星字軍遠征
初夏の日差しが差し込む厳かなウルクラビュリント教会の聖堂。
そこに捧げられた五芒星をかたどった星像にひざまずいた黒い少女がいた。
夜空のように澄んだ法服、リーベルタース人にしては浅黒い肌に墨を流したかのような黒髪。そして「ナイ司教」という呼びかけに見開かれた目は闇よりも暗い色をたたえていた。
「教皇猊下の命によりて参集した星ドミニコ修道会並びに星ヨハネス病院独立騎士修道会、ルーナと第一神殿の貧しき戦友修道騎士団、総勢一万五千。集結を完了いたしました」
ナイが振り返ると重厚な甲冑を身にまとっているものの、それがまるで似合わない柔和な顔つきの男が控えており、その様に彼女の眉がぴくりと跳ねあがった。
その男の歳は四、五十代だろうか。晴れ晴れとした顔は宗教的な充足によって満ちているが、体の方は職業軍人らしい凶暴さが鎧の上からでも見て取れた。
「ナイ司教、これを」
そういって男が差し出してきたのは先端が屈曲した羊飼いが使う牧杖に似たそれを差し出してきた。
これは迷える子羊――衆生を導くために使われるバクルスと呼ばれる大司教のみが持つことを許される杖だ。
「司教殿、こちらも」
先の男の後ろから現れた祭服の上に甲冑をまとった女性が今度はパリウムと呼ばれる白地に黒い星の刺繍されたストールを差し出してくる。本来であれば教会管区を統括する管区大司教に教皇が直に手渡す代物だ。それにナイの口元がゆるむ。
「司教様、そしてこれを」
最後に青年修道騎士が掲げたのは黒い布で作られた五角形型の冠――司教冠だった。
ナイは変化の乏しい表情に愉悦を抱きながらそれらの装備にひざまずき、胸の前で五芒星を切る。
そして最初の男が宣布するように言った。
「教皇猊下の御聖断により、ナイ司教はただ今より特別管区大司教に昇進。対ガリア星字軍遠征軍団長に就任し、主と主の代理人たる教皇猊下の権能の代行者としてガリア王国に跋扈する異端の掃滅を監督、指揮するように。汝に星々の恩寵があらんことを!」
それにナイ殿は微笑み、パリウムを、司教冠を、そして司教杖を身につける。
こうして彼女は名実ともに大司教に就任したのだ。
「謹んでお受けいたしましょう。参集されし軍団に星々の恩寵が、あ、あらん、ことを……!」
ナイは人目をはばかることなくパックリと口を開けて笑い声をもらす。
普段のナイを知る者からすれば別人と思うほど感情を露わにしたその姿は彼女が生を受けて十八年間もため込んだ笑いをここで爆発させた。
まさに楽しそうで、愉しそうな笑い声だった。
だがすぐに元の鉄皮面に戻ると修道騎士達と共にその場を下がり、入れ替わるように今度は小さな姫が星像の前に歩を進めてきた。
彼女もまた星像に跪いて祈りの言葉を唱え、簡易礼拝をすませる。
そんな彼女――魔王リーリエ・ドラゴンロード・フォン・エルルケーニヒ・ドラゴの前にナイは立つ。すると脇から悪趣味というほど大小様々な宝玉で彩られていた冠が恭しく運ばれてきた。
「汝、リーリエ。貴殿は法の守護者として天の星々並びその代理人である教皇猊下に忠誠を誓いますか?」
「……誓います」
小さくも、力強い言葉にナイは少しだけ口角をゆるめる。
「それでは至尊なる尊厳者、星々により戴冠されし、偉大にして平和的なエール帝国を統治する皇帝。ここに主と主の代理人は星々の恩寵下において魔族国盟主にしてプルーサ王及びドラグ大公であるリーリエにこの帝冠と共に神星魔族国帝位を授ける。汝と汝の帝国に星々の恩寵があらんことを」
跪いたリーリエの小さな頭にナイは優しく帝冠を授けた。それと共にどこからともなく拍手が舞い起こる。
そんな歓呼が聖堂を埋め尽くす中、ただ一人、ナイはほくそ笑んでいた。
――ついに、ついにやったッ!! やってやったッ!! 異教徒の娘と詰られ、スラム生まれと謗られ、一歩間違えれば馬小屋で生まれていたかのような自分が、皇帝を!! 皇帝を跪かせたッ!!
