ブリタニアの恋敵
急いで城の中庭に向かうと鼻につく異臭が強まると共に花壇に紫の小ぶりな花をつけた花々が咲き誇り、それを愛でるように談笑する二人の妖精が現れた。
その一人――薄桃色の髪に怜悧な水色の瞳のドラゴニュートが俺に気がつき、小さく手を振って来る。我が妻であるプルメリア・フォン・リンドブルム・オルクだ。
もう一人のドラゴニュートは強い桃色の髪が眩しい美青年――。美青年? 一見女性を思わせる柔らかな線を描く肢体をしているが、旅装のマントを羽織っているせいか判然としない。なんというか、男装の麗人の男版? みたいな?
「カレン。紹介しよう。彼――」
「初めまして。ボクはクローバー八世。エリン太守などをしている。メリアとは彼女が留学時代に縁を結ぶことがあり、それ以来の仲です」
エリン? どこそれ? 聞いたことがあるような、ないような……。それに太守ってことはブリタニアのどっかの田舎領主ってところか?
それにしては態度が尊大だな。プルメリアも困惑しているようだし……。でも妻の友人というし、粗相があっては妻の恥だ。
「遠路はるばるオルク国へようこそ。田舎故、たいしたもてなしはできませんが、どうかごゆるりとお過ごしください」
「卿の恩情に感謝するが、なにぶんリーベルタースへ赴く途上に立ち寄っただけ故、お構いなきよう。それより、この庭園は良いですな。これはメリアが?」
「……ッ。は、はい、妻の希望で。妻がこれで薬を作ってくれるというので共に畑を開き、種を蒔いたのです」
態度が尊大なのは許そう。だけど夫を前に妻を愛称で呼ぶのはどうなの? ちょっと対抗意識が舞えばえちゃうんだけど。
いや、ブリタニア留学時代の友なのだから俺よりも長い時を共にしているのであろうし、親密なのも頷けるが……。
「ほぅ……。それにしてもこちらの春は冷えるな。中に戻ろうか、メリア」
クローバー様はさも自然にプルメリアの腰に手を回し、エスコートにはいる。
は、はあああ!?
なんやおまえ! おれ、夫やぞ! 夫やぞ!! プルメリアも自然とそれ受け入れるなよ!!
「――ッ。な、なぁ。もうあの頃とは違うんだ。そういうのはやめてくれないか?」
「なにをいっているんだい? あの頃はあんなに愛し合ったじゃないか」
………………。
………………。
………………。
「か、カレン! そんな目で見ないでくれ。友人として遠乗りに出たり、狩猟したりとか、普通のことしかやっておらん」
「連れないなぁ。身体こそ交わらなかったけど、ボクはけっこう本気で君を愛していたつもりだよ」
「キッパリと断っただろ。そもそもお前も結婚しているというのにそんな簡単に愛をささやいて良いのか? “信仰の擁護者”様」
「あぁ。それなら問題ない。離婚したから」
寒空に素っ頓狂な悲鳴が響いたのは言うまでもない。
てか、なに? 離婚? 離婚!?
星神教において婚姻の秘跡は洗礼や叙階に並ぶ七つの秘跡のうちの一つだ。
そもそも婚姻は一組の夫婦が生涯にわたる愛を違う儀式であり、マータイの福音書にも『神が結びあわせてくださったものを、人が離してはならない』と記されているとおり離婚など言語道断。重大な罪だ。
「いや、離婚て……。確か洗礼を受けていたろう。それに教皇宛てに婚姻に関しての論文を書いて”信仰の擁護者”の称号をもらっていたよな? それなのに――」
「正確にはまだ離婚はしていない。これから婚姻の無効を教皇に認めてもらおうと思っているところなんだ。手紙じゃ埒が明かないからね。いやはや。政略結婚というのは難儀なものだね。世の中には愛すべき存在が多すぎる。それを一人に絞れだなんて不可能だよ」
「……教会が黙っていないぞ」
「あぁ、もし婚姻の無効が認められないなら修道会を解散させるつもりでいるんだ。すでにブリタニアの大司教達には話を通してあるし、教皇庁に代わってボクが保護を与えると確約したらすんなりと頷いてくれたよ」
コイツ、畏れ多くない? つまり教皇庁と手を切るってことだろ? ありえないだろ。
あ、プルメリアが俺の視線に気づいてしまった。
「か、カレン。すまないが、席を外してくれないか? 忙しいだろ?」
「え? あ、そう、ですね」
なんか気を使わせてしまったな。そりゃ俺、このままじゃ怒るもん。
メリアに対しての一件も気に喰わないが、この神をも恐れない所業をへらへらと笑いながらやとうとしているのも気に喰わない。
もっとも政務が立て込んでいるのは事実だし。
「ふふ」
あ、コイツ! なんだこの勝ち誇った笑みは!! そんなにプルメリアと一緒に居たいか!? 俺だってそうだよ畜生め!! ふざけんな! もう我慢ならん!!
