仲直り
「ガリア侵攻、ねぇ……」
あらかたの片づけと補修が開始されたウルクラビュリント城の一室。かつて父上の執務室であったそこは猿獣人共によってギルドマスター室として使われていたのだが、記憶を頼りに父上が使っていた頃に復元させていた(その父上の執務室を俺が使うことにすごい違和感もあって落ち着かない)。
そんな懐かしの部屋に運び込まれた椅子に身を沈め、手にしていた羽ペンをインク壺に漬け込む。
「ふーむ」
ウルクラビュリントは取り返したが、それだけで満足しているわけではない。猿獣人は俺から故郷を奪っただけでなく、そこに息づく大切な者達を奪っていったのだ。このまま許してやることなどできようはずがない。
それに私怨を抜きにウルクラビュリント防衛を考えた場合でも攻勢防御に出て物理的な縦深を確保出来ればそれに越したことはない。つまりウルクラビュリントより前進した軍事拠点を確保し、そこを防波堤にするというプラン――ガリアとの国境地帯であるエルザスへの侵攻だ。
「でもなぁ。ぶっちゃけ実現可能かと問われるとなぁ……」
此度のウルクラビュリント奪還を企図した『雷と鉄槌』作戦は魔王軍としても成功裏に終わったと認識されており(俺もそう認識していた)、治安維持に関わらぬ部隊から撤兵が行われる計画がすでに立案されていた。
つまり再攻勢を企図するには現在の作戦方針の転換を行わなければならず、それはつまり魔王軍最高指揮官である魔王様を説得する必要がある。
「心根のお優しい魔王様なら意図を説明すれば賛成してくださるだろうけど、兵を出す他の諸侯にも根回しは必要だし、議会の協力も不可欠か。それに万全の態勢で挑みたいから教会とも歩調を合わさねばならぬし、動員する兵士の糧秣や弾薬も確保する必要がある……。やはり一週間や二週間でガリアを攻めるのは現実的じゃないな」
こみ上げる怒りを他所に理性は整然と答えをはじき出す。
逆立ちしても今の状況では無理だ。それにウルクラビュリントというガリアの猿共からしたら外地の植民地でしかない街を奪い合うのと内地の都市に攻め込まれるのでは意味合いが大きく異なるだろう。
と、なればこちらとしては相応の準備をしなければならない。
「出来れば此度の奪還戦で投じた六万の倍、もしくはそれ以上の戦力が欲しいな。それに兵だけではなくより強力な兵器も、後ろ盾も必要か」
大兵を鍛え、新兵器を揃え、味方を増やす。
そして侵攻のための下準備を整えてこそ攻勢作戦が発動されてしかるべきだ。
ならば今はじっくりと足元を固めるとするか。
インク壺に手を伸ばした時、扉が叩かれた。
「閣下、オルクスルーエのユルフェ様と魔族国紋章院から書簡が届いております」
「入れ」
従者を招き入れるとその手には二つの封蝋の施された巻物と古ぼけた指輪を乗せた盆を携えており、それを恭しく献上してくる。
それに礼を言って下がらせ、届いたばかりのそれの封を切る。
「………………。……なるほどな」
あまり芳しくない手紙に思わずため息がもれる。
目をそらしたい気持ちを抑えながら執務机の引き出しを開ければ磨き上げられた拳銃タイプの燧発銃と革製のホルスターが鎮座しており、それを身につけて書簡と指輪を携えて部屋を出る。
執務室を守っていた衛兵に教会に行ってくる旨を伝え、幾人かの護衛と共にウルクラビュリント教会に向かう。
魔族国軍総司令部が設置されている関係上、多くの将兵とすれ違いながら宿坊を訪れると女ドラゴニュートの二人組が扉を守護する部屋にたどり着いた。
「楽にしろ」
ドラゴニュート達からの敬礼に応えつつ、扉を叩こうとすると室内から華やかな声が聞こえてくる。どうやら我が妻も同席しているらしい。
「失礼する」
ノックを挟んで中から許可を得て扉を開けるとそこでは二人の女性が卓を囲み、お茶をしているようであった。
一人は桜を思わせる柔らかな髪に怜悧な水色の瞳をした我が妻ことプルメリア・フォン・リンドブルム・オルクであり、もう一人は翡翠色の髪を冒険者らしい活動的な短髪にし、美術品のように美しい輝きを見せる黄金色の瞳をいただくエルフ――ハルジオンという冒険者だ。
ハルジオンは色白で細い首には物々しい鉄の首輪がつけられ、動くたびに鎖の不快な音が響く。
「ん? おぉ、カレンか」
サッとプルメリアが席を立ったかと思うと俺とハルジオンの間に割って入り、長耳を庇う様に立ちはだかる。
それはまるで俺が長耳に危害を加えるのを前提としているような動きであり、なんともやるせない。俺ってそういう風に思われていたのか……。
