ピオニブールの戦い・1
ガリア王国軍三万が街道を抜け、ピオニブールを見下ろす小高い丘に本陣をおいて布陣を済ませる中、オドルは眼下を見渡して安堵する。
「よかった。渡河の報せを受けて十日も経ってしまって不安だったけど、まだピオニブールはおちていないな」
彼方からでも目立つ赤い様相の魔族達の布陣はピオニブールの北部を半包囲するのみで、彼の街を孤立させることができていないように見受けた(ただ単にガリアの解囲軍を迎撃するため包囲を解いたともいえるが)。
その上、街道の封鎖も甘く、少数の守備隊がいるのみでガリア軍と接敵するや否や逃げ出す始末だったという。
「とはいえ、簡単な相手じゃないのは分かっているからね」
まさに無慈悲に振る舞う魔族の軍勢をオドルは骨身にしみて理解していた。
だが心のどこかであの中にハルジオンもいるのかもしれないと思うと、胸が押しつぶされそうだった。
それにあのオークだ。
【剣聖】エトワール・ド・ダルジアンを屠り、ハルジオンを手中に収め、リーリエをかどわかすあのオークもいるはずなのだ。
「――ッ。今度は、負けない……!」
そう決意を新たにしたとき、マリアやルイ、そして【勇者】ジャンヌを筆頭に有力諸侯が現れ、眼下の敵に息を飲む。
そこを蠢く赤い軍勢は四万もの大軍なのだから。
「ふむ。数的不利というわけか……。どうするオドル?」
「うーん。ピオニブールの城兵と呼応できればまだ……。あ!」
彼らの眼前でピオニブールの城門が開いたかと思うと使者と思わしき騎士が数騎躍り出る。しかしすぐに魔族の騎兵――それもセントールが出這ってきたかと思うと騎士と交戦し、瞬く間にこれを殲滅してしまった。
人馬一体の最強の騎兵であるセントールが遊弋する戦場を人間が突破するなど、まず不可能だろう。
「内外の連絡は不可能、か」
苦渋の滲んだルイの声にオドルも唇を噛みしめる。
ピオニブールを観察すれば街の各所で思い出したように砲撃の爪痕が見て取れる以外に損害はなく、堡塁も無事そのもののようだった。
だが目に見えぬ障壁が張られたようにピオニブールとの連絡は途絶え、通信ができない状態にある。
「グリフォンを使って手紙のやりとりができないかな?」
「無理よ。ピオニブールの大路を使えばグリフォンは離着陸できるでしょうけど、こっちにそんな長くて平坦な場所はないし、今から早馬を使ってグリフォンに手紙を託したとして、返事が来るまでアイツらがなにもしてこない保証もないのよ」
オドルが口惜しさを噛みしめていると、ルイは控えていた従卒に状況はどうかと尋ねた。
「この状況、どう見る?」
「はい、殿下。敵は四万ないし、四万五千。数的に我々は不利を強いられておりますが、幸い我らは緊要地形であるこの小丘を占領することができました。その上、数的不利とはいえ【勇者】殿の参陣により士気は高く、我らが打って出ればピオニブールの守備隊もそれに呼応することが予想されます」
「ふむ、つまりピオニブールの救援を諦めるべき時ではない。そういうことだな?」
御意と頭を垂れる従卒にルイは己を叱咤するように軽口を叩く。
彼にはこのまま魔族に会戦を挑むか、それとも戦力を温存して第二軍と合流するため一度撤退するか、もしくはピオニブールに強行突入して籠城に加わるかの三枚のカードを握っていた。
しかし戦わずして退くとなれば軍事的、政治的にも出兵の失敗を意味し、責任の追及を免れない。その上、すでに三万もの大軍の動員とその出撃に多額の戦費が消費されている。それを垂れ流しにできるほど今のガリアに余裕はない。
ここまでの出費を無駄にせぬためにも撤退など論外であった。
「ピオニブールと合流して第二軍を待つというのも、ダメだな」
「仰せの通りです。ピオニブールとて籠城の支度をしてはいるでしょうが、そこに三万もの兵が雪崩れ込めば兵糧はすぐ枯渇することでしょう。むしろ膨大な兵力を有する魔族がピオニブールを半包囲に留めているのはエルザス騎士団の奮戦によるものと考えるより我らをピオニブールに誘い込むため、敢えて包囲に穴を開けているのやもしれません」
ルイは魔族がそこまで知恵を働かすか? という疑問を飲み込む。
オドルやマリアの話や先のオース会戦での戦況を耳にしていたルイは魔族の知能指数を改め、再度眼下に広がる敵陣を見やる。