「客人。申し訳ないが、お引き取り願おう」
「か、カレン! コイツが無礼なのは代わりに謝る。だからどうか怒りを鎮めてくれ。そうでないとコイツはブリタニアおう――」
「メリアは黙っていてくれ! 客人! メリアは俺の妻だ。それを馴れ馴れしく――! 不愉快だ。消えてくれ」
コイツがどれくらいプルメリアと親しいのかなど知らないが、こうもやられると業腹だ。
するとクローバーの紫紺の瞳の奥にある蛇のような光彩が鋭く睨み返してくる。
「これだからオークというのは好きになれない。メリアもこんな粗野な男の下に嫁いで苦労していることだろう。どうだい? ボクとブリタニアに帰らないか?」
「は、はぁ!? お前正気か?」
「正気だとも。ボクならメリアをより幸せにできるよ。君の愛したブリタニアでまた愛を語り合おう。君も政略結婚なのだろ? なら真実の愛をボクと見つけに行こうよ」
「お、おい! ふ、ふざ、ふざけるな! メリアを娶るだと? メリアも星々に誓って俺と婚姻を結んだんだ。それを、貴様!」
「あれぇ? メリアも洗礼を受けていたの? 婚姻の秘跡を授けられるのは星神教徒同士の婚姻に限ってだよ。異宗婚においての婚姻に秘跡は授けられないはずだけど」
え……?
ナイ殿はなにも言ってなかったけど……。いや、でもプルメリアが洗礼を受けたことはなく、本人も礼拝に出たことがないのは事実だ。
つまり、神によってプルメリアの行動を縛ることはできない。
「つまりメリアは誰を愛そうと彼女の自由なのさ。いや、人が誰を愛するかなど、神が決めるものではない。愛とは――」
気がつくと体が動いていた。その口めがけて巨腕がうなり、線の細いドラゴニュートを殴りつけていた。
やってしまった。これでもクローバーはブリタニアの領主だ。きっと、いや、絶対外交問題に発展する。
そう冷静に告げる自分がいたが、それでも怒りが先走り、その襟元を掴み、もう一回殴ろうとした時だった。その首に喉仏が見あたらない。
「――!? お、女!?」
「やっと気づいたのかい? それよりなかなか良いパンチだ。ボクシングでも嗜んでいるかな? ボクもあれは好きなんだ――ぐへッ」
くらえオークパンチ!
