二人の女
魔族国の短い夏が終わりを迎えようとしている。それを示すように涼しげな風がオルクスルーエの城に吹き寄せ、土いじりをして火照っていた俺の頬をなでていく。
「はぁ……」
その風に重いため息をもし、手にしていた鍬を杖に背伸びをすると五十センチほどの畦を作っていたプルメリアも鍬をおいて力なく笑ってきた。
「徴税官の話のことか?」
「えぇ。懸念の通り冷夏のせいで税収が落ちる。そうハッキリ告げられまして」
この夏を総じていえばライ麦の刈り取り時期である初夏に長雨となってしまい、そのせいで収穫に暗雲が垂れていた。
その上、麦角の流行が見受けられるという。これは麦に感染する病であり、黒い角のような実を麦がつけるようになるのだが、この黒い角には毒が入っており、流産や中毒死を起こす。
そのため徴税官の中間報告では例年よりも二割は税収が落ちるのではないかとのことでこれが目下の頭痛の種だった。
これではせっかく取り戻したウルクラビュリントの要塞設備の刷新はおろか新たな砦を作って猿獣人の襲来に備えることも難しそうだ。
「これではいつまで経っても故郷に帰ることができません」
「ウルクラビュリント以南への入植も進んでいないしな」
ウルクラビュリントが陥落した後、その以南の地域は無思慮な冒険者の蚕食を受け、そこに暮らしていたオーク達は離散を余儀なくされた。
そのため肥沃な大地は自然に帰してしまい、今では無人地帯になっている有様だ。
あぁ! くそ。なんたることだ。戦後も俺達オークを苦しめるとは冒険者め! 絶対に許すまじ!!
「どこかの誰かさんが村という村を焼き払った上、井戸に死体を投げ入れて潰してしまったから入植者が集まらないのでは? あそこまでする必要はなかったと思うのだが」
「はい? メリアは窓が汚れていたらキレイにするよう侍女に命じるでしょ?」
「それは、そうだが……」
「汚れは浄化されるべきであると俺は思いますが」
するとメリアは肩をすくめ、鍬を振るい始めてしまった。あれれ? そんなおかしいこといったかな?
それにマジなことをいえば入植が進んでいない理由は冒険者に対する備えがないからだと思う。かといってあの広大な土地を放置する訳にはもったいないし、オルク王国の台所事情を考えればなんとしても取り戻しておきたい。
だってこれまでの戦費にこの間のオース会戦によってスケルトンの使用を教会に黙認してもらうために買った免罪状の費用がバカにならず、借金が雪達磨式に増えてしまっている。
一応、魔王様からは先の軍功により報奨金をもらい受けたが、焼け石に水状態だ。その上で凶作なのだからいよいよオルク王国の財政破綻というものが現実味を帯びてきてしまった……。
いつもとは違う頭痛に苛まれっぱなしだ。本当はこんな土いじりをする時間も惜しいのだが、プルメリアたっての頼みだったので断れなかった。
「そ、そういえばどうして急に庭いじりを? 庭師に任せればよいではないですか」
「あぁ。それもそうだが、最近のカレンは根を詰めすぎているだろ? 机で思い悩むより身体を動かしたほうが、幾分かは心が晴れると思ってな」
「それは……。ご心配をおかけして。確かに良い気分転換です。それで何を植えるのです? まだ聞いていませんでしたね」
「芥子だ。留学していたブリタニアでは春の名物で、一面の芥子畑が広がっていたものだ……」
あぁ芥子ね。そこらへんによく咲いているあれか。
あれって秋に植えるものなんだね。初めて知った。
「ブリタニアでは園芸用としても作られていて目を楽しませてくれる。まぁ多少臭いのが玉にきずだが」
「なるほど。それは来年が楽しみですな。複雑な気分ですが、次の春もオルクスルーエで迎えることになるでしょうし……。そうだ。ウルクラビュリントにも芥子畑を作らせましょう。ブリタニアには劣るでしょうが、耕作を放棄した畑が多いので土地だけは余っております。そこを一面芥子でうめるのです。そうすれば少しはブリタニア風になるのでは?」
妻の心にいつもブリタニアがあるのはよく知っていた。
きっと彼女の青春がそこにあるのだろう。そんな大切な場所から彼女を引き離され、こんな醜男に嫁ぐことになった心情は計り知れない。
ならば少しでもその心を慰めるべく芥子で彼女の大切な思い出を作ってあげたい。
「それは名案だな。さすれば大量に阿片が作れる」
「――ん? んんッ!?」
あれれっれれ!? き、ききき聞き間違いかな? 大量に、何が作れるって?
