静かなる侵略
秋色に染まったオルク王国の北部――オルクベルクという小都市に向かう馬車の中で同乗者であるハピュゼン王国の息女――シュヴァルベ・ハピュゼン様が息苦しそうに背中の翼をバサリと動かした。
「し、失礼しました」
「いえ、こちらこそ狭い馬車しか用意できず面目しだいもありません」
ただでさえ巨漢のオーク用の馬車を用意したのだが、如何せん有翼人の横幅はオークの比ではない。それに奥行きも。
そのせいで苦労をかけてしまっているが、さすがに見合い相手の元へ飛んでいけというのは非礼だろうと同乗を進めたのだが、悪いことをしたな。
「それで、なんの話でしたか? あぁ、エルヴ兄上のことでしたね」
「はい、その……。軍功者と」
「そうです、そうです。エルブ兄上の父――ユルフェ叔父の血を引いただけあって軍人気質のオークで、先のオース会戦では右翼の突破を指揮し、勝利に大きく貢献したといえるでしょう。しかし根は優しく、草花を愛で、虫のささやきに耳を傾ける風流漢でもあります」
はぁと眉をひそめたシュヴァルベ様の表情にはありありと不安が宿っている。
いや、多少話を盛ったが、それでもエルヴ兄上は贔屓目に見ても優しいオークだと思うよ?
昔はよく遊んでもらったし、遠乗りや狩猟もやったな……。今思えば本当の兄弟のようだった。
まぁ、そんなエルヴ兄上は一五を迎えた折りに叔父上の跡を継ぐ修行をするためにオルク王国北東部にあるオルクベルクの領地に行ってしまってからは疎遠になってしまっていた。
「それで、シュヴァルベ様には前もって申し上げておきますが、兄上はすでに結婚しておられます。ですのでこれからの見合いが良縁をもたらした場合、シュヴァルベ様は第二后ということになられます」
「それは存じております。第一后はエルフのエルザス公と伺っておりますが」
ハピュゼンも前もって情報を仕入れているのか、驚きは見られないな。
そもそも魔族国の貴族では多重婚は珍しくない。多くを娶り、養うのが一種のステータスだからだ。
むしろ俺とプルメリアのような一夫一婦の方が少数派だろう。
だがその風潮も星神教の影響で廃れつつある。星神教で浮気は御法度であり、俺もその誓いを主に立てているから此度のシュヴァルベ様の嫁入り騒動でハピュゼン大公のファルコ様と大いに揉めたのだ。
「エルザス公国の国主ハルジオン様とはエルフ、オーク両種族の繁栄のため、両国の変わらぬ友誼を結ぶため婚儀を執り行いました」
要は血縁を重視するエルフの力を取り入れるため政略結婚しましたよ、という話だ。
元々オルク王国とエルザス公国は安全保障上の観点から同盟国であったことがあり、過去にはエルザス家からオルク家に嫁いだエルフもいたくらいだ。
その認識を再確認し、いざとなったら諸外国のエルフからの支援を引き出すためにもこの婚姻は国策として進められていた(当のエルザス公であるハルジオン様はどうもオルク王国の軍事力を背景にした後ろ盾が欲しいらしく、この婚儀はすんなりまとまってくれた)。
――のだが、そこにハピュゼン王国から急にシュヴァルベ様を迎えるよう脅されてしまった。
ハピュゼンの言わんとすることは分かるが、これ絶対に継承権問題で揉める火種になるやつだ。
普通は継承権問題が発生しないように家同士で各種調整が行われるのだが(それがまとまらなければ戦争であり、だからこそ魔族国がこれまで他国と交流が狭まり、半鎖国状態だったわけだ)、今回はスピード結婚なためそんな時間ももてなかった。
「そもそも確認なのですが、シュヴァルベ様と兄上の間に生まれた子には当然ハピュゼン王国の継承権が発生しますよね?」
「継承順位は落ちるでしょうが、主張自体はできますね」
「で、ハルジオン様――エルザス公と兄上の子には当然エルザス公爵位の継承権があるわけで、万が一にその子が急逝した場合、シュヴァルベ様とその子はエルザス公の継承権を相続できるわけですが、これを放棄していただける。これで間違いありませんね?」
「そ、その件については後日返答しますので今はお答えを控えさせていただきます……」
あー! 狙ってるじゃん! バリバリエルザス公位を狙ってるじゃん!
