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邪な想い

 ディーオチ・ド・ガリヌス公爵は宿営地となっている村に馬を進めるや、そこに立ちこめる死臭に閉口してしまう。

 まだ三十五という若き公爵はその優男な顔立ちを歪め、従者にすぐ風呂を用意するよう命じる。



「なんて臭いだ」



 流麗な模様の刻まれたミスリルの兜を脱ぎ、香油で丹念に整えた金色の髪を梳くその動作は一枚の絵画のようであり、誰もがその姿を羨む。

 もっとも侍従は苦労の刻まれたしわくちゃな顔をしながら「湯浴みの支度は……」と口を濁す。

 風呂の設備に関しては村によるが、村長宅などであれば風呂釜もあるかもしれない。それに水も火も魔法さえあればすぐに身を落ち着かせる湯となろう。

 だが村の惨状を見れば風呂が生き残っているとは思えず、それに戦の最中に貴重なマジックキャスターにそのような雑事をさせてよいのかと顔に書いていた。



「かまわん。それよりこの臭いが体につくほうが問題だ。凱旋した折りにマリア殿下のご尊顔を臭いで歪める訳にはいかないからな」



 ガリア王国第三王女であるマリアに執心する主に従者はすぐに風呂の手配を始める。反論したところで不興を買うだけだと知っているからだ。

 この執着心さえなければ――。そんなことを思う従者であるが、それが無意味な思索であることすぐに結論づける。

 元々ガリヌス家はガリア王家とも深い繋がりのある大貴族であり、先代の頃から王家により接近するため様々な縁談が組まれていた。

 そんな中、次期当主であるディーオチも王族との結婚を、と先代は根回しをしていたのだが、その夢を実現させる前に日々の放蕩がたたって早世してしまい、若き公爵が誕生したのだ。



「まったく。なんと忌々しい村なのだ」



 ディーオチは文句のありそうな従者を見なかったことにして荒涼とした村に視線を走らせる。

 多くの家は焼け落ち、黒くやせ細った柱を覗かせている。あの煤の根元には幾人の骸が転がっていることか。この分では風呂など望むべくもないのは火を見るよりも明らかだ。

 だが大貴族としてこの世の全てを手にしてきた彼にとってそれは我慢ならぬことであった。



(我慢ならぬといえばアイツだ。あの異世界人め……! アイツもヌーヴォラビラントでくたばっておれば良かったのに)



 ヌーヴォラビラントから帰還したマリアを見た時はその無事を祝うと共に可憐な一輪の華たる彼女に不幸をもたらした魔族に怒りを覚えた。もっともそれ以上に彼の心を乱したのは異世界から召還されたオドル・ハトラクが共に帰ってきたことだった。


 アイツさえ! アイツさえいなければマリアとの婚姻は不動のものとなるはずだったのに!


 オドルをサポートするためにマリアも冒険者となって王城を出奔してしまったがために婚姻話はご破算となり、ただ欲望を残したディーオチだけが残ってしまった。

 故にディーオチはオドルを呪ってやまないのだが、当の本人は幾度も死線をくぐり抜ける悪運を持っていた。



(あの汚らしい奴隷(エルフ)がいなくなっていたのは胸がすいたが、くそ、アイツめ。アイツさえいなければ――)



 その上、ディーオチを苛立たせるのは出陣の直前に帰還してきたオドルにこの出撃を止めるよう忠告されたことが一番彼の心を燃え上がらせた。

 オドルは四万もの軍勢でも勝てぬと断言し、ディーオチの顔に泥を塗ったあげく、マリアもその意見に同調してきたのだ。

 これは最早ディーオチの感情を逆なでただけでなく、そのプライドまでもズタズタに引き裂く言葉だった。



「いや、あれは怯えているに違いない。この遠征が成功すれば陛下も我が家を無視できまい。その戦功でマリア殿下を娶ることをアイツは恐れているのだろうな」



 だからこそ彼は出陣を急いでいた。

 なんといっても独断専行でピオニブールを離れたエルザス辺境伯の動向も気になるからだ。

 もっとも当のエルザス辺境伯はピオニブールを出立後、行方が分からなくなっており、ヌーヴォラビラントへもその姿を見せていないことをマリア達からの報告で聞いていたディーオチは彼が戦死したのだろうと考えていた。

 だが万が一潜伏していて機を伺っている可能性もあり、そうなれば単独でヌーヴォラビラントを解放したとは言い難くなる。

 そのため誰よりも早くヌーヴォラビラントを目指すと共に軍勢の接近を隠すべくグリフォンまでかり出して彼の戦死を確固たるものにしようとしていた。



(全ての準備は整っている……! あの成り上がりを謀殺する準備も、街を奪還して勝利を手に凱旋を飾る準備も。そして晴れてマリア殿下と夫婦の契りを交わすのだ)



