リーベの休日・3
オドル達はサンタ・テッラ・イン・コスメディアン聖堂を見学したのち、夕食をかねて船上ダンスパーティーに参加することにした。
暮れゆく川面を楽しみながらオドルとリーリエは手を取り合い、見よう見まねではあったが楽団の奏でる音楽に身を任せて一曲を踊りきるとお互いに大輪の笑顔を咲かせる。
そして一休みをしていると突然リーリエの顔が強ばると共に給仕の悲鳴が響いた。
「なんだ?」
そうオドルが振り向くとそこには原色に近い赤という派手で嫌みったらしい服を着たオークと目があった。
それもただのオークではない。その体躯は通常のオークよりも二周りは大きく、まるでオーガのような形相をしているが、何よりも目立つのはその頭につけられた真一文字の傷だ。
その傷を持つ巨躯のオークをオドルはヌーヴォラビラントを巡る戦いにおいて見かけていた。そう、【剣聖】エトワール・ド・ダルジアンがその命と引き換えに自分達を追撃しようとするセントールを率いていたあのオークだ。
「殺す、殺してやる……ッ!」
「――ッ!どうしてあのオークがここに!? リーリエちゃん、下がっていて! マリア! 援護!」
「分かってるわ」
「ま、まって! あれはね――」
目を血走らせたオークの手に握られたワインボトルに警戒しながらリーリエの前に出るオドルであったが、宿に得物を置いてきているせいで徒手空拳とならざるを得ない。
そのためマリアに援護を依頼したが、その瞬間彼はそのオークの背後に見知った顔がいることに気がついた。
「……ハル?」
ヌーヴォラビラントで行方知れずとなっていた彼の仲間――エルフのハルジオンがそこにいた。
これは幻か、それとも現実なのか。
そう彼の頭が固まった瞬間、オークが叫声と共に一気に間合いを詰めるや右手に握られたワインボトルを横なぎに振るってくる。唸り声をあげるワインボトルだが、オドルは半歩だけ下がることで余裕をもってかわす。
「小癪なッ!!」
オークは大振りにワインボトルを振りかぶろうとして、腕が震えたかと思うと瓶を取り落としてしまった。
「ぐっ」
右肩を庇うようにオークが左手をあてがうと、その隙にオドルは【肉体強化】の魔法を使いながら回し蹴りを放つ。
魔力により強化された筋肉がしなり、遠心力を加えた踵がオークの横腹に突き刺さると共にその巨躯が弾き飛ばされた。
その様相に船上に悲鳴が木霊し、パニックにかられた客達が逃げまどう。
だがオドルはそれを気にせずに倒れ伏して重い身体を起こそうとするオークへ追撃に出る。
「はあッ!!」
オークの後頭部にひ肘打ちが叩きこまれると共にその醜い顔が甲板にへばりつく。それに間髪入れずにオドルは数発の蹴りをお見舞いし、その顔を踏みしめる。
しかし見開かれたオークの瞳には戦意喪失という言葉を忘れさせるほどの憎悪が宿っていた。
「ぐぇ――。さ、猿獣人め、か、必ず――! ブヘェ」
「思ったほどじゃなかったけど、しぶといオークだな」
「――ッ必ず、殺してやる。ぐえッ」
オークはなんとか身体を起こそうとするが、オドルはその動きにすかさず対応して一方的な攻撃を振るう。
そんな彼を止めたのは小さな影であった。
「もうやめて! やめてよぉ! カレンが! カレンが死んじゃう!!」
「り、リーリエりゃん!? 危ない!」
オドルの腰に手を回し、必死にオークから彼を引きはがそうとする行為に当のオドル自身が驚く。
自分はリーリエを守るために戦っているというのにどうして――?