だからシュヴァルベ様を迎えるのはイヤだったんだよ!
でもエルヴ兄上くらいしか洗礼を受けていない適齢なオークはいなかった……。
しかしハピュゼンとの協力は不可欠だし、これは必要な代価なのだ。きっとそうなのだろう。それにまだ生まれていない問題を今考えてもしかたない。
諸々のことが落ち着いたらハピュゼンとエルザスで会談の場をもうけよう。
「お、オークロード卿? 大丈夫ですか?」
「ご心配には及びません。少し胃痛が……」
「本当に大丈夫なのですか?」
「大丈夫! それより見てくだされ。あれがオルクベルクです」
車窓に移ったのは古びた城壁に囲まれた小都市――オークの小山だった。ライーヌ河の支流が東から西に流れるこの地は魔族国が太古から信仰していた神の神殿の遺跡があるだけの小さい村であったが、新式軍制が採用されてからは第三連隊の兵営が置かれ、その後の軍備拡張の末に第二師団司令部やその兵站部、経営部などが整備されたことで今や一大軍都として発展を見せ始めていた。
「元々は河川を使って低湿地同盟国へ木材を売るための中継点でしかなかった小村でしたが、軍が入ったことで新たにオークが集まり、それを相手に商いをしようと商人が軒を連ねましてね。オルクスルーエに並び急成長を遂げる都市となりました。最近では教会を誘致し、神学研究のための大学を設立しようという動きもあります」
昨日の宿で頭に叩き込んだカンペをそらんじてみればシュヴァルベ様の感嘆がもれた。
そして馬車がオルクベルクに入城するとオークだけではなくゴブリンの姿も多く、その大半が真紅に輝く軍服をまとっていた。
そんな市街を通り抜け、営門をいただくオルクベルク城へ入るとすでに待機していた儀仗兵達が出迎えてくれた。
「さすが精強の誉れ高いオルク王国軍ですね……」
「なんとも面はゆいお言葉か。あ、一つ言い忘れておりました。兄上はその、己の顔立ちにいささか劣等感を抱かれておられるので、そのことはくれぐれも言及しないでいただきたい」
「え? それってどういう――」
「それよりいきますよ。ささ、こちらへ」
険しい表情になってしまったシュヴァルベ様の手を取って下車すると指揮官の命令で不動の姿勢をとっていた兵達が一糸乱れぬ所作で着剣した燧発銃を捧銃してくる。それに答礼で応じながらゆっくりと歩むと上質な赤糸で織られた特注の軍服に雪原のような輝きを見せる軍袴姿のオークが出迎えてくれた。
身長は俺より二周りは小さいか? だが元々巨躯のオークなだけあって一般的な女性であるシュヴァルベ様より頭一つは高い身長を有しているが、その体は細く引き締まって無駄がない。
そしてなによりその顔だ。
オークとは思えぬ白磁のように透き通った肌、天に向かって鋭く伸びた耳、そして美の女神の寵愛を感じるほどに整った顔立ち――。
「エルヴ兄上! お出迎え感謝いたします」
「弟分の――。いえ、閣下の来訪とあらば出迎えぬ道理はありません。そちらがハピュゼンの?」
えぇ、と頷くと服の裾がちょいちょいと引っ張られた。
それにどうしたのかとシュヴァルベ様に小声で訊ねると彼女は血相をかえて問いただしてきた。
「ち、ちょッ!? お、オークロード卿? どういうことです? あの方、エルフじゃないですか!?」
「シィッ! 言ったでしょ、顔に劣等感抱いてるって」
兄上はいわゆる先祖返りというやつで、両親ともオークではあるのだがエルフとしての形質を色濃くその顔に宿していた。
もっとも俺にもエルフの血は流れているはずなのにどうしてこんなにも差がついてしまったのか……。
しかも残酷なことにエルヴ兄上は己の顔を”オークらしくない”とコンプレックスを抱いているのだから殺意しかわかない。
もっともオークらしくない顔立ちのせいで幼少期の頃はだいぶ苦労されていたのでその悩みを糾弾することはできないが。
「は、はわぁ……!」
「あれ? シュヴァルベ様? 先ほどまでと顔色が変わっていますよ? なんでそんなうっとりと乙女顔をしているのです?」
オークぞ。エルヴ兄上も俺と同じオークぞ。なのになんで?
