電撃作戦・4
エルザス騎士団はジャンの命令に従い、ゆっくりと突撃を開始した。
というのも馬がある程度全力で駆けられる距離はおよそ三百メートルしかなく、彼我の距離が一キロメートルも離れている現状、最初から全力疾走をさせるとバテてしまうのだ。
そのため徐々に速度を上げ、いよいよ愛馬達がトップスピードに達しようとしたその時――。
落雷のように空気が切り裂けるような轟音が周囲を制圧した。
「な、なんだ!? みんな大丈夫――。なッ……!?」
轟音に驚いた馬をなだめつつ振り返ると十数人の仲間達が見えぬ拳に殴りつけれたかのように血を流しながら落馬し、多くの者が馬を御するのに手こずっている。
「これがハトラクの言っていた敵の新兵器か……!」
舌打ちしたくなる心を抑え、そのまま愛馬の腹を膝で締め上げて加速を続ける。騎馬は一度突撃を始めたら最後、もう方向転換も立ち止まることもできない。それをしてしまうと隣を走る者と接触事故を起こしてしまうからだ。
そのため危機が待っているというのに彼は止まることなく、ただ先に進むことだけを考える。
「皆! 止まるな! 立ち止まれば的になってしまうぞ!! 進めッ! 進めッ!! 強化魔法をかけ進め!! うぉおおおッ!!」
【肉体強化】の魔法によって身体に魔素が循環していく。それによって己が持つ肉体のポテンシャルを極限まで引き出すと共にジャンは風の如き速度で戦野を駆ける。それもジャンだけではなく、野戦砲の攻撃を辛くも逃れた者達が続く。
ジャンを筆頭に【剣術】スキルや【槍術】スキルといった特定の得物を持つことで発動するパッシブスキルによる補正も受けた彼らが方陣を組み上げるオークの白目が見えそうな距離に差し迫った時、戦列が轟音と白煙に包まれた。
燧発銃から吐き出された弾丸の驟雨がエルザス騎士団を襲い、幾人かが弾き飛ばされるように落馬し、肉を抉られた馬が倒れ伏す。それにジャンは隣を走っていたはずのジャネットが姿を消していることに気がついた。
「ジャネット!? くそッ!!」
人馬の悲鳴が木霊する中、エルザス騎士団は戦意を失う事なく吶喊を続けるが、砲声や銃声に驚いた馬が棹立ちになり、そこに後続の馬が衝突するなど統制が乱れてしまう。そのため衝撃力は幾分にも衰えを見せていた。
尚且つ満足に飼い葉を腹に入れられなかったエルザスの馬達もすでに体力の限界を見せ始めている。
そんな中、ジャンを一番槍に騎兵達がオークの戦列へと斬りこんだ。
オーク達は二メートルほどの槍を必死に握ってハリネズミを連想させる槍衾を作るが、歴戦の冒険者であったジャンにとってそれは児戯にも等しい稚拙なものだった。
「はあああッ!」
構えられた穂先をショートソードで弾き飛ばし、驚愕に顔を染め上げたオークの首を刈り取る。
血しぶきが舞い、オークの悲鳴に包まれる中、ある勇敢なオークが奇声をあげて槍をジャンの愛馬に突き刺す。
それに馬は悲鳴をあげて棹立ちになるが、ジャンはそこから飛び降り、馬に食い込んだ槍を引き抜こうとするオークを一刀のもとに切り伏せる。
その隙を突こうというように別のオークが恐怖に顔を引きつらせながら吶喊してくるが、ジャンはただ殺意を込めた視線を向けるだけでそのオークの口から情けない悲鳴がこぼして後ずさる。
そんな視線だけで圧されたオークにジャンは踏み込み、その首を刎ね上げた。
「なんだ? オークとしばらく戦っていなかったが、こんなにも弱かったか?」
在りし日のオークと比べ、眼前の敵はまるでど素人のように得物の扱いに不慣れな印象を受けながらも彼は剣を振るう。
その上、追随してきた元Bランク冒険者である騎士達もその戦列に加わったため、オークの方陣はなんら抵抗を見せられずに崩れてしまう。
なんといってもオークの討伐は六つある冒険者ランクのうちCランク以上のものに充てられるクエストであり、Bランクの彼らにとっては朝飯前の相手であった。
それと共に後方に残して来た五人のマジックキャスター達の同時詠唱が終わり、巨大な炎の槍が宙に浮かぶ。攻城戦において城壁を打ち破らんとするための上級魔法が発動し、ジャン達の左翼に展開する方陣めがけて炎槍が飛び込むや爆炎が周囲を焼き清める。
まだ爆風で弾き飛ばされ、内臓にダメージを負ったものはいい。だが火だるまになり、救いを求めて右往左往するオークの断末魔の叫びが恐怖を増長させる。