誰にも気づかれないように嘆息し、チラリと壁際へと視線を動かす。そこには銅像よろしく護衛兼監視役のドラゴニュートが直立不動の姿勢で佇んでおり、彼女に手を払う動作をして人払いをする。
「ふぅ、さて」
テーブルに先ほど送られてきた書簡を広げ指輪をハルジオンに差し出す。
「紋章院からの書簡によればその指輪の家紋はエルザス公国の国章で間違いないとのことだ。叔父上からも貴様が証言した通りエルザス公国からオルク家にエルフが嫁いでいる事実も確認できた。確かにエルザス公爵家でなければ知らぬ出来事だろう。もう七、八十年も前のことだからな。よって俺は貴様がエルザス公国の正統統治者であるハルジオン・エルルフェルスト・フォン・エルザスであることを認める。……業腹だがな」
極刑に処されるはずの冒険者であるハルジオンがここに収監されている理由はただ一つ。オルク王国の隣国として栄え、人間共の侵略の前に亡国となったエルザス公国家の正統後継者であるからだ。
「教会から貴様の身元の照会がきた時は驚いたものだ。まさか奴隷の首輪をつけておいて自分が公国の姫君などと、誰が信じようか」
ゆっくりと窓際に向かうとプルメリアも同時に動き、相変わらずハルジオンと俺の間に割って入って来る。俺ってそんなに信用ないの? ちょっと悲しいんだけど。
まぁ俺もコイツに対して思うところはある。今でもコイツを八つ裂きにし、その頭を髑髏杯にしてしまいたいほどだ。
だが――。
「――。さぞ、苦労なされたことだろう」
「……え?」
空気が漏れるような声に窓からハルジオンを見ればその黄金色の瞳が落ちそうなほど見開かれている。
それほど意外な言葉だったろうか?
「いや、なに。国を、故郷を失った絶望は計り知れぬものだ。そうだろう?」
するとハルジオンは顔にありありと不快の色を浮かべる。まぁ軽々と口にできるような絶望ではないからこそ無言で不愉快だと叫んでいるのだろう。
「顰蹙を買ってしまったようで申し訳ないが、それでも察してくれるものはあるはずだ。この都の帰趨を知る元冒険者であるのならば、な」
「………………」
「別段、それで貴女の気持ちが分かるというつもりは毛頭ない。こういってはなんだが、俺は貴女に比べて遥かに運が良かった」
そう、運が良かった。
たまたま落ち延びる事が出来たし、たまたま立ち直ることができた。だからこそ俺はウルクラビュリントを取り戻すことができたのだ。
だが眼前のエルフは未だ奪われたままだ。それもエルザス公国が滅びてから七十有余年もの年月を奴隷として――人としての尊厳さえも奪われたまま生きて来たのだからその絶望は想像を絶するものだろう。
「これも主の導きやもしれん」
この偶然に偶然が重なったからこそハルジオンは冒険者の身でありながら俺の前に居るのだ。それに俺もナイ殿とお会いし、真の教えに目覚めなければ今日という日を迎えられなかったろう。
複雑に絡み合った運命を主が手繰り寄せてくれたとしか思えない。
ならば――。
「国を、故郷を取り戻してみようとは、思わぬか?」
「……エルザスを、ということですか?」
「もちろん。今でこそガリアの猿に不法な占拠を受けているエルザスを解放し、エルフの国を復古することにオルク王国は協力を惜しまない。どうだろうか?」
「もちろんタダで、ということではないのですよね?」
俺としては無償で助けてあげたいのだが、世の中は善意だけでは動いてくれない。
まったくもって嫌な世の中だ。
他者への無償の愛こそ尊ばれて然りだというのに私利私欲で動く世の中などまったく度し難い。
「もちろん見返りはもらう。確か、エルザス公爵家はエルシス皇帝家と縁戚関係にあったな?」
「え、えぇ。時のエルザス家が一時期エルシス帝国に亡命していて、そこで縁戚になったと」
史書によればエルザス地方は人間の侵略を受け、エルザス家はエルフの国であるエルシス帝国に亡命後、その援助を受けてエルザス地方を取り戻している。その影響もあってエルザス家は正式な公爵となり、その後は魔族国の衛星国家として繁栄していたが、再度の人間族の侵攻において亡国となっていた。
つまりハルジオンはエルシス皇帝家とつながりがあり、これはエルシス=ベースティア二重帝国との同盟を模索している魔族国にとって重要な手札になりうる。
「仲介人になれ、と?」
「察しが良くて助かる。今、我が国はエルシスとリーベルタースの三国同盟を模索しているのだが、生憎エルシスとは領土問題――正確にはハピュゼン王国との国境策定に難航していてな。その仲立ちをしてもらう」
まぁハルジオンというカードを握っていることをエルシスに知らせられればそれでいい。
