ピオニブールの戦い・4
初夏の草原に広がる新緑が極彩色の赤に塗り替えられる。
それと共に銃剣に喉元を抉られた騎士が塹壕の底に沈み、それを一瞥したオーガ族の大隊長は喘鳴を響かせながら周囲を見渡す。
「敵が七分に、陸が三分といったところか。こんな寡兵を相手によくやるもんだ」
頼みの援軍はやってこない代わりに無数の敵が塹壕に雪崩れ込み、すでに塹壕の各所に敵の侵入を許してしまっていた。それも相手は下馬した騎士が混じっており、徴兵組のオーガは高度な戦闘訓練を受けた騎士に苦戦することになった(もっともいくら訓練を積んだ騎士でも元デモナス家臣団の兵士にはかなわないが)。
しかし師団特火がマジックキャスターからの攻撃にさらされながらも敵歩兵への攻撃に集中しているためガリア軍の圧力は数の割には強くはない。
だが辛うじてガリア軍を撃退できるのは師団特火という面制圧兵力を大隊が有しているからに過ぎない。そうでなければいくら陸戦最強種のオーガとて倍以上の敵を幾度も撃退できるものではないからだ。
つまり特火戦力の切れ目が命の切れ目といえよう。
「大隊長殿! ご報告が二つあります。例にもれず良い報告と悪い報告ですが」
「では良い方から聞こうか」
「敵が後退を始めました。それと共に塹壕に浸透した敵の掃討も順調に推移しております」
生きるか死ぬかの極限状態を少しでも忘れたいと思った大隊長は部下の軽口を許し、その言葉に鷹揚に頷く。
いくら相手が戦闘訓練をしてきた騎士とはいえ、陸戦最強種のオーガに勝てるわけではないことに笑みを浮かべる。
「悪い方ですが、師団特火の残存兵力は一〇三ミリ野戦砲三門、一六五ミリ榴弾砲一門。柘榴弾の残弾は残り七発とのこと」
「……そうか。それより再編成を済ませろ。それと弾薬の補充も忘れるな。手の空いた者は死体を塹壕の外に運び出せ」
とうとう命の切れ目がやってきたかと瞑目しながらも、指揮官としての役割を演じ切ることで大隊長はかろうじて精神の均衡を図る。
そうしていると馬蹄の音が近づいてきた。
「騎馬特火中隊から伝令です。発、第三騎馬特火中隊。宛、第六五三銃兵大隊。我、残弾僅少。後退す。貴官等の武運を祈る。以上です」
「はぁぁ。そちらの隊長にご苦労とでも伝えといてくれ」
「ハッ。それと、中隊長殿は補給が済み次第再度支援に赴くともおっしゃられておりました! どうか諦めずにご健闘を」
「……たまげたな。こんな逆徒にそんな言葉をもらえるとは」
「オーガらしい頑固なお言葉ですな。少なくとも我々は共に轡を並べる戦友に敬意を表するものです」
「セントールらしい真っすぐな言葉だ。お気遣いに感謝する。そちらもくれぐれも健闘なされよ」
オーク式の敬礼を嫌々行い、セントールを見送るといよいよ二進も三進もいかなくなったと思わず笑ってしまう。
この期に及んでどうにかなると思っていたのか? 笑わせる。前大公であらせられたルドベキア様に付き従い、賊軍の謗りを受けた身だ。逆賊として極刑に処されることもなく、こうして再びデモナスに、そして魔王様にお仕えできただけでも儲けものだというのに――。
そんな自嘲と、それに巻き込まれる部下を見てこんな軍制を導入したオルク王国と、その領主への恨みを新たにしつつ彼は指揮を執る。
しかしそれも終わりを迎えようとしていた。
「敵第三波接近!!」
眼前には隊伍を整えたガリア軍がゆっくり、ゆっくりと迫ってきた(最初から全力疾走をしてしまうと体力を消耗しては白兵戦どころではなくなる上に部隊の統制がとれないためある程度までゆっくりと進む)。その数およそ七千。
それに対し、塹壕に籠る第六五三銃兵大隊は三百を切ってしまっていた。それも燧発銃がとれる軽傷者をふくめても三百には満たない。
そこへ残されたわずかな特火が懸命な突撃破砕射撃を実行するが、異様に高い士気を抱いたガリア軍はジリジリと距離を詰めて来る。
だが第六五三銃兵大隊はめげることなく五十メートルほどの距離まで敵を引きつけ斉射を加える。燧発銃から生み出された白煙が晴れるとそこには歩みを止めたガリア軍がいた。
