ピオニブールの戦い・2
ピオニブールの命運をかけた戦の幕が上がるや、まずはワイバーンとグリフォンによる前哨戦が始まった。
「一番騎より各騎。トカゲ狩りだ。第一王子殿下の御前から不埒者を叩き落とせ!」
ガリア王国空中近衛騎士団第十二飛行隊に属する青年騎士ジャン・ナヴァルはリーベルタースの工房に特注で作らせた飛行眼鏡の奥の眼光を輝かし、上空直掩任務に当たった幸運を噛みしめると共に迫りくる十二匹のワイバーンに舌なめずりをする。
齢十八歳という若き指揮官に率いられた四人の騎士達が“応ッ”と威勢のよい返答を風魔法の付与されたヘッドセットに吹き込む。
ガリアの進んだ魔法技術の一端が注ぎ込まれて開発されたそのヘッドセットは風魔法の魔法陣と魔法付与が施された魔具であり、周囲百メートルと相互通信が行える優れものだった(もっとも術式が複雑なため量産化が困難であり、現状では一部のグリフォン乗りにしか与えられていない)。
「各騎、散開! 散開!!」
V字編隊を組んでいた彼らグリフォン達は騎乗者の命令に従い、甲高い威嚇声と共に力強く翼をはためかせながらワイバーンの群れへと突入していく。
そんなグリフォン達に対し、ワイバーンを駆るドラゴニュートは己の高速性を生かし、一撃離脱を仕掛けんと翼をすぼめて増速しながら吶喊。超長槍の穂先をジャンへと向ける。
その穂先が憎きガリア人を貫かんとするが、その直前グリフォンがぐらりと回転したかと思うと視界から突如として消える。
≪なッ! 消えただと!?≫
風魔法による通信が混線する中、独りジャンはほくそ笑む。
彼は槍が交差する直前、半回転しつつワイバーンの下方に向かいダイブし、ワイバーンを駆るドラゴニュートの視界から消え失せたのだ。
そんな状況に混乱し、慌てふためくワイバーンの騎手を他所にジャンは愛騎の手綱を引いて鋭く上昇へと転じる。
すると高速を生かしたワイバーンが頭上を通り過ぎるところだった。
「のろまなトカゲもどきめ! もらったぞ!!」
降下によって得た速度を素早く高度へと変換しつつ、ジャンの操るグリフォンはワイバーンの尻尾に食いつくように加速し、高まる殺気に気づいたドラゴニュートが振り返ると共に二メートルの馬上槍を突き立てる。
絞り出されたばかりの絶叫を残して空に散るドラゴニュートを彼は見やり、勝ち誇った笑みを浮かべながら周囲を見渡す。
隷下のグリフォン乗り達も概ね敢闘しているようで敵ワイバーンの数も徐々に減りつつあるようだった。
それに満足を覚え、愛槍についた血糊を払う。
そして彼は瞬く間に次の獲物を落とし、さらなる獲物を求めて周囲を見渡すが、すでに部下達によってワイバーンは戦域から駆逐されてしまっていた。
「各騎集結!」
ヘッドセットから伸びた咽喉マイクに魔力を流し込み、僚騎達を呼び寄せる。近衛の名を冠する部隊だけあり、魔族のトカゲ共に落とされた者はいないようだ。
対して一交戦したワイバーン共は墜落していく騎ばかりで、生き残っていても這う這うの体で空域を離脱しようとするものが二、三いるばかりと圧倒的な戦果を叩きだしていた。
それでこそガリア騎士だとジャンはほくそ笑み、それにしてもこの通信機器は利便性が高いと感心する。確か、王立魔法院が開発した風魔法で遠隔地に言葉を届ける魔法に異世界の知識を混ぜて作られたものだったか。
(地上に囚われた根暗共と思っていたが、なかなか具合が良い物を作ってくれた。なにより軽量だから飛行に差支えがないのはありがたいな)
ジャンがひとしきり感心していると、部下から新手が現れたという報告がヘッドセットから響く。
その示された方角を見ると二つの黒い影が新たに戦場へ侵入しようというところだった。
「一番騎より各騎。獲物が少ない。褒章獲得競争といこう」
≪了解≫の声を残し、加速していく旗下の騎士達を見送り、ジャンも負けじと速度をあげる。
他のグリフォンより持久力と加速力の優れる彼の愛騎は続々と先行する騎士達を追い抜き、新手の先頭騎――両の翼端に青色のカラーリングが施されたそれをターゲットに選ぶや、愛槍をそれに向けて速度を調整し、槍が交差する直前にロール、そして降下する。
十八番の空戦機動にトカゲ野郎が混乱していることだろうとジャンが口角を釣り上げながらグリフォンの首を起こすと、そこには自分の意図を読んでか逃げるように上空へと飛びすさぶ尻尾が見て取れた。
「ほぅ! さっきのよりも冷静な判断ができるようだが、無様に逃げるか! ならば騎士の戦というものを教えてやる!!」
力強く愛鷲獅子の腹を太ももで絞める。それに応えたグリフォンが甲高い威嚇声をあげながら力強く上昇に転じる。
と、思うと獲物のワイバーンが翼をたたみ、失速。猛追を行おうとしていたグリフォンの横を滑るように降下していく。
「――ッ!? しまった! 行き過ぎたッ!?」
失速したワイバーンとは逆に猛スピードで追撃していたジャンのグリフォンは瞬く間にすれ違い、今度は自分の背後を相手にとられてしまった。
しまった……! このまま速度を上げて逃げて仕切り直すか? いや、このままではすぐに失速してしまうし、ワイバーンの加速力からは逃げきれない。なら水平方向へ急旋回して格闘戦に持ち込めればあるいは……!
