オース会戦・4
新緑の大地に赤い塊が散らばる。敵も味方も誰もが戦野に倒れた中、デモナス旅団第三十一連隊はその数を五百にすり減らしながらも未だ敢闘を続けていた。
彼らはガリア王国軍の騎兵による攻撃を二度、傭兵による突撃を三度も退けるという敢闘ぶりを示したが、未だガリアも旺盛な戦意を見せてくれた。
幸い、なけなしの特火とガリアのマジックキャスターが相打ちとなったため遠距離から一方的な面制圧攻撃を受ける事はなくなったが、自分達を支援するはずだった特火を喪失したことで第三十一連隊は真綿で首を締められるような苦しい戦いを強いられていた。
「はあああッ!!」
傭兵とオーガが入り乱れる四度目の混戦の中、ゾンネンブルーメは渾身の力で傭兵の兜めがけて銃床を叩きつけた。鈍い音と共に板金で作られた兜がへこみ、傭兵が昏倒する。
強靱な肉体を有するオーガ族にとって接近戦は十八番だ。それはまだ少女であるゾンネンブルーメとて一撃で鍛造の兜をへし折る力があることから伺いしれる。
線の細い体のどこからわき出すのか分からぬ力のままに彼女は銃を棍棒のように振るい、次々と襲いかかってくる傭兵をなぎ倒す。
だがそれにも限界はあり、目をぎらつかせた傭兵が彼女の背後に立ちはだかった。
その眼には女を見る色欲は一切遠ざかり、ただ殺意と怯えを称えた瞳が勝利を確信して大きく見開かれる。
「姫様! 危ない! 後ろ!!」
ゾンネンブルーメが振り返るよりも早く刃を寝かせたショートソードで刺突をしようとする傭兵の間に老オーガが割り込む。
老いた体を易々と貫いたショートソードは春の日差しよりも暖かで鮮烈な血潮を吹き出させながらその勢いのまま彼女の胸板を突く。
だが幸いにその攻撃は時代遅れな――父からもらった鎧によって弾かれた。傭兵は鎧の隙間を狙った刺突を企図していたのだが、突然の闖入者に手元が狂ってしまったのだ。
刹那の気まずい静寂が両者の間に流れた後、ゾンネンブルーメはただただ力の限り燧発銃の銃床で傭兵の頭を打ち付ける。
何度も何度も彼女は得物を振るい、そして疲労感に苛まれた体で周囲を見渡せばちょうど潮が引くように傭兵達が後退を始めたところだった。
これで四度目の突撃を跳ね返すことができたが、いよいよ第三十一連隊は軍としての機能を喪失してしまっていた。すでに兵士達に陣形を組む余力はなく、立っていられる者のうち無傷の者は皆無という有様だ。
それでも第三十一連隊は戦いを終えようとはしなかった。すでに兵士としての責を十二分に果たしている彼らがなお戦おうとするのは偏に皆がデモナスの家臣筋に連なる者達だからであり、伝統的な主従の絆が鎖となり、彼らを戦場に縛り付けているからに他ならない。
(もし、師団司令部の命令に背いて――。師団司令部を裏切って後退していれば――)
幼き日より御付武官として父よりも父らしく自分を育ててくれた従者の血を無造作に拭いながら彼女は思案するが、ゾンネンブルーメは首を横に振って自分の考えを否定する。
デモナスの行く道はこれしかないと彼女が頑なに信奉しているからだ。それを是とした家臣達の存在も大きい。彼らもまた反逆の咎で禄を失った者達だからだ。だからこそ最後の砦ともいうべきゾンネンブルーメの命令に命を賭けることに躊躇いはなかった。
故に一番悲惨だったのは徴兵組のオーガだろう。本来であれば戦とは無縁の存在であった平民階級の者達は愛国的な大公と臣従こそ最高の誉れと崇拝する旧家臣によって死地に赴かなくてはならなかったのだから。
「閣下、最早これまでかと」
腹から血を垂れ流す生き残った家臣達が姫の元に集いだすが、その数は百人を切ろうとしていた。
この場においてオーガ族のほとんどは死んだか、瀕死の重傷者か、逃亡者が占めていたため未だ敢闘しようとする異常者は限りなく少なくなっていたのだ。
「そう、ね。でもすることは変わらないわ」
満身創痍の第三十一連隊に対し、眼前の敵はまだ豊富な予備戦力を蓄えているようであった。
もっとも実際はカーマセ侯爵麾下の騎士団を除いて傭兵の士気は限りないほど低下しており、傭兵の数は一千弱と当初の三分の一ほどまで減っていた。