一斉射撃に怯んだからではない。いよいよ攻撃開始位置にたどり着いてしまったから止まったにすぎないのだ。
すでに頼みの特火は砲弾が尽き、沈黙している。そんな様に大隊長は運命の冷たい吐息を首筋に感じ短く瞑目して己の信じる神に祈りを捧げる。
そして彼は素早く決断を下すと前デモナス大公であるルドベキアより下賜されたミスリルの名剣を抜き放った。
「総員整列!! これより陣前強襲を実行する!!」
このままではあっという間に大軍の前に飲み込まれ、死守を遂行することはできるだろう。しかし彼らはこの場に留まり、友軍を包囲せんとする敵兵を一秒でも長く押しとどめるために死守を愛すべき姫より与えられていた。
それを遂行するには陣地を捨て、逆襲に打って出て少しでも物理的な縦深を稼いでおかなければならない。
「畏れ多くも魔皇陛下の御恩情によってデモナス家への処罰は赦免されたが、未だ我らの立場はなんら変わらぬ逆賊である。よって今こそデモナスの忠義心が問われているのである。陛下の深き慈悲心に応え、オーガ魂の真骨頂を発揮し、神星魔族帝国への忠誠を示す時は今ぞッ! 魔皇陛下万歳ッ!!」
塹壕の各所から彼ら皇帝を称える三唱が轟き、その一体感が底をつこうとしていた士気を奮い立たせる。
いや、絶望が最早一周まわって高揚に転じたというべきだろうか。悲壮で無慈悲な環境にいる自分に酔いしれたオーガ達はその凶悪な身体に着剣された燧発銃を持って塹壕の縁に体を寄せる。
「攻撃目標、前方のガリア兵!! 突撃にぃ進めッ!!」
号令と共に力強く吹奏されるラッパの音と共に蛮声が大地を埋め尽くし、赤の軍団が無謀にもガリア軍の下へ飛び込む。
オーガは燧発銃を棍棒のように振るい、血走った形相の傭兵の頭を叩き割り、流れるように銃床が次の獲物を求めてさまよう。
そこへ両手剣を大上段に構えた騎士が裂帛の気合いと共に間合いを詰める。だが恵まれた体躯と百五十センチもある燧発銃によって生まれたリーチを埋める前に銃床がその喉元に食い込む。
それを引き抜き、新たな敵を求めようとしたその時、オーガの腹部に傭兵の槍が深々と突き刺さった。
「ぐああッ! このヤロウ!! よくもやりやがったな!!」
しかし槍を引き抜こうとする傭兵を睨みつけるや、その柄をがっちりつ掴む。慌てた傭兵が乱暴に槍を抜こうとするが、剛腕に抑え込まれてびくともしない。
それに焦りを覚えた傭兵だが、次の瞬間には燧発銃を投擲され、槍を手放してたたらを踏む。その隙にオーガは腹から槍を生やしたまま乱暴にその顔面へと拳を叩きこんだ。
そして二発、三発と殴れば頭蓋骨が脳髄を押しつぶし、傭兵は絶命する。
「次の敵は――」
どこだ、と口にした瞬間、オーガの首が宙を舞う。
一息で断頭したとは思えぬ優雅なその剣筋を放ったのは【勇者】ジャンヌであった。
戦場においても彼女の金色に輝く髪は色あせず、力強い決意に満ちた清純な青色の瞳は動じることはない。
まるで幾戦もの激戦をくぐり抜けてきた将軍然とした立ち振る舞いをする彼女だが、五年ほど前まではただの村娘であった。
しかし“啓示”と共に【勇者】のスキルを得た彼女はガリア王国を守るため、そのスキルに恥じぬ活躍を見せて来た。
「怯まないで! 敵の数は多くはありません! 私に続いて!!」
そんな少女の叫びは喧噪に塗れた戦場でもよく響いた。
傭兵や騎士など身分を越え、ただ彼女と共に戦野を駆ける者達を勇気づけたのだ。
それにさしものオーガも怯まざるを得ず、また数の不利に押され徐々に突撃の衝撃力を失っていく。
悪運に恵まれたオーガの大隊長はしぶとく愛剣で傭兵を切り伏せたが、その代償に刃は脂で鈍り、刀身も歪む有様であった。
「……最早ここまでか。姫殿下、魔皇陛下。どうかふがいないこの身をお許しください」
南部軍司令部へ深々と頭を下げると、彼は敵に討ち取られるくらいならと愛剣を首にあてがう。
それで一息に首を刎ねようとしたその時、聞きなれた鼓笛の音が近づいて来ることに気がついた。
「――! ま、まさか――!!」