それにその顔の変化はハルジオンもそうだった。奴もエルヴ兄上との婚姻話をしたら最初は毒薬を飲むと覚悟したような顔だったのに兄上と面会したとたんに顔色変えやがって――。
い、いや。べ、べつにいいし。俺は主にも妻を生涯愛することを誓ったんだから他に女とかいらないし、プルメリアは掛け替えのない最高の妻だし? もてたいとか思ってねーし。あれ? どうして秋晴れなのに頬が濡れるんだろ……。
◇
星神教の総本山であるステルラ教会の大講堂。そこには各地から参集した司教や大司教が肩を寄せ合い、熱論を戦わせる二人の枢機卿を見守りながら絶えず潮流に乗ろうと囁き声で議論に花を咲かせていた。
そな渦中の一人――ガリア系を思わせる凛々しい鼻立ちが目立つルイス枢機卿は額に汗を流しながら聴衆を見渡した。
「今、海向こう――星地を不敬にも占領する異教徒共の国家であるオストル帝国には影が落ちております。彼の国は帝位継承争いに家臣団の腐敗、それに経済政策の失敗で揺れているのです。これはまさに天が与えたもうた奇跡! 主は我らに今一度星地奪還の機会を与えて下さったのではありませんか? 十七年前に行われた星字軍遠征はただベースティア王国をオストルから防衛することに成功はしましたが、それだけです。我らは彼奴等の版図を縮小こそさせましたが、悲願である星地奪還は叶わぬままです。しかし、しかしですぞ。オストルの混乱はまさに天機! 我らの敵を討てとの啓示に従うのは模範的な星神教徒として間違っておるのでしょうか? 否、今こそ我らは再征服を果たさねばならぬのです! 我らの手に再び星地を!」
熱弁を振るうルイスに対し、それを見つめる教皇ヨハネス十八世の目は冷ややかであった。
彼はルイスがガリアで勃発した宗教改革と言う名の異端信仰の蔓延からオストルへ皆の目を向けさせようと躍起になっていることを冷静に見抜いていたのだ。
(此度の異端信仰の蔓延はガリア派の司教の信用を失墜させるには十分だったな。特にルイスは娘がその旗頭となっているとあって焦っている……)
別の脅威に目を向けさせることで失った権威を取り戻したいと考えるルイス枢機卿に対し、その空いた席に着こうと野心をみなぎらせるのが新参のフランシスコ枢機卿の一派であった。
彼らは元々枢機卿団の中では外様に位置していたものの、ガリア派の勢いが後退したことで一挙に勢力拡大に乗り出していた。
「ルイス枢機卿は家の小火から目をそらし、隣町の火事を見物に行くおつもりですかな? 今やガリアの火種は鎮火するどころか野火の如き勢いで海を越えてブリタニアに、そして星々の御許であるリーベルタースへも迫りつつあるのですぞ? それを放置するなど言語道断! このままでは二百年前の悲劇――清浄派の起こした異端運動の二の舞になるのは火を見るよりも明らか! 今こそ異端の悪夢からガリアを解き放つ時ではありませんか!?」
およそ二百年前。まだガリアの王権が南部まで轟いていなかった時代。そこではイスパニア王国を支配していた異教の影響を受けた清浄派と呼ばれる集団が現れた。
彼らは強固な戒律を持ち、星々に反旗を翻した流れ星こそがこの地上を創ったと思い込んでおり、教皇庁は幾度と説教活動を行って彼らの改心を促した。
しかし清浄派と結びついた南ガリアの領主達がガリア王と対立したことで言葉による解決の道は閉ざされてしまった。
最終的に当時のガリア王を中心に星字軍遠征が行われ、清浄派の完全な弾圧と粛清を以って事態を収拾することになったが、その戦火は南ガリアの豊饒な大地を荒廃させた。
それは即ち星神教の勢力の減衰でもあり、異教の宗教国家であるオストルへの対抗力を欠いてしまうことでもある。
そうした事態を避けるためにも早期の異端討伐を行うべきだとフランシスコ枢機卿は主張するが――。
(ま、それは口実に過ぎん。奴の狙いは次の教皇選挙に出馬するためにガリア派を枢機卿団から蹴落としたいだけなのだ。あの窓際が教皇になるにはそれしかない。だが、奴の目論見とは別にガリア問題の早期解決を図らねば異教徒共に付け入る隙を生んでしまう。それだけは避けねば……)
ヨハネスは重い溜息を飲み込みながら二人の議論を聞いているとサッと聴衆の中から挙手が見えた。