「ちなみに植える品種はアーピエン・ポピーだ」
「アーピエン・ポピー……?」
「別名、阿片芥子と呼ばれている」
「阿片芥子……ッ!!」
なにそのパワーのある名前!?
これマズいだろ。いや、ダメだろ。ダメ絶対だろ!!
え? もしかしてオークとの生活にそんなストレス溜まってた?
「あの、なにか俺に及ばぬ点があるのならすぐ改善するので、どうか阿片だけは嗜まないでいただきたいのですが」
「ん? 余が使うのではない。これもカレンのためだ」
「お、俺ですか!? や、薬物はちょっと……」
「――? 誤解しているようだが、その、なんだ。その……。ハッキリ言うがカレンの感情の浮き沈みの激しさは異常だ。病的とさえいえる」
藪から棒になにかと思えば……。
まぁ、確かに俺の感情は時折、自分でも止めどない怒りに支配されてしまう時がある。
だがそれを面と向かっていわれると少しへこんでしまうし、なにより阿片を使う理由にはならないでしょ。
「特に、虜囚のハルジオンを撃っただろ。いくら自分の肩を奴に射抜かれたからといってあんな事をするなんて……。それにウルクラビュリントの人間にしたことや、あの会戦で得た捕虜に対しての扱いも常軌を逸している。いや、この際だ。人間の手が入ったとはいえ、元は自国領の村を焼いたあげく、井戸に死体をいれるなど正気とは思えぬ」
「………………ッ! な、なにが、なにが――ッ!!」
お前に何が分かる……! 故郷を奪われた悲しみが! 父上や母上を殺され、街の民さえもなぶり殺されて、墓さえも暴かれたこの憎しみが――!
それを晴らしたいと思って何がわるいというのだ!!
ジクジクとくすぶるような痛みを発する頭の傷により怒りがこみ上げてくるが、それと同時にどこか冷めた自分が『大切な場所という故郷を奪われたのはメリアも同じだろ』と呼びかけてくる。
プルメリアとて俺との婚姻話がなければリーリエ陛下の即位の後に再びブリタニアに帰ったことだろう。そこで向こうの貴族と婚姻を結び、芥子を愛でながら暮らしていたかもしれない。
だというのに政治のもつれでこんな田舎のオークに嫁ぐことになってしまったのだ。彼女とてこんなところに来たくはなかったろうに……。
そう思うと怒りも急速に冷めだし、罪悪感だけが残ってしまう。
「――ッ。すまない、カレン。言い過ぎた……」
「いえ、怒り性のことは本当です。ですが、俺の復讐は――」
「分かっている。分かっているつもりだ。いや、分かりたい。妻として、貴方を分かりたいから。故に止めはしない。だが一時で良い。その怒り、憎しみ、いや、その絶望と悲しみを忘れてほしい。カレンの中には常に悲しみが渦巻いている。それを、忘れてほしいんだ……」
絶望? 悲しみ? いや、俺の中に渦巻いているのは猿獣人共への復讐以外にない。俺が受けた苦痛の何万分の一でも奴らを苦しめ、絶滅させたい。
あの日の地獄で生まれた苦痛の万分の一でもそれを猿獣人に味あわせてやりたい。
ただそれだけなのに絶望と悲しみがどこにあるというのだろう?