そこには白と青の二色旗(デモナス大公家を表す旗だ)を奉じる軍勢――デモナス王国軍第三師団の予備兵力となっていた一個旅団六千がそこにいた。
その先陣を切るデモナス王国大公ゾンネンブルーメ・オーガロード・フォン・デモナスは未だ敢闘を続ける師団直轄第六五三銃兵大隊の姿を認めるや、その瞳に涙を浮かべる。
「よかった、間に合った……!」
「安心するのはまだ早いぞ。攻撃はこれからだろ」
安堵に打ちひしがれるゾンネンブルーメとは対象に細身のドラゴニュートの青年はやれやれと肩をすくめつつ使いこまれた片手剣を握り直す。
彼こそデモナス第三師団司令部参謀長を任じられていたシスル・フォン・ファフニールであった。
ドラゴニュートらしい深紅に輝く髪に中性的な顔立ちの眉目秀麗な参謀長はドラグ大公国においてニーズヘッグ侯爵家と双璧を為すファフニール伯爵家という名家の出であった(そのコネで箔をつけるために参謀将校に任官されたお坊ちゃんであったが)。
魔王位継承戦争においてファフニール家は中立を貫いたため逆賊デモナスの監視役にうってつけと軍中央たる参謀本部より第三師団参謀長を拝命させられた苦労人でもある。
「わ、分かっているわよ!」
「分かっているなら師団長が前線にでるな!」
「うるさい! この昼行燈! それにみんなが前線に出るのに私だけ残るなんて出来ないわ! それを諫める作戦が軍師殿にあるなら聞いてあげてもいいけど」
「軍師じゃない! 参謀だ! それにお前、オレが機転を利かさなかったら先のオース会戦で包囲されて死んでいただろ! 少しはその恩に報いたらどうなんだ? 大公様!」
なによ! なんだよ! と猫の喧嘩のようなやかましさに他の師団司令部要員達はまたかと肩をすくめる。
軽薄で、何より監視役としてデモナスに赴いてきたシスルの立ち位置は非常に芳しくないものであったが、その肝の据わった物腰故に誰からも一目置かれていた。
「なによ、司令部要員さえも前線に導入するのが参謀様の作戦なのでしょ? そこに例外はないはずよ」
「………………」
シスルの提案した司令部要員さえも総攻撃に投入するという案は用兵上の悪手だ。それを理解しているが故に彼は押し黙り、他に策はなかったのかと思いなおすが、首を振る。
白兵戦となれば人間族より身体能力で勝るオーガ族に分があるが、そのオーガ族の大多数は星字軍遠征に合わせて根こそぎ動員された訓練未了の民衆だ。
そんな来る日も来る日も畑を耕し、税を納める毎日を送っていた農民という被支配者階級が主となる銃兵と職業軍人たる騎士や傭兵とでは体の鍛え方も装備の質も大きく異なる。
絞り上げた税や契約金によって装備を整え、栄養状態の良い食事に事欠かない者からすれば徴兵組など烏合の衆も同然だろう。
故に少しでも勝率を上げるために彼は支配者階級であり、戦い慣れた旧デモナス王国軍の旧臣を各部隊から急遽司令部要員として引き抜き、予備戦力の旅団の先駆けとして斬り込み隊を編成したのだが……。
(旧家臣を指揮官として雇っていたからって、司令部ごと殴り込みをかけるなんてな。下手すれば第三師団は頭を失って収拾がつかなくなる恐れもあるし、逆徒を集めて再度の反乱を画策していると疑われるかもしれない……。とは言え、武芸に秀でた者は旧家臣団くらいしかデモナスには存在しないし……。えぇい。失敗したら失敗したで責任をとるしかない)
そのため彼も親から託された片手剣を握って前線にやってきたが、親が尚武の家だからと雇った剣術指南役に匙を投げられた過去があったためその指先はわずかに震えていた。
そもそもシスルは戦いというものが苦手であり、そんな無為な消費活動をするくらいならその時間で本を読んだ方が得だと考えるタイプのドラゴニュートであった(参謀将校になったのは親が箔をつけてこいと半ば無理矢理入営させたからだ)。
(責任をとるしかないとはいえ、こんなことになるんだったら色町に行っておけばよかった。せめて女を知ってから死にたい……)
もっとも感情面を抜きにすれば彼が白兵戦の要員になる必要などまったくない。むしろ指揮官を欠いたことで指揮統制が失われるデメリットの方が大きい。