魔族は南方から現れたルイ達から見て右翼――丘のふもとに重厚な集結を見せ、だんだんと左翼方面――ピオニブールに向かって陣容が薄くなっているように見えた。
恐らくピオニブールからの攻撃を恐れて主力を配さなかったのだろう。そう確信したルイは左翼を指し示す。
「ならば我らがとる方策は一つ。攻撃あるのみだ。あの手薄な左翼を強襲し、戦線を突破。そこから敵の背後に騎兵で回り込み、包囲殲滅する。どうだ?」
「さすがは殿下! 良きお考えかと」
「オドルはどう思う? 意見を聞かせてくれ」
「うーん……」
上手くいけば上策だろう。その上、ピオニブールと距離が近いため、街からの援護も期待できる。その上この高地だ。
ここかなら敵の布陣から動きまで一望におさめることができる。
勝利の天秤はまだ揺れているが、どちらかに傾いている訳ではない。
「同感だね。このまま左翼を攻撃しよう」
「よし、決まりだ。左翼への攻撃を準備してくれ――」
「待ってください」
その発言は空を見上げていた【勇者】によって遮られた。
彼女はしばらく瞑目したかと思うと、力強い瞳でルイを見つめる。
「天の声が聞こえました。このまま左翼を攻撃するのは危険です」
その自信に満ちた声とは裏腹になんの根拠もない作戦だとルイとオドルの視線が交錯する。
元々、宗教への信用度が皆無に等しい日本からやってきたオドルとしてはこんな突飛な発言を真に受けることはできない。いや、むしろ電波だと笑い飛ばすべきか。
だがルイは真剣にその意味を考えていた。彼女の言う“天啓”を軽視するほど不信心ではなかった上、彼女の“天啓”は的中することを知っていたのだ。
「罠があると?」
「分かりません。ですが天の声は左に注意するべきだとおっしゃっていました」
「だが……。敵は右翼に戦力を集中しているから攻撃となれば左翼へ攻めねばなるまい……。しかし【勇者】の天啓を無視するわけにはいかないな。よし、罠があるか一当てしてみよう」
それにルイの従卒が「右翼は如何しましょう?」と問うた。
高地を奪取しているとはいえ、寡兵に代わる事はない。そんな場所で守備を進んでするもの好きはいないだろうし、何より貴族は褒章目当てに参戦しているので防御などでなく攻撃に参加できるよう自治権を盾に命令を拒むのは目に見えていた。
「僕がやるよ」
「オドルが? 良いのか?」
「高地にいれば飛び道具を生かせるし、銃が主力の僕の騎士団がうってつけだよ」
「そうか。ならオドルに右翼を任せよう。それと傭兵を三千渡しておく。左翼へは先鋒として二千の兵を出せ。準備が整い次第、攻撃するのだ!」
「了解!」という返事、と同時にこの場についてきていた教会側の従軍者であるケラススが驚きの声と共に中立地帯に魔族側から突出した少数の集団を指さした。
それを肉体強化の魔法を使って視力をあげオドルが見ると、三つの赤い軍服と一つの黒い法服姿の者達を先頭に黒旗と白地に黒いドラゴンが描かれた旗を持つ旗手が続いている。
「降伏の意味の黒旗ではないようですね。軍使でしょうか?」
「あっちの白い旗……。噂に聞く魔王旗か。ならば予が赴かねばなるまい。オドル、ジャンヌ。供回りをしてくれ」
夜空を表す黒い旗は教会権威のもとに争いを鎮めるという意味があり、元の世界での白旗と同義だったかと思いだすオドルはしっかりと頷く。
魔王旗があるということは、その主であるリーリエもいることだろう。そして彼は鋭くなった視力でリーベルタースで出会った――。出会ってしまったあのオークと、かつてのパーティーメンバーであるハルジオンが共にいるのを見てしまった。
それに彼は生唾を飲み、不安そうな視線を寄こしてくるマリアに振り返る。
「布陣を整えておいて」
「えぇ。それより気を付けて。相手は魔族よ。オドルはここぞって時に甘いんだから」
「心配してくれてありがとう。ま、もう大丈夫だよ」
そしてオドルとジャンヌ、そして少数の旗持ちを従えたルイは一国の王子らしく堂々と下山し、そして両陣営の最高指揮官達が戦場のど真ん中で相対した。
そこでオドルは相手にあのオークがいる事に気づいた。
まさに捻じれた因果の果てに転移者と転生者が交わってしまったのだ。
◇
ナイ殿が「古式ゆかしく名乗り合いを行いましょう」と仰せになられ、敵の接近に合わせて着陣なされたリーリエ陛下と共に無人の中立地帯を歩むことになったが、これって必要な儀式なの?