だがその損害のかいあって敵戦線突破の好機が巡ってきた。
苦渋のゾンネンブルーメに対し、カーマセ侯爵は馬上からその様子を見やり、口元に嫌らしい笑みを宿していた。
「ふむ、そろそろ頃合いか」
「はい、閣下。すでに敵は風前の灯火。今こそ我らの力をガリヌス公爵様にお見せする時です!」
「でゅふふ。これで我が家の出世は間違いないな。マジックキャスターを失ったのは痛かったが、その補填も望めよう。よし、皆! 行くぞ!! 褒美はすでに手の中にあり! 突撃用意!!」
百騎ほどからなるカーマセ騎士団が横隊を組み上げる。その手に握られた馬上槍が天を睨み、鼻息の荒い馬を騎士が御する様はまさに戦絵巻の一コマだった。
そんなカーマセ騎士団に水を差すように不快な軍靴の音色が響いてきた。
まるで横合いからデモナス旅団第三十一連隊を庇うように現れたのは南部諸侯総軍司令官でるプルメリアが手配したオルク王国軍直轄の銃兵大隊八百名であった。
彼らは二列縦隊にて駆け足で戦場に突入するや、カーマセ騎士団の前で立ち止まり、大隊長の「右向け、右ッ!」の号令一下で体を九十度回転。即座に横隊陣形を作り上げてしまう。
通常の銃兵であれば陣形変更だけで時間を使ってしまうというのに彼らは錬度の高さによって時間を短縮し、即座に戦闘態勢を整える。
その錬度の高さと大隊という小さくて小回りの利く上、通常の銃兵よりも打撃力を有する軍直轄大隊だからこそプルメリアはこの窮地を救う唯一の部隊であると確信を抱いて彼らを派遣させたのだ。
そんな新手の出現にカーマセは動揺を覚えるものの、敵は所詮歩兵であり、数も騎兵で蹂躙するには問題ない数だと判断し、その矛先をオークに向けることにした。
「敵の最後のあがきを粉砕してこその騎士だ! 皆! 遅れをとるな!! 突撃! すすめ! すすめッ! 勝利のために!!」
ゆっくりと蹄が大地を踏みしめる。それが徐々に加速を初め、みるみる距離を詰めていく。
そんな騎兵の集団突撃にオーク達は一切たじろぐことなくそれを見据える。彼ら軍直轄大隊はウルクラビュリント奪還戦の折り、『電撃』作戦に参加してエルザス騎士団と正面切って戦った剽悍の兵ばかり。むしろ一騎当千の高ランク冒険者がいないとあって安堵すら覚えている有様だ
そんな新手にカーマセ騎士団の足並みは早々に乱れだす。誰もがデモナス王国第三十一連隊に突撃を強行した際に受けた歓迎の銃撃を喰らっていたからだ。
燧発銃が与えたカーマセ騎士団の損害は片手で数えられる程度のものであったが、鉄よりも堅くて粘り強いミスリルの鎧さえ貫通する銃撃に誰もが恐怖を覚えていた。
あの悪魔の唸り声のような爆音と火花が散るたびに誰かが――次は自分が死ぬかもしれないという恐怖が根付いた騎士達は自然と歩みを遅くしてしまい、隊列が崩れていく。
そんな逃げ腰の騎士に対して軍直轄大隊は臆することなく立ちはだかる。彼らは大隊長の命令に従い、肩に担いでいた燧発銃を下ろし、雑嚢から球形状の擲弾を取り出す。
「投擲!!」
それぞれが火魔法を小声で唱え、擲弾からぴょこんと飛び出した導火線に着火するやアンダースローでそれを放り投げる。
すさまじい腕力で投げ出された擲弾達が放物線を描き、地面に転がり落ちると共にそこへ通りかかった騎兵めがけて炸裂する。
無数の鉄片が舞い、爆音が連続して轟く。それに多くの馬達は竿立ちになり、騎乗者を振り落とさんばかりに暴れる。数頭の優秀な軍馬はそれをもろともせずに突撃を続行するが、それを待ち構える軍直轄大隊はすでに燧発銃の発射準備を整えており、銃火の中に倒れる運命が決まっていた。
彼らは混乱によって足を止めてしまった騎士達に悠々と二斉射を撃ちかけ、蛮声と共に突撃に移る。それと時を同じくして今まで無為の時間を過ごしていたコボルテンベルク旅団が戦場に現れ、突撃に加わる。その上、空には爆装したワイバーンが飛来しており、戦場をかき回したカーマセ騎士団は完全に逃げることができなくなっていた。
◇
その頃、ガリア軍本営ではディーオチがカーマセ騎士団に救援要請をだしたところであった。
すでに左翼戦線は崩壊しており、建て直しは厳しい。そのため右翼にて独走状態のカーマセ騎士団を呼び戻し、軍主力がエルザスへ脱出する時間を稼ぐべく遅滞戦闘を命じようとしていたのだが――。