「へ、陛下! どうかお逃げください! どうか!!」
「いや! カレンをおいていけない! おねがい! おねがいだからもうやめて!!」
気がつけばオークは口の中を切ったのか、血をこぼしながら歪んだ顔で幼女へ逃げるよう懇願する。それに小さな姫は頑なに首をふり、果敢にもオドルを彼から引き離そうとする。
その状況にオドルはどうしてこんなことになっているのか分からなかった。特にオークのいう“陛下”という言葉の意味が――。
「おねがいオドル! カレンはね、顔はこわいけどやさしいオークなんだよ! 星々へのお祈りもかかしたことないし父上が天にかえられた時もなぐさめてくれたの! だからカレンをいじめないで!」
「リーリエちゃん? なにを言っているんだ? コイツは魔族だよ。魔族は退治しないと危ないんだ」
その言葉に天真爛漫な輝きを宿していたリーリエの瞳が固まる。彼女もまたオドルが口にした言葉の意味が分からなかった。
「どう、して? どうして魔族はたいじしないといけないの? ゴブリンもオークも、どうしてみんなとなかよくできないの?」
「どうしてって、危ないからだよ。連中は人間を襲ってくる。だからやっつけないないといけないし、何より魔族と仲良くなれるわけないじゃん」
「で、でもオドルは余となかよくしてくれたよ?」
「――? なにを言っているんだ?」
「だって余は――」
その絞り出された声にオドルは言葉を失ってしまった。
むしろこの場を凌ぐ嘘なのだと思った。だが先ほどから足元のオークが散々“陛下”と叫んでいた謎がこれで解けてしまう。
それと共にやっと冷静になった彼の視界の中に騒乱を眺める二人のエルフが映った。
その中で険しい顔を崩さないローズマリーはオドルに歩み寄るや「以前会ったことがある顔ね」と問いかけた。
「一国の国使に対してこのような暴行を加えるのがガリアの礼儀なのかしら」
「貴女は!? どうして貴女がオークなんかと!?」
「それより昨夜、リーベ城に賊が入ったと聞いているわ。それも二人組で、赤い髪の令嬢を連れ去ったと。どうやらガリアの王家は人攫いもする野蛮で浅ましい種族のようね」
「違ッ。これは――」
「何が違うと言うのかしら? ガリア王家第三王姫殿下!」
大きく宣布された声にマリアの顔色が変わる。
マリアもまた状況を甘く見ていた。この夜が終わればリーリエを城に帰して終わり。たった一日の自由を謳歌させてあげたいという甘さに彼女は事の重大性を見ようとしなかったのだ。
動揺を浮かべる二人に対し、ローズマリーは冷たい視線を送ると共にオドルを押しのけ、倒れ伏していたオークに「カレンデュラ様! しっかり」と声をかけながらその身を起こし、介抱にかかる。
その行為をオドルが茫然と見守っていると所在無げに立ち尽くしていたハルジオンと視線が交わった。
「ハル! 無事だったのか! まさかそのオークに!?」
戦闘行動中行方不明になってしまった彼女のことをオドルは片時も忘れることはできなかった。
それに彼女はどこかできっと生きている、生きていればまた再会できると希望を持ち続けていたが故にこの再会に歓喜がほとばしるところだった。
だがそんな彼に反してハルジオンの顔色は暗く、驚愕に染まったその顔には「見ないで」と叫んでいるようであった。だがオドルはそんなハルジオンを真っすぐとまぶしいほどの瞳で射抜いてしまう。
「ハル? くそ、ハルに何をした!!」
「何を? ゲホッ。見ればわかるだろ? 奴隷の首輪を外してやったんだ」
オドルの問いかけに答えたのは意外にも眼前のオークだった。
彼はローズマリーに半身を預けながら腫れ上がった顔にニタリと粘つくような笑みを浮かべ、震える指先でハルジオンの首を指さす。
その彼女はオドルが知るよりも若干やつれているように見えたが、右腕を三角巾で吊る以外には元気そうに見えた。
だが決定的に違うのはその首にはめられていた奴隷の首輪だ。
魔法によって主人の命令を拒めぬようにするマジックアイテムがされていたその細首には邪魔なものが一切なく、ただ古い指輪のついたネックレスがあるだけだった。
「名乗ってやったらどうです? ハルジオン様。いや、エルザス公国の正統統治者――ハルジオン・エルルフェルスト・フォン・エルザス公爵!」
そのハルジオンの隠された名を知るオドルはどうしてと顔をゆがめる。その名は同じパーティーであるマリアにも打ち明けたことのない秘密の名前であり、それがオークの口から紡がれたことに彼は信じられないという目を向けてしまう。
「ハル、何をされたんだ? まさか魔法で――」
