視察
爽やかな風が吹き込む南部軍司令部のテント。外はもう新緑の季節を迎え、葉も青々と茂り、生命の息吹を感じる。
ふと、思えば遠乗りに出たくなるような気持の良さがあるというのに司令部テントはどんよりと、それでいて刺々しい空気に覆われていた。
「なるほど。ハルジオン様の言わんとすることは分かりました。つまり出陣させろ、ということですね?」
「はい、どうかピオニブールへの一番槍を我が第五義勇猟兵旅団にお命じください!」
司令部の中央に置かれたテーブルをはさみ、絢爛な深紅の軍服をまとったエルフが険しい視線をなげかけてくる。
第五義勇猟兵旅団“エルフ”はエルザス奪回と公国の復興を願う長耳が集まった部隊であり、錬度に疑問こそあれど士気は高く、一騎当千の戦いをしてくれることだろうが……。
とは言ってもねぇ。
「逸る気持ちはお察ししますが、現状ピオニブールへの攻撃は特火に絞り、他の部隊は来る敵野戦軍撃破のための野戦築城に力をいれる。これが南部軍の行動指針であり、南部軍隷下の第五義勇旅団にはこれに従う義務がありますのでどうかご理解をいただきたいものですな」
「それは重々承知しておりますが、城内の敵の規模や配置の確認するための威力偵察や牽制攻撃も必要であると思いますが? それを我が“エルフ”が先駆けとなって実施したいのです」
「そうした判断は南部軍として決定します故、ここでの回答は差し控えさせていただきます。もちろん参加兵力もふくめ、検討の余地は大いにあるでしょう」
早い話が自分達の国土なのだから自分達で取り戻したいと思っているのだろう。
ハルジオン様もご結婚なされて丸くなると思っていたが、そうでもないようだ。
「でも、どうか、どうか検討をよろしくお願いいたします。義姉として、どうかご同情を」
「そうは申されても軍務に私情を挟む訳にはまいりませんので……」
まぁエルザスを南部軍や此度の遠征に参加している騎士団が解放してしまうと戦後のエルザス情勢に介入されるかもと思っているんだろうな。だから第五義勇猟兵旅団が主立って攻略戦に挑みたいといという気持ちも分かる。
分かるけど、戦後のエルザス情勢には介入したいし、エルフ解放の旗頭であるハルジオン様が万が一戦死でもされたらプロパガンダ的にマズイ。
だから是が非でもオルク王国軍主導のエルザス解放をしたいところだ。
そんな双方の綱引きをしていると「失礼します」とドラゴニュートの参謀長がやってきた。
「お忙しいところ恐縮ですが、視察のお時間が迫っております」
「そうか。ハルジオン様、尻切れ蜻蛉になってしまって申し訳ないのですが、このお話はまた後程。諸作戦に関しても参謀と検討します故……」
「……分かりました。どうかよしなに」
軽く頭をさげて出ていかれる背中を見送り、小さく嘆息する。それを聞いていた参謀長がお疲れ様ですと苦笑を浮かべた。
「やはりエルフとは執念深い生物ですな」
「まったくだ。骨が折れる。では諸君。行くとしようか」
それから従兵より三角帽子を受け取り、参謀長や他の司令部要員を連れて初夏の世界に踏み出す。
元々麦畑だったそこは大きく開けており、ピオニブールとそこを結ぶ小高い丘のある街道の手前まで魔族が進出し、築城作業に励んでいた。
そんなピオニブールの南東正面から七百メートル。畑を掘り返して整地されたそこには爆風除けの土嚢の積まれた特火陣地が広がっており、二四門もの一〇三ミリ野戦砲が敵の牙城を指向していた。
その時、初夏の様相を見せる蒼穹に爆音と黒球が吸い込まれる。
「よくよくやってくれているようだな」
「これは軍司令官閣下!」
特火兵を指揮するノームがいち早くこちらに気づくと右手の拳を側頭部に押し当て、敬礼をしてくれた。そんな大隊長に答礼を返しつつ野戦砲の調子について尋ねると彼はまるでおもちゃを与えられた子供のように破顔して砲を指さした。