 その瞳に宿る獣欲と支配欲に口元が薄く笑みを刻み、鎧の下に隠れた逸物が怒張させる。

 彼は従者を呼びつけ、輜重に引きずられるように連れてきた奴隷エルフを一匹持ってくるよう命じた。風呂を待つ間に高ぶりを放とうというのだ。

 そんな主に従者はまたか、と内心こぼしつつ奴隷が持つかどうか思案し、追加を手配しておこうと心に決める。



「それにしてもマリア殿下も好き嫌いが激しいな。我が家にきたら矯正しなくては」

「なにか、ありましたか?」

「なに、ヌーヴォラビラントで奴隷をなくしたそうだから代わりを贈ろうと申し出たのだが、断られてな。私の贈り物を断った女性はマリア殿下くらいだ。だからこそ燃えるものがあるがな。はっははは!」



 そりゃ権力も金もあるガリヌス家の贈り物を拒めるのは王家くらいだろう。その言葉を飲み込んだ従者は恭しく頭を下げ、奴隷を調達するために動く。

 亜人を嫌うも、その亜人で欲を晴らすその歪んだ性格に彼はいつも通り思考を止め、黙々と己の職務を遂行しようとするのだった。


 ◇


「ナイ司教! ど、どうするつもりだ!? こんなこと、一教会が決められることではないぞ!」



 聖堂を出たすぐの通路で顔を青くしたメンデル司教に詰め寄られたナイはいつもと変わらぬ糸目に感情らしい感情を張り付けずにうっすらと微笑む。



「確かに困ったものです。まさかウルクラビュリントを()()()()()()するなどと大胆な手を打ってくるとは。さすがカレン様としか」

「感心している場合か! 奴の目的は星字軍遠征だ。星字騎士団を盾にするつもりなのだ! このままでは教会が戦に巻き込まれてしまう。そんなこと、頷けるわけがないだろう!」



 先ほど告解に訪れた強面にして巨躯のオークはガリアに奪われるくらいならウルクラビュリントを教皇庁に寄進すると言ってきたのだ。

 確かにウルクラビュリントほどの都市は莫大な富を生みだす宝箱でもあり、くれるというのなら教会は諸手をあげてもらい受ける用意がある。

 しかしウルクラビュリントにはガリア軍が接近中であり、寄進の話を暴露されればガリアと本格的に事を構えることになってしまう。



「確かにメンデル司教のおっしゃる通りです。この街が教皇領となればそこに矛を向けるガリアを異端として討伐しなくてはならなくなります。いくらガリアとの関係が悪化しているとはいえ、一教区長の判断で決定的な破綻を生み出すのは責任問題でしょう」



 教皇領が攻撃されたとなれば教会は信仰の自由を守護するために出兵せざるを得ない。つまりガリアを異端信仰の罪で裁くために星字軍遠征を決行せねばならず、大国ガリアとの開戦は泥沼の消耗を強いられるはずだ。

 だがそれはガリアとの関係が急速に悪化している教会でも容認できない状況だ。

 そもそもの話、彼女ら星神教の敵は海向こうの星地を不当に占領する異教の宗教国家――オストル帝国であり、星神教徒同士のいがみ合いなど容認できない。



「しかしカレン様の信仰心を無碍にすることなど出来ませんよ。もし断れば最悪、異端審問の対象になるやもしれませんね」

「い、異端審問!? そ、そんな大げさな!」

「しっ。声が大きいですよ。ですが信仰心を蔑ろにする行為は主への背信行為です。そのような冒涜的な行為をされては悪魔憑きとして土刑に処されることでしょう」



 冷静に考えればこの大規模な寄進を一教区長如きが決定できるはずがない。より上の組織たる教会管区長たる大司教やさらに上の教皇庁などが決めるべきものであり、だからメンデルがすべき返答は”拒否”でも”容認”でもなく”保留”にすることだった。

 だが有無を言わさないほどの殺意の籠った寄進話をしてきたオークに思考が止まってしまった彼はナイの口から畳みかけるような言葉に心が乱れ、まともな思考を紡ぐことができなくなっていた。



「あぁ、お話は変わりますが、ちょっと教区長室にお邪魔した時に教会の帳簿を見つけたのですが、教会税の収益と信者の人数が乖離しているようですね。帳簿のつけ間違いですか? それとも……。くすくす」

「いつの間に!? ぶ、不躾にもほどが――。まさか強請る気か!?」

「くすくす。それよりこの寄進を受け入れるにしろ、拒否して異端になるにしろ、教皇庁はウルクラビュリント情勢に介入せざるを得ないでしょう。そうなれば帳簿のつけ間違いも教皇庁に露顕してしまいます。マータイの福音書にも“富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである”と記されている通り蓄財は罪です。それが信者の皆様が主に捧げたお金で私腹を肥やすなど、教皇庁が許すと御思いで?」