「それだ。カレンは悲しみを覆い隠すようにガリア人を恨んでいる。それを悪と断じること予はできぬ。でも……」
「それを阿片で忘れろと? 薬物中毒者になれと?」
「そうではない。阿片には鎮痛の他に鎮静作用があるとブリタニアの薬師がいっていた。専門のことは分からんから向こうの薬師を呼ぶつもりだが、その者に監督させ、心を静める薬を作ってもらうつもりだ。これも春には目を楽しませ、初夏に実から薬をつみ取る。余れば戦に傷ついた者に使えば良い。そして、カレンにはひと時でいいから安息をとってもらいたい。このままでは心が壊れるか、身を滅ぼしてしまうだろう。もうカレンの体はカレンだけのものではないのだ。復讐以外のものにも目を向けてほしい」
「メリア……」
「まぁ今はまだカレンは余だけのものだがな」と彼女は空元気を出しながら鍬を振るい出す。
それに俺も気恥ずかしさに言葉を失い、黙々と畦作りに精を出すことにした。もっともあの日に受けた矢傷のせいで満足に鍬は振るえないが、日々の忙しさを忘れて妻と農作業に打ち込むのは、楽しかった。
◇
徴税官の働きによって滞りなく税が集められた数日後。俺はデモナス王国の王都――ミンガを訪れていた。
ミンガは元々、イザル河の畔にある小村であったが、塩の交易路に面するようになった後、貨幣の鋳造拠点となったことで魔族国有数の大都市として整備されてきた。そんな都をいただいたデモナス王国は魔王位継承戦争までは魔族国の衛星国家であるオルク王国やコボルテンベルク王国、ゴブリシュタット大公国など南部諸侯の盟主として君臨してきた。
だが猛き者もついには滅びぬの法則で魔王位継承戦争にて敗れた後は各国への賠償と星神教会から領土の割譲要求を飲んでみるみるとその国力を減衰させていた。
「オルク閣下。此度は我が居城にお越しくださり、恐悦至極に存じます」
「ゾンネンブルーメ様、そのような態度は不要です。同じ大公ではありませんか。これではまるで王になってしまったかのような気がしていけない」
そんな斜陽の王国を支えるのはまだ年若いオーガ――逆賊ルドベキアの一人娘であるゾンネンブルーメ・オーガロード・フォン・デモナスだ。
もっとも俺より年下のはずなのにその顔には深い疲労がたまっているせいで老けて見える。父親に似ずに綺麗な顔立ちをしているのだから疲れさえ抜ければ見違えるだろうに。
「いやぁ。先の戦ではデモナスあってこそ左翼が守られ、思う存分戦働きが出来たというもの。改めて感謝を述べさせていただきます」
「まことにもったいないお言葉です。しかし……」
「――? しかし?」
「――そのため、多くの家臣を失ってしまいました。中には父上の代から我が家に仕えていてくれた者もおり……」
言葉にならぬ嗚咽に瞑目して胸の前に五芒星を切り、短く祈りを捧げる。
さっさとコボルテンベルク王国が動いていればそれほどの損害を出さずにすんだろうに……。
「お悔やみ申し上げる」
「ありがとうございます。私も星神教に入信し、家臣の冥福を祈っておりますが、オルク閣下に祈りを捧げられ、皆も、皆も――」
ギリリッと奥歯が噛みしめられる音にはどこか憎しみが籠もっているようだ。
そうだよねぇ。俺が人間を恨むようにこいつは俺を恨んでいるのだろう。彼女の父親を討ったのは俺だし、元々は魔王位継承問題の席にて俺とルドベキアが対立したのが戦の発端な訳だし……。
まぁ恨まれるのは筋違いだけど! そもそも魔王様へ反逆したデモナスが悪いのだし、オルク王国はそれを掣肘したに過ぎないのだ。恨むなら浅慮な父親を恨め。八つ当たりするんじゃない。
とはいえ俺も鬼ではない。オークだからね。寛大な心があるので咎めるのはよしてあげよう。
「ところで、実はオルク王国では入植者を募っているのです。奪還したウルクラビュリント以南の地を開拓するとともに防備を固めるため、精強な種族の者を開拓使として派遣したい。それをデモナスで募っていただきたい」
「デモナスから、ですか?」
「小作人に土地を与え、屯田させたいと考えております。五千人ばかり入植者を見繕ってくれないでしょうか? これも魔族国西部の鎮護のため、ひいては魔族国発展のため。ぜひゾンネンブルーメ様には英断を下していただきたい」
「……わかりました。すぐに手配いたします」
おや? まさか快諾されるとは思わなかった。
実はデモナスを訪れる前にコボルテンベルクでも同じく入植者を募りたいと大公であるジギタリス・コボルトロード・フォン・コボルテンベルク様に訴えたのだが、かなり難渋されていた。
まぁ小作人は大事な収入源だし、それを土地から引き離そうとすれば地主はおろか領地を治める領主からの反発もあるだろう。でもコボルテンベルクは属国だから快諾させたけど。
そんな大事を即座に決めてしまうのもどこか危うさがあるが……。
「まぁまぁ。俺はこれからすぐに軍務伯としてリーベルタースにて行われる三国同盟の交渉に向かわねばならないので返事は帰国した時にでも。それまで家臣とよく話し合って結論を出すと良いでしょう」
「いえ、魔族国発展のため、このゾンネンブルーメ、反意ある者を全て説き伏せる覚悟です」
えぇ……。ゾンネンブルーメさんってこんな重いオーガなの? それともオーガ族ってルドベキア然りで難しい性格の奴ばかりなの?