「少々重くはなりましたが、射程、威力共に満足のいくものであります。特に射程が八、九百メートルまで伸長しましたので、同時詠唱の攻撃圏外から安全に撃てるというのが素晴らしいです!」
同時詠唱の射程は五百メートル前後であり、一〇三ミリ野戦砲なら敵法兵をアウトレンジ攻撃することができる。
だから特火兵は敵の攻撃を気にすることなく砲撃に励むことができるようになり、結果的に余裕のある戦闘が高い命中精度と速射を可能としてくれることが期待されていた。
「これも軍務伯たる閣下が採用を決められた一〇三ミリ野戦砲の性能によらしむることであります。我々特火としては閣下の御慧眼に敬服するばかりであります」
「世事くらい素直に受け取っておけばよいものを……。おい、特火参謀」
視察に突き合わせている南部軍司令部のノームを呼びつけると職人顔のそれが「御前に」と現れた。
「特火の布陣状況は?」
「はい。御命令通り来襲するであろうガリア軍に対しての砲座は概ね完成し、今はピオニブールに対しての築城を開始しております。進捗としては三割程度でしょうか。なお、軍直轄独立攻城砲大隊の展開状況は六割方が終了。明日にはピオニブール市街へ攻撃できるものと予想されます。急がせますか?」
「いや、かまわん。どうせ城攻めはガリアの野戦軍の撃破なくしては本腰をいれられん。布陣が完了したとしても擾乱攻撃くらいしか出来ぬのだからゆっくりやらせろ。だがだらけさせるなよ? 他に懸念はあるか?」
「はい、その……」
その言葉に首をかしげるとノーム共が顔を見合わせ、渋い表情を作っている。
まぁなんとなく言わんとすることはわかる。
「砲弾の使用制限についてか? 確かに特火にとって快いものではないだろうな」
「さすがは閣下。御見通しでしたか。されど、一日に一門あたり五発というのはあまりにも……。閣下のおっしゃる通り敵の擾乱をさそう目的というのは重々承知しておりますが、これでは被害が限定的すぎるのではないかと」
「砲弾の輸送もいつまで続くかわからんのだ。辛抱してくれ」
現状、補給線が短いこともあって物資は潤沢にある。だがそれがいつまで続けられるのかと問われるとかなり疑問がある。
それに問題はピオニブールの攻略ではなく、その救援にくるであろう敵野戦軍の撃破が重要なのだ。
それさえ成しえれば――。
「ん? ラッパの音……。もうこんな時間か。悪いが次の予定がある。しかと励め。あぁ後で酒を届けさせよう。皆に公平に配給するように」
「ハッ! 恐悦至極に存じます!」
敬礼を交えて第一〇〇特火大隊を後にすると、今度はそこからさらに東へ向かう。そこには星字軍遠征軍に参加した諸侯のキャンプ地が広がっており、その中に位置する広場に赴くと軽快な蹄の音と歓声が響いてきた。
そしていつの間にか組み上げられた階段状の観客席に入ると、そこに詰め寄せていた貴族達が歓迎してくれた。
「これは大公閣下! よくぞこられました! 吾輩の隣席をお使いくだされ」
「卿も一杯どうでしょう。我が所領から持参したリーベルタースの恵み豊かなワインがありますぞ」
「さぁさぁ。もう試合が始まりますぞ」
様々な挨拶に一つ一つ丁寧に答えていると、新たなラッパと共に競技場と化した広場で向かい合った二騎の勇士が駆けだした。
その両者とも二メートルほどの円錐状の槍――馬上槍を構え、すれ違うその刹那のタイミングで相手へと刺突を放つ。
すると大きくしなった片方の馬上槍,が砕け、その衝撃で騎士が落馬すると共に歓声が立ち上る。
「ほぉ。これが噂に聞く槍試合というものですか」
「卿は初めてですか?」
「ブリタニアに留学していた妻から聞いたことがありましたが、見るのは初めてですね。一対一の決闘は魔族でもありますが、馬に乗って試合形式での、ということはやらないので新鮮です」
「ではよいものが見れますよ。見てください。次の試合はもっとも注目度の高い一戦ですぞ」
その説明と共に現れた二騎のうち一人は元西ガリアのアダマー伯爵で、対戦相手は新進気鋭のフォン・リキテンスイタインというと説明を受けた。