そう刹那の瞬間に考えをまとめて敵騎との間合いを測ろうと振り返るが――。
「このッ! 騎士の矜持もないトカゲもどきがあああ……!!」
そこには唾液のしたたる無数の牙をいただく口から鋭い威嚇声をもらすワイバーンが視界一杯に映っていた。
彼はただ速い、なによりも、それこそ風よりも速いと思うことくらいしか出来なかった。
「うあああッ!?」
悲鳴の次に彼を襲ったのはワイバーンの鋭い後ろ足の爪だった。それは過たずグリフォンの左翼をむしり取るや、身を翻して次の獲物へと飛び去る。
愛騎の絶叫と共に鮮血とそれに濡れた風切り羽が宙に乱れる。
ジャンは槍を放り出し、失速を避けようと愛騎を落ち着かせようとかかるが、それは墜落時間を少し延長するだけの虚しい努力だった。
そんな彼の背後からは他の騎士達の悲鳴が風魔法によって届けられる。
≪隊長騎が!? あ、敵の二番騎も早い! 気をつけ、ぐあああッ!!≫
≪ダメだ! 敵の一番騎に食いつかれた! 振り切れない! 誰かたすけ――! 誰かあああッ!!≫
≪くそ、なんてやつらだ! たった二騎で戦況をひっくり返しやがる!! 悪魔かあいつは!?≫
≪あれはただのドラゴニュートじゃない! 鬼神だ!!≫
絶望的な通信にジャンは歯噛みし、そして目前に迫った地面に目を瞑るのであった。
◇
「そんな! 精鋭の空中近衛騎士団が……!? うそでしょ……」
マリアの悲鳴に似た叫びにオドルは再度唇を噛みしめる。
最初は空の王者といえるグリフォンがワイバーンを圧倒し、彼が数えただけでも九騎と倍以上のワイバーンを落としていた。
だが後から戦場に乱入してきた二匹のワイバーンが全てを破壊し尽くしてしまった。
このままではワイバーンの空襲が始まるのは火を見るよりも明らかであり、制空権なき軍隊がどのような結末を辿るのか、軍事をかじるオドルには痛いほどそれを理解していた。
(せっかくの航空戦力がこんな短時間で壊滅してしまうなんて……。他の兵も浮足立ってしまっているだろうし、そもそも戦力差のせいで士気も高いとは言い難い……)
丘から見下ろせば赤い四万以上の軍勢が丸見えだった。
それに対しオドル達は総勢三万。
城壁に覆われた攻城戦ならまだしも、防御施設のない野戦では直接的に数の暴力を受ける羽目になる。
(『孫子』に『少なければ即ちよくこれを逃がる』ってあるし……)
弱音が鎌首をもたげ、ここは一度退いて後続の第二軍と合流し、数的優位を得てからピオニブールを解囲すればよいのではないかと消極的な自分が芽吹いてしまう。
しかし彼らの指揮官であるルイは違う考えのようであった。
「――ッ。仕方ない。空で遅れた分は陸で取り戻そう」
そんな周囲の動揺を抑える為か、わざとらしい余裕を見せたルイが従卒の年老いた騎士を呼びつける。
「まずは手筈通り左翼へ攻撃を仕掛けよう。手配は?」
「殿下が名乗り合いに行かれている間に万事整えております。あとは殿下の命令次第にございます」
「よろしい。皆! 聞け!! 主は必ずや正義を助け、悪を砕くお力を授けられるだろう。今こそ我らの信仰の正しさを証明し、魔族の侵略者に忠罰をあたえん! 攻撃、開始ッ!!」
命令一下、ガリア王国軍三千が左翼方面へ攻撃行動を開始した。
それを率いる三百人の貴族達は騎乗し、それらに率いられた従卒や傭兵が次々に丘を駆け下りていく。
土煙をあげて進軍する彼らはみるみると距離をつめ、彼らの前面に展開するデモナス第三師団の師団司令部直轄第六五三銃兵大隊五百へと肉薄した。
その折り、貴族達はやっと魔族側の奇妙な陣地に目を丸くした。
「なんだ奴ら? 地面に穴を掘っているのか?」
ガリア軍の先遣隊を出迎えたのは塹壕陣地であった。
そこからオーガ達が頭だけを出して燧発銃を構えている。それを騎士が認めた時、木杭と土嚢に防護された八つの特火点から火花が迸る。