そりゃ同じ魔族国内での戦いで、懐古主義な貴族なら名乗りを行うだろうが、うちの国じゃ勝った者が正義だからもう廃れつつある文化なんだけど……。
そんな不満をいだきながらナイ殿にリーリエ陛下、そしてハルジオンと旗手を従えて平原のど真ん中に立てば、ガリア側の使者も現れた。
こちらと同じく降伏や軍使の意味を表す黒旗と青地にアヤメの花というガリアの王権を示す旗をもった一団を何気なく見ていると、見知った顔があることに気がついた。
それと共にズキリと重く、鋭い痛みが頭部に刻まれた古傷を駆け抜け、抑えがたい怒りに手が震える。
それと共に体中から溢れ出す冷たい汗がせっかく仕立てた深紅の軍服を濡らす。
あの顔立ち、あの風格――! 間違いない。いや、だが――。
「く、フハハ」
そうだ。そうなのだ。アイツがここにいるということはまず、作戦は成功したといえよう。
それは即ち――。あぁ主よ!!
「くくく、フハハハハハッ!! く、フハハッ!! 勝った! 勝ったぞ! この戦、魔族国の勝利だッ!!」
あぁダメだ! 笑いが止まらない。いや、魔族国軍の進撃が止まらないのか? く、フハハ!!
だが、ダメだ。笑いがこらえきれない。抱腹絶倒しないよう努力するというのは前世を含めて今日が初めてだ。
「か、カレン?」
「リーリエ陛下、失礼いたしました! どうか不敬をお許しください」
小さき皇帝に膝をつくと「使者を目前に無礼を働くのが魔族のやり方か」と冷や水を浴びせられた。
その声の主である豪奢な甲冑姿の青髪の青年に貴様こそ魔皇様の御前で――。と、一喝しそうになるが、やめた。怒鳴り散らして怒りを発散しなくても、この嬉しさの前に全てが許せた。
「カレン様、もうよろしいですか?」
「えぇ。ナイ殿。お話を遮り、申し訳ありません」
いえいえ、とナイ殿は首を振り、そしてガリア側の使者の法服の女を見やって顔をしかめられた。
だがすぐに嬉しそうに口元を釣り上げ る。
「ごきげんよう。ガリア王国第一王子ルイ・ド・ガリア殿下御一行様とお見受けいたします」
「如何にも。予は父の名代としてこの地に赴いたガリア王国第一王子ルイ・ド・ガリアである。これなるは我が国が誇る【勇者】ジャンヌ、我が腹心のオドル・ハトラク、そしてガリア王国テラ大聖堂院長にして監督ケラススである」
「わたしは星字軍遠征軍の軍団長をしているナイ大司教と申します。教皇猊下よりガリアの信仰秩序回復のため、大司教に任命なされ、この地に遣わされました」
ナイ殿はいつにない表情でそう宣言すると共に自慢するように司教杖で地面を突く。
あと、どうも楽しそうな雰囲気が離れていても伝わって来るが、なんだか珍しい玩具を見せびらかせたい子供のようだ。
それに対し、相手の几帳面そうな法服の女――ケラススというのだろう――が眼鏡の奥の瞳が驚きを露わしつつ「異議を申し立てるわ」と宣言した。
「信仰秩序の回復と言うけれど、そもそも事の発端は教皇庁の発行する免罪状が――」
「とはいえ剣を持つ者は剣で滅びるものです。よってここに和平案として以下のご提案をいたします。一つ、異端者の即時撲滅をガリア王並びその全権者が確約すること。二つ、不当な支配が行われているエルザス公国の解放及び自治権の付与を認めること。三つ、魔族国に不当な損害を与える無法者の集団である冒険者の取り締まり。四つ、教皇庁、魔族国、リーベルタース王国、エルシス=ベースティア二重帝国、イスパニア王国及びその他の星字軍遠征軍に参加の諸国家、諸侯へ賠償として総額五十億ゴールドの支払い。これで手を打ちたいと思います」
淡々と和平案を並べるナイ殿の言葉の端々にケラススは「ちょっと話を――」「エルザスってなんのことよ」「だから話を――」と口を挟もうとするが、強靭なスルー力によって話を終えてしまう。
「馬鹿にしているのか?」
端正な顔立ちの王子と思わしき男の言葉に内心同意する。