「報告いたします! カーマセ騎士団は敵の攻撃にさらされ、壊乱状態。カーマセ侯爵も行方知れずです」
伝令の言葉にディーオチは感情が爆発し、緻密な文様が描かれた籠手をテーブルに叩きつける。それによって地図が飛び、駒が倒れるが、誰もそれを気にはしない。いや、気にかける余裕がない。
「閣下、残念ではありますが、これまでかと」
「くッ。役立たず共がッ!」
流麗な顔を怒りで赤くしたディーオチに周囲の者達が後ずさる。
とはいえガリアに残された選択肢は玉砕か敗走の二択しかない。
それも早期に選択をせねば後者を選ぶことが難しくなり、必然的に前者の結末を辿ることになる。
その状況の中、ディーオチは短いため息をつくや「撤退だ」と呟く。
「傭兵には遅滞戦闘を命じよ。騎士は全軍エルザスまで後退する。特にマジックキャスターの保全を第一にし、撤退途上の橋は全て落とすように。傭兵の撤退は待たなくて良い」
橋を寸断すれば河が天然の城壁となって魔族の侵攻を阻んでくれる。もっともそれをしては戦場に残って時間を稼ぐ傭兵も渡河が行えず、取り残される結果になるが、誰も反対はしない。騎士という特権階級と荒くれ者の集団である傭兵とでは命の価値が違うからだ。
「皆、よく戦ってくれ――」
その時、本営として使用している天幕の周囲が騒がしくなったかと思うと、頭上に影が飛びすぎた。有翼人だ。
ワイバーンによる航空優勢を手にした上、総攻撃に混乱するガリア軍の防空体制(魔法攻撃や矢を射かけたりくらいだが)が麻痺したため、空戦性能が低い有翼人が出張ってきたのだ。
その先頭を飛ぶハピュゼン大公家の息女――シュヴァルベ・ハピゼンは特注の飛行眼鏡の奥の瞳を陰らせながら優れた動体視力で読みとった敵の司令部要員の顔を思い出す。
(あの壁にかかっていた旗を見るにあそこが総司令部なんだろうな。うーん、あんまり気が乗らないけど、あのオークに騎士道精神にもとるから作戦を中止しましたなんて口にしようもならなにをされるかわからないし、仕方ない)
腰に吊られた雑嚢から擲弾を取り出すと共に彼女は旗下の部隊にハンドサインを送り、ターン。敵司令部へ再アプローチに入る。
そも、彼女達航空猟兵大隊はオルク王国軍直轄部隊としてこの作戦に参加しており、敵の息の根を止めるためにカレンデュラによって敵司令部を強襲するよう命じられていた。
そのため通常の武装とは違い、燧発銃さえもおろして代わりに持てるだけの擲弾と拳銃のみの軽武装で敵司令部に突貫しようとしていた。
(こんなものかな?)
火魔法によって着火した擲弾を敵司令部めがけて投下。合計三十発の擲弾を放り投げた航空猟兵大隊は敵の邀撃騎が来る前に戦場をあとにした。もっとも邀撃を手配する指揮官はすでに爆炎の中に消えていたが……。
こうしてウルクラビュリントを巡る戦いに決着がついた。
ガリア王国軍は四万の大軍のうち一万もの戦死者をだして撤退を余儀なくされたのに対し、魔族国は二万のうち九千もの犠牲を出したもののウルクラビュリントの防衛を果たし、戦略、戦術的な勝利を収めることができた。
もっともこのオース村近郊での戦で倒れた一万のガリア人はまだ幸運であった。
悲惨だったのはこれから始まるガリアの逃走劇であり、セントールやワイバーンによる追撃にたまりかねた貴族がマジックキャスターに命じてエルザスとオルク王国の国境地帯を流れるライーヌ河の橋という橋を破壊したため、追撃こそ食い止めたものの多くのガリア軍が渡河出来ずにオークの領域に取り残されてしまったことだ。
逃げ場のない彼らを待つ運命は身分の高い貴賓にも、騎士だろうが荷役だろうと関わらず肉を削がれてスケルトンになるか、奴隷として星神教会に出荷されるかのどちらかであり、どちらにしろ明るい未来など欠片もなかった。
なお、生きてピオニブールの地を踏めたガリア人は五千もいなかったという……。
戦闘パート終了です! 次からはゆるふわ日常パートとなります。
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