老若男女、邦人外人問わず誰だろうとプルメリアを盗ろうというのなら容赦するつもりはない。
「カレン。それくらいにしておいてくれないか? 遺憾だが、これでも世話になった親友なんだ」
「だが――」
「次は予の番だ。代わってくれ」
「え……?」
振り返ればぐるぐると唸るドラゴンがいた。
背筋がチリチリと焦がれるような殺気に思わず立ち退くと「歯を食いしばれ」と容赦のない平手打ちが何度も繰り出される。
「お前は昔からそうだ! 星神教徒なのに男も女もなくすぐ口説くし、見境なく侍女にも手を出す!」
あわわ!? バチン、バチンって凄い音をさせている!? さすが魔族国五大種族の一雄か。
てか、これほど怒ったプルメリアを初めて見た。絶対に怒らせないようにしよう。
「なによりお前はしつこい! 前にも予に告白してきたことがあったな? その時にハッキリと断ったというのにお前ときたら!! それに予の幸せを決めつけるな! 確かに愛のない婚姻だった。だが今はカレンほど愛おしい者はおらん! その夫を侮辱したのだから分かっているだろうな?」
………………。いや、むずがゆいほど嬉しい言葉だけど、プルメリア殿下? もうクローバーの頬がパンパンに腫れあがってますよ。
そ、そろそろ止めないとまずいと思ってプルメリアの肩をゆする。
「も、もういいんじゃないですか?」
「………………。……立て。ブリタニアでは散々世話になったから最後くらい見送ってやろう。カレンは政務に戻ると良い」
なんとも後ろ髪を引かれる思いだが、先ほどの今だから彼女の逆鱗に触れそうな行為は避けるべきだろう。
会釈だけして執務室に向かおうとすると控えていたらしい侍従の老ドラゴニュートとすれ違ったが、侍従は複雑そうに一礼し、主へ駆け寄っていくのが見て取れた。
◇
「はは、久しぶりに、思い切り殴られたな。メリアの旦那は凄いやつだ。この世のどこを探してもブリタニア王のボクを殴ったオークは彼だけだろう」
彼女こそ外洋に浮かぶ竜人の島――大ブリタニア島及びエリン島を治めるブリタニア王にしてエリン太守――王。そして教皇庁より“信仰の擁護者”の称号を授けられた存在であった。
そんなクローバーとはプルメリアが留学時代、年齢が近い上、王族の出自とあって友誼を結び、友人以上の関係を築いていたが、今のプルメリアの瞳には汚物を見るような冷たさが宿っていた。
「お前な……。本当に縁を切るぞ」
「――そして恨めしいね。君にそこまで想われているだなんて」
悪びれもせず鼻血を乱暴に拭うクローバーの下に「陛下!」と侍従が駆け寄り、懐からハンカチをその鼻に押し当てる。
だが彼女はそれを邪魔そうに押しのけ、自分でハンカチを抑えた。
「で、人の旦那を怒らせに立ち寄ったのか? なら金輪際貴様と予は敵だ。次に会うのは戦場と心得た方が良い」
「それは良い。“殺し愛”という愛の形もなかなかステキだからね」
冗談めかすクローバーを睨みつけるプルメリアの視線に負けた彼女は侍従の手を借りながら立ち上がり、「嫉妬かな」と呟く。
「は?」
「イライラしちゃった。ボクもまだ青いね」
「そんなことで?」
「愛は何よりも優先されるのさ。身分も、信仰も、種族も越える。そうだろ?」
「………………。……お前、わざと予を怒らせているな? そして誤魔化そうとしている」
「はぁ。そういう勘の良いところはキライだね。あのオークも苦労していそうだ」
「嫌いで結構。そもそもそこまで愛を説くのなら、なぜ夫君と別れるなどと言うのだ? お前は尻が軽いが、情は厚いだろ?」
するとクローバーは苦々しい表情を隠すことなく「子供がなせなくてね」とこぼした。
それと共にプルメリアは彼女の夫がイスパニア王国――エルシス家に連なるエルフの出であることを思い出した。
「異種族婚は子ができにくいと聞くが、それではないのか?」
「かもね。ただ夫はエルフと聞いていたけど、改めて調べると人間の血も混ざっているらしい」
「――!? では――」
「異種族婚の子は短命の業を背負うだけではなく、男は子種を持たないという。はは、まいっちゃうよ。我が王朝の血はまだ新しいから貴族共の中にはその正当性に疑問を抱いている連中もいる。そうした連中を鎮めるためにエルシスの後ろ盾を得ようと教皇庁にも根回しをして、死んだ姉の夫を迎え入れたというのにね」
教会法上、兄姉の嫁もしくは夫との婚姻は認められていないのだが、彼女の姉は結婚後二十週で急逝してしまった。
だがエルシスとの関係を重んじたブリタニア王室は教皇庁に掛け合い、特別な許可を得てクローバーが政略結婚を引き継いだという事情があった。
