オルク家の妻
このままでは戦争がでいないので宰相閣下を失脚させる。
ハピュゼン様は諸侯の利権を守る(主にハピュゼン王国の)ために中央集権化を図る宰相閣下を失脚させる。
うん、素晴らしい目的の合致。どんな思想を抱こうと人と人は通じ合えるんだね。
「ところでオークロード卿」
「はい、なんでしょう」
「うちの娘を嫁にもらってくれるな?」
「――!? ど、どうして?」
「それはそうだろう。ここで一抜けたは許されないからな」
あー。俺が翻意しないよう鎖につないでおきたいのか。
そもそも俺はプルメリアというニーズヘッグ侯爵家からの鎖に繋がれている。それは俺がいつでも宰相側に寝返られるということもであるし、それを牽制するおつもりなのだろう(そんな気はさらさらないが)。
それにここで口約束だけですまそうなどというのは確かに虫が良すぎるか。
「しかし……」
「なんだ? うちの娘では不満か?」
「いや、そんなことは! ただ、俺は生涯、プルメリアだけを愛すると主に誓いました。それを翻すようなことは……」
「ほぉ。ではこの話はなかったことに。おい、宰相閣下に使いの者を出して――」
はい、やっぱり人と人は分かり合えない生物なんですね。
その後、すったもんだのあげく互いの譲歩案を絞り出し、なんとか落着させることができた。
そうして諸侯の利権の主張が激しい飢饉対策の会議が終わり、俺とシュヴァルベ様はオルク王国へと帰途についたのだった。
◇
「今、戻りました」
プルメリアがいるという彼女の執務室の扉をあけると手紙が放り出された机に向かってうつらうつらする妻がいた。これは浅慮だったと扉をしめようとした時、パチリとその怜悧な瞳が見開かれた。
「ん、カレン? すまぬ、先触れの報せを聞いて待っていたのだが、寝てしまっていたか……」
「起こしてしまったようで申し訳ない。俺に代わって税収の検算をしてくださったことを深く感謝します」
「いや、いいよ。それより大事なお役目をはたしてきた夫殿の方が大変だっただろ?」
おや? なんだか虫の居所が悪いようだ。
やっぱり仕事を押し付けて外に出てしまったのがいけなかったか?
「あー。メリア? 王都土産があるのだが――」
「それよりも、大事なお役目でだいぶやってくれたようだな」
机から立ち上がったプルメリアがその上におかれていた手紙をつかみ、ずいと突きつけながら近寄って来る。
あ、圧が強い…。
「えと、『議会におけるオルク殿の暴走は甚だしく、魔王陛下の大権を侵害するもので――』? なんですかこれ? あ、これ宰相閣下からの手紙じゃないですか」
「祖父上殿の手紙によれば軍務伯の権限を暴走させ、飢饉対策の予算を全て軍費に組み込もうとしたそうではないか。それを反対する者は大権の発動を阻止する逆賊であると脅したうえで議会を占有するとはそれこそ大権の侵害ではないか?」
ふぅ、やれやれ。どうやら大変なことをしてしまったようだな。
「誤解をしているようなので弁明しますが、軍務伯の権能は魔王様より軍務全般の行為――統帥及び編制を委任されたもので、軍務に必要な予算獲得もこれに含まれております。よって先の議会での出来事はまったく問題ないことかと」
「その横暴さが問題なのではないか? 陰で夫殿がなんと呼ばれているか知っているのか? 魔王代行だぞ。このままでは謀反の疑いありとして第二のルドベキアになってしまうと思わぬか?」
「言わせたい奴には言わせておけば良いのです。こちらは粛々と魔族国のために働くのみですから」
……なんかプルメリアの調子がおかしいな。火を噴くドラゴンのように怒ったことなんて今まであったか? いや、ないな。
まだ誤解があるのかな? だったら外で待たせている者をそのままに会話させるのはよろしくないな。
「メリア。少し話し合う。だがその前に客人を案内せねば」
「客人?」
「と、突然申し訳ありません」と廊下に隠れていた白い翼がバサリとはためく。
厚手のフロックコートにその身を包んだシュヴァルベ・ハピュゼン様は居心地が悪そうに膝をついてプルメリアに最敬礼をする。
「……どういうことだ?」
「実はハピュゼン王国と新たに同盟を結ぶことになりまして、シュヴァルベ様を我が国にお迎えすることに――」
「――ッ!? そ、それは――」
クラリと頭をおさえながらプルメリアが応接用のソファに倒れ込む。
オルク王国とハピュゼン王国が手を組んだということはもちろん属国であるデモナス王国やコボルテンベルク王国もそれに追随するということであり、魔族国を構成する主要国家が中央を統制する宰相閣下と対立姿勢を打ち出したということでもある。
そりゃ宰相閣下筋の彼女には頭痛の種か。
「……つまり、主への誓いを破るということか?」
「え?」
「確かに余は洗礼を受けておらぬが、夫殿は天の星々に一人を愛すると誓ってくれたのではないか? それだというのに――」
「ま、待ってください! 勘違いを起こしているようなので説明を――」
「また余が早とちりしているというのか? だいたい夫殿はいつもいつも自分勝手で――」
やはり妻の様子がおかしい。やけに苛立っている。
いや、彼女を俺への監視役として嫁がせたホテンズィエ・フォン・ニーズヘッグ侯爵のことを思えば苛立つのは当たり前だろうが、それを差し引いてもおかしい。
もしかしてどこか身体が悪いのだろうか?