「違う、違うの。アタシが、打ち明けたの」
どうして、というオドルの視線に耐えきれないようにハルジオンは顔を背け、カレンデュラは腫れて目もあけられないという醜い顔に勝ち誇った笑みを浮かべる。
彼は気づいてしまったのだ。同じパーティーとして艱難辛苦を共にし、友情とも愛情ともつかぬ確かな絆で繋がっていたはずのエルフが自分の手中にいることに。それがどれほど復讐相手を苦しめられることかを。
「ハルジオン様は人間の魔の手からオルク王国が保護したのだ。そしてこのお方はガリアに不当に支配されるエルザスを解放し、エルザスの正当統治者になることを決意されたのだ。つまり貴様等と袂を分かった訳だ。く、フハハ。これは愉快! ハルジオン様は往年の人間共ではなく我らオークとの協調を選ばれたのだからな!」
「う、嘘だ! そんなこと信じると思っているのか!? ハル! 君はだまされているんだ! 僕たちは仲間だろ! 何を言われたのか知らないけど、魔族の言葉を信じちゃいけない! こっちに来るんだ」
「……ごめんなさい」
そういうやハルジオンは己に【肉体強化】の魔法をかけ、脱兎のごとき速さでオドルの脇を駆け抜ける。
「……え?」
そして無防備にたたずんでいたマリアに近づくや、鳩尾に掌底を打ち込む。すると彼女の肺がすべての空気を吐き出してしまい、魔法の詠唱はおろか次の呼吸もままならなくなる。
拳闘士や剣士のような接近戦職ではないハルジオンとてマジックキャスター一人を無力化することくらい訳のない動作だ。
マリアを封殺した彼女は素早くその背後をとるや、マリアの細首に腕をまわし、もう片方の腕をその手で掴んで裸絞めを決める。
気管を締め上げるその技は魔法の詠唱を阻害できると共に呼気を遮断することで相手の意識も奪えるものであり、対マジックキャスターへの近接戦闘では定石の技だ。
「ハル……!? 嘘だろ」
彼女の突然の行動に虚をとられたオドルはその隙にローズマリーとその家臣達がカレンデュラとリーリエを彼から引きはがすことに気づかない。
むしろ”どうして”という気持ちが溢れ、絶望に似た感情に視界が染まり、まるで深海にいるかのような闇に立ちすくんでしまっていた。
「どうして……?」
「――こちらについたら、アタシは国を、故郷を取り戻せるから。アタシはどうしても、人間に奪われたエルザスの地を取り戻したかった。アタシが生きてさえいればエルザス家の再興をなせると信じて、アタシは何があっても生きることを諦めなかった。だからアタシは奴隷になっても、猿獣人に辱められても、どんな屈辱を受けても耐えて耐えて耐えてきた。何人も主人を変えて、時には自分を売りこんで。ご主人様がアタシを買う前に、アタシを買おうとしていたガリア貴族は中々の地位だったから売り込んでいたのに、当てが外れて最初は残念だったの。でもおかげでこうして機会が巡ってきた。それは感謝している」
そんな、という力ない言葉に今度はオドルが立ち上がれなくなった。だがマリアが苦しげに「でもわたくしに言ってくれれば――」と悲痛な叫びをあげるが、ハルジオンはそれをあざ笑うようにその首を絞めあげる。
「王家とはいえ、エルザスを冒険者ギルドから取り上げて奴隷に下賜するようなことができる?」
「そ、れは――」
「それに、アタシは国を奪った人間という種を許すつもりはない……!」
それは決別宣言だった。
共に笑い、共に泣き、苦楽を共にしてきたはずの仲間達はその言葉に身動きができなかった。
「だいきらい――!」
それは慟哭のようであり、宣戦布告のようであり、告別のようであった。
だがその余韻を感じる間もなく警笛の響き、自警団の足音が遠くから聞こえて来る。
その時、マリアはハルジオンの右ひじと上腕を握り、引く。すると首を締めていた腕が緩み、その下をくぐるように頭を抜け出す。
「わたくしも伊達にBランク冒険者じゃないのよ!」
そのままハルジオンの右腕に頬をつけて落とすと逆に関節が決まり、形勢が逆転した。
しかし迫りくる自警団を前にマリアは素早くハルジオンから飛びのき、距離をとる。それにオドルも反応し、二人の仲間の間に割ってはいった。
「………………」
「………………」
そして短い沈黙を残し、オドルとマリアは脱兎のごとく逃げ出すのであった。
次話で今章終了です!
感想返信は……。す、すみません。横須賀のスプリングフェスタ行ってました。めちゃ楽しかったので皆様もぜひ!
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