脂ののった中高年の男――ロドリーゴ・ボルジア枢機卿は優しい笑みを浮かべながら「わたくしもフランシスコ枢機卿のご意見に賛同いたします」と誰の耳朶にも染み込むようにゆっくりと言葉を述べた。
このイスパニア男のことをヨハネスは嫌っていた。先々代の教皇の代から教皇庁に仕えるロドリーゴは元々財務部の副院長を歴任し、若い頃は節度のある真面目な男だった。
しかし財務部でキャリアを積むごとにその生活は派手になり、金と女に情熱をかける堕落した生活を好むようになってしまった。
「皆さま方。すでにガリア問題は対岸の火事ではありません。わたくしが創設したイスパニア異端審問所もすでにガリアから波及した異端者を摘発し、その救済に尽力しております。しかしそのような受け身の姿勢でよろしいのでしょうか? 我らは異端者が教会に現れるのを待つばかりでよろしいのでしょうか? 城門を閉め、守りを固めるだけでよろしいのでしょうか? すでにガリア王国では貴族を始め王族までも異端信仰に毒されてしまっているというではありませんか!! 為政者でさえ異端に汚染されたのですから彼らの支配する民もまた、異端に苦しんでいることでしょう!! そんな民草を、我々はただ黙って待っているだけで、本当によろしいのでしょうか?」
ふん、とヨハネスは小さく鼻を鳴らす。彼の立ち上げたイスパニアでの異端審問所など“主の犬”と呼ばれているが、所詮はイスパニア王国の私的な政治収容所でしかない。
そもそも異端の討伐は教皇庁の領分であり、本来なら教皇庁主導で行わなければならない。だが再征服明けのイスパニア王国では教皇庁の介入を拒むためにこのロドリーゴを使って私的な異端審問所を作ってしまった。もちろんそこに大量の金貨が動いたのは言うまでもない。
そんな権力欲と金銭欲の犬であるロドリーゴがなにをいっているのだとヨハネスは思っていた。
「否! 断じて否なのです!! 星ルーナは我らに『汝の隣人を愛せよ』とおっしゃられました。そして『自分に敵対するものを愛せよ』とも告げられました。それ即ち今、それをなさねばならぬのではないでしょうか!? 例え、異端に毒されようと、改宗の手を拒もうと、我らはガリアの民に愛の手を差し伸べ、真の信仰に復させるのが星々から与えられた使命なのではないでしょうか!? そう、今こそ我らは迷える子羊達に手を差し伸べ、その穢れた魂を救済する時ッ!! 求められるのは主の御慈悲と涙の鉄槌ッ!! 星字軍遠征の時、来れりッ!!」
その言葉を皮切りに講堂が拍手に包まれる。
誰もがガリア派の没落を好機と笑い、ハイエナのようにガリアへ襲い掛かる様は衆生の救済という目的を完全に忘れているかのようであった。
しかし教皇ヨハネス十八世はそれを知りつつも止める手立てを持っていなかった。故に彼は苦渋を飲み込んで決を採らねばならなかった。
「皆、静かに。すでに議論は尽くされたと思われる。最後に私の最終弁論を行った後、決を採りたい。そもそも、オストル問題及び星地奪還は我らの悲願であり、私も若い頃は戦士として、そして大司教昇進後は軍団長として心血を注いできたものだ。しかしガリアの異端問題は我ら星神教世界の根底を揺るがす大事であり、これの討伐なく星地奪還の一大事業はなしえないと確信する。これは我らの異端取り締まりにガリア王が協力せぬばかりか、国内において異端の保護を行っているのが一大要因であるといえよう。それらを踏まえ、これよりガリア王の破門並びに対ガリア星字軍遠征の是非を問う。賛同の者は起立せよ」
厳かな言葉に次々と参集した司教や大司教、枢機卿が立ち上がる。満場一致とはいかないが、それでも大多数がガリアでの利権に食いつかんと賛同を表した。
「賛成多数で可決。よってガリアにおける異端討伐に関しての星字軍遠征の発令を宣言する!! この世の全ての星神教徒に星々の恩寵があらんことを!」
熱烈な拍手が轟く講堂にヨハネスは小さく「全ては奴の思い通りか」とこぼすが、その囁きを聞いた者は一人もいなかった。
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