「侍従ともうけた庶子はいるけど、ブリタニアじゃ庶子が家を継ぐことは難しいし。だからといって子種を持たぬ夫と励んでも世継ぎが生まれねばなんの意味もないし、短命の業を背負っているとはいえ、エルフの血が流れる彼はボクより長命だろう。そうなると長耳共にブリタニアが乗っ取られてしまう」
エルフは長命な種族だ。その特性を生かし、エルシス家は様々な国と政略結婚を積極的に行い、結婚相手が死亡後、その遺産として爵位や領地などを相続することで勢力を伸ばしてきた一族だ。
そのためエルシスの根拠地であるエルシス=ベースティア二重帝国からイスパニア王国、その植民地である低湿地同盟などの様々な国に影響力をもっている。
だからこそクローバーは自分の後継者が生まれないことを知るや、黙ってエルフに故国が乗っ取られるのをよしとはできなかった。
「だが離婚など、教皇庁が認めぬだろ」
「難しいだろうけど、不可能ではないと思ってる。そもそもボクはブリタニアとイスパニアの関係を保つため特別な赦免を教皇から受けて今の夫と結婚しているんだ。つまり元々教会法を犯している行為をしているのだから、その赦免の無効化を教皇が認めてくれればボクは独身に戻ることができる。そうすれば新たに婚姻を結ぶことができるってことさ」
「簡単に言うな。教会の決定だぞ。神の代理人が間違いを認めれば、それは神の間違いを認めることになる。そんなことする訳ないだろ。むしろ異端に認定されるやもしれないぞ」
「心配してくれるの? それに知っているかい、最後に愛は勝つんだよ」
「またお前は……」
「ま、最後の手段としてブリタニアは教皇庁と袂を分かつよ。ボクは――。いや、ブリタニアは世界の全てを敵に回す覚悟ができている」
強硬手段を辞さない構えに思わず絶句をしてしまうプルメリアであるが、彼女はブリタニアが教皇庁と事を構えた際、教皇庁と結びつきを深める魔族国は彼と対立することに感づいてしまった。
「予を連れ出すためにきたのか? 教皇庁が星字軍遠征を命じれば、魔族国は出征せざるをえないから――」
「はは。うぬぼれちゃいけないよ。君と袂を分かちに来ただけさ。戦場で会った時に情けをかけてしまわぬように、ね」
思わぬ口撃にプルメリアは恥ずかしさから頬の鱗から火花が吹き出しそうになった。そういえば自分もそうやって夫をからかってきたが、これからは改めようと心に誓うのだった。
もっとも勝ち誇った笑みを浮かべたクローバーは熱気が冷めぬプルメリアの耳に吐息をかけながら囁く。
「でもうれしい。きみがそう望んでくれるのなら、共に行こう。きみと一緒なら神さえも殺せそうだ」
クローバーの指先がプルメリアの顎先を撫で、その唇を奪おうと――。
「馬鹿者!」
バシン!
「へぶッ」
「この唇は、いや、この体は余さずカレンのものだ。貴様にくれてやるものなど一つとてない。見くびるなよ、予はオルク大公家の妻だ。お前が予とカレンの前に立ちはだかるというのなら、必ずやその首、叩き落としてくれよう」
「……はは、さすがだ。惚れ直したよ。さて、プルメリア。ボクはそろそろ行こう。芥子の栽培を熟知した技師の派遣については必ず取りはからうし、今回の一件について正式な謝罪と賠償を行う。だけど対ガリア協力参戦は無理だ。こっちも国内事情が立て込んでいるし、あそことは不可侵条約を結んだばかりだからね」
「そこまでは望んでいないが、技師の件は感謝する」
「構わないさ。タダではないんだから。約束通りオルク王国で栽培した阿片の六割はブリタニアに輸出してもらうよ」
心得たとプルメリアが返事をするとクローバーは名残惜しそうに口を開きかけ、やめた。
そして軽く手を振り、侍従と共に背を向ける。その背中にプルメリアは卑怯であると自覚しつつ問うた。
「もし、もしだぞ? もし予がお前についていくと言ったら、対ガリア協力参戦も頷いてくれたか?」
「さてね。どうだろう。でも、そうだな。殴られて分かったよ」
「なにがだ?」と問えば、クローバーは清々とした表情で言った。
「もしついて来ると言われたら、その瞬間にこの百年の愛が冷めてしまっていただろう。さて、さようならだ。見送りはもう結構。さようなら、ごきげんよう」
「……さようなら、ごきげんよう」
そしてクローバーは小さく手を振り、オルクスルーエを後にするのであった。
クローバーさんの元ネタはヘンリー八世陛下です。英国国教会を作った方として有名ですね。
ヘンリー八世はイングランド王とアイルランド太守を兼任しているため彼女はエリン(アイルランドの古名)太守と名乗っております。
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