ナイ殿が名乗り合いでの交渉を一任してくれとのことだったので黙っていたが、これはいくらなんでも通るはずがないでしょ……。やっぱりナイ殿は一司教だから交渉とか不慣れなのかもしれない。
ここは俺がフォローするべきだろうかと口を開きかけたが、相手側の法服の女が「話を無視しないで」と凄まじい形相でナイ殿の言葉を遮る。
「聞いていれば勝手に――」
「ではガリアは和平案に同意されないと?」
「はぁ? 当たり前でしょ! そんな要求――」
「はぁ……。このような場で申し上げるべきではありませんが、ルイ殿下は使者の人選の失敗をお伝えせねばならないようですね。和平案の御回答の前に教皇庁の代理人たる大司教の要請としてそちらの方の口を閉じさせていただきたいのですが」
いつになく高圧的な言葉に驚くと共に、ルイと呼ばれた王子とケラススがアイコンタクトをとる。
ケラススの方はだいぶお冠のようだが、王子の前に口をへの字に曲げて黙った。
「ご配慮いたみいります。して、ご返答は?」
「ガリア王国として回答しよう。そんな戯言めいた和平案などまるで検討に値しない。ガリアは法と秩序ある国家として――」
「分かりました。ではもう話すことはありませんので失礼します」
「――え? は?」
「それではごきげんよう」
クルリと踵を返し、すたすたと歩み出したナイ殿の背中とガリアの使者を見比べてしまう。向こうも「コイツなにしに来たんだよ」って顔してるが、不幸にも俺も同じ顔をしていることだろう。
いや、まじで何しに来たの? てか向こうも状況が訳わからなすぎて固まっている。
てか、やっぱりナイ殿って交渉慣れしてないでしょ。さすがに敵ではあるが、このまま尻切れ蜻蛉はマズイ。
「あー。南部軍司令官にしてオルク王国大公、軍務伯、魔族国参謀総長であるカレンデュラ・オークロード・フォン・オルクである。今後、我が軍は貴軍に対し、ワイバーンによる攻撃を行い、それを合図に戦端を開くものである。ではさらば」
最早言葉など不要であろう。
ここで呪詛を吐いても仕方ないと思えるくらいには大人になっている。だから最低限の事務連絡を終え、魔皇リーリエ陛下を促してナイ殿の後を追う。
「ナイ殿! お待ちくだされ!」
「あ……。これは申し訳ないところを」
「あの、どうされたのです? 浮つかれているようですが?」
「浮ついていますか? わたしが?」
小声で話しかけるとナイ殿はほっそりとした顎に指を当て、しばらく考えこまれた後に面白そうに口元を緩めた。
「そうですね。ルイ殿下に付き従っていた司祭が旧友だったので、思わず……」
「そうなのですか!? ではお辛い戦いになるのでは?」
「いえいえ。ほら、わたし肌の色が違うじゃないですか。それで、有体に申し上げて彼女にいじめられていたことがありまして、ついかっとなっちゃいました」
そ、そんな壮絶な過去があったのか!?
いや、でも前世じゃ肌の色の違い、信じる神の違いで多くの争いが生まれていた。そんなマクロな話じゃなくても些細な違いが教室で、職場で虐げられた者がいることを、俺は知っている。
それは世界を越えても同じ道理なのか。
「神学校だけではありませんでした。故郷のスラムでも、ガリアに赴任した折りも――。カレン様も気持ち悪くないですか?」
「……それを申すなら、俺なんか肌の色も身体の作りもまるで違うではありませんか」
「くすくす。カレン様はお優しいのですね。人間もカレン様ほど理性があればもう少し世の中も良くなるのかもしれませんね」
「然り。ならば野蛮なガリアを文明の光で照らしてあげましょう」
「”光あれ”ですね」
「く、フハハ! なるほど。”光あれ”! “光あれ”ですな!」
そして俺達が司令部に戻ると共にタイミングよく十二騎のワイバーンが戦場に侵入するところだった。
いよいよ開演だ。だが気負うことはない。すでに勝利は手に入ったも同然なのだから。
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