エピローグ:ウルクラビュリント奪還戦
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魔族国軍に包囲されて三週間。ヌーヴォラビラントの包囲の輪から外れた川べりにポツンとたたずんでいた水車小屋の扉がゆっくりと開かれる。
そこから顔を出したのはオドルであった。
「よし、誰もいない。みんな来い!」
合図を送ると共に水車小屋に偽装されていた秘密の地下通路から十数人の冒険者や騎士達が現れる。
誰も彼もが自慢の装備を汚し、鍛え抜かれた身体に傷をこさえている様はまさに敗残兵であった。
「オドル……」
十数人の騎士や冒険者の護衛を受けたガリア王国第三王女マリア・ド・ガリアの疲れ切った顔が現れたのを見たオドルはそのガラス細工のように繊細な手を取る。
「行こう」
ぐずぐずしている暇はない。いつ魔族国軍の哨戒部隊がやってくるのかしれないのだ。
騎士達が秘密の通路から馬を連れだす間、オドルは冒険者達に向き直る。
「すいません。囮になってもらって」
「気にすんな。それに一番の貧乏くじは街に残った連中だろう」
三週間に及ぶ敢闘の末、ヌーヴォラビラントの戦力は枯渇し、再度の総攻撃を受ければ落城する見込みが濃厚になっていた。
そのためガリア王国第三王女であるマリアを脱出させる運びとなり(彼女は猛反対したが)、彼らはオークが作ったと思わしき秘密の地下通路(ダンジョン攻略後に土魔法によって封印されていたものを再び土魔法で開通させた)を通って包囲の輪を脱したのだ。
「まぁ、こっちが囮だが、街道を走破するっていうそっちの方がこっちより危ないんじゃないか? ほら、うちのパーティーはレンジャーや盗賊で固めているからむしろ森に逃げた方が助かりやすいってものさ。相手にエルフがいない限り良い賭けだ」
“エルフ”という言葉にオドルの顔色は曇り、マリアは俯いてしまう。
彼らのパーティーメンバーであるハルジオンはあの野戦のあと戦闘中行方不明になってしまい、今もその消息は知れないままだ。
「――ッ」
奴隷であるのに明るい笑顔を浮かべてくれたエルフの少女をオドルは思い浮かべ、それと同時にあの夜に響いたマリアの悲痛な叫びが蘇る。
どうしてエトワールを止めなかったのか、と。
身分は違えど、姉妹のように育ってきたエトワールがこの世にいないということがマリアは信じられなかった。
それはぽっかりと心に穴があいたも同然であり、その喪失感をオドルもまた味わっていた。
「行こう」
だからこそオドルは力強くマリアの手を握る。
もっともそれは傷つき、止まりそうな彼女を導くためではなく、十七年間生きてきて初めて味わった現実味のない現実から自分を支えてほしかったからだ。
今でも瞼を閉じればありありと彼女達の笑顔が思い浮かぶし、今にも「早く行こうよ」という声が聞こえてくるような気もする。
しかしその声が二度と聞くことができないという暴力的なギャップがオドルの心をねじ切ろうとしているようだ。
「殿下! 準備できました。参りましょう」
騎士が声をかけてくると共にヌーヴォラビラントから大轟音と大激震が押し寄せてきた。それと共に蛮声が風にのって流れて来る。
どうやら魔族国軍の第二次総攻撃が開始されたようだ。
「くっそおおお!」
混沌とした感情がコントロールを失い、思わず口から飛び出す。まだ十七歳のオドルが背負うには荷が重い現実だった。
それでも僕はもっと、もっと上手くやれたのではないか? と思わずにいられない。
それこそオドルが普通の高校生であった頃に読んだ小説達の主人公のように――。
「絶対に、絶対に取り戻してみせるぞ!!」
もう二度と失いたくない。そんな想いを抱え、彼らは敗走を始めるのだった。
◇
第二次総攻撃より二週間前――。
「う、うーん……」
鉄と硝煙の臭いが充満する朝。ハルジオンは重い思考の中で目覚めた。
視界に広がるのは春先の薄い青空。体が寒さに震え、小さなくしゃみがもれる。
「あれ? あたし――」
自分は確か主人であるオドル達とはぐれてしまい、その後は剣聖であるエトワールを先頭にして敵陣に切り込んだはず。
そこで隊伍を整えていた敵が一斉に“じゅう”を放ち、その凶弾に愛馬が倒れてしまったのだ。
「っは!? みんなは!?」
朝露で冷たく湿った地面から身を起こせば残雪と泥に取り残された血痕と死体ばかりが目にはいる。
太陽はすでに朝の位置にあり、友軍は誰一人といない。
「逃げ遅れた……!?」
ゾクリと外気によらない寒気が押し寄せる。
今、自分は敵中にただ一人で孤立してしまっている。そして敵は冒険者が日常的に狩っていた魔族であり、自分はその冒険者――それもBランク冒険者だ。
魔族にとって増悪の対象でしかなく、連中に敗北した冒険者が辿る運命はただの“死”では済まされない過酷なものだろう。
それにハルジオンは女だ。それがより一層彼女の未来に影を落とす。
「は、はぁ。はぁ。い、ぃやだ……!」
呼吸が浅くなり、指先が震える。その指が自分の得物であるショートソードを無意識に触れていた。
これほどまでに自死というものが甘美そうだと彼女は思った事がない。
しかし残念ながらハルジオンの首にはめられた奴隷の首輪によって自分を害することができないという魔法的な制約を受けている。
「でも、それでもあたしは生きてやる……!」
もっとも彼女の黄金色の瞳は絶望に覆われておらず、奴隷の首輪がなくとも自害などするものか、必ず生き残ってやる。そう強い光が宿っていた。
奴隷としてあらゆる尊厳を奪われ、亜人だからと蔑まれ、女というものを辱められても彼女は生きることを諦めなかった。
何をしても、どんな辱めを受けようと人間共に奪われた故国を再興し、亜人と蔑称される同胞を救うその日まで決して諦めはしない。それが彼女の生きるたった一つの理由だった。
だから今回も諦めはしないと彼女は唇を噛みしめ――。
「おや? 大丈夫ですか?」
脊髄が凍り付きそうになりながらハルジオンがゆっくりと振り返る。
そこには戦場に似つかわしくない黒の法衣に身を包んだ少女がいた。黒髪に浅黒い肌という異国情緒のある姿のその少女は糸目に薄い笑みをうかべ、ゆっくりと近寄ってくる。
どうやら相手は魔族ではない。人間だ。それはまるで一筋の光明のようだった。
「あぁ。わたしは星神教の司教をしておりますナイと申します。今は教皇庁より傷ついた信者の方々の救助にあたっております。ところで――」
ナイと名乗った少女は朝日を背にしているせいか、その顔は黒に覆われてうかがいしれない。しかしどこか無貌でいるようであった。
「あなたは主を信じておられますか?」
これにて今章は終了となります。お付き合いの程ありがとうございました。
今後は他のものを書きながらまったりと更新していけたらと思います。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