圧倒的な近接戦能力を有する騎士と炎の強槍の攻撃を受けた二つの方陣は戦力として勘定できぬほど統率が乱れ、壊走を始めてしまう。
それにジャンはしめたとばかりに「追撃だ!」と斬り込みを決意する。
「敵の頭を潰す! このまま突撃する――」
だが命令を伝えきる前に彼の声は再度、戦場に吠えた野戦砲によってかき消されてしまった。
◇
オルク王国軍軍団司令部直轄特火大隊から派遣された八門の騎馬特火中隊とそこに属するセントール共は敵騎兵の突撃に併せ、汗と泥と硝煙に塗れながらも第二射を準備していた。
残雪が残る季節だというのに汗で軍服を重くする清掃手のセントールが額を拭う間もなく砲腔から発射薬の滓をかき取る螺旋棒を引き抜く。
すると清掃手を押しのけるように装填手が綿毛のお化けのような見た目のスポンジ棒と呼ばれる布を巻き付けた装具を砲腔に押し込む。あらかじめ水魔法によって湿らせたそれが螺旋棒によってこそげ落ちた滓と燃え残った火薬を拭い取る。
その間、清掃手は砲身と砲車を支える車輪の間に設置された弾薬箱から黒色火薬を詰め込んだ装薬袋を取り出す。これは通常の特火が運用する八十四ミリ野戦砲にはない仕様で、騎馬特火がわざわざ砲車とは別に弾薬運搬用の馬車を連れなくても良いように改造したのだ。
「装填急げ!!」
小隊長たる砲長の檄に言われなくてもと装填手がスポンジ棒を引き抜くと共に清掃手が装薬袋を砲口に差し込む。それに阿吽の呼吸で装填手がスポンジ棒をくるりとひっくり返し、その石突で装薬袋を砲身奥まで押し込むや、再び清掃手が一抱えもあるブリキ缶――キャニスター弾を砲口に装填する。それを装填手は一息で砲身奥まで送り込み、脂汗と高揚に染まった顔に満足げな笑みを浮かべた。
「装填よーしッ!」
「目標、前方の敵騎兵! 距離百! 照準開始!」
砲長がサーベル状の曲剣の切っ先を方陣に食い込んだ猿獣人に向ける。それに兵達は戸惑いながらも砲車をよじり、狙いを定める。
その様子はまるで獲物を見定める蛇のようであり、砲口という毒牙が獲物を睨んだ。
「照準完了。我が砲、敵を指向せり!」
「確認した! 砲撃用意!」
今度は射手が砲尾に取り付けられた鶏の頭のような形をした撃鉄を半分だけ引き起こし、火皿へ黒色火薬にミスリルの金属片が混ぜられた点火薬が注ぎ込み、蓋代わりの当たり金を閉める。
そして拉縄と呼ばれる紐を取りつけ、撃鉄を完全に引き起こす。
「砲撃準備全てよろしい!」
「撃てッ!」
すでに彼等を統率する騎馬特火中隊の本部からは自由攻撃が命じられているため砲長が間髪入れずにサーベルを振り下ろす。
それと共に射手は「くそったれ……!」と力いっぱい拉縄を引く。
火の魔石が取り付けられた撃鉄のロックが外れ、バネの力が解き放たれる。それは当たり金をこするように火皿を叩き、点火薬に混ぜられたミスリルの魔力に魔石が反応して火花が散らせた。
小さな種火は即座に火薬を燃え上がらせ、砲身内に詰められた装薬袋に引火。狭い砲身内に莫大な燃焼ガスが生みだすや耳を貫く轟音と共に白煙と火花が迸り、砲弾が有り余るエネルギーによって吐き出される。
「弾着! 我が射弾、敵及び――」
観測手の言葉が途切れるも、それを砲長は許さずに明瞭な報告を求める。
それはまさに戦争行為を遂行するだけの機械になってしまったかのようであった。
「わ、我が射弾、敵及び友軍方陣に直撃! 直撃した! 効果は大! 効果は大なりッ!」
「よろしい。同一諸元にて再攻撃。急げェ!」
後悔と怨嗟に染まった声で非道な作戦を命じる砲長に兵達は唇を噛みしめながら己に課せられた職責を果たすべく、湯気を立ち昇らせながらも黙々と砲身の清掃に従事する。
“友軍諸共敵を粉砕せよ。拒むのならば一族郎党残らず魔王様への反逆罪で処断する”という支隊長命令のせいもあるが、誰しもが六万の大軍に挑む二百の冒険者に対して正攻法では勝負にならないと分かっているからだ。
だからこそセントール達は外道の作戦さえ甘受し、騎馬特火に配属を命じられた己の運命とそれを命じたくそったれな狂オークを呪いつつも再攻撃を準備する。
だがその苦悩を取り払ったのは、敵のマジックキャスター達であった。
◇
王国騎士イザベル・エザスは円を描くように並んだ五人のマジックキャスターの一人だ。彼女は父ほど年齢が離れたエルザス領主であり、パーティーリーダーであるジャンからもらったイチイの木より削りだされた魔法杖を手に他の仲間と共に詠唱を始める。