「ま、まぁまぁ。シュヴァルベ様の前ですよ、一度彼女を応接室に案内してくるので――」
「夫殿がそういう気ならわかった。こちらにも考えがある」
「か、考え!? いや、それよりこんな見苦しいところを賓客にお見せするわけには――」
「ほぉ。まだ賓客なのだな。だったらその賓客殿にどちらが正しいか見定めてもらうというのはどうであろう?」
「ひぇ」と悲鳴が響くと共に翼を限界まで縮めたシュヴァルベ様が涙目でこちらを睨んでくる。
いや、俺悪くないでしょ。プルメリアがなにを応えようとバッドエンドしか用意していない問いを発するのが悪いんだ。
だが降嫁したとはいえ相手は魔王の血統に連なる高貴な女だ。それをたかが大公家の娘が拒めるわけがない。
凄まじいプレッシャーに押されたシュヴァルベ様がガタガタと震えるが、プルメリアは急に顔色を青くし、口元を抑えて立ち上がった。
「すまない、失礼する」
突然部屋を去る妻の後姿を見やり、そしてシュヴァルベ様と顔を見合わせる。
「お、お恥ずかしいところをお見せしました……。そ、その、メリアは何か勘違いをしているようで、大変失礼を――」
「いえいえ! そんな! それよりもですが、僭越ながら申し上げます。プルメリア殿下はお身体の調子がすぐれておられないようにお見受けするのですが……」
「確かに。季節の変わり目ですし、医者に診てもらいましょう。シュヴァルベ様は一度、客間の方へ。その後、婚姻話のほうを」
わかりましたという言葉と共に俺は早速従者に医者の手配を頼むのであった。
◇
青い顔のまま戻ってきたプルメリアを無理矢理寝室に連れ込み(誰にも聞かせられぬ罵声を浴びせられて心がめった刺しにされたのは秘密だ)、侍医として雇っているセントールの医師に診せたところ、彼は俺の退室をうながした。
それからしばし。
寝所の扉の前を右往左往しているとガチャリとノブが回り、老セントールが現れた。
「妻の容体は?」
「はい、閣下。貧血の気がございますが、今は落ち着かれておられます。ただ……」
ただ? ただってなに? なにかあったの? なにか病に罹っているの? な、なら治療せねば。こんな中世真っ盛りの世界でまともな治療は宛てにならないから俺の知識から適切な――。いや、医療知識なんてねーよ。あったら前世でニートなんかしてねーよ。
「種々の問診の結果、奥方様はご懐妊あそばされたものと推定されます」
「……なに?」
「はい、奥方様はお子を身ごもられた可能性がございます。まだ決定的ではありませんが、つわりと思わしき症状がでている上、月のものが来ておられないとのことですので十中八九間違いないかと。この後、お身体の変化もございますでしょうし、それを見極めて診断を確定したくあります」
マジで? プルメリアが? 子供? 誰の? え? まさか俺の?
う、うあああああッ!!
「う、うあああッ!?」
「か、閣下!?」
「ほ、ほんとうか!? お、俺の子を、身ごもっているのかッ!?」
「は、はい。ご慶祥申し上げます」
体がガクガクと震え、わきの下から冷たい汗が流れ落ちていくのが分かる。いや、それしかわからん。
喜色とも恐怖とも、不安とも喜怒とも違う。
感情が溢れてなにをどうすればよいのか分からず、ただただ口の中が乾くのを感じるだけだ。
「閣下。奥方様がお待ちです。ただお体に触ります故、お静かに」
「お、おう。め、メリア? 入リますヨ?」
上ずった声で問いかければすぐに部屋の主がすぐに応答してくれた。それに従って扉をあけるとゆったりとしたガウンを纏った妻がベッドで体育座りになって俯いていた。
「そ、その姿勢はお腹の子によくないのでは?」
「あ、あぁ。そう、だな。初めての事で、どうしたら良いものか」
「それは俺も同じです」
彼女のほっそりとした肩を抱いて寝かせようとしたが、若干震えていることに気づいてしまった。
そりゃ初めてのことだから心細くもなるか。
「……申し訳ありません。こんな大事の時に城を留守にしていたなんて。もっと早くに気づけていれば負担をかけずにすんだものを――」
「いや、月のものが来ていないとは思っていたが、それに気づかぬとは妻失格だ。それに、あんなに無暗に怒りを見せてしまうとは……。ハピュゼン嬢に恥ずかしいところを見られてしまったな……」
そういや、妊娠中はホルモンバランスが崩れてイライラするんだっけ? それに……。それになんだ? どんな症状が起こるんだ? いや、そもそもその知識は前世――人間のものだ。それがドラゴニュートと一緒ということもないだろうし……。
あー! もう!