長耳は総じて仲間意識が強くて排他的だ。だからこそ血縁もあるハルジオンをちらつかせれば領土問題の是非を抜きに魔族国との接近を強いられるはず。万が一国境策定が不調に終わっても同盟関係に近い盟約を交わせることだろう(まぁそこはハルジオンの価値をエルシスがどう見定めるかによるだろうが)。
「それと武器だ。エルシスは今、喉から手が出るほど武器を欲している。それを売り込んでほしい。我が国の武器の威力は身をもって知っているだろう?」
「武器? それって“じゅう”のこと?」
おっと、驚いた。銃を知っていたのか。まぁ俺も海向こう――オストル帝国から輸入された大砲を基に燧発銃や野戦砲を作らせたのだから知っていても不思議ではないか。
ガリアは内海にも面しているし、別のルートで火器を知ったのかもしれない。
「そうだ。銃も大砲も売る。富を稼ぎ、軍資金を得て、貴女の故郷を取り戻す。我々は貴女の見返りに報いると確約しよう。その証としてまずはその醜い首輪を外させよう。懇意にしているリーベルタースの商人で奴隷を扱っている者がいるのだが、その方に頼んで奴隷という身分から貴女を解き放つ。どうだろうか?」
その時、ハルジオンは悲し気に首輪を触る。まるでその醜いそれが愛おしいものであるように。
何か思い入れでもあるのだろか? こちらとしては並べられるだけの飴を並べてしまったのでその思いをなんとか払拭してもらわねば困るのだが……。
「分かりました。このハルジオン。いえ、ハルジオン・エルルフェルスト・フォン・エルザスはオルク王国に、そして魔王様に全面的に協力をいたします。その代り解放後のエルザス領の自治権を賜りたい」
「もちろんだ。“カエザルのものはカエザルに”。物事は本来あるべきところに戻らねばならない。その件についても尽力しよう」
「ならば拒否する理由はありません。どうか、どうかよろしくお願いいたします」
サッと頭を下げて来るエルフの少女――というわけではないか。もうエルザスが滅びて半世紀はたっているのだからコイツは俺より年上なのだろう(長命種であるエルフらしく年齢を読み取れないが)。
そんな彼女に左手を差し出す。
「これからは共に歩む者同士です。従属ではなく、共存こそが我らの求めるべきものでは?」
「……はい!」
俺とハルジオンの間に入っていたプルメリアを押しのけ、がっしりと彼女の左腕を握る。
――万力のように。
「――! な、なにを――」
「だが貴様と共に歩むにはこの右腕の傷を清算してからだ――ッ!」
右手でホルスターに納められていた拳銃タイプの燧発銃を引き抜き、親指でその撃鉄を完全に引き起こす。
あぁそうだ! 間近で見て確信した! コイツ! コイツだ!! あの日、全てを奪われたあの日! 俺の右肩に麻痺毒を塗った矢を射掛けた耳長猿はコイツで間違いない!!
「この右腕、もらいうけるぞ!!」
銃口を右肩に押し当て、引鉄に力を籠める。
轟音が部屋を揺らし、窓ガラスが悲鳴をあげると共に肉を食い破った弾丸が背後のテーブルを射抜いた。
「へ? い、いやあああ。痛い! 痛――ッ。あああッ!!」
快絶の極みだ! 心の奥底から笑い声が轟くし、血と硝煙の臭いがこれほど甘美なものなのだと初めて知った! あぁ! 主よ――!! この時をお与えになられたことを感謝いたします!!
「殿下! 何事ですか!?」
バタバタと護衛のドラゴニュートが有無を言わさず突入し、遅れて教会関係者がやってくるが、誰もが今の光景を目の当たりにして言葉を失っている。血の気も失っているか?
「閣下! 閣下はおられ――。こ、これは一体……!?」
そんな所に飛び込んできて困惑を浮かべるオーク伯の間が悪いこともさらに喜びを増幅させてくれる。
今日はなんと吉日なのだろうか。
「どうしたオーク伯。用件は??」
「は、はい。それが――」
教会関係者を見やったオーク伯がおずおずと近づいてきた。聞かれてはまずいことだろうか? そんな彼から耳打ちを受ける。
「偵察に出ていた驃騎兵からピオニブール方面よりガリア軍接近中との報せが。そのため魔王軍司令部から南部諸侯総軍へ邀撃準備が令されました」
「ほぅ……。すぐに軍議を開こう。おい、コイツに治癒魔法をかけてやれ。なんとしても死なせるな。く、フハハ!!」
さーて。やはりガリアはやってきたか。たっぷりと歓迎してやろう。
これでオークとエルフはズッ友(植民地)だよ!
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