巧妙に配された師団特火が有する六門の一〇三ミリ野戦砲と二門の一六五ミリ曲射砲が火を吐き出し、迎撃の火線を張ったのだ。
それも一六五ミリ曲射砲は言わずもがな、一〇三ミリ野戦砲も箱詰めされた無数の鉄球を使ったキャニスター弾を使用したがため無数の弾子が騎士達の肉を穿つ。
金属のひしゃげる轟音に人馬の悲鳴が奇妙な合唱となる中、そこに燧発銃の銃声が混じり込み、悪魔さえも顔を背けたくなる惨状を生み出した。
だが丘を下ることによって生まれた勢いと局所的な数的優勢の元にガリア王国軍先遣隊の攻撃は続く。
「装填急げ!」
大隊長の命令にオース会戦で生き残った一部の旧デモナス王国軍の家臣達が迫り来る敵を塹壕の縁に睨みながら込め矢で火薬を付き固める。
元々戦士階級であった彼らは臆することなく再装填を終えるや、民衆から徴兵されてきたオーガを叱咤して装填を急がせる。
そんな中、先ほどの砲撃を生き残った騎士達が塹壕に達し、軍歴の浅いオーガがパニックにかられる。
「う、うあああ!?」
「覚悟しろ! 魔族め!」
勇猛果敢に切り込んできた騎士だが、装填を終えた者が発砲し、その鎧に大穴をあけられるとともに落馬する。
他にも天からの幸運を授かった者達がそれに続いて塹壕に迫るが、恵まれた体躯を有するオーガが二メートル弱もある着剣された燧発銃を使って馬の腹に突き立てられ、続々と被害が拡大していく。
特に戦慣れしたオーガを中心に新兵が付き従って行動する規律と統制のある行動は騎士達を畏怖させ、逃げに転じさせる。
「敵歩兵に向け斉射用意! 構え! 狙え! 撃て!!」
瞬く間に騎士を駆逐した第六五三銃兵大隊は遅ればせながら戦場に突入した従卒や傭兵に鉄の洗礼が叩きつける。
それに対し、攻撃に参加していた傭兵側も弓兵やマジックキャスターによる遠距離攻撃で対抗しようとするが、如何せん塹壕に身を隠すオーガ達に効果は今一つだ。
その上、遮蔽物もない草原で、それも密集した歩兵集団で行動せざるを得ない従卒や傭兵達は文字通り良い的であった。
そこに再装填を終えた特火戦力が雑草を刈りとるような無慈悲さで柘榴弾やキャニスター弾を射出して銃兵を支援する。
そんな争乱の真っただ中に取り残された誰もが――身分を問わず、この場に居合わせてしまった不運な者達は一様に思った。
どうしてこうなってしまった?
だが次の瞬間には鉛玉が思考を司る器官を貫き、絶命させる。
そんな憐れなガリア軍の先鋒とは裏腹に頭だけを出して戦うオーガ達は安全に敵を攻撃できるとあって心理的にも余裕があり、また古参兵が新兵をサポートするとあって寡兵でありながら旺盛な士気を保っていた。
例え、人間が弾雨をくぐり抜けて塹壕線に侵入しようとしても、陸戦最強種の一翼を担うオーガの集団に息も絶え絶えな人間が勝てるわけもなく、続々と死体を量産する始末だ。
そんな一方的な戦場の後方から新たな馬脚が響いたかと思うと、硝煙を突き破ってセントールの一団が現れ、オーガの大隊長の下に一騎が駆け寄る。
「我々は南部軍司令部直轄第一〇〇特火大隊所属、第三騎馬特火中隊です! これより支援攻撃を行います!!」
「協力感謝する! 左翼方面へ火力を集中して欲しい!!」
「了解!!」
セントール達は自ら牽引してきた八門の八四ミリ野戦砲を馬具から切り離すと、手早く装填を終えて猛射を仕掛ける。
六倍の数を誇ったガリア軍先鋒隊は鉄の暴風雨に晒され、幸運の女神の加護を受けて無傷で塹壕にたどり着いても、圧倒的な肉体差の前に圧倒されるとあって徐々に算を乱し、ついに潰走に転じてしまう。
その逃げ帰る背中に鬨の声を投げかけるオーガ達は過去の栄光――デモナスが逆賊になる前、南部諸侯の盟主として君臨していた輝かしい日々を思いだし、ここにデモナスありと声を高らかに叫ぶのであった。
今回もエスコン回でした。
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