「そ、それはそうだが、誰もがやってることだ! ナイ司教もそうであろう! 貴女だって――」



 反撃の糸口を掴んだメンデルはナイから会話の主導権を奪おうとするが、それを制するようにナイは言葉を重ねてきた。



「今の問題はそこではありません! 話題をすり替えないでください。重要なのは罪を犯した貴方を教皇庁がどう裁くか、ではありませんか? 少なくとも司教ではいられなくなるでしょう。最悪、寄進の責任問題と寄付の横領も含めて悪魔崇拝者の汚名を着せられ、イスパニア異端審問所に送られ拷問の末に――。なんてこともあるやもしれませんね」



 「そんな……」と顔を青くするメンデルは力無くへたり込んでしまった。

 せっかく司教に就任し、教区長まで上り詰めたのだ。彼の師であるフランシスコ枢機卿ほどの出世を望んではいないが、それでも司教位は貴族並の生活が送れる身分である。

 もっともそんな生活が送れるのは教区から得られる教会税や寄付の一部を懐に入れているからであり、教会関係者であれば大なり小なりしているのだからとメンデルも当たり前のようにそれをしていた。


 そんな生活が破綻することはおろか、”主の犬”と呼ばれる世界最悪の異端審問機関に送致されれば最後。悪魔崇拝の自供を強制され、人としての尊厳を奪われた死に方を強要されることだろう。

 ポタポタと脂汗が止まらないメンデルに差し伸べられた手は星母のように慈悲深く、邪神のようにがっしりとしたものだった。



「ですがご安心を。わたしに秘策がございます」

「な、なに……? どうすれば良いのです?」

「ではまずウルクラビュリント教会では事態の収集が不可能であり、この事態の収束をオルクスルーエ教会に一任する、ということをお認めくださいますね?」

「よ、良いのですか!? 頼む、いや、頼みます……!」

「しかし無償の愛にも限度というものが……」

「わ、わかりました。なにを望むのです! できることならばなんでもいたします!!」



 そんなに怯えないでください、とナイの口元がつり上がる。メンデルは恐ろしくてその顔が直視できなかった。こんな邪神のような司教がいるのかと震えを止めるので精一杯だ。

 そんな顔の無い少女は愉しげに「二つだけお願いがあるのです」と呟く。



「一つはこの教会をオルク王国教区へ編入することを認めてください。慣例においても国を跨ぐ教区というものはありません。今後ウルクラビュリントはガリア王国からオルク王国に再編入されるのですから教区の再編は必須。その際にウルクラビュリント教会をオルク王国教区に編入したいのです」

「は、はぁ……。そのような事で良いのですか? それこそ慣例通りとりおこなわれるでしょうし、黙っていても滞りなく再編されると思いますが?」

「おっしゃる通りですが、それをより円滑に行うためウルクラビュリント教区を統括しているエルザス教会管区長に話を通しておいて欲しいのです。特にわたし――ナイからよろしく、と」

「はぁ……。もちろん尽力いたします。それで、二つ目というのは?」



 そんな簡単な事で良いのかと疑問を浮かべるメンデルにナイは笑みを深くする。それに不吉なものを読み取った彼は悪魔と取引しているのではという疑問を覚えてしまった。



「実は魔族国教会管区長に内定するはずが、横やりが入ってしまって……。そこでフランシスコ枢機卿にわたしを教会管区長に推薦してほしいのです。もちろんメンデル司教だけでなく、他の教区長にも推薦状に名を連ねてほしいのです。メンデル司教はわたしと違って人望がおありなのですから簡単なことですよね?」



 「わ、わりました」とコクコクと頷くメンデルにナイは笑みを深める。



「それでは万事、このナイにお任せください。全ての責はわたしがとりますので」



 そんな彼女にメンデルは安堵を浮かべていった。コイツは今、責任を取るといった。

 ならばと彼女が引き返してこない様にお世辞でもいっておこうと思い立つ。



「やはり教皇猊下の隠し玉なだけはありますね。なんとも頼もしい」

「……隠し玉?」



 いつの間にか敬語になったメンデルにナイは首を傾げる。



「えぇ。義兄様に劣らぬ優秀な教皇猊下の――」



 ナイは言葉を切るように細指をぷっくりとした唇に重ねた。それは公然の秘密であるが、神でさえも口にしてはならぬ一言であったのだから。

 それと共に彼女は自分がいつまで経っても義兄の陰でしかないのかと落胆を覚えるが、それでも教会管区長――大司教に就任するまでだと思い直す。

 教区を治める司教の上に君臨し、大きな権力を有する大司教になれば誰もが彼女を認めざるを得ない。それは異教徒の娘、オストル人の娘、戦奴隷の娘と指差しをしてきた神学校の同期達とてそうだ。

 いや、同期達ばかりではない。血筋も学歴も上の連中を跪けさせることも易いし、貴族や王族を平伏させることもできる。それも肌の色が違う妾の忌み子が、である。これほど愉快な事は他にない。

 そんなことを思いつつ彼女はメンデルに「万事お任せを」といい、告解室に待たせている大切な信者の元に戻るのであった。

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