「アダマー伯はガリア人ではありますが、異端討伐に熱心で星字軍遠征にもよく参加されるお方ですよ。此度は教皇庁の呼びかけに応えられてガリアから従士を引き連れて参陣になされたとか。なにより槍試合の強豪で、西ガリアを代表する貴族ですね」
「ほぉ。ガリア人にしてはもの分かりがよさそうですな」
「卿のガリア人嫌いは耳にしておりますが、アダマー伯とは海向こうへの遠征で共に轡を並べた仲故、信用にたる御仁であると申し上げることができます。それよりあの対戦相手ですな。アレも中々の腕前でして、若武者ながら将来が楽しみな騎士ですぞ」
その言葉が終わるか、終わらないかのうちにラッパが響く。
それと共に蹄が台地を蹴り上げ、槍が風を切る音が高鳴り、そして槍と槍が交差した。
轟音と共にアダマー伯の槍がリキテンスイタインの胸甲に吸い込まれ、彼を馬上から叩き落とす。
「おぉ! あのガリア人、なかなかやりよりますな!」
「そうですとも! さすがガリアのアダマー伯!」
それからひとしきり貴族達と談笑をするが、試合も途中にそそくさと次の予定のため席を辞することにした。
いや、こっちは軍務が山積みなんだよ。
なに? なんなの? 戦争中なのにこんなお遊びしてて、やっぱ貴族って生きる世界が違うんだろうな。てか、俺も貴族なのにこの差はなに?。
そう思いつつ待たせていた南部軍司令部の面々のうち、幾人かと馬車に乗り込み、護衛のセントールと共にピオニブールから三キロメートルほど離れた地にある村に向かう。
その間、決裁書類に目を通していると参謀長のドラゴニュートが「少し休まれてはいかがでしょう」と心配そうに声をかけてくれた。
「昨日も物資集積所をご視察されましたし、各部隊の閲兵も行われて……。星字軍遠征に参加された貴族の方々への御挨拶は仕方ないにしても、本日のような視察は我々参謀達に任せていただければよいと思うのですが」
「長期戦になるのだ。小まめに視察と閲兵を行って緊張感を保っておかねば士気が下がる。それに相手はあの【勇者】なのだぞ。いくら備えても足りない相手を迎え討つというのにふんぞり返っていられるか」
まぁ上司がわざわざ職場に乱入してくるのはうざいし、面倒だろう。だが、介入しないと絶対だれるのでせざるを得ない。
だから決戦に備え、各地を奔走しているのだが、これから向かう村もセントールと教皇庁お抱えの星字騎士団が共同で異端討伐作戦に従事しているとのことで、その視察に伺うことになっていた。
そして村につくと早速出迎えが合った。
「おぉ! トルケマダ様自らお出迎えとは痛み入ります」
待っておられたのは星字軍遠征軍の副軍団長を務めるイスパニア異端審問所のトマス・デ・トルケマダ総長であり、彼は「ご視察ご苦労様です」と頭を下げてくれた。
「……して、あれは何をしてらっしゃるので?」
指さした先には豪奢な鎧姿の騎士や従卒達が逃げ遅れたと思わしき住人達を納屋へ押し込んでいるところだった。その様は駅員が乗車率二百パーセントの車両にサラリーマンを詰め込んでいるようで、少し胃のあたりが痛くなる。
その騎士達は皆、赤地に白十字の紋様を鎧に刻んでおり、彼らが星ヨハネス病院独立騎士修道会の修道騎士であることを教えてくれていた。
「“浄化”ですよ」
はい? と聞き返そうとする直前、騎士達が住人を納屋の扉を閉め、外からつっかえ棒をかけた。
と思うと、炎の魔法をその納屋に向けて放ち始めた。木造の納屋は瞬く間に炎上し、黒煙を立ち昇らせる。
「え、えぇぇ……!?」
「厳正なる審問の結果、この地の村人六二三人が異端であると認定されました。そのため汚染された魂を救うことにしたのです」
「え、えぇぇ……!?」
ちょっと思考が追い付かないんですけど。
そういえばナイ殿がトルケマダ様のことに関してなにか含みを持っていたが、こういうことだったのか! 熱心にもほどがあるだろ!
