まれ、まさに黙示録の様相を見せていた。
ご意見、ご感想をお待ちしております。