それは常に抑圧を受け、際限なく肥大化した承認欲求が満たされた瞬間だった。
彼女は新たな皇帝の誕生を祝う拍手に紛れて高らかと哄笑を浮かべていた。
そんな愉悦など露知らずのリーリエはその拍手に手を挙げて応え、静かにさせると皇帝として初めての命令を口にした。
「これより神星魔族帝国軍は星字軍遠征軍団の指揮下に入り、異端討伐のため星字軍遠征軍団長の命令を待ちます」
「リーリエ陛下の厚き信仰心に感謝を。では星字軍遠征軍団長より命じます。これより対ガリア星字軍遠征を発動します。全軍、攻撃開始」
「はい、大司教猊下。これより全軍攻撃開始いたします」
こうして対ガリア星字軍遠征は、ガリアと魔族の命運を決する大戦が幕を開けた。
◇
ウルクラビュリントから西に十キロほど。ライーヌ河を眼下に収める地にて天の星々に祈りを捧げていると駆け足で参謀長のドラゴニュートが興奮を滲ませながら近づいてきた。
「総軍司令官閣下! あ、いや、失礼いたしました。軍司令官閣下! 先ほどウルクラビュリントから鳥人族の伝令がやってきました! 伝令によれば大命が発せられたとのこと! 星字軍遠征開始ですッ!!」
「……よろしい」
本来なら南部諸侯総軍と呼ばれていた部署は軍務伯権限で解体させてもらった。
そもそも南部諸侯総軍というのは宰相閣下が俺のお目付け役としておいた部署で、軍事的というより政治的意味合いの濃い組織だった。
そのため南部諸侯総軍の代わりにオルク王国軍を中心にデモナス王国やゴブリシュタット大公国など諸侯国の一部を加えて再編成したのが南部軍だ。
「ガリア軍はどうだ? 対岸の様子は?」
「河に沿う様に冒険者と思わしき者達が見受けられます。どうやら我々の渡河阻止のための戦力のようです。残念ながら奇襲渡河にはならぬかと……」
「各国の義勇軍を含め南部軍は三万もおるのだ。それに気づかぬガリアならとうの昔に滅ぼしているわ」
参謀長に促されて南部軍司令部に向かうと、そこの天幕の中には緊張に顔を強張らせた参謀達が出迎えてくれた。
そんな中、健軍当時から付き従ってくれているゴブリンの副官が三十センチほどの細長い木箱を恭しく差し出してきた。
「畏くも皇帝陛下より攻撃開始命令と共にこちらの品を賜りました。これを帯びた瞬間より、閣下は神星魔族帝国軍元帥に列せられ、以後終生その身を皇帝陛下と主の恩寵厚き神星魔族帝国に捧げられよとのご命令にございます」
躊躇いなく木箱を受け取る。
その中には前世のリレー競技で使われるバトンを思わせる五十センチほどの杖――元帥杖が入っていた。それをほくそ笑みながら握りしめ、箱を返す。
「謹んで拝命いたす。では南部軍、全軍に達する。オルク王国大公にして軍務伯並びに帝国軍元帥、カレンデュラ・オークロード・フォン・オルクの名において『黄色』作戦の発動を命ずる。全軍、攻撃開始!!」
◇
魔族国の、星神教世界の命運を分かつ戦の火蓋を切ったのはドラグ大公国軍第六航空師団第六六飛行隊に所属する十二匹のワイバーンとそれを操るドラゴニュート達だった。
深紅の軍服に五メートルもの長大な超長槍を携えた彼らは国境であるライーヌ河を飛び越し、ガリア王国の領空へと侵入する。
冒険者達が使う街道を目印に東進するとほどなく星形の城壁を有するピオニブールが現れた。
「よぉ、相棒。美しい街だな。そう思うだろ?」
《………………》
燃えるような赤髪の二番騎ローレンツ・フォルクは右前方――V字編隊の先頭を行く隊長騎に問いかけるが、いつも通り返答はない。
時速百キロメートルもの高速で飛行していて声が届かないというわけではなく(彼等竜騎兵やグリフォン乗りは風魔法によって半径五十メートル以内の相手に自分の声を届ける魔法を編み出している)、敢えて無視を決め込んだ形だろう。
そんな無口で有名なリーダーの背後で肩をすくめていると、自身の背後から「ガリアの連中にどちらが正義か分からせてやりましょう!」と若く、溌剌とした声が届く。
ローレンツが振り向くと新式軍制によって編成された竜騎兵教導隊上がりのパトリックという若ドラゴニュートが意気揚々と超長槍を掲げ、そこに垂れる長旗を風になびかせているのが飛行眼鏡越しに映り、軽い舌打ちを放つ。
「大義もいいが理想で飛ぶと落ちるぞ、小僧!」
これまで仕える家毎に教育が施されてきた竜騎兵だが、それを刷新し、一括化した竜騎兵教導隊の、その一期生きっての腕を持つと評を聞いていた新兵にローレンツは飛び方以外は何も知らないのかと胸中罵りを贈る。
彼を含め、一番騎である隊長騎も元は諸事情で貴族だった家を離れ、愛竜と共に各地の空を転戦してきた傭兵である。パトリックの若々しい責任感と愛国心が鬱陶しかったのだ。
「――おっと、無駄話している時間は終わりか」
二人の会話に割り込むように隊長騎が静かに超長槍をかかげる。接敵の合図だ。
ローレンツの視界にも前方に黒点がポツポツと現れ出し、それが翼を持つ四足獣であることが確認できた。