「すまないな。こんな体たらくだからこそ、カレンがシュヴァルベ嬢を招いたのだろうな」
「あの、誤解なのです。確かにハピュゼン王国との同盟の証としてシュヴァルベ様をお迎えすることになりましたが、その相手はエルヴ兄上です」
「――ん? え、エル……? すまない。どなただ?」
「エルヴ・フォン・オルクですよ。ユルフェ叔父上の長男で、俺の従兄にあたります。ウルクラビュリント奪還戦では第二師団長をしていた――」
「あっ、あのオークか?」
エルヴ兄上は現在、魔族国騎士位として小村を治めているが、ゆくゆくはユルフェ叔父上の領地と伯爵位を相続することになっているオークで、オルク王国の大貴族になる予定の男だ。
歳は俺よりも一つ上の二十八。一夫一婦制の星神教に改宗していないので白羽の矢が立ったともいえる。
「……すまない。なんという誤解を。シュヴァルベ嬢には申し訳ないことをした」
「いえ、俺の方もシュヴァルベ様のことをメリアに報せませんでしたし、仕方のないことです」
だがプルメリアの立場を思えばこの同盟に反を唱えるのは当たり前か……。
しかしそれでも、それでもこの同盟を成し、宰相閣下を蹴り落としてでも戦争をしなければならない。
「プルメリア。聞いてほしいのですが、この先ガリアは必ず軍勢を整え、この地を奪おうとすることでしょう。そうなる前に魔族国は決定的な戦をしなければならないでしょう」
「子ができるのだぞ? このような時に戦をするのか? それがどういうことか――」
「存じております。故に、故に早急にガリアと戦端を開く必要性が出て来たとも言えます。そもそもですが、我らが子をなしたことでガリアの膨張が止まるとでも?」
「それは……」とプルメリアは口をつぐんだ。
確かに彼女の言う通りこんな時に――それも第一子が宿ったというこの時に戦争準備などと思わなくもない。
だがどんな慶事が舞いこもうと、どんな凶事が襲い掛かろうと砂時計は落ち続ける。なら少しでも優位なうちに勝ちを拾いにいかねばならない。
「今のガリアはウルクラビュリントを巡る一連の戦いで主戦力を失っておりますが、それは時と共に回復してしまいます。それに対して我らは新式軍制の普及によって魔族国全土において民を徴兵することでガリアの回復よりも早く大量の兵を動員することができます。敵が強大となって打ち勝つことが困難となる前に、予防的な戦闘をしかけるべきだと、俺は思います」
「ガリアも大国だ。一日や二日でどうなるというわけでは――」
「もちろんガリア全土の征服は困難でしょう。ですが、少なくともオルク王国の防波堤としてエルザスを手に入れることができれば、これから生まれる子供に故郷を奪われる悲しみを、親を人間に殺される絶望を排除できる。そうは思いませんか?」
あの日の悲しみを、あの日の怒りを抱くオークはもう俺だけで良い。
もちろんガリアを滅ぼすのは俺のライフワーク的な位置づけであるが、少なくともオルク王国の安全保障だけは確立しなければならない。それには物理的にガリアとオルク王国の間に盾を作りだせば良い。すなわちガリアからエルザスを独立させ、オルク王国との緩衝地帯にすればいいのだ。
「オルク王国を守るためにエルザスは必須です。しかしそれには戦は不可欠。ですがそれを宰相閣下はお許しになられるとは到底思えない」
あの龍人は何もわかっていない。道を整え、港を開いて国を豊かにするという理念は分からないでもないが、それでも順番というものがある。すでに魔族国の喉元は刃がつきつけられているのだから金稼ぎなどしている場合では無かろうに。
「余に、祖父と手を切れと?」
「すぐに決断できることではないと思います。それにメリアの決断であればどのようなものでも――」
「いや、そうだな。決めたよ。余はオルク家と共に歩もう」
まぁ彼女の祖父を裏切れと言っているようなものだから、そりゃ悩むよね。てかこんな大事な時にプルメリアを悩ませるとか、俺はアホか。救いようがないな。もう自己嫌悪でどうにかなりそう――。
ん?
「オルク家の女になると決めていたのに、これではクローバーにも、我が子に笑われてしまうな」
「良い、のですか?」
「良いもなにも、そうしたい。カレン、今まですまなかった」
深々と頭を下げて来るプルメリアになんとも気恥ずかしさに「そのために嫁いできたわけですし、気になどしては――」とごにょごにょと言葉が濁ってしまう。
やっぱり引きこもりに何かを求めちゃいかんよ……。
「……名前は、どうしましょう」
「そうだな……。この冬をかけてゆっくりと決めようか」
優しい微笑みに頬が熱を帯びるのを感じつつ、寝間着の上からそのお腹を恐々と撫でる。ここに新しい命が宿っているのが不思議でならないな。
「二人で、ですな」
お返しに恥ずかしいセリフを呟くと「そ、そうだな」とプルメリアも顔を赤らめ、もじもじとその細指を絡めて来るのであった。
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