「汚れてしまった魂を煉獄に送ると共に、この地上で彼らがこれ以上、悪行を積まないようにするため、彼らを救わねばなりません」
そう言うやトルケマダ総長は従卒から松明を二本受け取り、一本を俺に勧めて来る。
どうやら俺も一緒に異端者を焼こうぜと言いたいらしい。
いや、いやいやいや。その理論はおかしいだろ。
「でもガリア人を殺さない道理はないな!」
理論はおかしいけど、ガリア人に俺の受けた苦痛と屈辱、怒りと憎しみの万分の一でも味合わせることが出来るならなんでもいいや。
だって良いガリア人とは死んだガリア人のことなのだから。
「これは街を焼かれた民の分だ! そぉれッ!!」
轟々と燃える納屋に向けて松明を投擲(熱風が凄まじくて近寄れない)すると、扉の近くにそれが着弾し、扉が燃えだす。まぁ、概ね命中といっていいだろう。
あぁ、胸の内がスッキリする。
「とぉッ!!」
それに続くようにトルケマダ総長も松明を投擲する。
轟然と燃え上がる納屋から心地よい阿鼻叫喚が耳朶を打つ。
目を閉じればあの日、人間共がウルクラビュリントを攻め寄せた屈辱のあの日が蘇る。無抵抗に殺された市民を数知れないあの日が、ついに人間共に降り注いだと思うと感涙を禁じ得ない。
「く、フハハ! おい、見ろ。扉が狂わんばかりにしなっておるぞ! 熱くて外に出たいのだろうな。く、フハハハハハ! 無駄なあがきだ」
「か、閣下! お、お心を御鎮めください。あ、奥方の薬を持って来ればよかった」
ドラゴニュートの参謀長がなにか言っているが、今はとても気分がいいから怒る気もおきない。たぶんプルメリアの薬のおかけだな。うん。
いや、しかし。この感動を誰かと分かち合いたい。そうだ、きっとトルケマダ総長も異端者を滅せられて嬉しいに違いない。
そう思って横を見ると、そこには初老の顔に大粒の涙を張り付け、恥も外聞もなく号泣するトルケマダ総長がおらた。
え? えっ? なんで? 感動が吹き飛んじゃったよ。
「と、トルケマダ様? 如何されたのです……?」
「あぁ……。かわいそうに、かわいそうに……。彼らは元々善良なる子羊だったのですよ。だというのに、だというのに異端に落ちたばかりに彼らの魂は穢れてしまった――! あぁ! 主よ! どうしてこのようなむごい仕打ちをなさるのですかッ!? 彼らに罪はないのです! それなのにどうして、どうしてえええッ!!」
あ……。
そうか、俺にとっては復讐だが、この人達にとっては違うんだ。
この人達は異端者を狩るためにガリアに赴いたのではなく、異端の脅威から無垢な民を守ろうとしてガリアに赴いたのだ。だから異端者から民を守れなかった自分達の無力と、異端の業に心を痛めているのだろう。
だというのに俺は自分のことしか考えず、この聖戦を私的な復讐に利用しようとしていた。
俺は、俺はなんて浅はかだったんだ……。
「トルケマダ様。共に祈りましょう。主の御手が彼らを救ってくださるように」
「……そうですな。我々はいくら修道請願を立てても、信仰に縋っても時に無力です。ですから主の偉大なるお力と御慈悲を乞いましょう」
トルケマダ様が懐からくたびれた星書を取り出すと、周囲の騎士達も集まってきて彼を中心に輪をつくり、地に膝をつく。誰もが心を痛め、頬を濡らした騎士達は誰からともなく星書を読み、立ち昇る黒煙が主の御許に迷わず届くよう祈りを捧げる。
そんな中、随行していた参謀長がぽつりと言った。
「狂っている……。みんな、狂っている……」
その翌日。哨戒に出ていた竜騎兵がついに敵野戦軍の姿を捉えた。
いよいよ決戦の時が来たのだ。
久しぶりの村焼き回ができたので初投稿です。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。