「相手は二騎、いや三……。まだ上がってくるか!?」
連日ピオニブール上空を哨戒飛行していたグリフォンが先行して二騎、警戒を告げる威嚇声とラッパを吹奏すると共に吶喊してくる。それを合図に地上で待機していたグリフォン達が一斉に緊急離陸を行い、次々と邀撃騎が空へと舞い上がって来た。
「来るぞ! 奴らは二倍の数のワイバーンさえ喰っちまう猛獣だ! 戦力差に慢心するな! 必ず二騎一組で戦え!」
ローレンツの警告が終わるや、先頭を行く寡黙な隊長騎が胸元に吊られた小さな警笛を吹き鳴らす。それを合図にV字の編隊を成していたワイバーン達が翼を翻し、散開。それぞれの獲物を見定める。
そんな中、隊長騎とローレンツは愛騎の首元を踵で軽く蹴って加速を促す。
「離陸直後の鈍間はおしゃべり新兵に任せてオレ達は速度のある先頭の奴らをやっちまおう。だが如何せん敵の数も多い。初撃は超長槍を温存しよう」
《………………っ》
相変わらずの無言にローレンツが何か小言でも、と思った時に隊長騎は無言で手綱を握る手でサムズアップしてきた。
このだんまりめと彼の口角が皮肉げに吊り上がる。
それと共に正面から迫りくる二つの影のうち、左側のグリフォンに狙いを定めると共にぐんぐんとその距離を詰めてゆく。
しかし相手のグリフォンは一瞬翼をぐらりと震わせ、騎手の顔が引きつる。
彼我の速度差が大きすぎることに気づき、自分のランスが相手を捉えたとしても一撃を与えたその衝撃で自分が弾き飛ばされてしまうことを悟ったのだ。
そもそも空戦における死因の大半は得物による死傷よりも接触による落下死の方が圧倒的に多い(そのためガリアでは高機動力を生かすためにも低速による格闘戦が推奨されていた)。故に安全とは無縁の空の戦いに挑むグリフォン乗りや竜騎兵はその勇気から多くの尊敬を勝ち取っていた。
そんなグリフォン乗りは己の常識に従って左下に逃げようとわずかに重心をずらす。
ローレンツはその行動を瞬時に悟ると素早く手綱を引っ張り、右下に向かって身体を倒す。すると愛騎は主人の意図を読み取って急角度に飛び込みながら一気にローリング。天地が逆さまになると共にワイバーンの鋭い後ろ足の爪が甲高い威嚇声を張り上げるグリフォンの頭を捉えた。
「まずは一つッ!」
愛騎がもぎ取った鷲の首を捨てさせながらローレンツは素早く周囲を見渡し、次の敵を探す。
すでに撃墜確実の相手に憐憫の視線を向ける間に次の獲物を探す方が生存率があがることを彼は知っていたからだ。
「ん? あれは――」
彼は後方から黒点の梯団が接近してきていることに気づいた。
彼らは胴体に五十キログラムの火薬入りの壺を抱いたワイバーンの編隊であり、『黄色』作戦の初撃としてピオニブールの空襲を命じられた爆撃騎群だった。
爆装したワイバーンではお得意の高速性の発揮はできず、空の王者たるグリフォンに対抗することができない。そのため事前に出撃した第六六飛行隊が航空優勢を奪取し、その後に爆撃騎が悠々とやってくるというのが当初の作戦だったが――。
「追い風で到着が早まったか!? まだ敵騎がいるというのに! だが来ちまったもんはしょうがない。さっさと片付けよう」
ローレンツが正面に視線を戻すと共にその視界の右端にふわりと一騎のワイバーンが現れる。その姿に思わず口元を緩めてしまうことを彼は自覚しつつ、風の魔法を使う。
「よう戦友。まだ生きてるな?」
彼は笑みをたたえたまま続々と邀撃にでてくるグリフォンを眼下に納める。いくら空戦能力がワイバーンより秀でたグリフォンとて離陸したばかりでは高度も速度も満足なものではない。
そんな無防備な標的に向け、彼らは超長槍を掲げ、ワイバーンの威嚇声と共に吶喊をするのだった。
その日、ピオニブールは対外戦争において初の都市空襲を受けた。
もちろん歴史的には飛行生物を手懐け、軍事利用するようになって半世紀の間、煉瓦などの重量物で相手の都市を攻撃することはあったが、彼らはそこに初めて火薬の力を投入した。
制空騎以外に対抗手段のない攻撃にパニックが沸き起こり、兵士や市民問わずその力にひれ伏すことになったのはいうまでもない。
もっとも攻撃側のドラグ大公軍とて満足のいく結果を得た訳ではない。火薬の入った陶器製の壺を投下するも導火線の調整不備で多くは爆発する前に地面に叩きつけられたり、取り扱いを間違って愛騎ごと爆散した例が散見された。
その上、グリフォンとの戦闘で初日だけで出撃した五十騎中十二騎が撃墜される始末であった(対し、邀撃に上がったグリフォン十四騎中十騎が撃墜確実)。
しかしピオニブールの目を空に釘付けにした功績は大きい。
そのおかげで空からの攻撃を気にせず南部軍主力は渡河作戦に挑めたのだから。
お待たせしました。いよいよ対ガリア開戦です。
と、言いつつ村を焼く前に私の大好きなエスコンZERO回でした。
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