「そ、それは頼もしい。しかし先にも申した通り回答は春まででかまわないので」
「しかと承りました」
「は、ははは。なんともうれしい返答か。それで、開拓使から得た税なのですが、詳細はおいおい担当者同士で話し合うにして、大枠の税率はオルク王国の法に則ったものとし、その税収のうち七割がオルク王国に、残りがデモナスに、という分配でどうでしょう?」
「異存ありません」
だからなんで快諾するの? コボルテンベルクではだいぶ紛糾してたけど……。でもあまりにごねるので頭にきてしまい、最終的に税の九割をオルク王国の取り分と認めさせ、ついでに八千の開拓使を派遣してくれることに決まったので万々歳だ。さすがは属国! これからも隷属してくれよな!
……いや、さすがに俺もやりすぎだと思ったからウルクラビュリントで死刑待ちになっていた囚人を奴隷化し、魔王位継承戦争でオルク王国が荒らし回ったコボルテンベルク西部に農奴として格安で貸し出すことにした。
最初はそうした人間を使ってウルクラビュリント以南の開拓事業をやらせようと思ったが、やはり人間にオークの土地を耕させるのは何か違うと思ったし、死刑にしてスケルトンにしようにも死刑囚が多すぎて処理が追いつかないと法務官から悲鳴が寄せられていたので奴隷にして貸し出すことにしたのだ。
「そちらで不足するであろう人手に関しては人間の奴隷を売る用意があるから、必要なら申してください。格安でお譲りいたします」
「ありがたき幸せ。奴隷に関しては早速検討いたします」
あ、奴隷は検討するのね? ちゃんと部下と話し合って決めてね。独裁者はよくないからね。うん。
「さて、詳細については後程、我が国から文官を派遣し、協議させましょう。それではこれにて」
「もう行かれるのですか?」
「えぇ。これからハピュゼンに立ち寄り、そこからエルシスを経由してリーベルタース入りすることになっておりまして。これが中々カツカツとした予定で」
――と、いっても同盟の条文に関してはすでに文官同士の協議によって策定などは終わっており、あとは首脳同士の調印とそれを記念した式典が行われるだけになっている。
だが同盟の調印だけで終わらないのが貴族社会。儀式のような調印式典に社交の場である晩餐会に園遊会などなど――。そうした雑事が山のように控えているせいでスケジュールが過密化しているのだ。
「お勤めご苦労様です。此度は陛下も式典にご出席あそばされるとか」
「えぇ。他国に侮られぬよう、国威を示してくる所存です」
俺は軍務伯として、オルク王国大公として新式軍制を導入しようとしている各国へプレゼンをしたり、軍事留学の受け入れや軍事顧問の派遣などといった交流に銃砲の売買に関した交渉などを行うためリーリエ陛下の随行員となっていた。
他にはエルシスと国境問題でもめるハピュゼン王国からファルコ・ハーピーロード・フォン・ハピュゼン様がその是正のため出席することになっている。
「御国の大事に加われぬことを歯がゆく思いますが、陛下をはじめとした外交団の皆様のご活躍とご無事の帰還を主にお祈りいたします。また、不遜なれど皆様の留守を預かる身として魔族国守護に全力で取り組む所存であります」
「頼りにしておりますぞ」
「いえ、これも魔族国のため、です。オルク閣下が開拓者を募り、ウルクラビュリント以南防衛に注力するのもまた御国のため。ならばこのデモナスは身を粉にしてそれに応える所存であります」
あはは、と誤魔化して笑ったが、やはりゾンネンブルーメさんて重いなぁ、と改めて思い知らされた。これからは付き合い方を考えよう……。
古代から栽培されてた阿片は鎮痛剤として作られてたからセーフ(ホモは嘘つき)。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。
*早速の誤字報告ありがとうございます。便利な機能に舌を巻くばかりです。ただ報告者様がIDでしか表示されないため、この場を借りてお礼申し上げます。ご指摘ありがとうございます。