彼女の本当の父母はただの村人であり、彼女もまた村人として生を終えるのだろうと思っていたのだが、村がオークに襲われたことでその人生は一変した。
オークによって両親を失い、間一髪のところをジャン達によって生を繋げられた彼女はそれから生きるために冒険者稼業に身を置くことになり、命の恩人であるジャン達についていくことを選んだ。
そこで魔法の才が花開いたイザベルはパーティーの新参者であるにも関わらず頭角をあらわし、ついにはBランク冒険者として、そして騎士に叙任されるまでになった。
「【炎の槍】!!」
五人分の魔力が込められた炎槍は彼女が思い描いた通りの軌道で飛翔し、五百メートルも彼方で砲声と砲火を輝かせる騎馬特火中隊に襲いかかる。
事前に聞かされていた魔族の新兵器に相違ないそれが炎に包まれる様を見て安堵を浮かべた彼女は三度同じ魔法を同じ地点に放ち、特火を完全に沈黙させた後、突撃したジャン達を援護すべく前進を始めようとする。
「もう少し前にでましょう。そうじゃないともう敵がよく見えなくて援護できません」
「そうだな。よしみんな!」
彼女の発案にマジックキャスターを護衛するため残っていた中近戦闘に長じた五人のレンジャーが手にしていた弓矢を下ろす。
その瞬間、街道のそばまで迫る針葉樹林の中からいくつもの銃声が響き、鉛がマジックキャスターやレンジャーを襲う。
軽装を主とする二つの職業はなすすべなく弾雨を浴び、極彩色の血しぶきが残雪を彩った。
「な、なに?」
腹にドンという衝撃を受けたイザベルが手をあてがうとそこに湯気をあげる赤色がべったりとついていた。
騎士として支払われる賃金をやりくりしてやっと手に入れたミスリルの胸甲鎧にはいびつな穴が空き、破片がお腹に突き刺さっている。
そこから溢れ出した鮮血に彼女は膝から崩れ落ち、呼吸を荒げながら教会の僧侶に習った小治癒の魔法を己にかけて止血を図るが、中々血が止まらない。
マジックキャスターとはいえ、本職の回復職に比べスキルも経験も足りないためなのか、それとも魔力を練る力さえも失われつつあるせいか無情にも命の赤が雪に染み込んでいく。
「え? なにこれ……? うそでしょ?」
それに焦りを覚えながら彼女は周囲を見やるとその時、森の中で何かが蠢いた。
それは薄暗い森に溶け残った雪に擬態するように白いマントを頭からすっぽりと被った有翼人達だった。
「ハー、ピー……!?」
伏撃を仕掛けたハーピーの数は三十ほど。その手には短燧発銃という騎兵用に銃身を一メートルまで切り詰めたカスタムが施された燧発銃に四十センチものソケット式銃剣を装着した代物が握られており、獲物に襲いかかる猛禽のように突撃してくる。
それに辛くも軽傷で済んだ三人のレンジャーが立ち向かうが、さすがに多勢に無勢。飛行するため線が細いハーピー相手でも数の暴力の前にレンジャー達は一人、また一人と討ち取られていく。
そしてついにハーピーの津波はマジックキャスターをも飲み込む。ただでさえ近接戦闘が不慣れなマジックキャスターにとってそれは一方的な虐殺であり、せっかく治癒魔法で血が止まろうとしていたイザベルの前にもハーピーの少女が立ったことで全ての望みは絶たれてしまった。
「くっ」
彼女は懸命にもイチイの杖を奮って相手――同い年くらいのハーピーの少女だ――を牽制しようとするが、内側から沸き起こる痛みによってキレのある動きができない。
そんな緩慢な動きにハーピーの少女は凄まじい動体視力で杖の軌道を読み取るや、絶妙なタイミングで杖を蹴り飛ばしてしまう。
「つ、つえ……!」
魔法の発動に補正を与えると共に彼女唯一の武器であり、『よく頑張ったな』と孤児の自分を応援してくれた大切な人からもらったイチイの杖が手のひらから抜け落ち、イザベルの顔にありありと絶望が浮かぶ。
「はあああッ!!」
その声に涙の浮かんだ顔を向けると、眼前には己が頭に向け振り下ろされんとする短燧発銃の台尻が広がっており、それが彼女の見た最後の景色となった。
悲鳴をあげる間もなく頭蓋が叩き潰される音が響く。
それは修練を積んだ一流ともいうべきマジックキャスターの最期としてはあまりにもあっけないものであった。
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