だがそれは彼の矜持が許さなかった。尚武の家であるファフニールの家風に育った彼は武術の才が欠片も無くても、それでも生き様だけはファフニール伯爵家のそれが受け継がれていた。
そんな矜持を曲げられぬ性格故に彼は先のオース会戦において玉砕寸前のデモナス旅団の窮状を軍令違反と知りながら不動の上級司令部を飛ばして直接南部諸侯総軍司令部に訴え、援軍を取り付けてゾンネンブルーメ達を救っていた。
それによってオーガ達の心証もがらりと変わり、シスルに一目置くようになったのだ。特に命を助けられたゾンネンブルーメも彼のことを小うるさい本の虫から評価を上げていた。
「な、なによ。急にだまらないでよ。私が悪いみたいじゃない」
「……君が浅慮なんだ。頭の中身が筋肉じゃないならもう少し考えた方がいいと思うよ」
「う、うるさい! それより、行くわよ!! 全軍、友軍を救え!!」
「応!」と空気を震わす士気の高さにシスルは舌を巻く。オーガは頑固で義理深い種族だとは思っていたが、兵士達はよく主であるゾンネンブルーメを慕い、仕えている。
いや、種族の本能だけではないだろう。ゾンネンブルーメは逆賊として録を失った家臣達に新たな職を与えることに腐心し、デモナスの新たな国主だからという理由とは別に家臣――兵士達から信頼を寄せられていた。
そんなカリスマ性をシスルはこれがデモナス大公家、いや、デモナス王家の血かと高く買っていた。
もっともデモナス家を支える家臣達はというと人望はあれど意固地な若き姫と、よそ者なれど芯の通った若ドラゴニュートの良縁を願い、誰もがあのドラゴニュートがオーガであればと囁き合っていた。
「全軍突撃ィ!」
そんな若きデモナスの姫が軍刀を振るえば姫に付き従う兵達がガリア軍に飲み込まれようとしていた第六五三銃兵大隊の下へと飛び込む。
法も秩序もないその野蛮な攻撃にガリア王国軍は動揺を見せるも、依然と高い士気を有しているため怯むことなくそれを迎え討った。
そんな一進一退の激戦が繰り広げられる中、ところ変わって神星魔族帝国軍左翼では未だ一発の銃声も響かぬ静寂を保っていたが、屍山血河を作りつつある右翼に負けぬ死臭が漂っていた。
そこに集ったのは騎兵の集団であった。
だが彼らの御する馬の多くは骨格標本のような肉が削がれたもので、その騎手には生者は一人もいなかった。
代わりに従卒のように騎手たちの装備を整える人間たちがいた。――もっとも大半は死を経験した者達だが。
「伝令! 伝令! 連隊本部はどこか!」
そこへ駆けてきた将校伝令のセントールは思わず顔をしかめ、閉口しそうになる口を叱咤して己を奮い立たせていると「ここです」と色濃い死相を刻んだ男がやってきた。
コイツも死体か、と鼻を抑えたくなる欲求を堪えながらセントールは一通の命令書を差し出す。
「発、南部軍司令部。宛、胸甲騎兵連隊本部。所定の作戦に従い、第二段作戦を発令す。受領せる命令書を開封、熟読のうえ、爾後は命令書の行動を実施すべし。以上です。命令書はこちらになります」
「確かに。任務ご苦労様です」
軍人――いや、武人とは到底思えぬ態度にセントールはこれがなによりも怖い軍務伯の採用された新式軍制の欠点だろうと不満を抱く。すべからく民を軍に組み込むのだからこのように武人としての才覚のない者までもが指揮官に抜擢される悲劇が起きるのだ。それが改められればと思いつつ、耐え難い臭いに負けて踵を返す。
その背後で先の死人――リッチが首なし騎士のデュラハンや騎乗を仕込んだスケルトンであるデスナイトと呼ばれるモノ達へと命令を下す。
「丘に陣取る敵を撲滅せよ。進めぇ!!」
出陣にしてはなんと味気ない命令だろうか。演説の一つでもして士気を鼓舞することもないそれだが、しかし士気を抱く生者が皆無の胸甲騎兵連隊――八百騎が一路、ガリア軍の本営のおかれた丘へ向け静かに滑り出すのであった。
ピオニブールを巡る戦いもいよいよ佳境! 次回より魔王軍の反撃が始まります!!
それではご意見、ご感想をお待ちしております。